「のおおおおおお! こんなしょうもない死に方はしたくないぞおおおお!」
「どうしてなのよおおおおおおおおお!」
ルドラは普段多少なりとも紳士的な言葉遣いをする男であるが、今やその余裕もなくなっていた。
エーナはただ己の不幸さ加減にやけくそになっていた。
「おい! きさま!」
「いやあああああああああああ!」
「きさまあ! 話を聞けえええ!」
「はっ!?」
喉から血が出そうなほど叫ぶと、自分の世界に入っていたエーナがやっと反応した。
自由落下は続いている。下まで距離があるのでまだ時間は残されているが、手をこまねいていれば待っているのは死である。
ただしルドラだけ。そして彼自身に打つ手はない。だから非常に焦っていた。
「おい貴様! 何とかならんのか! 落ちても平気なんだろう! なぜなんだ!?」
言わなきゃ殺すとばかりの勢いで、生存の方法を問い詰める。
なぜかと問われて、存在がチート女はあっけらかんと答えた。
「それはまあ……丈夫だもの」
「くそったれめええええ!」
ふざけている。行動も存在も、何もかも。
ルドラは激しく舌打ちして、しかし頼れる相手が彼女しかいないので、なおも必死の形相で尋ねる。
「おい! 何でもいい! とにかく助けろ! 何かないのか!?」
「あ、そう言えば」
「なんだ!?」
藁をもすがる思いで眼差しを向ける。すると。
ふわり。
エーナは宙に浮いた。
「私、飛べたんだったわ」
「ふっざけんなてめええええええええええええ!」
子供のとき以来使ったこともないような汚い言葉で罵りながら、ルドラだけがさらに落ちていく。
暗いので底はわからないが、実のないやりとりをしている間に、もうあまり猶予はないだろう。
上方へ離れていく彼女に散々恨み言を喚いた後、いよいよ目前に死を悟って、男は落ちながら項垂れた。
「こんなところで、こんな下らない死に方をするのか……オレは……」
これまでの輝かしい(と自分は思っている)冒険や、浮いた出来事などが思い出されて。
人生半ば。当然まだ色々とやりたいことはあったが。一番大きな心残りが、重くのしかかってきた。
わかっていたら、無理にでも頼み込んで一度くらいシルヴィアを抱いておくんだった。
一方、宙に静止してほっと一息ついたエーナは、落ちていくナンパ野郎が喚いているのを呑気な顔で眺めていた。中にはむっとするような一言もあったが、ついに彼が黙り生を諦めたところで、申し訳なさが立ってきた。
「さすがに気の毒かしらねえ。私のせいだし」
そう独りごちて、
《ルカンシエル》
彼女の世界の言語で、風の緩衝魔法を放つ言葉を発した。
どれほどドジであっても、真面目なときの狙いはあまり間違えない。逆に言うと、たまによく間違える。
ルドラが落下するよりも遥かに速く、空気の塊が飛んでいった。それは彼の下に回り込み、クッションとなって徐々に落下速度を落としていく。
見殺しにされたと思っていた彼は、突然身を何か見えないものが包み、落下が緩まったことに驚いた。そして、彼女がいたはずの方を見上げた。
しかし彼を包むものは精霊魔法ではないので、実際に何かまではわからない。エーナやユウたちが彼らの精霊魔法を感知できないのと同様、彼らにも通常の魔法を感知する術はなかった。それが直接目に見えない限りは。
死をも覚悟していたのに、あっけなく助かってしまったので彼は気が抜けた。
安心したやら疲れたやらで放心した顔をしている彼の元へ、エーナは浮いたままゆっくりと近付いていった。
彼女に気付いた男に、思考が蘇った。濃密な数分間を振り返る。
偶然助けられて、危うく殺されかけて、また助けられて。
まずキレるべきか感謝を言うべきか。
最初の一声を迷っているルドラに対し、エーナは苦笑して何でもないように一言。
「いやあ。私ってドジなのよねえ」
「ドジにもほどがあるわっ!」
こんなにも全力で突っ込んだのは初めてではないだろうか。彼の喉は裂けんばかりの勢いで震えた。
とにかく、一緒に安全そうな場所へ下りて、落ち着くために少し休憩をとることにした。
エーナとしてはこんな男と共に行動する理由などないのだが、「動くと何かやらかすから絶対勝手に動くな」と厳命された。確かにその通りな気がしたため、不本意ながらその場に留まるしかなかった。
ちなみに二人が今いる場所は地下85階であるが、もちろん二人はそんなことは知らない。
突然の出会いに、いきなり落下ランデブーなんてかましてくれた日には、はい仲良くしましょうというわけにはいかず。しばらくは気まずい沈黙が続いた。
「なあエーナさんよ」
先に口火を切ったのは、ルドラだった。
彼は内心色々と言ってやりたいことはあったが、とりあえず言葉面を取り繕う程度の余裕は戻っていた。
「なにかしら」
「いやあ、ふと思ったのだけどねえ。あんたのドジと頑丈さを見込んで、一つとっておきの作戦が浮かんだのだが」
そして彼は、多少の感情より実利を取る男である。
「ドジと頑丈さを見込んでだなんて、失礼な男ねえ。まあ一応聞いてあげるわ」
大して面白くもなさそうに返事をしたエーナに、男はにやりと悪い顔でほくそ笑んだ。
「奈落を踏んで無事な奴、しかも連続で踏んだ奴なんて今まで見たことがない――そこでだ」
「ええ」
「奈落を探して踏みまくれば、無限迷宮の底へあっという間に着けるんじゃないかとな」
「あなた天才なの?」
エーナにも悪い顔が伝染した。
実際誰でも思い付きそうなものであるが、まあ天才と言われて悪い気はしない。散々な目で不機嫌だったルドラは、これでいくらか機嫌を良くした。
話を聞いた彼女も、これで「暇つぶし」の依頼が達成できるかもと嬉しくなる。
「ありがとね。早速探しに行ってくるわ!」
そのまま走り出しそうな勢いだったので、彼はぎょっとして引き留める。既にトラウマだった。
「待て! だから勝手に動くなと言ってるだろうが!」
「うっ。で、でも空を飛んでいけば……」
あくまで一人で行こうとする彼女に、彼は呆れたように苦笑してぴしゃりと一言。
「浮いたままどうやって罠を探すんだ?」
「あ」
「ふう……。オレのアイデアなんだけどねえ」
暗に混ぜてくれと主張する彼。
こんな深部に一人置き去りにされては、たまったものではない。何より目の前に前人未到のダンジョンを制覇できるカギがいるのに、最大の栄誉に与るチャンスから手を引くわけにはいかない。絶対に譲れない勝負どころだった。
「でもあなた、足手まといじゃないの」
「あんたも言ってくれるなあ。確かにその通りだが」
エーナという女の名前は聞いたことがないが。隠れた凄腕の冒険者か何かだろうと彼は睨んでいた。
何より身体が異様に頑丈であるし、不思議な技も使うし、こんなところでもまったく平気にしているのが証左だ。
一方自分は……Sランク冒険者という実績も自負もあるが、無限迷宮の深部でどれほど通用するかはわからない。しかも消耗した今の状態では、足手まといにしかならないだろう。悔しいが事実だ。
客観的な判断ができる男は、自嘲気味にそう踏んで。だがまだ自分を売り込めるとも考えて、さらなる交渉の口上を切った。
「それにエーナさんよ。見たところあんた、手ぶらだが。どうやって一人で帰るつもりだい」
「それはもちろん。私、転移できちゃうのよね」
得意気に胸を張った彼女に、彼は今度こそ心から呆れて言った。
「おいおい。このダンジョンは、稀に見つかる『休息部屋』以外では転移ができないんだぜ」
無限迷宮の厄介なところだった。でなければ、ワープクリスタルさえ持ち込めば攻略が容易になってしまう。
せめて5階ごととか10階ごととか、決まったところに『休息部屋』があればよいのだが、そういうわけでもないのが攻略の目途を立てにくくしている。
「え、うそ」
聞き捨てならない言葉に、それまで余裕を保っていたエーナの顔色が曇った。
「知らなかったのかい?」
知らなかった。手拍子で答えそうになった彼女は、その言葉をぐっと呑み込んで、内心焦りながら慌ただしく考えを巡らせる。
落ち着いて。落ち着くのよエーナ。彼は彼の世界の物差しでしか測っていない。
私はフェバルよ。彼らにできなくて私にはできる。そんなことはたくさんあったでしょう。
ルール破りなんて、常識破りなんて、わけないはず。
規格外であるはずのフェバルが能力を使えなくされている異常な世界だということを勘定に入れていない彼女は、一人強く頷いた。
「あ、はは。やってみなくちゃわからないじゃないの!」
「ではやってみたらどうかな」
「そ、そうね。試してみようかしらね」
声の震えていたエーナは、不安を振り払うように首を振ると、今いる場所をマーキングしてから、地上に転移しようと試みる。
《コーレンタム》
…………。
しかし何も起こらなかった!
「…………ふ、ふふ」
「な。どうするよ」
「手を組みましょう」
即答。エーナさんは、変わり身が早かった。