フェバル~TS能力者ユウの異世界放浪記〜   作:レストB

319 / 537
124「世界の穴に潜むもの 2」

 ハルはそわそわしながら、俺が触れるのを今か今かと待っている。

 やりにくいけど、いつまでもこうしているにもいかないし……。

 覚悟を決めて、彼女の頭に触れた。

 諸々の甘酸っぱい感情――受け取るこっちが恥ずかしくていられなくなりそうなほどの好意とか、俺が簡単には受け入れられないことは知っていて、それに対する寂しい気持ちとか――がまず飛び込んできて、こちらの心をダイレクトに揺さぶってくる。

 ハルの心は、予想通り、人と比べると相当入り込みやすいくらいなのに。別の意味で苦しかった。

 ……ごめんな。本当に。

 やがて、本題の――彼女が俺に伝えたい夢の記憶に辿り着く。心の力は、彼女の見た光景をありありと俺の心にも映し出した。

 

 薄暗く乾いた空間が果てしなく続いている。俺がラナソールからトレヴァークへ来るとき、よく見る光景そのものだ。

 しかし何もなかった景色の端に、白い光が現れた。いや、光ではない。物体だ。建物だ。

 レオンの操る視覚探知魔法は、彼自身のコントロールよりも強い、世界の穴から続く流れに沿って、流され続けている。幸運にも、光を放つ建物へ近づく方向にモニターは進んでいく。

 白い輝きを放つそれは、徐々に全体の姿を露わにしていった。

 どうやら、巨大なドームのようだった。優に町一つ分は入るかもしれないほどに大きい。

 そして、随分不思議な見た目をしていた。一切の突起のないつるりとした形状で、入口らしいものも見当たらない。たまごの殻の一部だけを切り取ったようなものだ。

 これが何なのかは、さっぱりわからないけど。

 大発見だ。まさか二つの世界の狭間、何もないと思っていた場所に、こんな巨大な建造物があったなんて。

 残念ながら、ある程度接近したところで、流れはまたドームから遠ざかる方へと進んでいく。

 これで終わりかと思ったが。そうではなかった。

 

 そのとき、薄闇の中から、突然、何かが飛び出してきた。

 

 黒い、炎のような――形や大きさは、人に似ている。しかし表面は常に揺らいでいて、その形状を確定させることはない。

 実体なのか、そうでないのかもわからない。

 一言で言うなら――

 

 ――化け物。

 

 闇の炎の化け物。そうとしか形容しようがなかった。

 それはしばらく宙に揺蕩っていたが……そのうち、モニターの存在に気付いた。

 するとどうだろう。炎の勢いが強くなり、それはたちまち形状を変えた。

 中から、質量を伴った、薄黒い手足のようなものが生えてくる。人の生の手足のようにも見えて……もしかして、本当にそうではないのか。

 生え揃った四つの手足は、形も大きさも見事にバラバラだった。右足は男性らしい筋肉の張りで、遠目でもわかる濃いすね毛に覆っている。対して、左足は女性のように細く滑らかだ。そして、右腕はしわがれた老人の、左腕は子供のそれだった。

 不気味だった。こんな気味の悪い生物が……そもそも生物かさえもわからないけど、こんなものがいていいのだろうか。

 さらに続いて、炎の上部、生えた手足を手足とみなすなら顔の位置に、二つの赤い点が現れる。目のような役割を果たしているのか、それはモニターを捉えた。

 肉感と闇の炎の入り混じった化け物は、もはや宙に浮いてはいなかった。不揃いの手足を四つん這いにして、明らかにモニターをターゲットに据えている。

 そしてそれは、バタバタと手足を駆動させ、こちらへ向かって恐ろしい速さで這い寄り始めた!

 ただ映像を見ているだけというのに、びびった。寒気がした。

『このときはとっても怖かったんだよ』と、ハルの心の声が聞こえてくる。

 完全に同意だ。これは怖い。

 流されるモニターを追って迫り来る。向こうの方が速い。生えてきた手足への配慮など微塵もない酷使は、とても這い寄りとは思えないほどの気持ち悪い速度を実現していた。

 ついに捕まった。魔法のモニターなので枠はないが、魔力で構築された構成の源を、食いつくように覗き込んでくる。

 人間のものですらない、感情の見えない目と相対したとき。俺は目を背けたい気分になった。

 ウィルに初めて見つめられたときとよく似ている。人が持つ生来的な恐怖というものが、呼び起こされたようだ。

 それは赤い二つの点でもってモニターを凝視して、しばらく動かなかった。

 俺にはまるで、品定めをしているように思えた。

 もしモニターではなく、人であったなら、死ぬまで襲われていたかもしれない。そう思わせるだけ、モニターを至近で覆うこいつの圧迫感と迫力、何より不気味さは度を抜いていた。

 

『ギ……ギ……』

 

 ただのノイズとも声とも取れないような音が、聞こえてくる。 

 やがて人ではないと判断したのか。興味を失ったように、それは赤い点を背けた。

 今度は、白いドームへ向かって四つん這いで駆け出していく。

 ドーム型の縁へ辿り着いたとき、それは四つの手足を使い、壁に張り付いた。

 もしかして、入ろうとしているのだろうか。

 しかし、建物がそれを受け入れることはなかった。

 すると闇の炎の化け物は、モニターに対するとは明らかに一線を画する態度を見せた。

 耳をつんざく、金切り声のような、まともな言葉にならない咆哮を上げたのだ。

 怒っているようにも見えた。嘆いているようにも見えた。

 そして、ドームの外壁を執拗に叩き始める。二度三度どころの話ではない。繰り返し繰り返し。壊さんと執念を燃やすばかりに。

 無理を重ね続ける手足は限界を迎え、赤黒い血が滴っている。ドームには一向にダメージが入っているようには見えなかった。血でさえも垂れるなり、白の光はそれを蒸発させて、消し去ってしまう。

 化け物の手足が壊れるのが、どれほど先かという展開になるかと思われたが。

 終わりは、突然だった。

 ドームの内側から、光が飛び出した。それは化け物の胴体を貫いて、闇の向こうへと跳んでいった。

 あれは……よく見た光だ。ラナソールの、そしてユイが使うものと同じ――光魔法の黄色い光だ!

 闇の炎の中心に、穴が開いた。

 

『クカカ、カカ……カ……!』

 

 化け物は、悲鳴のような声を上げて、白いドームから転がり落ちていった。そのまま、薄暗闇に溶けて、消えていく。

 続きを見ることはなかった。

 

 なぜなら――

 

 次の瞬間、薄暗い世界は終わり、視界が開けていた。

 

 そこはもう、元の世界のようだった。穴の向こう側、つまりトレヴァークに着いたわけだ。

 

 そして魔法は……どういうわけか、消えていなかった。コントロールこそ失ったが、しばらくはそこにあり続け、景色を映していた。

 遥か向こうには、巨大なクレーター――爆心地が覗いている。

 

 そこで、彼女の記憶は終わった。

 

 目を開けると、もう鼻の頭同士が触れそうなところに、ハルの顔があった。念じることに集中するあまり、近付いていることに気付かなかったらしい。

 イメージするのが大変だったのか、怖い映像でもあったからなのか、彼女の額にはうっすらと汗が滲んでいる。

 ほとんど同時に、ハルも目を開けた。彼女としても、思ったより近くに顔があったみたいで、あっと口を開けて、また顔を赤らめて、おずおずとほんの少しだけ身を引いた。

 

「…………」

「…………どう、だった?」

「……うん。すごかった」

「だよね! ボクこれ見たとき、興奮してしまってね!」

 

 あまりだったから、看護師さんに怒られちゃったんだと、照れ笑いするハル。

 でも、そうなるのも仕方がないくらいのことだ。むしろ謎は増えてしまったような気がするけれど、それでもこの記憶が含む情報は多い。

 

「中々示唆に富む記憶だったな」

「そう思うよね。ボクも色々と考えさせられたよ。ちょっとした仮説も立ててみたのだけど……」

 

 そこで彼女は、わざとらしい咳払いをして、

 

「ユウくん。キミの見解を聞こう」

 

 いつもの調子と言葉で、意見を促してきた。

 ハルは、空想や考え事が好きな人間だ。病床ではそればかりが楽しみだったということもあるけど、そこを抜きにしても、元々好きなんだろう。

 とりわけ、俺と二人で世界に関する考察を進めていくのが、彼女にとってはよほど大切で、楽しい時間のようだった。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。