ハルとバイクで移動するのは、これが二回目だ。彼女の中ではまたデート扱いなんだろうか。
いやまあ、紛れもなくデートだよねこれ。
前回はフライトモードを使わなかったので、本気の本気を出したこいつを、今こそ堪能してもらっている。
「わあ! このエンストバイク、空飛ぶんだね! まるでラナソールみたいだ! すごいね!」
「エンストバイクって言うのはやめてくれよ……」
「あはは!」
ともかく、俺の背中にしがみついて、子供のようなはしゃぎっぷりなので、連れてきてよかったなと思う。
映像記憶の終わった場所を探すことについては、爆心地が映っていたことが大きな手掛かりになる。そこまでのおおよその距離や方角は完全記憶能力を使えば割り出せるので、あとは根気の問題だった。
もちろん解析は、ユイにお願いするわけなんだけど……。姉はすっかり弄りモードだった。
『へえ。ちょっと触れ合ったら、また随分距離が近づいたんじゃない?』
『そうかな。まあ、そうだよね……』
何も知らず、はたから今の様子を見ると、ユイと同じような関係――仲の良過ぎる兄妹――か、あるいは本物の恋人同士のように見えてしまうかもしれない。好意いっぱいのハルと、そんな彼女を振り切れない俺が作り出してしまった、友達以上恋人未満な微妙な関係だ。
『リルナさんが見たらどう思うだろうね』
『返す言葉もありません』
何度でも思う。もうこの際見てもらって、堂々と話し合いたい。俺が遠い地で好意を寄せられていることを知らないリルナにも申し訳ないし、彼女と会えないせいで宣戦布告もできず、一歩引くしかないハルにも申し訳ないじゃないか。もちろんミティもそうだ。
恋愛したことはもちろん別れも覚悟の上で、そのことは後悔してないけど。
予想以上に、思ってもみない形で後を引いてしまったな。
俺、こんなに言い寄られることになるなんて思わなかったよ……。
一度
前から思ってたけど、この能力、好きと嫌いに敏感過ぎる。特に好きな場合は結合度も高くて――まともに隠し事もできやしない。
そして、結合度100%の相手からは、ちょっぴりとげとげしいものを感じていた。
『もしかして、君も妬いてる?』
『うん。ちょっとだけ』
素直に認めた姉ちゃんも、一人の女性として分かれた影響なのか、俺に対する好意で張り合うことが増えたような気がする。
こっちの方は、あくまで仲の良過ぎる弟に対して向けるそれで、さすがに禁断の恋人どうこうとか、そっちの方の意識はないみたいだけど。
しかしどうなんだろう。ユイとはこの世界に来る前、しょっちゅう「くっついて」……ある意味、恋人同士が繋がる行為よりも深く、全身が繋がって満たされていたから、わざわざそんなことをしようなんて気になったこともなかったけど。
もう二年近く「くっついて」ないもんな。毎日のように意識や感覚を共有し、女の身体を使わせてもらっていた日々からすると、やっぱり寂しいのかもしれない。
『戻ったら埋め合わせをするよ』
『い、いいよ。別に大丈夫だから。困らせたいとか、そんなことはないから。ね』
『俺がしたいんだ。させてくれないか』
『そっか。じゃあありがたく受け取っておこうかな』
姉の気分が上向いたのを感じて、二人の好意を一身に浴びながら、バイクは空を進んでいく。
広い世界から特定の町でもない一か所を探索するわけなので、すんなりとはいかない。元々覚悟の上で、数日は外泊許可を取っている。俺はハルの親類でも何でもないが、足しげく通っていた実績が認められた形だ。
おそらく、彼女にとっては現実における最大の冒険となることだろう。冒険と言っても、ラナソールのように魔獣がいるわけではないけど。
ただ、長時間の移動となるので、思いも寄らぬ問題が発生してしまって。
本当は思いも寄るべきだったし、ちゃんと対応策も考えておくべきだったんだけど……俺もハルも、どこか浮ついていて、すっかりそのことへの意識が抜け落ちていた。
「あの……ユウくん……」
体勢の安定を取るため、俺のお腹に手を回して、背中からぴったりくっついていたハルは、もじもじと切り出した。
「とっても……言いにくいんだけど……その、ね……」
「どうした?」
「アレが……近くなって、きちゃって……」
はっきりと言葉には出さないが、乱れた鼓動と心の声が盛大なるアラートを発している。なのでもう内容は察せた。
滅茶苦茶焦った。
そうだよ! お花摘みのこと何にも考えてなかった!
俺は普段、したくなったらその辺で適当に済ませればいい。身もふたもない言い方をすれば、野○ソにも慣れているし、アレペーパーも『心の世界』にあるので衛生的だ。
それでも気分的に、できれば女の身体ではしたくないので、俺が毎回済ませていた。
慣れてる俺でさえそうなのに、彼女はどうだ。
そもそも、整った水洗環境で座ってすることができなければ、一人ですることもできない。このままでは最悪、※自然の営み になってしまう!
まずい! それだけは!
「ど、どうしよう!? どうしたらいいかな!?」
「ボク……ボク、ねえ……ユウくん……」
何やってるんだ。ハルに聞いたって、一番困っているのは彼女じゃないか!
消え入りそうな声で、ただ俺に縋りついていた。
夢想の世界の英雄も、こちらでは無力な少女だ。思わぬところで思い知る。
俺が何とかしないと!
「とにかく近くに下りよう!」
「う、うん……」
可及的速やかにバイクを下降させ、その辺の森に停める。
降りたところで、周りがロケーション抜群の大自然であることに変わりはない。事態は何も好転していない。
すぐに振り向いて、彼女の顔を見た。
すっかり真っ赤にして、しおらしく、ほとんど泣きそうになっている。
いくら好きな人が相手でも、下の世話までされたくはないだろう。当たり前だ。
「ごめんな。ちゃんと考えておくべきだった」
「ボクこそ、だよ……。浮かれちゃってたね。でも……見られるのがユウくんで、まだよかった、かな」
それでも精一杯、健気に強がってみせるハル。彼女が望んでついてきたからだと、俺を一切責めることなく、覚悟を決めている。
最大限まともな形で済ませるなら、俺が側で抱き抱えるなどして、格好を支えて、終わったら拭いてあげるしかないけど。
彼女はもう、そうすることを考えていて、それでいいと。実際、現実的にはそうするしかないけど。
しかし……なんて恥辱的プレイだろう。人間の尊厳が。
ダメだ。そんなこと。
考えろ。何かないか。何か!
周囲の木々が、ふと目に留まった。
「――大丈夫だ。俺が何とかしてやる!」
迫真の声で告げる。もしかしたら、ここ最近で一番シリアスかもしれなかった。
「え。どうにか、できるのかい?」
「ちょっと行ってくる! あと少しだけ我慢してて!」
《マインドバースト》!
時間がない。俺は手頃な大きさの木を一つ見繕い、そこへ向かって全力で駆け出した。
君に ※自然の営み なんてさせはしない。絶対にだ!
気剣を抜き放ち、気合の雄叫びを上げる。
「うおおおおおおおお!」
《スティールウェイオーバースラッシュ》!
プログラムされた自動攻撃による最速の剣技でもって、その木を一太刀でぶった切った。さらには、想定する形へ器用に加工していく。
職人技もかくやの精度と、我ながら素晴らしい速さで。
ものの一分ほどで、表面つるつる仕上げ、自然の素材を生かした木のおまるが完成した。
返す足、そわそわと俺を見つめている彼女に駆け寄って、抱き上げた。
「ひゃあっ!」
そのまま、お姫様抱っこで即席トイレにエスコート。
降ろすときは丁重に、そっと腰掛けさせる。
「うわ。キミ、これを……ボクのために……?」
頷き、紙と水を添える。
「大丈夫。見ないよ。絶対見ないから! 終わったら教えてね!」
「うん。ありがとう……」
顔を背けて、そそくさと離れた。
慌て過ぎて、自分でももうどんな顔をして言っているのかわからなかった。
しばらくしてお声がかかったので、迎えに来るときも、全力で見ないように上を向いて歩み寄った。
ハルもいくらか余裕が戻ったようで、声も明るい。
「あはは! そんな一生懸命目を逸らさなくてもいいよ」
「でも、見ないって言ったからね」
「頑張るね。ほら。ボクはここだよ~」
トントンと、楽しそうに木のおまるを叩くハル。
その音と、心と気の反応を頼りに、彼女の位置を探り当てる。
手が、ハルの脇に触れた。彼女はふふっと笑った。
「当たりだよ」
……とまあ、とんだ一悶着があったけど。
「ね。相手がユウくんで、本当に助かったよ」
彼女の笑顔と尊厳が守れたから、結果オーライとしようか。
さて、こんなこともあったし、夜は普通にどこか町に寄ってホテルでも良かったのだけど。
「せっかくだし、キミと同じ気分を少しでも味わってみたいな」
ハルが旅らしく野宿を希望したため、そうなった。お手洗いも、あの即席おまるで大丈夫ということらしい。
旅のフルコースをご所望ということだったので、夕食も近場で獣を狩り、食べられる山菜を拾ってのバーベキューとすることにした。食べ物集めを手際よくこなしていく姿に、ハルはいたく感動したようで、終始目を輝かせてくれた。
「やっぱり本当の冒険者は違うね! すごいね!」
「はは。キミ、朝からすごいばっかりだよ」
「ほんとに凄いんだから仕方ないよ。ラナソールのは、なんちゃってお手軽冒険だからね」
ワープクリスタルで補給が簡単にできて、いつでも安全地点へ戻って来られる。あの世界の住民がしたいのは、夢のような楽しい冒険であって、生死をかけた過酷な旅ではないのだ。
……まあそれを言ったら、『心の世界』ストレージで楽をできる分、俺もある意味なんちゃってなんだけどね。
よし。これで十分だろう。
火を起こす。
ユイとミティ、たまにエーナさんが作るのが定番だったから、俺が直々に料理を振舞うのは久しぶりだな。
「あのね。ボクにも手伝わせてくれないかな?」
「もちろんいいけど。君、料理をしたことがあるの?」
ハルは、小ぶりな胸を張った。
「これでも、エトラ・スクールの家庭科は優だったんだよ? まあ、全然プロのキミほどじゃないけどね」
「そっか。助かるよ。じゃあこれの皮むきをお願いしてもいいかな?」
「こほん。任せてくれたまえよ」
彼女はレオンの真似をして、ウインクをしてみせた。
途中で、ラナクリムBGMの鼻歌を鳴らし出したので、よほど気分が良いのが伝わってきた。
やってみるとわかるけど、料理は一人で惰性でやると面倒なイベントでも、凝ってやってみたり、仲の良い人と一緒にやると、楽しいイベントになったりする。
世の中の、どちらかに料理を任せきりな夫婦やカップルは、一度一緒にやってみるといいだろう。案外、より円満な関係のきっかけになるかもしれない。
おいしい夕食も済ませたら、たき火を囲みながら、ゆったりとお喋りをした。
内容は、最近あった面白いこととか、あと昔の旅の話の続きだ。
俺が見た目がユイそのままの女の子をやってたことを語ると、ハルは面白がって耳を傾けてくれた。特に、アリスとミリアが結託しての数々のいたずらの下りは、かなり笑いを誘ったようだ。
「道理でミスコンのとき、ちっとも違和感がなかったわけだね。すっかり女の子って感じだったもん」
「そんなに自然に見えた?」
「見えたよ。最初から女の子として生まれてきたんじゃないかって思ったくらい」
「あはは。それ、昔は結構色んな人に言われたなあ」
幼いとき、両親が健在だったとき。「女の子みたいだね」は、愛でられて言われる台詞の常套句だった。あのときは煩わしかったものだけど、今にして思えば、全てが懐かしい。
「実を言うと、ボクね。キミたちと初めて会ったときから、ちょっと同じ匂いを感じていたんだ」
「それ、ミティも言ってたな。そういうのって、何となくわかるものなのかな?」
「かもしれないね。もしかしたら、運命だったのかも」
「運命、か」
その言葉を聞くと、いつもあまり良い気分がしないのはなぜだろう。フェバルの重い運命を思い起こさせるからだろうか。
ハルは肯定的な意味で、まったくそんなつもりで言ったのではないのはわかっているから、気にすることでもないけど。
「そうだね。素敵な縁だ」
ちょっとだけ、言い直した。
そろそろ寝る時間になった。寝袋を用意する。
「寒いから、一緒の寝袋に入ってもいい、かな?」
彼女なりの、精一杯の勇気だった。そんな彼女の勇気を断ち切ることは、もうできそうにない。
最後の一線だけは守るから。許してくれ。リルナ。
「わかった。いいよ」
「えへへ」
彼女が、甘えた目でこちらを見つめてくる。
本当は自分からこっちへ滑り込みたいのに、それもできないわけだ。なんて不憫な身体だろうか。
俺が招き入れる。彼女の小さな身体が滑り込んだ。
「おお、ぬくぬくだ。あったかいね」
「これが結構病みつきになるんだよな」
寝心地は決して良いとは言えないけれど、身体が包み込まれてフィットする感じが、疲れた身体には何だか安心するのだ。
「ユウくんも、あったかいね」
「ハルも、あったかいよ」
「…………」
「…………」
隣で、目と目が合う。無言で見つめ合う。
彼女の手は、落ち着きがなく俺の手を触れたり、離れたりしている。
たぶん彼女は、何度も身を伸ばしかけて。顔を近づけかけて。繋がりたいと思って。
結局、そうはしなかった。
ハルは、少し切なそうに目を細めた。
わかっている。お互い手は、出さない。
あまり妙な空気になる前に、ハルは目を背けて、空へ目を向けた。俺もならって、空を見上げる。
「うわあ……。星空が綺麗だなあ」
彼女は、素直に感動していた。
都会の病院暮らしだと、あまり見たことがないのだろうか。写真で見るのと生で見るのとでは、全然違うものだよね。
星空は、どこの世界も似ているようで、少しでもよく見れば、世界によって全く異なる姿を見せてくれる。また違う世界に来たのだと、そう実感させてくれるものの一つだった。
ハルが、星の一つを指さした。
「あそこ、ユウくんの故郷かな?」
「さあ。どうかなあ」
太陽は、宇宙で見ればいかほどの輝きだろう。もしかしたら、案外ハルの指したところの近く、あの辺りの星のどこかすぐ側に、地球があるのかもしれない。
あそこは、あっちはどうだろう? としきりに指をさすので、微笑ましい気分になった。
やがて、彼女は一つ大きなあくびをした。
「ふああ……。そろそろボク、眠くなってきちゃったよ」
「普段の十倍は動いただろう。疲れたんじゃないか」
「うん。でも楽しかった。ちょっとだけ、ユウくんの気分が味わえたかな」
「それはよかった。明日もまだまだあるよ」
「楽しみだね」
彼女は目を瞑って、笑う。
「さて、お仕事の時間だ。ボクも頑張るよ」
夢の中こそが、彼女が本領を発揮する場所だ。ハルは眠い目をこすりながら、気合を入れた。
「この世界、一緒に守ろうね」
「ああ。守ろう」
「おやすみなさい。ユウくん」
「おやすみ。ハル」
ハルはすぐに寝付いた。安心しきって、俺に身を預けている。
寝顔は、幸せそうだった。きっと楽しい夢を見ていることだろう。
この子の幸せと未来を守るためにも、俺も頑張らないとな。