何とかしてみるとユウに約束して、シズハが向かった先は、裏組織エインアークスの支部の一つだった。
確かエクスパイト製薬回りの取り仕切りは、下級幹部のザイファーが担っていたはず。募金を掠め盗るような下らない真似は組織のルール違反。仮に黙認しているとしたら、しかるべき沙汰を下す必要がある。
それが、自由行使特権を与えられた十二の暗殺者――カーネイターの役割の一つだった。
腰の美雲刀に手をかけ、いつでも抜き放てる体勢で、まだ自分の存在に気付いていない彼の背後から、いきなり声をかけた。
「ザイファー」
「はっ!? その声は! 血斬り女!?」
ザイファーと呼ばれた若い男は、驚き慌てふためいている。血斬り女の仕事を知っている者の反応としては、ごく自然なものだ。
そうだ。普通はこうなのだ。神出鬼没さにかけてはあの男に敵うべくもないが、普通は大なり小なり驚かれるものだ。
ユウがおかしい。あいつがおかしい。
折れかけていた自信を取り戻しつつ、あくまで表面上は冷たい氷の表情のままで続ける。
「エクスパイト製薬……募金の件」
「なんのことでしょう!?」
動揺が手に取るようにわかる。これは黙認し、私腹を肥やしているに違いないとシズハは踏んだ。
「勝手なこと……してる奴……いる」
「うぬぬ……くそがっ! 誰だ、ヘマをやらかしたのは!」
「申し開き……あるか。言え」
ザイファーには、明らかな焦りが見えた。
募金だけではない。他にも組織の名を使って、色々と小銭稼ぎを行っていた。まずバレるまいと高をくくっていたのだが……。
彼の反応は有罪を認めたも同然である。彼女は淡々と告げた。
「重大な規則違反は……死罪。わかっているな」
シズハの双眸が鋭く相手を突き刺す。暗がりに溶けて、まるで死神が獲物を捉えたかのようであった。
「ち、ちくしょうがあっ!」
ザイファーは腰のハンドガンを抜き、トリガーを引いた。
この男も裏社会でならした、それなりの実力者である。狙いは素早く正確だった。
しかし銃声が彼女の元へ届くまでには、彼女はその場にいなかった。
既に狙いの外、横へ跳んでいたシズハは、やや腰を落とした体勢で、ターゲットに向かって矢のように駆ける。
男はひどく焦り、銃をめった撃ちにした。だがどれ一つとしてかすりもしない。
幼少期より特殊な訓練と薬品により強化された彼女の肉体。それから生み出される速度は、銃弾の軌道を放たれる前に予測し、簡単に見切ってしまうほどだった。
蛇の這うような捉え難い軌道を描き、瞬く間にザイファーの目前まで迫っている。
腰を溜めた姿勢から、日本刀のように歪曲した片刃が抜き放たれる。命を斬り取る銀色の輝きが、薄明かりの中でちらりと煌いた。
獲物を袈裟懸けに斬り裂こうと、美雲刀を滑らせる。
「……っ……!」
が、何かを察知して、シズハはさっと身を引いた。
直後、見えないワイヤーが収束し、ザイファーの全身をぎちぎちに締め上げていた。彼が苦し気に呻く。
あと一歩遅ければ、彼女も巻き込まれていただろう。ポーカーフェイスを崩さぬまま、自分の判断に内心胸を撫で下ろすシズハ。
こんなことをする犯人は一人しかない。暗い影から嗤い声が聞こえて来た。
「ふっふっふ」
彼女は不機嫌に眉をひそめた。予想していた通りの神出鬼没が、しかも大嫌いな奴が現れて、あわよくば自分に何かしようというつもりだったのだから、殺したくもなる。
「何の真似だ……奇術師」
「さすがは血斬り女さんだねえ。ま、咄嗟の判断は褒めてあげよう」
「舐めた口……聞くな……」
同じ十二の番号を持つ同僚であるとは言え、実力は彼の方が一段か二段は上だろう。非常に悔しいが。とは言え、上から目線で舐められると悔しいものだ。
彼女は不機嫌さを隠そうともしないで言ったが、受け取った彼は、飄々とした様子でまるで気にしていない。
彼女からすれば、君の悪い笑みをずっと浮かべている。
「ほうほう? 舐めているのはどちらだろうね。他人の領分においそれと手を出すものじゃあないだろうよ」
「……そうか。ここ……お前の管轄……」
組織管轄上は、ザイファーは『奇術師』ルドラ・アーサムの直接の部下ではないにせよ、監査対象ではあった。
だからと言って、カーネイターが他人の領域に手を出してはならないという規則はない。事実上、縄張り意識というものがあるので、こうして摩擦が生じないわけではないのだが。
「お前……しっかりしない……から……」
「無茶を言ってくれるなあ。オレの下に何千人いると思ってるよ?」
「……ちっ。しね」
「くっくっく。相変わらずつれないなあ。まあ感謝程度はしておこう」
ルドラは張り付けたような笑みを崩さぬまま、くるりと向きを変えた。
「さてさて。このゴミをどうしてやろうかねえ」
ザイファーは雁字搦めに縛り上げられて、指一本動かせない状態で宙吊りになっていた。ルドラが右の薬指を動かすと、辛うじて口が動くようになった。
「ひ……ひい……!」
「ザイファー。オレはこう見えて寛大な男でね。これから先組織に忠誠を誓い、何でもすると誓えるならば、罪を許してやらんでもない」
「はい! します! しますとも! 喜んでさせていただきますうううう!」
「ほーう。言ったね? 何でもすると」
「ははあっ! 奇術師様、どうかわたくしめにご命令を!」
「じゃあ、死んで」
「は?」
ルドラが両手の指をくいっと引き絞ると。ワイヤーが絞られて、血肉をずたずたに引き裂く。ザイファーはこま切れと化して、床には大量の鮮血がまき散らされた。
シズハはつい顔を背ける。血もグロも慣れたものではあるが、意地の悪いやり方に嫌気が差していた。
「……お前……殺し方……趣味、悪い」
「おっと。これは手厳しい。オレなりの素敵なショーなんだがね」
「下らない……素敵な殺し方……あるものか」
「そうは思わんよ? あんたの殺し方は、ほれぼれするくらい美しい」
シズハがわざわざ刀を使用するには、理由がある。銃器や矢の扱いにも長けた彼女であるが、愛用の刀を殺害のトレードマークとすることで、あえて自らの仕事を誇示しているのだ。
組織を乱す者、害為す者あらば、この刃をもって凄惨な死を迎えるであろう。そう思わせることで、血斬り女の名を抑止力としている。
ルドラを奇術師たらしめる手品じみた殺しもまた、ある意味ではパフォーマンスの一環なのだった。
「フフッ。そういう華麗なところも好きなのだよ」
「私、お前……嫌い」
「ほんと、つれないねえ」
へらへら笑いはそのままで、世間話でもするかのように続ける。
「ホシミ ユウやリクくんとは、随分と仲が良さそうだというのにね」
ぴくり。シズハの眉がわずかに動いたのを、奇術師は見逃さなかった。さらに得意になって口の端を嫌味に吊り上げた。
「特にユウ。あいつ、気に入らないなあ。どうもうちをこそこそと嗅ぎ回っているようだからね。身の程というものをわかっていないようだ」
「……それで」
「ああいうのはいずれ邪魔になるんだ。オレの勘ではねえ」
ルドラは、へらへら笑いをぴたりと止めた。一瞬の真顔、それからギラギラした不敵な笑みに変じる。
「だから、殺しておくことにしたよ」
シズハはさすがに動揺した。
いずれ殺さなければならなくなるだろうとは警告しておいた。
しかしまだ早いのではないか。まだそこまでの何かをしたというわけではない。
それにそれでは……またラナクリムをやるという約束を果たせない。まだいじめ足りない。それは困る。
「あれは……私の……獲物」
いつの間に情が入っていたのだろうか。つい彼をかばい立てするようなことを言う自分が、シズハには信じられなかった。
「くくく。あんたが情けなくも殺せそうにないから、言ってるんじゃないか」
「……く。まだ……チャンス……ある……いくらでも」
「オレなら容易い」
ルドラは、自信満々に言い切った。
実際、彼の実力を度々思い知らされている身からすれば、シズハは首を横には振れなかった。
この男は大嫌いだが、強い。それにどんな手段も選ばない。
いくらユウでも、本当に殺されてしまうのではないか。不安がよぎる。
何あんな奴のことを心配しているのだという気持ちと、助けるべきかという気持ちと。葛藤が生じていた。
迷いがあることを見逃す奇術師ではない。彼の意志は固まった。
「あんたもカーネイターなら、仕事の協力の一つくらいは――してくれてもいいんじゃないか?」
「なにを……させる気……」
「なあに。簡単なことさ」
下品なほくそ笑みを浮かべるルドラ。
……まさか。
彼女は、自分の迂闊さを呪った。まんまとこの男の前で長話を許してしまったことを!
それほどの時間があれば……!
「フフフッ。ようやく気付いたようだねえ。お嬢ちゃん」
ルドラがぐいっと手を引くと、あちこちからおびただしい数のワイヤーが迫って――!
しかし、ただでやられる彼女ではなかった。即座に美雲刀を抜いて、迫り来る不可視の糸を最小の動きで的確に斬り払う。
「やはり、あんたの太刀筋は美しい」
ワイヤーは切れて力を失った。
そのまま戦闘になるかと思われたが。彼女ならそう来るだろうと予測をしていた男の方が、一枚上手だった。
彼女の目の前に突然、いくつもの手榴弾が飛び込んでくる。切ったワイヤーのうち数本は、この仕掛けた爆弾と繋がっていて、切れた瞬間に飛ぶようになっていたのだった。
慌てて飛び退いたが、それすらも計算の範疇である。
彼女は空中で何かに引っかかる感触を覚えた。そのときにはもう遅かった。狙ったような位置に、ワイヤーが蜘蛛の巣を張って待ち構えていたのである。
ギリギリ直接は当たらない絶妙な位置で、手榴弾が次々と爆発する。爆風に煽られた彼女は、刀を取り落としてしまう。
男がワイヤーを引き絞り彼女を縛り上げたのと、美雲刀がカランカランと硬い床に落ちる音が鳴ったのが、ほぼ同時だった。
「つーかまーえた」
「……っ……は、なせ……!」
「おーっと。暴れるんじゃないぞー」
彼は腰から薬品の沁み込んだ布を取り出して、必死にもがく彼女の口と鼻に押し当てる。抵抗むなしく、やがて彼女はぐったりと気を失ってしまった。
「ふう……やれやれ。こうして寝てると可愛いもんだがねえ」
***
ユウはハルを病院に送り届けてから、リクの家に帰り、夕飯を作って一緒に食べていた。
それからリクにせがまれて色々な話をし、今日の明日で募金の人に会うということになったので、今回はそのままリクの家に泊まることにした。
時折電話を気にしていたが、そろそろ寝るという時間帯になって、ようやく鳴ったのだった。
ワンコールだけ。
「ほんとにワン切りしてきたな……」
どうやら作戦は失敗のようである。
しかし、それがシズハのかけたものではないことを、まだユウは気付いていなかった。