ユウから人を探すように頼まれて、再びバダー通りのレジーナさんを訪ねてみた。
「すみません。レジーナさん」
「あらまあ。ユイさん。ごきげんよう」
レジーナさんは温かく出迎えてくれた。
今日の実験は上手くいっているみたいで、奥では青色の魔法薬が静かに煮立っている。
「またお茶でもご一緒しにいらっしゃったんですの?」
「いえ、今日はちょっと急いでまして。尋ねたいことが。冒険者のシンさんという方を、ご存じないですか?」
「あら。その方なら、ちょっとした有名なご近所さんですわよ」
「本当ですか!?」
「ええ。A級の冒険者さんで。ですが、今訪ねてもきっと無駄だと思いますわ」
「どうして」
「魔のガーム海域に挑むんだって。数日前に張り切って出ていかれましたわ。止めたのに、命知らずな男ですこと」
わあ。これってやばいやつだ。
慌ててユウに連絡する。
『大変! シンさん、ガーム海域に向かったって!』
『なんだって!? あんな無茶な場所に……!』
『ほんとにね。心配だよ』
『接触できた患者の中では、唯一名前がわかっている人なんだ! 唯一の手がかりなんだよ! どうにか探せないか?』
『と言ったって。この世界の人たち、魔力が読めないから……。困った』
『くそ。だよな。別に見つからなかったからって責めたりしないよ』
『わかってる。でもせっかくの手がかりだもん。できるだけ頑張って探してみる』
『君が頼りだ。でも無茶はするなよ』
『うん』
「教えて下さってありがとうございます。もし見つけたら、連れ戻してみます」
「実は私も心配しておりまして。もし出会えたら、命は大切にしなさいと。あの馬鹿男に伝えてやって下さいな」
「はい。そうします」
あんな危険な場所に向かったとしたら、時間の問題かもしれない。
自然と足は逸り、屋根の上を忍者のように駆け、跳んでいく。
『アセッド』に帰り着いて、入り口の両開きのドアを開け放った。
「レンクス! あなたの力を借りたいの!」
しかし、いつもなら真っ先に飛び込んでくるはずの変態の姿は、どこにも見当たらなかった。
いない……?
カウンターで料理の仕込みをしていたミティが私に気付いて、さっぱりとした笑顔を向けた。
「おかえりなさいませ。ユイ師匠。随分慌ただしいご帰還ですね」
「レンクスは? どこ行ったのあいつ」
「ああ。さっきレオンさんが来ましてですね。一緒に調べたい連中がいるって、ごみを連れて行っちゃいました」
「レオンが?」
「はい。ライバル意識があるのか、中々険悪な雰囲気でしたよぉ~」
どういった赴きだろう。
レオンもあいつの強さはよくわかっていたみたいだし、戦力になると考えて連れていったのだろうか。
こんなときに、タイミングが悪い。
それにしてもごみって。そこまで言わなくてもいいんじゃないの。
しょっちゅう置物みたいにはなってるけど。
どうしよう。
頼みの綱のレンクスがいないとなると、私一人でやるしかないか。厳しいな。
あ、そうだ。フェバルはもう一人いたんだった。
レンクスに比べると、ちょっと頼りないかもしれないけど。
「エーナさんは?」
「2号なら、今二階で掃き掃除をさせてますよ」
「わかった!」
階段を駆け上がる。
丈の短いスカートがひらひらと揺れたが、気にしている場合じゃない。
「エーナさん。いた!」
魔女帽子の代わりにバンダナを巻き。
すっかり三十路の家政婦じみたエーナさんが、古臭い鼻歌を歌いながら掃き掃除をしていた。
「どうしたの? ユイちゃん。そんなに慌てた顔して」
「詳しいことは移動しながら。探したい人がいるんです。手伝って頂けませんか?」
「え、ええ! 先輩の力を頼りたいと。そういうことなのね!?」
頼られるのがよほど嬉しいのか。
エーナさん、あまり見たことないほど瞳をキラキラさせている。
ここは素直に持ち上げておこう。
「はい。エーナ先輩の力をお借りしたくて」
「いいわ。可愛いユイちゃんのためだもの。大船に乗ったつもりで任せてちょうだい!」
エーナさんちょろい。ありがとう。
簡単に事情を説明しながら、『アセッド』の屋根裏に上った私とエーナさん。
シンさん捜索に向けて、早速動き出そうとしていた。
ちなみにエーナさんは、しっかり魔法使いコスに早着替えしている。
彼女の故郷ではこれが正装なんだって。
「魔のガーム海域ね。空を飛んで行きましょう」
「飛べるんですか? この世界に来るとき、落っこちてませんでしたっけ」
「言わないで。あのことは。フェバルの能力に頼らない調整をしたから、もう大丈夫よ」
エーナさんが集中すると、周囲の魔力要素が彼女にことごとく引き付けられてしまった。
確かに凄まじい魔力ね。
レンクスも本人も、戦闘タイプのフェバルではないと言っていたけど。
それでも、完全に能力を使いこなせない私よりは上な気がする。
「行くわよ。新人さん。私のスピードについて来られるかしら」
「わかりませんけど、頑張ってみます」
自信に漲る彼女の横顔を見つめて。
あの初めて会ったときのエーナさんが戻ってきたような気がした。
「きゃあっ!」
びたーん!
気のせいだった。
ローブの裾を踏んづけて、飛ぼうとしたエーナさんは盛大にすっ転んだ。
丈夫なフェバルの肉体が、天井にがっつり穴を空ける。
ああ。また修理しなきゃ。
……ほんとに大丈夫かなあ。
「……いくわよ」
涙目でなかったことにしようとするエーナさん。
もはや体面も何もあったものではないが、あえて気にしないであげた。
「はい」
二人で飛行魔法を展開し、屋根の上から一気に加速する。
雲の近くまで上がったところで、チートじみた魔力を解放して、水平飛行へ移行する。
間もなく、飛行速度は容易く音を超えた。
さすがにエーナさんも、何もない空ではへまをしなかった。
「中々やるわね。この短期間でそこまで力を使いこなすなんて」
「色々ありましたからね。あとこの世界は馬鹿みたいに許容性が高いですから」
そうでなかったら、自分の力に肉体が耐えられない。
どういうわけか、私たちの肉体はフェバル仕様ではなく、普通の人間のそれに過ぎないものだった。
ユウと二人分の力を足し合わせて、ようやくフェバルの足の指先程度なのだ。
「そうね。何といっても許容性無限大だものね」
高いというのは聞いていたけど、無限大とは初耳だったので驚いた。
「無限大!? そんな世界ってあり得るんですか?」
「普通なら絶対おかしいのだけど。現実にあるわけなのよね。これが」
「へえ……」
考えを巡らせる。
許容性無限大の世界。理想粒子。
ゲームじみた設定。ぶっ飛んだ住人たち。
感じられない気力と魔力。
夢。
夢想病の人たちは――この世界の夢を見ている。
……もし、すべてが夢なのだとしたら。現実でないのだとしたら。
この破天荒な世界にも、あり得ない事象にも、すべて説明が付いてしまう。
でも私たちはここにいる。この世界の人たちは確かに生きている。
触ることもできる。あくまで心は本物。
だけど。
ランドはリクのことを知らないし、リクもランドのことは知らない。
知っているのは「ランド」のことだけ。
何が何だか。わからない。
世界規模で、何かが起こっている。
ただ事でない何かが。エーナさんの言う『事態』が。
まとまらない考えを、首を振って振り払った。
シンさんを見つければ、また何かわかるかもしれない。
何としても探し出そう。
気分転換に、話題を変えた。
「ところで、エーナさん」
「なに?」
「いくら何でも、ちょっとドジ過ぎませんか? レンクスも、あんなにやらかしてるエーナさんは初めて見たって言ってますけど」
するとエーナさんは、下唇を噛んで顔をしかめた。
何かを言いたくなさそうで、やっぱり言ってしまいたそうな、そんな微妙な感じだ。
やがて、彼女は話す決心をしたみたいだった。
「……レンクスには黙っててもらえるかしら? あいつ、すぐ馬鹿にしてくるから」
「いいですよ」
「私がドジなのは、自分でもよーく自覚があるのよ」
「はい」
「だからね。普段は【星占い】でカバーしてたの。それでやっと普通にできていたのよ」
「なるほど。自分がどういうところを気を付ければへまをしないか、こまめに占っていた、ということですね」
「ええ。その通り」
ということは、今のメッキが剥がれたエーナさんが、元々の姿ということになる。
あんなチート能力をフルに使ってやっと人並みなんて。よほどアレだったんだね。
「わかりました。エーナさん。この世界にいる間は、目を瞑ることにします。大丈夫ですから」
「うう……。心に染みるわ。ユイちゃん。優しいのね」
「ふふ。そんなことないですよ」
そうして女子トークを続けているうちに、眼下の海は突然荒れ出した。
ガーム海域に突入したのだろう。
シンさんが出かけてまだ数日。
どんな船を使ったのかは知らないけど、この海域ではメセクター粒子は効力を発揮しない。
無事なら、まだ大した距離は航海していないはず。
「そろそろね。人探しなら任せなさい。フェバル探しのプロを舐めないで欲しいわね」
フェバル殺しのプロでないことをさりげなく認めつつ、エーナさんは妖しげに笑った。
「《スィケービジョン》」
エーナさんがそれを唱えると。
彼女を中心にして、波動のような何が瞬く間に広がっていく。
波動は私など一瞬で貫いて、上下左右360°――雲の上から海の底まで、くまなく届いていった。
見た目は何も変化はないけれど。魔力を感じ取れる者ならばわかる。
ぴりぴりと肌を刺す魔力結界のような何かが、凄まじい広範囲に展開されている。
やはりフェバルはフェバル。すごい。
目を見張った私に、エーナさんは得意気に説明してくれた。
「半径数十キロに渡って、特殊な感知結界を張ったわ。人の生命反応、魔力反応に限らず、『視覚』で捉えることもできる」
「それは便利ですね」
「今回のように、探し出す範囲に対象が少ないときに有効よ。効果範囲を絞れば、普段のあなたにも使えるでしょう」
そして、これ見よがしにウインクする。
「私からのプレゼントよ。覚えておきなさい」
そっか。わざわざ説明してくれたのは、私が見て覚えたこの魔法を使うときのことを考えてくれたんだ。
「ありがとうございます。必要になったら、大事に使わせていただきます」
「いいのよ。よし――どうやらまだ無事みたいね。急いで。こっちよ!」
エーナさんの先導に従って、飛行魔法で飛ばしていく。
しばらく進むと、大雨叩きつける嵐の海の中に、何かを見つけた。
黒髪の冒険者が、小舟で海を漕いでいた。
遠目からではよくわからないものの、動いている。
生きていることは辛うじてわかる。
よかった。これなら助けられそ――!?
突然、海鳴りが響き。
目の前の海が「盛り上がった」。
大海に比べれば、一枚の木の葉に過ぎない小舟は、荒ぶる波間に飲まれて藻屑と消える。
そして、突き上がった海流から――山のような大きさの海獣が現れた。
誇張ではない。海に山が立っているとしか思えない威容。
薄黒いイカのごとき軟体。数え切れないほどたくさんの、吸盤の付いた足。
それぞれが暗黒の海を叩き打って、さらに波は荒ぶる。
あれはもしかして――。
かつてレオンが一太刀で倒したという、海獣ヌヴァードンではないの!?
「とんだ大物が出ちゃったよ」
「彼のピンチってわけね。まだ辛うじて反応はあるけど、一刻の猶予もない。一撃で決めるわよ!」
「はい!」
荒れ狂った海で最大の威力が出る魔法の系統と言えば。
もちろん水は効かない。
私とエーナさんは。示し合わせたように、同じ系統の魔法を構える。
大気が震えていた。
絶大な魔力が、二人の下に集束していく――。
そしてそれらは、同時に放たれた!
《バルシエル》《ラファルスレイド》!
竜巻のような旋風刃が。そのど真ん中を突き進む一陣の風刀刃が。
奴の打ち叩く波をすべて吹き飛ばして、山のごとき巨体を穿つ。
軟体の先端に触れた途端、竜巻はばらけた。
数えきれないほどの足を束ねて、強引に巻き込んでいく。
そのまま怒涛の勢いをもって、すべての足をずたずたに引き裂いてしまった。
そこへ私の放った風の刃が届く。
奴の身体の一番太い本体を、真っ二つに斬る。
海獣自身にも、ダメージを認識する暇はなかっただろう。
勢いの留まることを知らない旋風刃が、既に半身を削られたイカの身を、細切れになるまで切り下ろしていき――。
気が付けば、そこには荒れ狂った海だけが残っていた。
勝っちゃった。あっけなく。
私たち、すごい……。
……てか、待って。
《バルシエル》って。
初めて会ったとき、私たちに食らわせようとしてた魔法だよね。
こんなにやばい威力だったの!?
あんなとんでもないものを、私たちに食らわせようとしてたわけ!?
オーバーキルだよ……。あそこが地球でよかった。
私は思い返して、身震いしていた。
そんなことに気付きもしないエーナさんは、無邪気にも喜んでいる。
「おっといけないわ! 喜んでる場合じゃなかった。彼を助けなくちゃね! ちょっと待ってて!」
そう言うと、エーナさんは嵐の海をものともせず、果敢にダイブしていった。
一分くらい待っていると、シンさんを抱えた彼女が勢いよく海から飛び出してきた。
息をしていなかったけど、私には幸い応急処置の心得がある。
魔法で電気ショックをかけてやると、どうにか彼は息を吹き返した。
「ふう。ギリギリのタイミングだったわね。無事ミッション完了よ」
「ありがとうエーナさん。本当に助かりました」
「いいのいいの。たまにはね」
エーナさんが笑顔で、片手を差し出した。
「「イェーイ」」
ハイタッチが触れ合う。
その音は風雨にかき消されて、何もわからなかったけれど。
ユウ。ちょっと苦労したけど、とりあえず何とかしたよ。