「まさか能力が使えないなんて……そんな……」
エーナさんは、それはもうわかりやすくがっくりときていた。
「道理で上手く空も飛べないわけだわ。随分勝手が違うなと思ってたのよ」
「ちょっと調子悪いよなやっぱ」
レンクスも同意する。
私たちなんてむしろ調子良いくらいなんだけど。
「だからってあの泣き喚き方はねえよ」
「う、うるさいわねっ! しょうがないでしょう。怖かったんだもん……」
レンクスが小馬鹿にしたように笑うと、エーナさんは顔を真っ赤にして、最後は消え入るような声で顔を落とした。
それが面白かったのか、彼は彼女をうりうりとつつく。
「ったく。いい歳してよう」
「いくつになっても怖いものは怖いのよ。というか歳の話は禁句よ」
「まあな。お互い何年生きてるかわかったもんじゃねえしな」
「考えるだけでぞっとするわ……」
「前から思ってたんだけど、実際どのくらいなの?」
「若い子は知らなくていいのよ」
「ねー」「なー」
「……へえ」
妙なところで気の合う二人であった。
話は変わりまして。
「おい。無能のエーナ」
「なによ。無能のレンクス」
「能力が使えないとわかった今、これからどうするつもりだ?」
「どうしようかしらね。『事態』について調査しなきゃならないのは事実なのだけど。手を伸ばせば届きそうなものが、雲を掴むような話に変わってしまったわね」
「行く当てがないんでしたら、私たちの家に来てもいいですよ。私たちも元々世界の謎を調べてましたし。一緒に調べませんか?」
するとエーナさんは、まるで救いの女神でも見たかのようにうるうると瞳を潤ませて。
「本当にいいの!? だって私は、あなたたちを殺そうとしてたのよ? 恨まれても仕方ないんじゃないかって思ってたのに」
「あなたなりの考えと思いやりがあってのことだったのはわかってますから。もう私もユウも全然気にしてないですよ」
エーナさんは感極まった様子で、私に飛び込んできた。
ぎゅうっとハグされる。
「ありがとう。ありがとうね。私、生きててよかったわ。うん、やっぱり持つべきものは素敵な後輩よね」
あの。抱き付かれるのは嬉しいんだけど。
土汚れが付いちゃうよ。あはは。困ったな。
私も躊躇わずに抱き返す。
こうして同じ目線で肌で感じてみると、フェバルというよりただのお姉さんじゃないのという気がしてきて、身近な存在に思えてくる。
レンクスは、そんな私たちの姿を楽しそうに眺めていた。
「よかったじゃないか。お前普段は散々な扱いばっかりだもんな」
「うう。親切が身に染みるわ」
彼女はこちらを愛でるように背中を撫でてきた。
「そんなに苦労されてるんですか?」
「色々と大変なのよ。仕事柄ね」
覚醒前のフェバルを抹殺して回るという仕事柄、恨みを買うこともたくさんあったのだろう。
この人はレンクスやウィルに比べると戦闘向きじゃなさそうだからね。
もしかすると間に合わず、覚醒したばかりのフェバルとかに返り討ちにされたこともあったのかもしれない。
世界間移動のために自殺しなければならないことも多いだろうし。苦労してるのね。
私は労わってあげたくなって、エーナさんの頭を撫でた。
彼女は心に来るものがあったのか、うるうると涙を流して、私の胸に顔を埋めた。
「ううう。ユイちゃああああん!」
「うん。よしよし」
「これじゃどっちが先輩だかわからんな」
レンクスはやれやれと頭を掻いて、私たち二人をしみじみと見つめていた。
エーナさんが満足して、と言ってもそこまで深刻に泣いてたわけじゃないから、割とすぐだったのだけど。
私にはふと気になることが浮かんでいた。
「そう言えば、レンクスってエーナと普通に仲良くしてるよね」
「ん?」「え?」
何を言ってるのかわからないという様子だ。
私は続ける。
「いや。紛いなりにも私たちを殺そうとしてたわけでしょ。レンクス、あなただったら普通はもっと」
エーナさんが、ギクッとした。
そうなのよ。レンクスの行動原理からすると、私たちに仇なすものは決して容赦しないというか。
だからって私は別にそうして欲しいとは微塵も思ってないけど。普通ならこいつは彼女のことをもっと嫌っていてもおかしくないはずなの。
なのに全然仲良さそうにしてるからさ。不思議だなあって。
レンクスは、合点がいったように頷いた。
「ああなるほど。可愛いユウユイの味方である俺は、もっとエーナのこと嫌ってなきゃおかしくないかっつー話な」
「うん」
エーナさんはその場で凍ったように固まりついている。
どうしたのだろう。
レンクスは笑いながら答えてくれた。
「だってさあ。わかってたしな」
「わかってた?」
私の言葉には直接答えず、彼はエーナさんに質問を投げかけた。
「なあエーナ。お前、今まで覚醒前に殺せたフェバル覚醒予定者は何人くらいだったっけ?」
「…………ロよ」
エーナさんが、すべてに絶望したような表情で、ぼそっと何かを言った。
それがとても聞き捨てならないもののように思えて、私は聞き返した。
「えっ?」
「なんだって? もう一度はっきり言ってみろよ」
彼女は強い悔しさを滲ませて、諦観たっぷりにその言葉を吐き出した。
「ゼロよ……」
「ええっ!?」
私はびっくりしてしまった。
だって。生き甲斐にしてることじゃないの!?
私も覚醒前に有無を言わさず殺してしまうのが良いやり方だとは決して思わないけど。
でも話を聞く限り、あれほど熱心に宇宙を駆けずり回って。歳を言うのも憚られるくらい長く生きて続けていて。
それで、誰一人殺せていないっていうの!?
それはもう本当はやる気がないというか。あったとしても異常ではないか。
「な。そういうことだ。どうせ殺せねえんだよ。この人の良いお嬢さんは」
「くっ……私だって別にいつもやる気がないわけじゃないのよ。でもね。思うようにターゲットが見つからなかったり、なんか色々あって仕留めるはずの攻撃が外れたり、つい相手の身の上話を聞いてあげて一緒に泣いちゃったり。そんなことしてるうちにチャンスを逃してしまって」
意外な真実。エーナさんちっとも殺せてなかった!
「あなたのときはぴしっと決まって、やっと初めて上手くいけると思ったのに……ウィルが……ううう……」
がっくりと膝折れて、地面に手を付こうとするエーナさん。
しかしその手は柔らかいフォートアイランドの土にズボッと嵌り、慌てて引き抜いていた。
何となく私にもこの人の本当の姿が見えてきた気がする。
この人はとことんしまらない人なのだ。
レンクスは馴れ馴れしく私の肩に手を置いて、笑いかけてきた。
「毎度決まって失敗し、その度フェバル覚醒予定者にフェバルに関する情報ばかり丁寧に教えていくもんだからよ。俺たちフェバルの間で付いたあだ名が『新人教育係』だ」
「新人教育係……」
「ぐっ!」
なるほど。確かにそのネーミングはぴったりのように思えた。
エーナさんっていかにも迷える子羊を救う先輩のお姉さんって感じだし。
そう見えた。少なくともあのときは。
……実態は、あまり頼りにならなさそうだけど。
あのときユウは、ウィルに「エーナに何も言われなかったのか?」って聞かれたけど。
あれは「親切なエーナ先輩に手取り足取りフェバルのことを教えてもらわなかったのか?」って意味合いだったのね。
実際はウィルの邪魔が入って情報伝達が上手くいかなかったわけだけど。
打ちひしがれるエーナさんに、私は一つ疑問というか、提案をぶつけてみた。
「エーナさんの【星占い】って基本的には何でもわかるんですよね?」
「ええ。それが何か?」
「それでフェバル覚醒予定者の特定と、その人物がいる場所への行き方を調べるんでしたよね?」
「そうよ。毎回無茶なお告げが出て、結構苦労してるのよねえ」
「あの、一つ聞きたいのですが。そこまで占うんだったら、どうして確実に殺せる方法まで占わないんですか?」
どうやらそれは、絶対に言ってはならない言葉だったみたい。
途端に彼女は髪を振り乱し、頭を抱えた。
顔色は嘘のように青く染まり、火が付いたようにぶつぶつと言葉を連ね始めた。
「ああダメよそれだけはダメよ怖くて怖くてとてもできないのそんなことをしたらどうせいつもできないって結論が告げられるのそうよそうに決まってるわ一体もう何度同じことを繰り返したと思ってるの結論なんて最初から決まってるのようふふふふ馬鹿じゃない私のやってることなんてぜんぶ無駄なの全部ぜーんぶむだそんなことはわかってるのよわかりきってるのに生きなきゃならないのよああ死ねない何度自殺したと思ってるの飛び降りて身を焼いて串刺しにしてそれでも私は死ねない死ねないしねないしねないあほなのばかなのもうどうにもならない全部決まってるだから私は誓ったのもう二度と壊し方なんて調べないようにしようってどうせ何にもならないあの誘惑に負けてしまったら二度と取り返しのつかないことになるんだわああお願い許して許してちょうだい私は罪深き女よフェバルなのうふふふふふふふふふふふふふふふふ」
ちょっ怖い。怖いんですけどエーナさん!?
レンクスがまた私の肩にぽんと手を置いて、首を横に振った。
「時々ああなるんだ」
「発作みたいなものなの?」
「どうも触れちゃいけないトラウマがあるらしいんだよ。フェバルは闇が深いからな」
「……あなたにも?」
「さてね。ま、俺に関しちゃ心配するな。ユナとお前たちがいて、俺はとっくに救われてるのさ」
「そう? 私たちってむしろ足引っ張ったりしてない?」
「いるだけでいいんだ。それより、お前たちの方が心配だぜ。お前たちの抱える闇も相当なものみたいだからよ」
「……そうね」
フェバルはみんな闇を抱えている。因果と言うべきか。運命と言うべきか。
そんなものと引き換えに、私たちは能力を行使する権利を得ているのかもしれない。そんなことを思った。
エーナさんが仲間になりました。