フェバル~TS能力者ユウの異世界放浪記〜   作:レストB

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79「血斬り女と奇術師」

 何とかしてみるとユウに約束して、シズハが向かった先は、裏組織エインアークスの支部の一つだった。

 確かエクスパイト製薬回りの取り仕切りは、下級幹部のザイファーが担っていたはず。募金を掠め盗るような下らない真似は組織のルール違反。仮に黙認しているとしたら、しかるべき沙汰を下す必要がある。

 それが、自由行使特権を与えられた十二の暗殺者――カーネイターの役割の一つだった。

 腰の美雲刀に手をかけ、いつでも抜き放てる体勢で、まだ自分の存在に気付いていない彼の背後から、いきなり声をかけた。

 

「ザイファー」

「はっ!? その声は! 血斬り女!?」

 

 ザイファーと呼ばれた若い男は、驚き慌てふためいている。血斬り女の仕事を知っている者の反応としては、ごく自然なものだ。

 そうだ。普通はこうなのだ。神出鬼没さにかけてはあの男に敵うべくもないが、普通は大なり小なり驚かれるものだ。

 ユウがおかしい。あいつがおかしい。

 折れかけていた自信を取り戻しつつ、あくまで表面上は冷たい氷の表情のままで続ける。

 

「エクスパイト製薬……募金の件」

「なんのことでしょう!?」

 

 動揺が手に取るようにわかる。これは黙認し、私腹を肥やしているに違いないとシズハは踏んだ。

 

「勝手なこと……してる奴……いる」

「うぬぬ……くそがっ! 誰だ、ヘマをやらかしたのは!」

「申し開き……あるか。言え」

 

 ザイファーには、明らかな焦りが見えた。

 募金だけではない。他にも組織の名を使って、色々と小銭稼ぎを行っていた。まずバレるまいと高をくくっていたのだが……。

 彼の反応は有罪を認めたも同然である。彼女は淡々と告げた。

 

「重大な規則違反は……死罪。わかっているな」

 

 シズハの双眸が鋭く相手を突き刺す。暗がりに溶けて、まるで死神が獲物を捉えたかのようであった。

 

「ち、ちくしょうがあっ!」

 

 ザイファーは腰のハンドガンを抜き、トリガーを引いた。

 この男も裏社会でならした、それなりの実力者である。狙いは素早く正確だった。

 しかし銃声が彼女の元へ届くまでには、彼女はその場にいなかった。

 既に狙いの外、横へ跳んでいたシズハは、やや腰を落とした体勢で、ターゲットに向かって矢のように駆ける。

 男はひどく焦り、銃をめった撃ちにした。だがどれ一つとしてかすりもしない。

 幼少期より特殊な訓練と薬品により強化された彼女の肉体。それから生み出される速度は、銃弾の軌道を放たれる前に予測し、簡単に見切ってしまうほどだった。

 蛇の這うような捉え難い軌道を描き、瞬く間にザイファーの目前まで迫っている。

 腰を溜めた姿勢から、日本刀のように歪曲した片刃が抜き放たれる。命を斬り取る銀色の輝きが、薄明かりの中でちらりと煌いた。

 獲物を袈裟懸けに斬り裂こうと、美雲刀を滑らせる。

 

「……っ……!」

 

 が、何かを察知して、シズハはさっと身を引いた。

 直後、見えないワイヤーが収束し、ザイファーの全身をぎちぎちに締め上げていた。彼が苦し気に呻く。

 あと一歩遅ければ、彼女も巻き込まれていただろう。ポーカーフェイスを崩さぬまま、自分の判断に内心胸を撫で下ろすシズハ。

 こんなことをする犯人は一人しかない。暗い影から嗤い声が聞こえて来た。

 

「ふっふっふ」

 

 彼女は不機嫌に眉をひそめた。予想していた通りの神出鬼没が、しかも大嫌いな奴が現れて、あわよくば自分に何かしようというつもりだったのだから、殺したくもなる。

 

「何の真似だ……奇術師」

「さすがは血斬り女さんだねえ。ま、咄嗟の判断は褒めてあげよう」

「舐めた口……聞くな……」

 

 同じ十二の番号を持つ同僚であるとは言え、実力は彼の方が一段か二段は上だろう。非常に悔しいが。とは言え、上から目線で舐められると悔しいものだ。

 彼女は不機嫌さを隠そうともしないで言ったが、受け取った彼は、飄々とした様子でまるで気にしていない。

 彼女からすれば、君の悪い笑みをずっと浮かべている。

 

「ほうほう? 舐めているのはどちらだろうね。他人の領分においそれと手を出すものじゃあないだろうよ」

「……そうか。ここ……お前の管轄……」

 

 組織管轄上は、ザイファーは『奇術師』ルドラ・アーサムの直接の部下ではないにせよ、監査対象ではあった。

 だからと言って、カーネイターが他人の領域に手を出してはならないという規則はない。事実上、縄張り意識というものがあるので、こうして摩擦が生じないわけではないのだが。

 

「お前……しっかりしない……から……」

「無茶を言ってくれるなあ。オレの下に何千人いると思ってるよ?」

「……ちっ。しね」

「くっくっく。相変わらずつれないなあ。まあ感謝程度はしておこう」

 

 ルドラは張り付けたような笑みを崩さぬまま、くるりと向きを変えた。

 

「さてさて。このゴミをどうしてやろうかねえ」

 

 ザイファーは雁字搦めに縛り上げられて、指一本動かせない状態で宙吊りになっていた。ルドラが右の薬指を動かすと、辛うじて口が動くようになった。

 

「ひ……ひい……!」

「ザイファー。オレはこう見えて寛大な男でね。これから先組織に忠誠を誓い、何でもすると誓えるならば、罪を許してやらんでもない」

「はい! します! しますとも! 喜んでさせていただきますうううう!」

「ほーう。言ったね? 何でもすると」

「ははあっ! 奇術師様、どうかわたくしめにご命令を!」

「じゃあ、死んで」

「は?」

 

 ルドラが両手の指をくいっと引き絞ると。ワイヤーが絞られて、血肉をずたずたに引き裂く。ザイファーはこま切れと化して、床には大量の鮮血がまき散らされた。

 シズハはつい顔を背ける。血もグロも慣れたものではあるが、意地の悪いやり方に嫌気が差していた。

 

「……お前……殺し方……趣味、悪い」

「おっと。これは手厳しい。オレなりの素敵なショーなんだがね」

「下らない……素敵な殺し方……あるものか」

「そうは思わんよ? あんたの殺し方は、ほれぼれするくらい美しい」

 

 シズハがわざわざ刀を使用するには、理由がある。銃器や矢の扱いにも長けた彼女であるが、愛用の刀を殺害のトレードマークとすることで、あえて自らの仕事を誇示しているのだ。

 組織を乱す者、害為す者あらば、この刃をもって凄惨な死を迎えるであろう。そう思わせることで、血斬り女の名を抑止力としている。

 ルドラを奇術師たらしめる手品じみた殺しもまた、ある意味ではパフォーマンスの一環なのだった。

 

「フフッ。そういう華麗なところも好きなのだよ」

「私、お前……嫌い」

「ほんと、つれないねえ」

 

 へらへら笑いはそのままで、世間話でもするかのように続ける。

 

「ホシミ ユウやリクくんとは、随分と仲が良さそうだというのにね」

 

 ぴくり。シズハの眉がわずかに動いたのを、奇術師は見逃さなかった。さらに得意になって口の端を嫌味に吊り上げた。

 

「特にユウ。あいつ、気に入らないなあ。どうもうちをこそこそと嗅ぎ回っているようだからね。身の程というものをわかっていないようだ」

「……それで」

「ああいうのはいずれ邪魔になるんだ。オレの勘ではねえ」

 

 ルドラは、へらへら笑いをぴたりと止めた。一瞬の真顔、それからギラギラした不敵な笑みに変じる。

 

「だから、殺しておくことにしたよ」

 

 シズハはさすがに動揺した。

 いずれ殺さなければならなくなるだろうとは警告しておいた。

 しかしまだ早いのではないか。まだそこまでの何かをしたというわけではない。

 それにそれでは……またラナクリムをやるという約束を果たせない。まだいじめ足りない。それは困る。

 

「あれは……私の……獲物」

 

 いつの間に情が入っていたのだろうか。つい彼をかばい立てするようなことを言う自分が、シズハには信じられなかった。

 

「くくく。あんたが情けなくも殺せそうにないから、言ってるんじゃないか」

「……く。まだ……チャンス……ある……いくらでも」

「オレなら容易い」

 

 ルドラは、自信満々に言い切った。

 実際、彼の実力を度々思い知らされている身からすれば、シズハは首を横には振れなかった。

 この男は大嫌いだが、強い。それにどんな手段も選ばない。

 いくらユウでも、本当に殺されてしまうのではないか。不安がよぎる。

 何あんな奴のことを心配しているのだという気持ちと、助けるべきかという気持ちと。葛藤が生じていた。

 迷いがあることを見逃す奇術師ではない。彼の意志は固まった。

 

「あんたもカーネイターなら、仕事の協力の一つくらいは――してくれてもいいんじゃないか?」

「なにを……させる気……」

「なあに。簡単なことさ」

 

 下品なほくそ笑みを浮かべるルドラ。

 ……まさか。

 彼女は、自分の迂闊さを呪った。まんまとこの男の前で長話を許してしまったことを!

 それほどの時間があれば……!

 

「フフフッ。ようやく気付いたようだねえ。お嬢ちゃん」

 

 ルドラがぐいっと手を引くと、あちこちからおびただしい数のワイヤーが迫って――!

 しかし、ただでやられる彼女ではなかった。即座に美雲刀を抜いて、迫り来る不可視の糸を最小の動きで的確に斬り払う。

 

「やはり、あんたの太刀筋は美しい」

 

 ワイヤーは切れて力を失った。

 そのまま戦闘になるかと思われたが。彼女ならそう来るだろうと予測をしていた男の方が、一枚上手だった。

 彼女の目の前に突然、いくつもの手榴弾が飛び込んでくる。切ったワイヤーのうち数本は、この仕掛けた爆弾と繋がっていて、切れた瞬間に飛ぶようになっていたのだった。

 慌てて飛び退いたが、それすらも計算の範疇である。

 彼女は空中で何かに引っかかる感触を覚えた。そのときにはもう遅かった。狙ったような位置に、ワイヤーが蜘蛛の巣を張って待ち構えていたのである。

 ギリギリ直接は当たらない絶妙な位置で、手榴弾が次々と爆発する。爆風に煽られた彼女は、刀を取り落としてしまう。

 男がワイヤーを引き絞り彼女を縛り上げたのと、美雲刀がカランカランと硬い床に落ちる音が鳴ったのが、ほぼ同時だった。

 

「つーかまーえた」

「……っ……は、なせ……!」

「おーっと。暴れるんじゃないぞー」

 

 彼は腰から薬品の沁み込んだ布を取り出して、必死にもがく彼女の口と鼻に押し当てる。抵抗むなしく、やがて彼女はぐったりと気を失ってしまった。

 

「ふう……やれやれ。こうして寝てると可愛いもんだがねえ」

 

 

 ***

 

 

 ユウはハルを病院に送り届けてから、リクの家に帰り、夕飯を作って一緒に食べていた。

 それからリクにせがまれて色々な話をし、今日の明日で募金の人に会うということになったので、今回はそのままリクの家に泊まることにした。

 時折電話を気にしていたが、そろそろ寝るという時間帯になって、ようやく鳴ったのだった。

 ワンコールだけ。

 

「ほんとにワン切りしてきたな……」

 

 どうやら作戦は失敗のようである。

 しかし、それがシズハのかけたものではないことを、まだユウは気付いていなかった。


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