フェバル~TS能力者ユウの異世界放浪記〜   作:レストB

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65「ユウ、ユイに慰められる」

 二階の自分の部屋まで上がる途中、ずっと隣でユイが肩を支えてくれていた。

 支えてもらわなければ、まともに歩くことさえできやしない。情けないと思う余裕もなかった。

 どうしてしまったのだろうか。俺は。

 気が付いたら、あんなことを……。

 なんで。どうして。急に。

 まだ、手が震えている。

 わからない。自分がわからない。

 何の前触れもなく自分を見失うなんて。こんなことは今までなかった。

 心の底から自分を怖いと思った。

 

 ヴィッターヴァイツ。

 

 そいつの名前を聞いてからだ。

 今もこうして思い浮かべただけで、なぜだか無性に心の奥がざわついて仕方がない。

 滅茶苦茶にぶん殴ってやりたいとさえ思う。

 なぜ。そんな奴は見たことも聞いたこともない。

 知らなかったはずなのに……知っているような。

 とても嫌な思い出があったような。

 わからない。どうしてこうも落ち着かない気分なのか。

 

 いつの間にか部屋に着いていた。

 ドアを開けて、おぼつかない足取りでベッドまで歩き、深く腰掛ける。

 ユイも肌が触れるほど近くに腰掛けて、俺のことを心配な顔で見つめてくる。

 白い手が伸びてきて、優しく頭を撫でられた。

 向けられた愛情を跳ね除けるほど、強情な自分ではなかった。そんな人間ならユウをやっていない。

 人目には情けないのかもしれないけれど、素直に身を預ける。

 ユイはどこか安心した顔で、俺を胸元に抱き寄せてくれた。

 正直に頼ってくれたのが嬉しかったのかもしれない。

 そのまま包みこまれて、慰めてもらった。

 人の温かさは何より素敵な魔法のようだ。

 彼女に抱かれて撫でられていると、深く沈んでいた気分が段々と落ち着いてきた。いくらか物を考える余裕が出てきた。

 かっとなってユイに「ほっといてくれ!」と叫ばなくてよかった。

 そんなことを言い放っていたら、今頃ひどく後悔していただろう。

 いつまでそうしていただろうか。ようやく何か話せそうな気がして。

 顔を上げると、こちらに温かい眼差しを向けていたユイが、ん、と小さく首を傾げた。

 

「俺、どうしちゃったのかな。自分がわからない。怖いんだ」

「うん。わからないよね。怖いよね。大丈夫だよ。私がいるから」

 

 ユイは健気にも、優しい声色を作ってまで、俺を少しでも安心させようとしてくれている。

 さすがに反省した。

 この期に及んで、俺は何をやっているんだろう。

 ただ怖がって。余計に不安を与えるだけで。

 子供が駄々をこねて、母親に泣きついているようだ。甘えるにしたって甘え方があるだろう。

 一番怖かったのは俺じゃない。

 あんなことをしでかした俺を見てしまった、君たちじゃないか。

 俺は身体を起こした。

 彼女と同じ目線で、彼女の目をよく見て、まず謝った。

 

「ごめん。君の方が怖かったはずだよな。怖がらせたな」

「ううん。いいの。ユウのせいじゃないよ。あなたの中の黒い力が悪さをしただけだよ」

「黒い力?」

 

 さっぱり心当たりがなかった。

 少し迷ったようだったが、ユイはきちんと話してくれた。

 レンクスから聞いたこと。ウィルが言ってた力の話。

 なんてことだ。俺の中にそんな化け物が眠っていたとは!

 

「俺に、そんな力が眠っていたのか……?」

「うん……。言ったら怖くなるだろうと思ったから、言わなかったの」

 

 ユウ、楽しそうにしてたから。いつまでも楽しんでいてもらいたいって。

 そう語るユイはずっと泣きそうだった。

 

「でも、こんなことになるなんてわかっていたら。相談すればよかったね」

 

 言われてみて。しっかりと『心の世界』の奥深くに意識を向けて見れば。

 確かに「そこ」にあった。

 すべてを塗り込める闇。圧倒的な力の気配。

 触れてはならないと直ちに感じさせる黒。

 間抜けだった。馬鹿だ。

 俺がゲームや何やら無邪気に楽しんでいた間、君は一人でこんな恐ろしいものに立ち向かっていたのか。

 パートナーとして、情けない。申し訳ない。

 でも君がどんな思いで隠し通そうとしてくれたのか、よくわかっているから。

 だから俺は、このことについては、謝るより先に感謝するべきだろうと思った。

 

「いや、ありがとう。俺のために気を使ってくれて」

 

 でも水臭いじゃないか、と続ける。

 

「君と俺は、二人で一つなんだから。何だって相談してくれよ」

「ふふ。そうだったね。余計な気遣いだったかも」

 

 やっとユイが笑ってくれた。

 俺もやや無理にでも笑顔を返す。嫌な雰囲気が少し和らいだ気がした。

 

「今まで何もなかったのに、どうして今になってこんな恐ろしい力が出てきたんだろう」

「ごめんね。私のせいだよ。きっと、私があなたの中にいないから……」

 

 わかりやすく顔を暗くして、俯くユイ。

 むしろ謝るべきは俺の方だ。君はちっとも悪くないのに、重く責任を感じて落ち込むことはない。

 たくさん慰めてもらったから、今度は俺が慰める番だった。

 腕を伸ばして、ユイをしっかりと抱き締めた。

 

「君のせいじゃないさ。この世界の問題だよ」

 

 なぜ俺とユイが分かれてしまっているのか。

 ラナソール――夢想の世界という場所を理解するにつれて、何となく掴めてきた。

 トレヴァークの人たちの夢想うことが、この世界では現実の現象として反映される。

 逆にラナソールの人たちの言動が、トレヴァークの方にも影響してくる。

 これは『心の世界』と現実世界の相互作用と性質がよく似ているのではないか。

 夢想の世界は、『心の世界』にどこかそっくりなのだ。

 そう考えると、俺とユイのことも説明が付く。

 現実世界に肉体は一つしかないが、『心の世界』では、俺とユイは別個の精神と肉体を持つ人間として実在している。それと一緒だ。

 本来現実世界には存在できないはずの彼女が、この世界では別個の実体として現れてしまっているのではないか。そんな気がする。

 その辺りの考えを、せっかくなのでユイと共有してみた。

 彼女もなるほどと頷いて、

 

「そっか。『心の世界』にいる状態に近い。だから私はユウの外にいると」

「そう。そしてこの世界と『心の世界』の性質が近いから、俺と君はレンクスたちみたいに能力を失うことなく、普通に使えているのかも」

「親和性が特別に高い、というわけね」

 

 仮に『フェバル能力許容性』なる概念を設定したとすると、【神の器】だけやたら高くて、他の能力が著しく低い状態なのだろう。

 あるいは――ウィルの言っていたように。

 ポテンシャルだけは無駄に高い能力なので、この世界で能力使用を拒絶する「何か」に邪魔をされても、無理やり使用できてしまうのかもしれない。

 どちらかはわからないが。ともかく、俺たちだけは能力を使える。

 便利だと思っていたが。その危うさも、今は身に染みて痛感している。

 一体になっていたユイが外れた。そして、謎の黒い力が剥き出しになった。

 いつ何がきっかけで爆発するかわからない。とんでもない爆弾を抱えてしまったわけだ。

 正直、身が震えそうなほど怖い。自分が自分でなくなってしまうなんて。

 だけど。その危険があるとわかっているならば、多少は気を付けようもあるだろう。

 気を引き締めろ。心を強く持て。

 能力に振り回さないように。俺が俺であるように。

 そして、もしものときは――。

 

「ユイ。こんなこと頼むのは気が引けるんだけどさ」

「いいよ。何でも言って」

「俺も十分気を付ける。でももし俺がまたおかしくなりそうだったら。そのときは、みんなと協力して止めてくれないか。頼む」

「わかった。もちろんだよ。任せて」

 

 ユイは頼もしく、胸をとんと叩いてくれた。

 本当にありがとう。

 そしてすまない。迷惑をかける。俺が不甲斐ないばかりに。

 いつになれば、能力を使いこなせるようになれるだろうか。

 いつかはと思うけれど。

 

 ……よし。気持ちを切り替えよう。

 

 どんなに心配しても、今はこれ以上できることはない。

 負の感情が溜まれば、かえってあの力を招き寄せてしまうかもしれない。

 恐れてばかりいても仕方ない。楽しむんだ。これまでと変わらず。

 もしものときは君たちがいる。

 俺は、一人じゃないのだから。

 

 俺の気持ちの変化に敏く気付いたユイは、ようやく一安心という顔で、にこっと微笑んだ。

 

「よかった。ユウ、元気出たみたいで」

「心配かけたね。付き添ってくれてありがとう。助かった」

「ううん。どういたしまして」

「どうしようか。みんなも心配してるだろうし。下降りようか?」

「や、わかってるけど。このままがいい。ゆっくり二人きりなんて、久々だもん」

 

 ユイはさらにぎゅうっとしがみついてきて、一向に離れようとしなかった。

 よほど俺がいなくて寂しかったらしい。

 手の届かないところに行ってしまうのではないかと、怖くて仕方がなかったようだ。

 俺もだ。寂しかったし、君と心が離れてしまうことが怖かった。

 こんなことがあったから、余計にそう思う。

 ユイがすぐそばにいることが、どれほど心強いことか。安心できることなのか。

 

 俺とユイは、あることないこと、どんな他愛のないことでも、色々喋り合った。

 離れ離れになっていた時間を埋め合わせるように。

 こうして身体が分かれていても、ちゃんと繋がっている。そのことを改めて確かめ合った。

 

 ……普通の姉弟よりかは、親密なスキンシップだったかもしれない。


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