トレヴァーク支部の開店から、一カ月が経った。
何でも屋という看板にはしてあるが、気軽なラナソールノリでどんどん仕事が舞い込んで来る本店と違って、未だ軌道に乗ったとは言い難い状況だ。変わったお店だしね、実際。実質的には夢想病対策の仕事が中心となっているけど、過程で人助けをメインにしているので、趣旨からは外れていないと思う。
ちなみに設立に際して、いわゆる「決起集会」を行い、慣れない演説をさせられた話は内緒にしておこう。うん。旗印なんて柄じゃないし、恥ずかしかった。
やっぱり世界各地で三千人もの人員が協力してくれているのは大きい。彼らのおかげで、夢想病患者に関するデータは急速に集まってきた。データを元に、潤沢な予算を使って患者の支援政策を打っていく。
ただ俺は専門家ではないので、効果的な具体策および予算の割り当てなどを決めるには頭が足りなかった。
そこでシルバリオが意を汲んで、各界から優秀なブレーンを集めてくれた。
餅は餅屋。任せ切りは良くないけれど、多くのことは任せてみても良いだろう。
この患者支援分野で特にやる気を出したのがシェリーで、彼女は学生ボランティアという立場で積極的に議論を聴講し、日々見識を深めているようだった。のみならず、自ら積極的に患者の下へ足を運んで、看病する姿を見せている。
ここでさりげなくメディアを利用したのが賢かった。懸命な彼女の姿に心を打たれる者が現れ、ちらほらと追随する者も現れてきている。
まずは足元から。やがては大きな流れになりそうで楽しみだ。
元々聡明な子ではあったけれど、力を注ぐべき方向が見えず、困っていたように見受けられた。
それが今や、水を得た魚の如く生き生きとしている。素敵な傾向だと思う。
まあとりあえず今のところ大きな動きはなくて、俺はラナソールとトレヴァークを数日区切りで行ったり来たりする生活を続けていた。パスがランドとシルの二人になったので、移動の都合がだいぶ付きやすくなったのも助かった。
ところで、ここ最近のレジンバークは、とある一大イベントに向けて騒がしくなっていて。
それは……。
イベント前日の夜。風呂を済ませた俺は、ユイに髪を乾かしてもらいながら、それについての話をしていた。
「明日はいよいよ漢祭当日だね。心の準備はできた?」
「まだ」
浮かない気分で答えた。準備できる気がしない。
漢祭。正式名称はありのまま団漢祭。
あの「ありのまま団」に「漢」と「祭」がくっついている。もうこれだけでカオスなことになるのは簡単に想像が付く。
どうやら二年に一度開催されるらしい。まあ要するにありのまま団のみんなが一同に集まって好き勝手騒ぐだけのことを大会と言っている。
規模は純粋な団員が千数百名。これにシンパも集まって数千名規模が「ありのまま」になる。
それは憂鬱にもなるよね。だって、あの受付のお姉さんさえ「あれはパス」と匙を投げるような案件だよ?
ありがたいことに、うち、何でも屋なので。色んな方々から、「あれを何とかしてくれ」とのご依頼を頂きまして。何とかすることになりましたとさ。
果たしてできるのだろうか。初めて完遂できないかもしれない。
まあ現実的な対応としては、ただ騒いでいるだけでは、真っ裸になったり物壊したりしなければ違法にはならないので、近くで見張っていて、あんまり過激なことをしないようにお目付け役をするってところなのかな。
「はあ。俺が行くしかないのかな……」
「うん。私よりはユウの方が向いてるかなと」
「面倒なことになりそうなのが目に見えるんだけど」
「そこは肉体言語で何とか。ユウも漢でしょ?」
「漢っていうよりか男の子な感じだけどね。多分に」
「でも、身体はよく鍛えてるよね。これ見せたら気に入ってもらえそうだけど」
背中から手を回して、腹筋をふにふに触られながら言われると、くすぐったい。
「肉体言語なら、それこそジルフさん連れて行ったら一発じゃないか?」
悪いとは思いつつ、口が勝手に逃げ口上を打っていた。
あの人ほど見事な筋肉美を誇っている人を見たことがない。バトルアーティストと言っても過言ではないんじゃないかと思うレベルだ。あの人の身体を見たら、みんな感動するんじゃないかな。
「残念だけど、ジルフさんはちょっと空の果て『スカイ・リミット』に挑んでるみたいで」
「なんて間の悪い……」
ジルフさんもありのまま団の扱いには手を焼いていたのは知っている。体よく逃げたんじゃないか説が……。いや、人を疑ってちゃいけないよな。うん。
「レンクスは」
「面倒臭いから寝るって」
「どうせそんなことだろうと思ったよ」
つまり結局俺が行くしかないのか。
でもなあ。はあ……。憂鬱だ。
「……なあ。やっぱり一緒に行かない?」
「私を道連れにしようってわけ?」
「二人なら何とか乗り切れそうな気がするんだ。頼むよ」
「どうしても?」
「どうしても!」
「うーん……。そこまで頼りにするなら仕方ない。行こうか」
何となくそう言われるのは予想付いていたのだろうか。あやすように、乾きかけの頭をぽんぽんされた。
やっぱりユイは優しいな。ありがとう。
ちなみにユイが行くと知ると、そのときだけレンクスの奴が無駄にやる気出しそうだ。それも何だかしゃくなので、罰として黙っておくことにした。空回りして余計面倒なことになるかもしれないし。
さて、日が明けた。気が進まないながらも、身支度をして出発する。
まず向かう先は、ありのまま団本部だ。ボティビルダーの像が建物にくっついているので、見間違えようがない。
ありのまま団本部には、事前に監察の了承を得ている。ただし、監察を受け入れるに際して、「キミたちもエンジョイすること!」が絶対条件とされた。ちなみにこの条件、書初めみたいな気合の入った墨書き一枚で送られてきた。
それと一緒に、プログラムが付いてきたんだけど……。これがもうひどくて。
漢の開会式! 予定時刻:状況次第!
漢のオリエンテーション! 予定時刻:状況次第!
……
といった具合で、素晴らしく何もわからない。
ふざけているのかな。そうだった。ふざけているんだあいつら。
ミイラ取りがミイラになるのは勘弁だと強く言ったら、カジュアル派スタイルで勘弁してくれるということらしい。
シルヴィアさんのありのまま団講座を思い出すと、確か。
何もないのが原理派。
葉っぱやふんどしで一応隠しているのが良心派。
下は身に着けている(女子なら上も下着レベルは許される)のがカジュアル派だったっけ。
最低でも上は脱げってことらしい。仕方ないか。
もちろん原理派は、見つけ次第頭を冷やしてもらわないといけない。
ちなみに数は少ないけれど、女子も普通に参加するみたいだ。女子でも漢は漢ということらしい。よくわからないけど。
ユイにはもちろん恥ずかしい思いをさせてしまうことになる。でも「大丈夫」と言っていた。一枚でも、できるだけ露出の低い服をあらかじめ用意してあったみたいだ。
やっぱり最初から助けてくれるつもりだったんだな。ごめんね。
受付の女性係員(水着姿)から、簡単に説明を受けた。
十数人ずつの班に分かれて、班単位で行動するようだ。俺とユイは一緒の班にしてもらった。
最初は、控えのロッカールームへ行けということだけど。
「ここかな」
「みたい」
手を見ると、油汗がすごかった。拭ってからドアの前に立つ。
いよいよだな。さあ何が出て来るか。
コンコン。
「「失礼しま――」」
「「押忍! 押忍! 押忍! 押忍! 押忍! 押忍! 押忍! 押忍!」」
「「間違えました」」
バタン。
…………ふう。
「なあユイ。俺、疲れてるのかな。今、変なものがちらっと見えたような」
「ちょっと、私も疲れてるのかも」
「何かの見間違いだよね?」
「うんそうだよ。たぶん。ね」
「よ、よし。気を取り直して」
コンコン。
「「失礼しま――」」
「「押忍! 押忍! 押忍! 押忍! 押忍! 押忍! 押忍! 押忍!」」
「「ごめんなさいやっぱり間違え――」」
「少年ッ!」
マキシマムな怒鳴り声が耳に響く。俺とユイは足を止め、ビクッと肩を震わせた。
呼びかけてきたのは――うわ、なんだこの人は!?
ユイが目を丸くしている。俺も目が釘付けになった。強烈なインパクトだった。
絵に描いたようなムキムキマッチョの漢だ。当然の権利のような上裸身に、グラサンをかけている。さらに、いつだかの奇術師よりも奇術師みたいな恰好をしている。言ったら悪いけど――すごい変態っぽい。
いつかのトーマス・グレイバーを思い出した。あれに輪をかけておかしくした感じだ。
そして何より驚いたのは、髪型が――魚だった。魚にしか見えない。マジで。あれ、なに。
ラナソールには不思議なこともあるものだと、自分を納得させる。
「特別参加のボーイズ&ガールズだなッ! ここで合っているぞッ!」
「ああーよかったなー! 別に間違えてなかったんですねー!」
「そうだッ! めでたくこれであと一人だッ!」
「……ところで、あなたたちは今、なにを?」
「うむ! 親睦を深めていたッ!」
ああ。ダメだ。幻じゃなかった……。
俺とユイを除いて、十二人。男が十。女が二。揃って同じマッスルポーズを極めながら――なんだろう。なんか「押忍! 押忍!」言いながらひしめき合っている、としか言いようがない。
わけがわからない。
今からこれに混じるのか……。正直、もう帰りたい。
早速心が折れそうになっていると、ユイもほとんど同じ気持ちで、俺の袖をぎゅっと掴んで堪えていた。
頭が魚の人は、やかましい声で名乗り出た。
「班長のカーニン・カマードだッ!」
「「あ、大魔獣討伐祭のときの」」
名簿に載っていたのは覚えている。姿は見てなかったけど、もしちらとでも目に入っていたら記憶能力なんてなくても二度と忘れないだろう。すごい人だ。すごいとしか言えない。
「オレっちの活躍を覚えていたかあッ!」
「いや、お名前だけですけど」
「そうかあ! 覚えていたかあッ!」
すごい力で、肩をぐわんぐわん揺さぶられた。
頼むからちょっとくらい話を聞いてくれ!
超ハイテンションなカーニンは、「押忍! 押忍!」続けている全員に向かって怒鳴りつけた。
「おい! いつまでわけわからないことやってんだッ!」
「「班長がやれって言ったんじゃないですか!?」」
「知らんッ! 新メンバーの紹介だッ! 全員集合ッ!」
今、とても理不尽なことがあったような気がするけど、みんながトチ狂っていたわけじゃなかったんだと知り、正直かなりほっとした。
「何でも屋『アセッド』から初参加になります。ユウです。よろしくお願いします」
「同じくユイです。よろしくお願いします」
簡単に自己紹介すると、拍手が起こる。レジンバークではちょっとした有名人らしいので、サインを欲しがる人が複数いた。初めてではないので、ちょっと恥ずかしいけど書いてあげた。サインと言っても、ただ漢字で名前書くだけなんだけどね。
しかし面倒臭くなったのか、残りはカーニンがそれぞれ指差しながら、勢いで名前だけ紹介してきた。
「ステファニーッ! モーリスッ! マークッ!」
「マーク!?」
おい。ちょっと待って!
見間違えじゃないよな!?
「マーク!? お前何やってんだ!」
「あい? 僕の筋肉がどうしたっすか?」
「あ、ああ。ごめんなさい」
そうだった。知ってる顔がいたから、ついリアクションを大きくしてしまったけど。
こっちの方の彼は、俺を知らないはずだもんな。
でも間違いない。彼はマーク・プレイサーだ。
エインアークスから借り受けた『アセッド』トレヴァーク支部のメンバーの一人で、トリグラーブ支店を担当している。つまりは俺の同志である。歳は17で、元々孤児という育ちのため学はないけれど、人懐きの良い奴だ。
君、こんな趣味があったのか……。知らなかったよ。人はわからないものだな。
全員の紹介が終わったところで、再びカーニンが声を張り上げた。
「少年ッ!」
「はい!」
つられて、こっちの声まで大きくなる。
「わかっていると思うがッ! 今日はありのままが正装さッ! さあ、ユーのありのままを見せてみなァ!」
「そうですねッ!」
みんなが注目している。俺がどんな「ありのまま」を見せてくれるのかと。
……いや、あの。そんなにじっと見られるとやりにくいんだけど。
しかし、ここまで来て帰るわけにもいかない。帰りたいけど。ユイも付き合ってくれてるし。
『ユイ。君は注目集まらないうちに、適当に魔法でぱっと脱いでおくといい』
『わかった。お言葉に甘えるね』
注目の犠牲は俺だけでいい。
よし。頑張ろう。
半分やけで勢いよく上着を脱ぎ去った。
すると、それぞれが一様に恍惚の溜め息を漏らしたのだった。
「「オーゥ……ビューティフォゥ……」」
えっ。なにそのアメリカンな反応。
コンガチャ。
そのとき――なぜか不思議と聞き慣れた――ノック間もなく速攻でドアノブが回る音がして、誰かが入ってきた。
「「あ」」
「あ」
目と目が合う。
放送コードギリギリの黒ビキニに身を包み、気合い十分でやってきたシルヴィアさんだった。