「先生! よろしくお願いします!」
「ま、まあ。堅苦しいのは抜きにして」
「なんてな。おう、よろしく頼むぜ!」
やたらと気合の入ったランドに、やや気圧されながらも向き合う。
許容性無限大のラナソールでは、Sランク相当以上の戦いは地形破壊が付きものだ。一般人がいる場所でやるのは危ない。
修行場所は人のいない未開の平原、クーレントフィラーグラスにさせてもらった。以前冒険の付き合いで入った場所だ。ここは生物自体がほぼいないので、余計な邪魔がない点もポイントが高い。
さて。これも経験かと勢い引き受けてはみたものの。緊張するなあ。ちゃんと教えられるかな。何からやろうか。
――そうだな。とりあえずは。
「まずは実戦形式で力を見てみようか。剣を抜いて」
「おっしやるぞー」
ランドは調子良く剣を抜いた。二度三度、感触を確かめるように振るってから、正面に構える。
始める前に、俺は彼をよく観察した。
なるほど。立ち振る舞いは一見「らしい」。Sランクとしても様になっているように思われるけど……。
もう何度感じたことだろう。こうしてこの世界の人たちと戦いで向かい合ってみると、隙の多さに閉口しそうになる。
修行とは言っても、手に持つ剣は本物だ。まともに当たれば痛いでは済まない。
かつて俺がイネア先生に習ったときは、気を抜いていると本当に死にかねない攻撃が次から次へと飛んできたものだ。どれほど泣かされたかわからない。
翻って、ランドはどうだ。いつでも仕掛けられる今の状態に至っても、あのわくわくした緊張のない顔を見れば明らかだ。
真剣さが足りていない。まるで遊びで修行クエストにでも臨むかのようだ。剣の稽古をピアノ教室か何かと勘違いしている。
実際、俺の想像している通りの気分なのだろう。ラナソールという異常に恵まれた世界で、さして苦も無く力を高められてしまった弊害が端的に現れている。
そんな彼を見て、俺の最初のレッスンは決まった。
***
ユウさんに言われた通りに剣を抜いて、構える。
いやあ。本当にユウさんに教えてもらえることになるなんてな。今からどんな技が学べるか、楽しみだぜ!
ユウさんは少しばかり何か考えていたようだけど、やがて穏やかに微笑んで言った。
「いつでもいいよ。全力でかかってくるといい」
「それって魔法剣使ってもいいってことか?」
「もちろん。持てるものをすべてぶつけてくるつもりで」
ようし。だったら遠慮はなしだ。今の俺がどれだけユウさんに通用するか見てみたいしな。
右手に持った愛剣『メルヴォーザ』に、魔力を集中させる。
精霊魔法の応用にして奥義。魔法剣を扱うにはコツと慣れと、若干の才能が要る。誰にだって使えるってもんじゃないんだ。
俺の一番得意な火の魔力を、たっぷりと愛剣に吸わせる。この剣は俺がまだ駆け出しの頃、わざわざ名匠に頼み込んで鍛えてもらった業物で、特に火の魔力とは相性が良い。あのときは、いつかこの剣に似合う男になってやるって思ったんだったかな。
そんなことを考えながら念じているうちに、刀身は紅石のように鮮やかに燃え上がった。
「うっし。こんなもんか」
剣に力が滾ったのに満足して、集中をユウさんに向け直す。
そこで俺は疑問に思った。なんでかって、かかってこいと言う割に、いつまでたってもユウさんは素手のまま、自然体で構えようとすらしないからだ。
こっちは準備万端で魔法剣を迸らせているというのに。どうしたもんだ。
「なあ。ユウさんは、キケンってやつは抜かないのか?」
「ああ。俺は素手で大丈夫だ。ついでに力も抑えるよ――そうだな」
ユウさんは、自信ありそうなすまし顔で、とんでもないことを言ってくれた。
「身体能力強化は使わない。君は好きなだけ使ってくれて構わない」
「……へえ。いくら教わる身だからって、そいつは心外だな」
俺だって仮にもSランク冒険者だ。近頃は称号に負けないくらいになっているという自負もある。評判もある。
ユウさんと出会った頃よりも、数段力も付けたんだぜ? 初めて会ったときと同じつもりでいるんなら、俺の力、認めさせてやるぜ!
「言ったからな。カッコつけて後悔すんじゃねえぞー!」
んー。だけど、それにしてもよ。
不思議な人だ。普通、強ええ奴は、例えばあの剣麗みたいな人なら、立ち会ったときオーラや風格っつうもんが出るもんなんだけど。
でもユウさんにはそれがない。自然体で、隙だらけのように見えて。実は隙が見つからないっていうか。
しかもまるで強さを感じさせない。だから初めて会ったとき、俺はこの人をただの子供だと思ってしまったんだ。
「いくぜぇっ!」
いつの間にか竦んでしまいそうになっていた自分を奮い立たせるために、気合を入れた。
炎の剣は攻めの剣。俺のスタイルも攻めが基本さ。
勇猛果敢に攻め込もうと剣を振りかぶり、駆け出した。
その一歩を踏む前に、俺にとっての腕試しは、あっけなく終わった。
「うっ……!」
呻き声になり損ねた吐息が、詰まり気味に漏れる。
――寒気が走った。動けなかった。
なんでかって。
ユウさんは気付くと目の前にいて、俺の首筋にぴったり手刀を押し当てていたからだ。
宣言通り。何も強化していない。技を使ってすらいない。なんて人だ。
「こうして意識の隙を突いてしまえば――なんてことはないただの一振りで、君の首は簡単に落ちるだろう」
「…………お、お、う」
唐突に突きつけられた手刀と、ここでやっと既に敗北しているのだと頭が悟って。
こうなってしまっては、そっぽを向いて役立たずの炎剣が泣いている。勝手に挑戦気分でいたってのに、火が消えたみたいに落ち込んじまうよ。
「初動に無駄が多かったね。わざわざ振り上げたりして、カッコつけていたのはどっちだったかな」
「うっ……負け、ました……」
悔しいが、素直に認めるしかない。俺は何もできなかった。ユウさんとの力の差は、まだまだ大きかったってことかー。
でもいいぜ。悔しいけど楽しみだ。頼んで間違いじゃなかった。この人に付いていけば、まだまだ上を目指せるってわけだ。
手刀を離したユウさんは、意気込みを新たにする俺を見て、どういうわけか呆れ気味だった。
「その顔。負けたのはまだまだ自分の力が足りないからだって思ってるだろ」
「もしかして呪い師か? そうそう。やっぱユウさんはつえーなあって」
「違うよ。君に一番足りないのはそこじゃない」
思いもかけず、ばっさり言われてしまったんで驚いた。
あくまで技も何も使ってなかったことを再確認してから、ユウさんはあくまで穏やかに――でも真剣な目で続ける。
「俺も甘さにかけては、あんまり人のことはとやかく言えないんだけど……」
思い当たる節があり過ぎるのか、ユウさんは少しだけ苦笑いした。
「でもこれだけは言えるよ。君の剣は――いや、君たちの剣は輪をかけて甘い」
何が心に触れたのか。このままユウさんの説教タイムが始まりそうな気配だ。でもせっかく俺のためを思って貴重な話が聞けそうだし、ありがたく聞いとくとするか。
「どうしてだと思う? 命を懸けた実戦によって研磨されていないからだ」
「あー。いやでもよ、俺だって冒険してるときとか、やばい魔獣なんかと戦うときは、命賭けてるつもりあるぜ?」
冒険に手を抜いた気は一切ねえ。いつだって俺は真剣に、情熱的に、魂を賭けて挑んできた。そこは否定されたくねえな。
ただユウさんは、それにはしっかり頷いて、でもそこなんだと指摘した。
「そこなんだ。さっきまで君は、ずっと冒険気分だったよね」
「ぐ……」
おっしゃる通りだ。そう言われるとうんと答えるしかないっす。
「冒険気分でいられるというのは素敵なことだけど、そうでしかないのは致命的だ。ほとんど誰も彼もが、どこか浮ついているんだ。せっかく素晴らしい力を持っているのに、見栄えがすることばかりを選ぶ。ろくに使い方がなっていない。もったいないよ」
耳が痛い。
そうだ。俺はただ力を試すことばかりを考えていた。足元を見ていなかったかもな。
それに、その前もか。俺は戦いの前に何をしていた。呑気に魔法剣なんかチャージして、その間ユウさんに注意を向けていたか?
ああ。だからか。だからなのか! やっと頭の悪い俺にも呑み込めたぜ。
力の問題以前だ。負けたのは当然で、必然だった。
こりゃ認識を変えないとダメだな。早速勉強になるぜ。ユウさん。
「ただ少ないけど、例外もいてね。うち一人は、君もよく知っている人だよ」
「え? 誰だ?」
ユウさんは、ふっと小さく笑った。
「シルだよ。あの子は本当の戦いを知っている。今度一緒に冒険するとき、動きをよく観察してごらん。差が付いたと感じているとしたら、たぶんそこにもあると思うよ」
「むうう。なるほどなあ。そうかー」
確かに近頃、彼女の動きは洗練されているかもな。あれはそういうことだったのか。
でもずっと俺と一緒にやってきたはずの彼女が、どうして「本当の戦い」ってやつを知っているのか?
不思議に思ってユウさんに視線を投げかけてみたけど、彼は曖昧な笑みを浮かべるだけだった。
それからユウさんは、いくつかの心構えに関するアドバイスをしてくれた。どれもが俺には目から鱗というか、普段あまり意識していなかったり、見落としていた発想だった。
こんなことがすらすら出て来るユウさんは、ほんと何者なんだろう。改めてただ者じゃないっつうか。育ってきた背景から何か違うんだろうなって気がした。
「……悪いけど、俺は実戦の剣しか使えない。遊びのための剣も冒険のための剣も、俺は知らない」
そして俺の目をしっかり見つめて、こう締めくくった。
「だから俺にできることは、君に戦いの心構えと、少しばかりの技術を教えることだけだ。そこから何を学びどう生かすかは、自分で考えてみて欲しい」
……ユウさん。かっけえ。
「話は終わり。きつい言葉があったかもしれないけど、ごめんね。さあ、修行を始めよう」
「はい! よろしくお願いします!」
今度は茶化しはなかった。自然と背筋が伸びていた。人生の年長者に対する尊敬の気持ちってやつが巻き起こっていた。
「……はは」
「なんすか?」
ユウさんはまた何かを思い出したらしくて、懐かしそうに目を細めて笑った。
「いや、俺も昔、よくこんな修行したなあと。俺にも先生がいてね」
「ユウさんにも師匠がいたのか」
「うん。あのときは甘い動きをするたび、気絶しないギリギリのところで痛い攻撃を何発でも打ち込まれたもんだ」
「何ですかその邪神グフパーみたいなアレは」
聞き捨てならないことを聞いてしまった。ユウさんの強さのルーツに迫る何かっぽいが。
いやまさか、それやるつもりじゃ……?
「はは、邪神か。いや、優しかったよ。優しくて厳しい人だった……」
いやいやそれ、思い出で美化されちゃってないすか? 大丈夫か?
「でもあれはマジで痛かったからなあ。さすがに他の人にはちょっと」
だよな。ユウさん優しいもんな! そんなことは絶対にしないって信じてたぜ!
「そうだな」
そこでユウさんは、ものの一瞬でキケンを創り出した。その話を聞いたばかりなのでさすがにびびるが、すぐに自然と彼の剣へと視線が吸い込まれていた。
どんな魔力で作られているのかは知らない。魔力ですらないのかもしれない。
見惚れるほど、鮮やかな白だった。
そいつを俺に向けて、ユウさんは実に楽しそうな顔で言ったのだった。
「これから甘い動きをするたびに、ぴったりのところで寸止めしてあげるよ。安心してかかってこい」
それも十分怖いっすよ! ユウさん!
***
しばらく後。
「最近あんた調子良いわよね。あれも一撃で倒しちゃうし」
「へへ。そうか? いやあ、やっぱ相棒のお前には負けたくないと思ってさ」
「うん。すごいよ。一段と強くなった気がするもの。私も負けてられないなあ」
「お互い励んでいこうぜ」
「そうね。……で、何かこそこそ隠れてやってるみたいだけど。何やってたの?」
「あー……バレてたか。実は、ユウさんとこで剣の修行を付けてもらっててさ」
「へえ、そうだったの! あいつのとこでねえ。黙ってるなんて水臭いじゃないの!」
「はは、わりい。ちょっとでも驚かせたくてさ」
「驚いた驚いた。だって見違えたわよ。一体どんな修行付けてもらったの?」
「やばいっす」
「え、どうしたの。何がどうやばいの? 教えてよ」
「やばいっす」
「えー。教えてよー」
「ユウさん。ぱねえっす」
ランドは嬉しさと辛さと厳しさと切なさと、諸々を噛み締めて、静かに涙を流した。
色々と受け継がれるものもあったというお話。