心を繋ぐ俺の力なら、夢想病患者を救えるかもしれない、だって?
――そうか。なるほど。そういうことか。
目から鱗が落ちた気分だった。
言われてみれば納得だ。俺にも何となく理解できたぞ。彼女の描いている絵が。
しかし、それにしてもこの子は……。
「俺の力のことまで知っているのか!?」
ハルは、俺から目を逸らさずに頷いた。
「ちょっとだけね。何となく?」
何となくでわかるものなのか?
驚いたってものじゃないぞ。
フェバルの力のことなんて、元々俺がフェバルだと知ってる連中以外には、誰にも何も話していないはずなんだけど。
予め知っていたとして、ただ者ではない。
本当に何となくで当てたのだとしたら、恐るべき直観と大胆な空想力の持ち主だ。
「誰にも言ってないはずなんだけどな」
「あはは。企業秘密だよ」
楽しそうに笑ってはぐらかされてしまった。無邪気な白い歯が覗く。
すごく気になるんだけど。
まあいいか。今気にすることじゃないしな。
そのうちハルは笑みを止めて真剣な顔を作り、続けた。
「ユウくん。キミに頼みたいのは、他でもない。夢想病を治してあげて欲しいんだよ」
「なるほどね」
「ボクの言いたいこと、わかる?」
やや不安げにこちらの様子を窺う彼女に、俺はしかと首を縦に振る。
「ああ。言われて気付いたよ。確かに俺の力なら、彼らを治せる可能性がある」
あくまで可能性に過ぎないが、試してみる価値はあるだろう。
原因不明の病とされている夢想病。
ただ一つ、「心ここにあらず」ということだけがわかっている。
俺はこれまで、病気にかかったから「心ここにあらず」なのだと考えていた。
だがハルの推測に乗るとするならば。
むしろ原因と結果は逆なのではないか。
次第に考えをまとめつつある俺を察して、彼女が促す。
「ユウくん。キミの見解を聞こう」
「そうだね。夢想病とは、つまり心そのものの病なんじゃないかな」
「ふむ。心そのものの病、というのは?」
「つまり、精神病の類じゃなくて……心そのものがここにないんだ」
本来宿っているはずの心が、何らかの原因で完全に向こうの世界、ラナソールの虜になってしまっている。
まあ何が原因かは、この際置いておくとして。
「こちらの世界へ帰って来ない。だから目が覚めなくなってしまう」
トレヴァークとラナソール。
二つの世界があり、一つの心が二つの違った現れ方をしている。
俺が感じていることであり、ハルが推測していることだ。
言い換えれば、一つの心には、トレヴァーク成分とラナソール成分のようなものがあって、各々が二つの身体を動かしている。
それぞれの成分が健全に機能していれば、二つの身体は何も問題なく、二人のほぼ独立した人間として活動できるのだろう。
ランドとリクのように。
ところがだ。
夢想病患者は、本来トレヴァーク側の身体に働きかけねばならない部分の心まで、そっくりすべてラナソールに持っていかれてしまっているのではないか。
すると心の飛んでしまった人間は、もはや生きた肉の塊に過ぎない。
意識を失って、深い眠りに陥ってしまうというわけだ。
「ハル。君はそう考えているんだね?」
「理解が早いね。やはりボクの見込んだ人だ」
「この仮説が正しいとすれば、夢想病を治す方法が一つ考えられる」
「うん。つまり?」
「ラナソールに囚われたまま切れてしまった心のリンクを、また繋ぎ直してやればいい」
それができる力の使い方を、俺は既に心得ている。
昔はできなかった。能力を開発していて良かったよ。
「その通りだよ! ユウくん」
ハルは随分感激した様子で、両手を叩いた。
だが……。
確かにそれで個々の相手は何とかなるかもしれないが。
世界が相手となると……。
「……だけどね。それだけではダメだ」
「どうして」
一転して、裏切られたかのごとく顔が曇る彼女。
ここにきて初めて、俺と彼女の認識にずれがあることが露呈した。
そう。能力を使えるのは俺だけだ。それが問題なのだ。
俺一人の力で、世界を救えると。
それほどまでに俺を当てにしていたのだろうか。
俺は正直に自分の限界を告げた。告げるしかないだろう。
無理なことをできるとは言えないし、誠実ではない。
「残念ながら、患者の数が多過ぎる。一人一人治療していったところで、まったく追いつかないよ」
理想的に俺たちの予想が正しく、もし完璧に治せたとして。
同じ時間で俺が治せる人数よりも、新たに夢想病にかかってしまう者の数の方が遥かに多いだろう。
俺の能力に頼った治療は、あくまで対症療法的なものであって、根治手段にはなり得ないのだ。
それに俺は、いつまでもこの世界に居られるとは限らない。
世界計がまともに働いていないので、正確なタイムリミットはよくわからないが。
とにかく、時間が無限にあるわけではない。
「それは……」
厳然たる事実を突きつけられて、彼女はややたじろいだ。
しかし納得がいかないと表情を険しくして、あくまで食い下がってくる。
「でもキミは、とてつもない力を持っているじゃないか! 向こうでどんなに飛べ回ったって、本当は歩けないボクなんかよりも、ずっと……!」
「それは……」
「あの力をもってしても、歯が立たないと言うのかい? ボクには、到底信じられないよ……」
また、言われてしまったか……。
心が痛かった。
なるほど。君が俺をヒーローだと言ってくれた意味合いが、よくわかったよ。
でも、俺は……。
「俺は……そうだな。君が、君たちが思っているように、普通の人よりはできることが多いのかもしれない。それだけ思われるようなことも、きっとしてきたんだろうね」
並大抵でない修羅場もいくつかくぐって来ている。
その辺りの奴にならもう負けない自信もある。
だけど。
「だけど、いつでもどこでも超人というわけにはいかないんだ。ここはラナソールじゃない。向こうにいた多くの人間と同じさ。俺もまた、こちらでは一人の人間でしかないんだよ」
悔しいけどさ。
俺はフェバルであって、フェバルではないのだ。
「…………」
よほどショックだったのだろうか。
言葉を失ってしまったハルに、自然と手が伸びていた。
ぽんぽんと、慰めるように彼女の頭を撫でる。
「この手に触れられるものは限られている。ちょうどこうして、君に触れているようにね。俺が助けられるのは、一人一人だけだよ」
「その……キミは、ボクを口説いているのかな?」
「え!?」
困ったように笑って、白い人さし指で俺の手をつつくハル。
見れば、頬はほんのりと赤く染まっていた。
俺は慌てて手を引っ込めた。つい声が裏返ってしまう。
「い、いや。そんなつもりは」
「気が付くと、キミはすうっと距離を詰めてくるんだね。ボクにも」
そうなのか?
まあできれば、人とは仲良くしたいなあとかはいつも漠然と思っているけど。
「ふふっ。中々にナチュラルキラーのようだ」
「それさ……。最近ユイに指摘されて、軽く凹んでるところなんだ」
「気を付けた方がいいとボクも思うよ」
はい。ごめんなさい。
でもおかしいなあ。昔はそんなこと言われなかったのに。
別に旅立ってから容姿が変わったわけじゃないぞ。
幼稚園から高校まで、魔法学校でも。
女子にはこき使われ、弄られまくってた記憶ばかりなんだけどな。
ままごとのユウから始まり、家庭科のユウ、掃除のユウ、肩揉みのユウ、連絡係のユウ、ミスコンのユウ、悩み相談のユウ、パシリのユウ、デート予行演習のユウ、アリスミリア最強コンビの(ものである)ユウ。
思い返すこれまでの苦労に、ちょっと涙が出そうだ。
何かと絡まれるのは多かったけど、好きって感じじゃなかったと思う。
男を男とも思わない、弟分的な扱いだった……と思う。
……たぶん。
ま、まあそれはともかく。
過程はどうあれ、彼女に笑顔が戻ってよかった。
咳払いをして調子を整えてから、まだ伝え切れていなかった考えを伝えることにした。
「治療だけでは厳しいけど。それで助かるかもしれない人がいるのも事実だ」
俺の力じゃやっぱりダメでしたって可能性もあるけど、いける気がする。
ダメだったときのことはまだ考えないでおこう。
「そうだよね。ボク、何とかできないかなってずっと思ってて」
「そこでだ。二本の矢でいこう」
「二本の矢?」
ハルは興味を示して、顔をぐいと寄せて来る。
「対症療法的な一人一人への治療は、もちろん試してみようと思う。と同時に、夢想病患者が増えているそもそもの原因を探らなくちゃならないと思うんだよ」
「確かに、その通りだね」
「原因を探るには、やっぱり治療から始めてあれこれ調べるのが良いと思う。夢想病患者の治療には、二つの世界からものを見ることが必ず求められる。得られる情報も自ずと増えてくるはずだ」
「どういうことだい?」
「できれば覚えておいて欲しいんだけど、俺の力は無条件で効果が出せるわけじゃない。最低でも、それぞれの世界で誰と誰が対応しているのか」
「……まあ必要だろうね」
「そしてそれだけじゃないんだ」
彼女に【神の器】の性質を簡単に説明していく。
俺の力は、対象となる相手を知らなければ、まずろくに効力を発揮しない。
まして知ったところで、相手が自分に心を開いてくれなければ、やはり効果は極めて弱いのである。
簡単に言えば、夢想病の治療は「手で触れたら終わり」では決してない。
「まず人として触れ合う」ことが求められるのだ。
重要でありかつ、極めて面倒で厄介なステップだ。
実質的に、人それぞれで治すためにすべきことはまったく異なるだろう。
しかも最初から意識を失っている相手と、親しくなることは不可能だ。
そもそも前提として能力の効き目が薄くなる条件下であり、ハードルが高い。
治療が追いつかないと言った理由は、こういった諸々の面倒さも大きい。
「それは……何とも厄介だね」
「だろう? 俺一人にできることは、どうしても限られてしまうよ」
「うん。キミの言いたいこと、よくわかったよ。ボクの見通しが甘かったみたいだね……」
あからさまに落ち込んでしまうハル。
思い描いていた希望が打ち砕かれたのだから、無理もないだろう。
俺はなるべく柔らかい表情を作って、彼女に微笑みかけた。
優しく諭すように、声をかける。
「大丈夫。前には進めているじゃないか。俺という仲間ができたのは確かなんだから。見方を変えれば、俺にも君という心強い仲間ができたわけだ」
「ボクが、仲間……そっか」
はっとした彼女に、俺は力強く頷いた。
「そうとも。俺一人にできることは限られていると言ったね。でも、一人じゃなかったらどうかな?」
「あ……!」
そうさ。そうやって俺「たち」は世界を救ってきたんだ。
「どうだろう。君も一緒に世界を救ってみないか?」
「ボクが……世界を? でも……」
動かない脚へ視線を落とす。
こんな自分に何ができるのかと、思い悩んでいるようだった。
「得意なことで協力してくれればいいよ。ラナソールでだって、いくらでも活躍の場があるじゃないか」
「そっか……そうだよね」
ハルの瞳に力が戻る。
もうすっかり戦う者の顔になっていた。
「わかった。ボクもやれるだけ頑張ってみるよ!」
「うん。その意気だ」
彼女が調子を取り戻してくれたところで、俺は三度目の手を差し出した。
今度は少し特別な意味合いを込めて。
「じゃあよろしく。戦友」
「うん。よろしくね。戦友くん」
こうして、トレヴァークで初めての「戦友」ができたのだった。
「ところで、君はラナソールでは誰なんだ?」
「さあ。誰でしょう? どこぞの冒険者かもしれないし、ただの一般人かもしれないよ? 本当はまだ出会ったことがないのかも?」
ただくすくすといたずらっぽく笑い続ける少女は、どうやら俺に正体を教えるつもりはさらさらないらしい。
「ふふふ。気が向いたら、あっちでもボクを探してみてね」
別れ際、ドアが閉まるまで、彼女はずっとにこにこしっ放しだった。
***
ハルか。不思議な子だったな。でもいい子だ。
誰なんだろうな。何となく、どこかで出会ったことがあるような……。
帰り道、ずっと彼女のことが頭の中でくるくる回っていた。