私は奴のいる位置に魔法の狙いを定めた。
少し距離が遠い。大規模な魔法では、途中で気付かれて避けられてしまうだろう。
ここは、ほどほどでも確実にダメージを狙おう。
風の魔弾。
《ファルバレット》
いくつもの小さな空気の弾丸が生成される。それらは私のすぐ傍らに浮かんで奴の居場所を正確にターゲットしながら、私の命令を待っていた。
行け。
複数の弾は、同時に目覚ましい速さで動き出し、建物の隙間をすり抜けながら奴に迫っていく。
こいつは威力こそ中くらいだが、スピードはトップクラスの魔法だ。
本物のピストルほどの速度はないから、簡単に人体を貫通したりはしないけど、当たれば肉は抉る。場所によっては深刻なダメージを与えることができるはずだ。
まもなく、狙い通り魔法が命中したらしい。奴がぶち切れながら大声を上げた。
「くそがあーーっ! どこだ!? どこにいやがるっ!?」
声を聞く感じだと、残念ながらさほど傷は負わせられなかったようだ。何らかの加速魔法を使っているだけあって、さすがに攻撃に対する反応が早いな。
「出てきやがれーーー!」
奴は血眼になって私を探し始めた。
もちろん誰が素直に出て行くもんか。位置は悟らせない。
このままアドバンテージを保って、遠距離攻撃で削っていってやる。
男に変身して、居場所を悟られないように移動しながら奴の位置を確認。女になって魔法で攻撃。
また男になって――というサイクルを繰り返していく。
だが、最初の不意打ちこそ効果的だったものの、死角からの攻撃へ警戒を強めた奴に対して、中々決定打は生まれなかった。
私は次第に焦りを感じ始めていた。
ダメだ。小規模の魔法をこつこつ当てていったんじゃ、奴の魔法抵抗力もあって倒し切れない。
魔力ももう残り少なくなってきた。このままではいずれ魔法が使えなくなってしまう。そうなれば、この戦法は破綻してしまう。
どうにかして近づいて、気剣を叩き込むことができたら。
そう思った。
イネア先生に教えてもらったあの技を当てられれば。きっと倒せるはずだ。
イネア先生のさらに師匠に当たる、ジルフ・アーライズなる人物が元々使っていたという技。
彼のオリジナルは遥かに凄いものだったと聞いた。けどそれは、フェバルの固有能力を持った彼にしかできない御業だった。
だから先生が彼の元の技を参考に、俺にも使える通常の気剣技として完成させたんだ。
色々と細かな難しい点はあるのだが、原理は簡単。
気剣に思い切り気を集中させて、斬るだけ。
たったそれだけのシンプルな技だ。
だが単純ゆえに欠点もなく、力強い。
気剣術の奥義にして、男女を含めて俺が持つ最強の威力の技だった。
機を窺いながら攻撃を続けていると、ついに業を煮やしたのか。
奴はとんでもないことを叫び出した。
「ちくしょう! ちまちま攻撃しやがって! 出てこいっ! 出て来ねえと、てめえが見つかるまでこの辺全部ぶっ壊してやるぞ! 皆殺しだぁーー!」
一瞬ではらわたが煮えくり返りそうになる。
また関係ない人を巻き込むつもりか! お前はどこまでクズなんだ!
許されるなら、すぐにでも出て行きたい。奴の横暴を止め、怒りの言葉を叩きつけてやりたい。
それでも自らの衝動を、必死に抑えていた。
今ここで出て行けば、奴の思うつぼだ。
どうせ奴は、俺が出て行っても行かなくても、これまで散々破壊行為を続けてきた。
そういう奴なんだ。
まだ離れて隙を窺っていた方が、奴を倒せる可能性は高い。
落ち着け。冷静になれ。
理性が己を辛うじて諭そうとしていた、そのとき。
爆発が。
一つ、二つと巻き起こる。
近くの民家が、いともあっけなく吹っ飛んでしまった。
悲鳴が聞こえてくる。
あいつ……! 本当にやりやがった!
頭に血が上った俺は、歯を食いしばり、拳を固く握り締めていた。
――行くな。行っちゃダメだ!
なんとかギリギリのところで堪え、攻撃しても居場所がばれない位置まで移動しようとする。
そんな俺に見せつけるように、奴は次々と大爆発を起こした。辺りの民家を片っぱしから破壊していく。
俺は身を引き裂かれそうな思いで、悲惨な光景を目に焼き付けた。
やめろ……やめろよ! 中には、人がいるんだぞ!
直接自分たちが狙われていることに気付いた人々が、我先にと家を飛び出し、大慌てで逃げ始めた。
奴は自ら生み出した情景を楽しそうな声で笑い飛ばしながら、赤子の手を捻るように簡単に人々を爆殺していく。
街は燃え盛り、いたるところ死の匂いが立ち込めていた。
殺された者の死を嘆く余裕すらなく、人々は奴からただひたすら逃げることしかできない。
わなわなと、怒りで身が震える。
今すぐにでも、奴に思い切り魔法をぶち込んでやりたい!
でも、それはできない。今までの我慢が無駄になる。
家が壊されて、視界が開けてしまった。まだ移動しなければ、奴に居場所がばれてしまう。
攻撃を焦るな。焦っちゃダメだ……!
やっと攻撃可能な地点まで辿り着いて女に変身した私は、すかさず魔法を打つ態勢に入ろうとする。
だがそこで――とんでもないものを見てしまった。
ちらりと、見覚えのある子供の姿が視界の端に映ったんだ。
あの子は、まさか。いや、間違いない。
祭りの初日にファルモを取ってあげた、小さな男の子だった。
一人だけ完全に逃げ遅れて、泣いていた。
ああ。そんなものを見てしまったら。
突如として、胸中に抑えの効かない感情が込み上げてきた。
「はははははは!」
高笑いする奴の声が聞こえ、魔法を振るう直前の魔力の高まりを感じたとき――ついに感情が理性を凌駕してしまった。
気付けば、私は奴の目の前に飛び出していた。
考えなんてなかった。居ても立ってもいられなかった。
自分でも馬鹿だと思う。身体が勝手に動いてしまったんだ。
「やめろ! もうやめるんだ!」
奴は私の姿を認めると、嘲けるような嗤いを浮かべた。
「くっくっく。馬鹿だぜ! 本当に出てくるとはなあ! あのまま遠くで攻撃するか、さっさと逃げりゃ良かったのによぉ!」
姿を見せたことで、あの子を含めた人々への攻撃がとりあえず止まった。
そのことが、私の頭を幾分冷やしてくれた。
「見てられなかったんだ。散々好き勝手しやがって!」
「はっ! とんだ甘ちゃんだな! その甘さが――命取りになるわけだ」
これ以上ないくらいの怒りをもって、奴を睨みつけた。
「私はお前を許さない」
それを聞いた奴は、まるで面白い冗談でも聞いたと言いたげに爆笑し始めた。
何が可笑しい。
「許さないだぁ!? はっははははは! 傑作だな、おい!」
そして奴は、突然嗤うのを止めると、ドスの利いた声で脅すように言った。
「このオレが、てめえのようなガキに許される必要がどこにある?」
「必要かどうかなんて関係ない。ただ、許さないと言ってるだけだ!」
「そういうのはなあ、力のあるヤツが言わねえと滑稽でしかねえんだよ。力のないヤツァ、ただ蹂躙されるしかねえ。それが、この世の真理だろうが」
「滑稽だろうが、真理だろうが。私はお前のことなんて認めない」
男に変身する。奴の爆発魔法が来たとき、避けられるように。
俺の変身をまじまじと見た奴は、いらついた様子で言った。
「ころころ姿を変えやがって。おかしなヤツだぜ。なにもんだよ、てめえは!」
「何者かなんて、自分でも知るかよ」
己の運命にだって、まだまだ納得できていないくらいだ。
「はっ! そうかよ! じゃあ、そのまま死ねや!」
俺と奴は、互いに睨み合ったまま対峙する。ピリピリと空気が張り詰めるのを感じた。
奴の前に出てしまったことで、形勢は一気に厳しくなった。
それでも絶対にこいつには負けるわけにいかない。勝ってみんなを守るんだ。
短期決戦しかないだろう。長引けば、それだけ奴に有利だ。こっちはもう魔力も少ないし、気力の消費も激しい。
どちらかが切れたとき、俺の命運は尽きる。
攻撃を読むんだ。奴の一挙一動を見逃すな。
周りの空気が、わずかに熱を帯びる。
爆発が来る。
横へステップすると、やはり俺のいた場所に大爆発が起こった。
爆風の直撃を避けながら、瞬時に女になって、魔力消費の少ない風魔法を放つ。
《ラファルス》
「おせーよ!」
六本の風の刀身は、すべて奴の身体すれすれでかわされてしまう。
当てられはしなかったが、しかしただでは転ばなかった。
奴はこれまでも何らかの加速魔法を使っていた。その正体がわからなかったけど、今の攻撃で推測がついたのだ。
アーガスの重力魔法と魔力の雰囲気が似ているのを、しっかりと確認した。
きっと時空魔法だ。奴はおそらく時空間を直接弄ることによって、実質的に加速の効果を得ているに違いない。
再び男に変身して、白く輝く気剣を生み出す。
そして果敢に斬りかかりにいった。
「おっと! させねぇよ!」
奴を中心に、防御するように爆風が巻き起こる。
くっ! あんなものを食らえば、一たまりもない。
俺は慌てて飛び退くしかなかった。
攻撃の爆発魔法に、移動・回避の時空魔法。そして、防御の爆風魔法。
どうやら奴が使うのはこのたった三つだけのようだが、そのどれもが強力で非常に厄介だった。
おそらく奴は、この三つの魔法を徹底的に磨き上げた爆殺のエキスパートなのだろう。
爆発で常に狙われ、魔法を撃てば避けられ、接近して気剣で斬ろうとすれば爆風を起こされてしまう。
付け入る隙がない。俺には奴を倒す手段が見つからなかった。
短期決戦の望みとは裏腹に、状況は次第に膠着していく。
「はっはあ! 疲れが見えるぜ。くたばるときが、近づいてきたようだなぁ!」
どうにか直接爆発には当たらずに済んでいるものの、完全にかわしきれなくなってきた。爆風に揺られてよろめくことも増えてきている。
精神力も体力も、もう限界に近い。
それでも諦めずに、勝機を見出そうとしていた。
奴が爆発魔法を使った直後だけは、一瞬の隙ができる。そこさえ突ければ。奴が爆風を展開する前に接近できれば。
だけど、どうやってあの爆発魔法に対処すればいい? 攻撃を避けながら突っ込むなんて真似ができないように、奴は巧みにそれを操っている。
ここまで俺は、爆発に対し、奴の正面方向から後ろに下がるか、横に逃げることしかできなかった。もし前へ進めば魔法が直撃するような、絶妙な位置で爆発を起こしてくるからだ。
俺は奴の攻撃をかわしながら、必死に考え続けた。
どうする。どうすればいい。どうすれば、あのとてつもない威力の爆発魔法を――。
――とてつもない、威力?
そのとき、俺に電流が走るような閃きが起こった。
そうか。
発生が早く、連発可能で、威力も凄まじいあの魔法にも、重大な欠点があることに気付いた。
爆発魔法は、威力があり過ぎるんだ。
近過ぎれば――奴自身をも巻き込んでしまうほどに。
その証拠に、奴はこれまで自分のごく近くでは爆風魔法だけを使い、爆発魔法の方は一切使わなかったじゃないか。
それは、単に使わなかったんじゃない。使えなかったんだ!
ならば。一発でも爆発を潜り抜け、奴に近づくことさえできれば。そうすれば、何度も爆発魔法を連発されることはない。
使用魔法の切り替えには、少し時間がかかる。直線距離で近づけば、奴には爆風魔法を使う時間の猶予もない。
これしかない。
俺は命を賭ける覚悟を決めた。
早速女になると、《ファルスピード》をかけ、奴がギリギリ爆発魔法を使いそうな射程に位置取る。
奴が爆発魔法を準備し、もう撃つというところで。
私はあえて逃げることなく、まっすぐ奴に向かって突撃した。
すぐ前方で、大爆発が起こる。
当然、直撃コースだ。男なら間違いなく、ここで命を落とすだろう。
でも、たった一発。それだけなら、私の残った魔力をすべてつぎ込めばなんとかなるかもしれない。
いや、なんとかしてみせる!
守護の風。私を包め!
《ファルアーラ》
炎熱から身を守る風のベールが、全身を力強く包み込む。
直後、凄まじい熱波が身を襲った。
視界が炎に包まれる。
身体中が焼けるように熱い。実際、焼けているんだ。
だが通常なら、五体を跡形もなく消し飛ばすほどの強烈な爆風そのものは、身を包む風が弾き、どうにか守り切っていた。
やがて爆発が収まり、視界が開ける。
その身を焦がしながらもなんとか魔法を耐え切った私は今、奴の目前に抜け出していた。
まさか爆発に正面から飛び込み、生き残ると思ってはいなかったのだろう。
奴は、驚きに顔を歪ませていた。
「なにいっ!?」
「これで――」
男に変身しつつ、奴の懐に入り込む。
気剣が当たる至近距離まで、ようやく到達した。
「――俺の距離だ!」
俺は左手に気剣を創り出すと、それに最大限の気力を込めた。白い刀身はさらに強い光を放ち、眩いばかりの青白い輝きに包まれる。
《センクレイズ》!
高度に気を密集した強力無比な一撃は、奴の兵装など容易く貫き、右肩にがっちりと食い込んだ。
そのまま鎖骨を断ち、胸を裂いて、左腰まで斜め掛けに一息で振り下ろしていく。
最後まで斬り抜いた俺は、奴の身体を抜き去って、後方へと走り抜けた。
「う、うぐ……!」
振り向くと、傷口を押さえて辛そうに呻く奴の姿が映った。
俺は奴に向かって言ってやった。
「その傷じゃもう戦えないはずだ。出血多量で危なくなる前に、大人しく降参しろよ」
すると奴は急に黙り込んだ。
いったい、何を考えているのだろうか。
訝しんでいたそのとき、奴は突如行動を起こしたのだった。
「オラァ!」
なっ! 爆発!
不意打ちだった。
咄嗟にかわそうとしたが、気力すらほとんど失っていた俺は、完全には避け切れなかった。爆風にもろに煽られ、近くの家の壁に頭から叩きつけられてしまう。
「う……」
気付けば、地面に倒れていた。
すぐに起き上がろうとしたが、ダメだ。身体が言うことを聞かない。
脳震盪にでもなってしまったのか。立ち上がることが、できない!
一方で奴は、今にも倒れそうなほどふらふらになりながらも、しかし倒れることなく二の足で大地を踏みしめていた。
奴は、無様に倒れている俺に歩を詰めながら言った。
それは軽蔑するような口調でも、いらついたヤクザのような口調でもなく。
真に敵と認めた者に対する、真剣な言葉だった。
「てめえは……やっぱり甘ちゃんだな。うっ……確かに、効いたぜ。認めてやる。力は、あるようだ。だが、これじゃ死なねえよ。このくらいの傷なら、焼いて塞げる」
なんて、ことだ……。
奴は真剣な顔で、だが勝ち誇った調子で続ける。
「いいか、小僧。戦いってのはなあ、止めを刺さないと終わらねえんだよ。てめえはオレを殺すまいと、無意識に手加減しやがった」
「っ……!」
「そのせいで、見ろ! 勝てたはずなのに、オレが立ち、てめえはその体たらくだ! 言ったよなあ? その甘さが、命取りだってよぉ!」
奴の言う通りだった。
俺が、甘かったせいだ……!
きっちり倒しきらなかったから。
……お前の言う通りだ。きっと俺は、こんな奴でもどこかで殺したくなかったんだ。
だから、確実に仕留められるはずの攻撃が、少し甘く入ってしまった。
そして、こんな事態を招いてしまったんだ……!
「じゃあな! やっと、殺せるぜ!」
俺は後悔を噛み締めながら、死を覚悟して目を瞑った。
ごめん、アリス。
生きて帰るって約束、守れなかった。
ところが――。
俺に止めを刺す一撃は、いつまで経っても来なかった。
恐る恐る、目を開けてみると――。
驚愕に包まれた奴の顔が、そこにあった。
「てめえは……! なぜ、てめえがここにいる! クラム・セレンバーグッ!」