適当に草原を走り回って汗を流していると、漢のオリエンテーションはいつの間にか終わったことになっていた。
漢の昼食が始まる。
……これって何でも「漢の」を付けておけばいいやってパターンじゃないだろうな。
みんな各自のお弁当を持ち寄っての昼食となった。本当はみんなの分の昼をこちらで用意してあげたかったんだけど、事前に人数も何もかもわからなかったので仕方ない。
「はい。これユウの分」
「ありがとう」
俺のはユイお手製の弁当だった。例によって、いくらかミティやエーナさんの手が入っているらしい。随分仲良くなったよね。この三人も。
ご飯というものは人それぞれの個性が出るもので、見ていて中々面白い。
例えばシルは面倒臭がりなのか、冒険者用の軽食セットをそのまま昼食にしてしまっている。そういや、シズの方もよく即席麺で生活してるって言ってたかな。身体に良くないから気を付けなよとは言っておいたけど、あまり聞く耳は持たないらしいな。
マークは凝り性なのか、カラフルで手のかかったお弁当をこしらえてきた。プロでない個人の作るものとしては目を見張るほど立派なものだ。
そして、カーニンはというと……。漢の握り飯をとんでもないところから取り出したので、そっと目をそらした。
爽やかな草原の風と日差しを浴びながら、昼食を楽しむ。このまま変な集まりのことは忘れて、のんびりできればいいのになと心から思った。
だがそんなささやかな願いは、やっぱり許されないのだった。
腹を満たし、テンションが高まってきたカーニンが、おもむろにグラサンに手を近づけた。
「外す、のか……?」
「あの班長が……」
「ついに……!」
マークを始め、一同が固唾を呑んで見守っている。そんなに一大事なのだろうか。確かにグラサン外さないのがアイデンティティの人もいるけどさ。
額縁に指が近づく。あと少しでグラスに届く。持ち上がる。
そしてついに、はず……さない!
指をスカした。フェイントだった。班員から落胆交じりの溜息が漏れた。
そんなこちらを見て、ふふんと得意げに笑っている。だから何がしたいんだよ。
その代わりとばかりに、やおらズボンに手をかけて――そっちはアウトの方だからな。
手遅れになる前に止めようとしたところ、追い打ちのような事態に遭遇する。
「あ! あれは!」
「バックステップ男!」
俺とユイがほとんど同時に気付いて、声を上げた。
忘れもしない。レジンバークに来た初日に見た、あの変態男だ。
大草原の向こうから、全裸の野郎がものすごいスピードで後ずさっていく。
常にバックステップ。全力でバックステップだ。めちゃくちゃ速い。
漢カーニン、これには目の色を変えてすぐさま呼応した。
「バックステッポウゥウゥゥッ!」
彼はいきなり叫んだ。気合を入れると、全身を謎の黄金色のオーラが包む。
そして――弾けた。服が。
神々しいほどの光とともに、生まれたままの姿のカーニンが爆誕した。
彼は爆速で後ずさっていく。もちろん揺れている。何がとは言わない。
とにかく言えることは、意味わからないし、最低だ!
Aランク相当という実力をいかんなく背走に発揮し――いや、テンションも相まってかもはやSランクすら超越した何かに見える。
そしてカーニンは、バックステップ男とついに邂逅を遂げ――。
「「フォオオオオオオオオオオオオオーーーーーーーーウ!」」
バックステップ男……いやバックステップ漢と、漢カーニンの雄たけびが共鳴した。すると今度は、バックステップ漢の全身が銀色のオーラに包まれる!
二人のオーラが迸り、一つに混じり合った。
「「ババックステステステッポおおォォォォウゥウ!」」
もう止まらなかった。
なんか連呼しながら、互いに高め合い、先を競い合うようにして、後ずさっていく。草を吹き飛ばして、超音速で後ずさっていく。
あっという間に、光の筋が遠くへ伸びていった。
「班長……! あっしも付いていきやす!」
「私もッ!」
「負けるなあああ!」
「いくぞおおおおおおっ!」
遅れて、班の何人かがなぜかいたく感化された。慣れない足つきで、バックステップを始めている。
あっけに取られていた俺とユイは、彼らの意味不明な行動を止めることができなかった。
中でも一人、シルヴィアが実に手慣れた、軽やかな足取りで、二人の漢へ追いすがっていく。
そして気付けばみんな、草原の彼方へ消えていった。
「「…………」」
ついていけなかった、俺とユイと、あと三人がぽつんと取り残されていた。
「あの人……」
「職務放棄、したよね……」
ようやく出てきた言葉が、それだった。いや、今の場合、あれこそが職務なんだろうか。誰か教えて下さい。助けて。
取り残された俺とユイは、何だか色々とあほらしくなってきたので。
「……帰ろうか」
「……うん」
カーニンのいない帰り道は、毒が抜けたように平和だった。皮肉にも、ドロップアウトすることで心の平穏は叶ったのだった。
あの受付のお姉さんでさえ匙を投げる理由がよくわかったよ。やってられないよこんなの。
軽く敗北感を覚えつつ、いざレジンバークへ戻ってみると。
「「あ……」」
翻弄されて、すっかり忘れていた。本来の参加目的を。
監視する者のいなかった街は、とんでもない地獄と化していた。
どこもかしこもマッパメンやマッパウィメンで溢れ返り、彼ら彼女らは自由を謳歌していたのだ!
あのよくわからない漢のオリエンテーションとやらをこなしているうちに、感極まっちゃった可能性が極めて大だ。
「やあ。ありのまましてるかい?」
道行く変態おじさんに、お決まりの挨拶を投げかけられたとき。赤く顔を染めて、俯くユイを見たとき。
自分の中の、何かが切れた。
――ああ。もう限界だ。我慢の限界だ。
キレちまったよ。マジで。
「……お前らああああああああああーーーーーっ!」
自分でもよくわからないくらいの勢いで、叫んでいた。
隣のユイがびびった。俺がこんなに叫んでいるのを聞いたことがない街の住民も、やっぱりびびった。みんなびびった。俺もびびった。
でももう止まらない。止まる気になれない。街中に響きそうな声で言った。
「そんなに出したいなら! まず俺に見せてこい! 一人残らずかかってこいッ! 漢の殴り合いだーーーーッ!」
「「うおおおおおおおおおっ!」」
とりあえず適当に叫んでおけ! 後のことなんて知るか!
ノリの良いありのまま団の皆さんは、もちろん呼応した。
ハイテンションのマッパメンその1が、襲い掛かる。気を込めた握り拳でもって、一撃の下に叩きのめした。
次だ!
続いて、マッパメン2が立派な逸物をひけらかしながら迫り――
「アウトーーーーーっ!」
叩き潰した。
マッパメン3……笑顔でスキップしながらやってきた。隠れていない!
「アウトだッ!」
破壊!
続く勢いで、マッパメン4、5……と討ち果たしたが。
ここでなんと、マッパウィメン1が出現! 詳細は書けないッ!
「あ、あうと……」
さすがに怯み、つい手が止まる俺に、漢(女)の魔の手が迫る!
来る! やばい! 絶体絶命のピンチ!
かと思いきや、横から風魔法が! 彼女を吹き飛ばした!
ユイだ!
「ユウ、なにやってんの!」
「あー……あのさ。正直、もうやってられないんだよ! 潰してしまおう!」
素直な気持ちを吐露すると。そこは心から同意したのか、ユイは大きく溜息を吐いて。
「バカだね、って言いたいところだけど」
ユイは乾いた笑顔で、拳を鳴らした。
「乗った。私だって、ストレス溜まってきてたところだったからね」
さすが姉ちゃん! やるぞ。こいつら。
ただし、ユイ参戦で、野郎どものボルテージは急上昇してしまった。
メインターゲットも、俺からユイへと明らかに切り替わる。
このままだと変態の餌食にされるかもしれない。守らないと!
真剣な気持ちで、身構えていると。ユイはちっちと小さく指を振って、心配ないよと言った。
「逆にやり返してあげる」
ユイは、左の掌を上にかざした。
その先に、おびただしい密度の魔素を収束させていく。濃緑色の光の線が幾重にも生じる。それが束となり、絡み合うようにして、一つの中心へとまとまっていく。
《ブラストゥールレイン》
そして、高度に収束した光は、一度に解き放たれた。
上空へ放たれた光は、やや立ち上ったところで、四方八方、三百六十度。凄まじい広範囲に向かって枝分かれする。分かれた一つ一つが、光の弾と化し、マッパメンたちに一斉に襲い掛かった。
数が多いだけではない。目に見える範囲ほぼすべてが、正確なターゲットだった。光弾の直撃を受けた変態たちは、なすすべもなくバタバタとくたばっていく。
たった一度の攻撃で、市民の敵が見るからに減っていた。
「すごい……」
「こっそり練習していたの。ラナソールならこのくらいできると思って」
《ブラストゥールレイン》か。光の雨を降らせる魔法。
実際、チート魔力にかまけた恐ろしい力技だ。全盛期の母さんをちらっと思い出した。虫の居所が悪いと、ここまでやるのか。
……怒らせないでおこう。うん。
そこから、圧倒的な鎮圧が始まった。
漢でもキメているのか、やたらヒロイックに襲い掛かってくるありのまま団に対し、俺とユイは的確に処理していって、辺りに討ち果てた気絶者を積み重ねていった。
それでも数は非常に多かった。主に精神的に参いりかけてきた頃、やっと。やっとのことで、レジンバークも浄化されていた。
そしていつの間にか、目の前には最後の一人――カーニン班長が立ち塞がっていた。
なんでいるんだ。バックステップの旅に行ってたんじゃないのか?
それを言う前に、不敵な面構えのグラサン漢は、あくまで決戦に挑むつもりのようだった。
「脱ぎな」
「……はい?」
「漢の勝負だ。全力でイクには――脱ぐしかねえよ」
相変わらずよくわからないことを言う人だ。もう絶対聞かないぞ。
「オレっちはもう――出したぜ」
わざわざ履き直していたズボンが、破れた。
黄金のオーラに、黄金に輝くアレがぶら下がっている。とんでもない威光だ。団長にもひけを取らない。
でもさ。というかね。
「……あのさ。ずっと言いたかったんだけど、君は」
「なんだッ! 言ってみろッ!」
ぐっと拳を握りしめて。
「アウトだああああーーーーーーーーーーーーっ!」
「ぐぼぉっ!」
怒りの腹パン炸裂。気持ち良くクリーンヒット!
「あんた……漢、だぜ……」
カーニンは、倒れた。グラサンは死んでも外さない。
……勝った。終わった。
もう敵はどこにもいなかった。
そこかしこに情けなく積み重なった、ありのままの姿の人たちに目を向けて。
急に冷静になって、何だか色々と虚しくなってきて。
ぽつりと呟きが漏れた。
「……俺たち、何やってんだろうね」
「……さあ」
ユイと揃って、深く溜息を吐く。
これで依頼は達成……したのかな? むしろひどくしてしまったような。
ふと頬を、強烈な風が叩いた。
顔を上げると、入り組んだ街の通りを、傷一つないバックステップ漢が、勝手知ったる顔で軽快に駆け抜けていくところだった。あっと思ったときには、いずこかへ消え去っている。
やっぱりわからない。
俺とユイは、顔を見合わせて力なく笑うしかなかった。
レジンバークは、今日もいつも通り騒がしく、いつも通り理不尽で、謎で、いつも通り平和だった。