「きゃあ!」
ぬめぬめしたものが、身体をこすりつけてくる!
まさか、このいやらしい感触は――ラビィスライム!?
「ちょっと、やめ! あ、や、あんっ!」
この、こいつ! 的確に、私のツボを! あっ、だめ、そこ、弱いからぁ……!
「んっ、~~っ!」
まずい。変な声が出ちゃう。恥ずかしいよ。こらえなきゃ……!
「いや、あ、あ、あっ!」
やばい。だめ。なんて、やつなの! こんなの、耐えられない!
「「おお……」」
この、バカぁ! 見惚れてないで助けてよ!
「レン、クス……! はやくぅ……なんとか、してぇ!」
「お、おお、よし! わかったぜ!」
そんな、嬉しそうに……っ……返事しないで!
鼻息も荒いレンクスは、気持ち悪くて、早かった。
気が付くともう、私のお腹の上に手が触れていて。纏わりついていたものが、断末魔の鳴き声をあげて剥がれ落ちた。
ああ。やっと。助かった。
「はあ、はあ……はあ……」
また、ひどい目に遭った……。べとべとだよ。
身体も、熱いし。ちょっと涙まで浮かんでる。
それに何だか、風通しが……?
自分を見る男どもの熱い眼差しに気付いて、ぼんやりと見下ろすと。
え。服が、溶けてる。
ああそっか。それでエーナさんたちは。
蕩けた頭が少しずつ醒めてくる。
半分他人事のように納得していたことも、当事者であると理性が及ぶにつれて、顔が熱くなってきた。
恥ずかしいよ……。
「……見ないで」
手で胸をかばいながら、ただそう言うしかなかった。
声も弱い。今の自分はどんな顔をしているのかな。
なおも変態ズは、色の入った目で私を見つめてくる。
男はこれだからしょうがないなと思うけど、私だってそんな見られたら、困るよ。
「お願い。見ないで」
「お、おう」
繰り返し頼んだら、根は結構紳士な彼はルドラをけしかけて、ちゃんと後ろを向いてくれた。
その間に、呼吸を整えながら、魔法で溶けた服を修復する。ラナソールだと簡単に済ませられるからよかった。
「ふう……。もういい――」
「あいつだけじゃないわ! いっぱい来るわよぉ!」
私がいいよと言いかけたのと、取り乱したままのエーナさんが叫ぶのがほとんど同時だった。
しかも、断じて聞き捨てならないことを。
「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」
エーナさんの言葉が現実になるのは、もうすぐのことだった。
これは……。何匹いるの?
数千……数万……!?
とにかく圧倒的な数の暴力だった。いつの間にか私たちをすっかり取り囲んでいて、紫色がどこもかしこも埋め尽くしている。
こうなると、受難のストーリーもはっきり見えてくる。
元々エーナさんたちは、このラビィスライムの群れに追われてずっと逃げていたのだろう。たぶんエーナさんがドジを踏むか何かして、巣を突き当ててしまったに違いない。
それにしても、私の知ってる水色のあいつとは色違いで――色違いって、まさか。
とても嫌なことを思い出して、気分が悪くなった。
前に食堂のお客さんから聞いたことがある。
ラビィスライムの上位種は、繁殖力が凄まじい。
どうして増えているのか。ただのラビィスライムは女が好きで身体をこすりつけるだけの無害なやつだけど、こいつの場合は深刻に有害だ。
服を溶かしながら、女を散々慰め者にした後、最後には体内に浸入してきて、子供の種を植え付ける。
そのまま巣に持ち帰られて、粘液で絡め取られて動けなくされてしまう。女性としての機能があるうちは大切に生かされ続け、繰り返し繰り返し子を産むための苗床にされてしまうという。毎回、ハードプレイと一緒に。理性が溶けてもそれは死ぬまで続く。
男の変態な妄想でも詰まってるんじゃないのってくらい凶悪なスライムだ。よくもまあここまで。というか、たぶん本当にそうなのだろう。
認識すると、無邪気な顔をしているこいつらが、ひどくおぞましいものに見えた。
こんな奴らにべたべた張り付かれて、弄ばれてしまったら。苗床にされてしまったら……。
想像するだけで恐ろしい。
エーナさんがこいつの性質をどれだけ知っていたかはわからないけど、この光景と容赦のなさだけでも、ああまで取り乱している理由もわかるというもの。
こいつらは、女の敵だ。
連中は、今にも束になって襲い掛かろうとしている。
私だけなら、必死になって逃げる手を考えようというものだけど。
数の暴力には力の暴力。うちには忠犬がいる。
さっきやられた恨みもあるし。
「レンクス」
私は冷たい笑顔を作り、忠犬に向かって指示を飛ばした。
ただ一言。
「やれ」
「仰せのままに」
さあ、変態 VS 変態の開戦だ。
とその前に、レンクスは気遣いを忘れない。
「エーナ。まだ調子戻ってないだろうけどよ、防御だけ張っておけ。お前じゃないと強度が足りない」
「え、ええ! わかったわ! 二人とも、こっちに来て」
言われた通り、ルドラと一緒にエーナさんに近付くと、エーナさんは防御魔法を張った。
《プロセコン》
ドーム状にバリアが展開されて、三人を覆うように包む。
一目見ただけでわかる。大味な造りだけど、とにかく堅牢なバリアだ。ちょっとやそっとの攻撃では破れないだろう。
ただ、使っている間はこちらからも動けなさそうだけど。
「さあて」
ノリノリのレンクスは、直立の姿勢から右拳を引いて構えた。
そして、左手でクイクイと挑発する。
それ、たぶんスライムに意図は伝わらないと思うけどね。
たまたま彼がそうしたタイミングと、スライムたちが飛びかかってきたタイミングが被った。
さて、何をするつもりなのか。
答えは、わからなかった。
というのは――見えなかったの。何も。
バボンッ!
凄まじい音が弾けて、紫色の群れが割れたのだけがわかった。
「おっしゃ! どんどんいくぜ!」
ボボボボボボボッ!
さながら爆撃機による絨毯爆撃が、目の前で繰り広げられているようだった。
でも実際やっていることは、その場に突っ立って何かをしているだけ。
手元が速過ぎて、何をやっているのかさっぱりわからない。
ラビィスライムたちは、面白いように吹っ飛んでいった。目につくところから、紫色が汚い花火のように弾けに弾ける。
無双ゲームでも見ているみたいだ。爽快感すらあるよ。
でも、本当に何をしているんだろう。
魔力は使っていない。使っていたら私にもわかるし。私は感じ取れないけど、気力で何とかしているらしいことは確かだ。
ただそもそも気力というものは、こんな風に遠距離攻撃を行うのには明らかに向いていない。イネア先生の教えの通りだ。
ユウは『心の世界』の力を、ジルフさんは【気の奥義】を使ってかなり別物にしてるせいで、基本の形を忘れてしまいそうになるけど。
気力の基本である生命エネルギーそのものは飛ばせない。これは常識であり、条理でもある。
レンクスは【反逆】が使えないから、条理には従っているはずで。だから何をやっているのか少し気にはなった。
「ねえ。何をやってるの?」
「これはな。ただのパンチだ」
「パンチなんだ!?」
まさかの何の工夫もない、ただの拳だった!
「で、なんでただのパンチでこうなるわけ?」
「それはな。気合いだ」
「気合いね」
気合いなんだ。何でもありだよねやっぱり。
でも言われてみると、理屈はわかった。
わかってみれば本当に単純な話。
実際気合いっていうか、拳圧があまりに凄まじいので、衝撃波が生まれて飛んでいるみたいだ。
つまりは、チートスペックによるただの暴力でしかない。
でも衝撃波を上手くコントロールして、ダンジョンを崩落させないように、かつこちらには届かないようにしているのが、達人の技というか。さすがというか。
でも、すごいなあ。
一秒間にこれは……何発打っているの?
理屈がわかった上で見ても、さっぱりわからない。確かに腕の動きがパンチっぽく見えてきたけど、それだけ。
パンチってことは一度に一方向しか攻撃してないはずなのに、あまりに速過ぎて全方位に余裕で対応できてしまっている。信じられないことに。
一発一発が私とユウの大技――それこそ《気断掌》にも匹敵するような攻撃を延々繰り出しておいて、その実ただのパンチだから、レンクスは一つも汗をかいていなかった。
舐めプレイをしているわけではなくて、スライムの数がどれだけかわからないので、持久戦にも耐えるようにそうしているのだろう。
そのための拳であり、彼にはそれだけで十分だった。
「すげえ……」
ルドラも格の違いを感じたみたいで、ただただ棒立ちで彼の妙技に見惚れていた。口をぽかんと開けて。
「さすがねえ」
彼の強さは見慣れているだろうエーナさんは、のんびりお茶を啜るような調子で言った。
たぶんエーナさんはどっちかと言えば単純な強さでは私とユウ寄りだから、さすがにこんなおかしな真似はできないと思う。
自然と、乾いた笑いも出てくる。
でも、改めてレンクスの凄まじさを感じたっていうか。やっぱりフェバルは、レンクスはすごいよ。敵わない。
「夢でも見てるのか……?」
うん。夢なの。現実だけど。
事情を知らない人にはよくわからないことをつい言いそうになった。
見惚れているうちに、ほとんど決着がついていた。
気が付けば、数万はいたかもしれないスライムの大軍勢は、焦土作戦の被害に遭ったかのごとくその数を著しく減らしていた。
こうなると、ほぼ本能でしか動いていないラビィスライムも、生存の危機を感じて撤退という選択をするより他にないようだった。
残った群れは、這う這うの体で逃げ出していく。
「おっと」
スピード自慢のラビィスライムのお株を奪う形で、レンクスは目にも留まらぬ速さで跳んだ。そして逃げるうちの一匹を簡単に捕まえて、万感の思いのこもった言葉をかけた。キザったらしく。
「お前ら――夢を、ありがとな」
「もう。何言ってるの」
そして、あっさり逃がしてしまった。
これで戦いは終わったみたいだけど……。
変なこと言って、どこまでもすっきり満足な顔をしているレンクスを見ていると、ちょっともの言いたくなったので、適当に小突いた。
「で、今度は何をしたの? まさかこのまま逃がすつもりじゃないよね」
「へっ。いくらいいもん見せてくれたからっつっても、俺のユイに手を出した不埒な野郎を許すわけないだろ?」
「別にあんたのじゃないから。それで」
「まあ時限爆弾を仕掛けたってわけさ」
「あーなるほど」
つまりレンクスは、最後まで手を抜かず、一番厳しい形で止めを刺したことになる。
莫大な気力をあの一匹に詰めておいて、巣に逃げ帰った頃を見計らって、起爆させる。
それで残った奴らも一網打尽ってわけ。
「よし。褒めてつかわそう」
「はっ。ありがたき幸せ」
演技も堂に入っちゃって。
「で、俺頑張ったよな」
「うん。頑張ったね」
「頑張ったよな?」
期待の顔でうずうずと待っているレンクスを見て、意図がわかった。
もう。そうやってすぐご褒美を欲しがるんだから。
ユウもレンクスも、甘えたがりだよね。男はみんなそうなのかな。
しょうがないな。ほんと。
「はい。えらかったね」
頭を一回だけ撫でであげると、子供のように大喜びして跳びはねた。
でも一回だけだよ。あんまりやると調子に乗るからね。
「よっしゃあ! まだ生きようと思えた!」
「また頑張ってね」
「もちろんですとも!」
「なあ。あの二人は、どういったご関係なんだ」
「いつもあんな感じなのよ」
……隣で何か聞こえたけど、気にしない。
というわけで、無事エーナさんも救出して、私たちは『アセッド』へ帰って来たのだった。
『へえ。そんなことが。災難だったね』
『でもエーナさんも無事帰ってきたし』
『何よりだね。で、エーナさんはもうすっかり元気なの?』
『あー……。いやまあ、大体元に戻ったんだけど、それがね……』
『どうしたんだ』
ちらりと、キッチンの方を見やる。
エーナさんは、ちょうどミティと一緒に料理の手伝いをしているところだった。
まな板には、水色のプルプルした食材が乗っかっている。
そして、エーナさんの顔色はそれよりも青かった。
「ほらぁ。何まごついてるんですかあ? 一緒に切ろうですよぉ!」
「いや、えっと、でも。そうね……」
「ただの食用スライムですよ?」
食用スライムと言えば、レジンバークでは最もポピュラーな食材の一つ。
食堂でも毎日提供していて、料理をするなら絶対に避けては通れないものなんだけど……。
だから克服しなきゃってエーナさんもやる気は出してるんだけど……。
「ほら。半分ずつやりますよ」
「ひいいっ!」
ミティが手渡した瞬間、それを取り落として、エーナさんはガタガタ震え出してしまった。
「スライムこわいスライムこわいスライムこわいスライムこわいスライムこわい」
「は……? ねえ、ユイ師匠。エーナさん急にどうしたんですか?」
「色々あったの。しばらくは優しくしてあげて。ね」
「……? はい」
エーナさんのトラウマに、どうやら新たな一ページが刻まれてしまったみたい。
めげるな。エーナさん。