邪魔な上着を脱ぎ去り。
向かい合う両雄は、互いにあと一歩のところまで詰め寄った。
体格はほぼ同等。しかし二人の鍛え上げられた姿は、やや対照的である。
剣を主とするジルフは、個々の部分を見れば、実に逞しい筋肉の鎧に身を包みながら。
五体の鍛え方、そのバランスの均整さゆえに、総体としては引き締まった印象である。
対して、拳を主とするヴィッターヴァイツは、力を誇示する彼の性格が体躯にもよく現れていた。
多少の身軽さを犠牲としても、全身にはち切れんばかりの圧倒的な筋肉とオーラを漲らせている。
単純な筋肉量で言えば、ヴィッターヴァイツにやや軍配が上がるか。
だがそのような外見の筋肉量、質量といった肉体的差異は。
常人であれば、ほんの数キログラムの違いでさえ決定的な差となるが。
超越者同士での戦いにおいては、勝敗に影響するファクターとはまったくなり得ない。
彼らにとって鍛え上げた肉体とは、彼ら自身の強いと信ずる形の実現以上の意味は持たない。
能力の使えない現状、彼ら超越者の力の強さとは――身に纏う無形の「力そのもの」の強さなのだ。
先に動いたのは、ヴィッターヴァイツだった。
「フンッ!」
力を溜めた拳を、目にも留まらぬ速さでぶち込む。
ジルフはしかと動きを捉えていたが。
力の程を確かめようと、あえて避けることはしなかった。
直後、大砲の弾けたような轟音が――本来拳が生み出すはずのない轟音が――炸裂した。
音の凄まじさに反して、結果は静かな立ち上がりだった。
拳は、ぴたりと止まっていた。
正面切って打ち込んだ、鬼神のごときボディーブローを。
腹筋一枚で、ジルフも正面から受け止めてみせたのだ。
ヴィッターヴァイツは驚きこそしなかったものの、感心から眉根を寄せた。
古今東西星方、敵対したほとんどあらゆる者の腹部を一撃の下にぶち抜いて。
即死に等しい風穴をこじ開けてきた彼の拳である。
ただ乱暴に振るうだけで必殺の兵器と化していたそれも、この男にはただの拳以上の意味は持ち得ないようだった。
ならばと、ヴィッターヴァイツは拳の触れた部分から気功による内部破壊の機を探るが。
さすがに気の扱いを極めた者か、易々と技をかけることもできない。
意趣返しとばかり、今度はジルフが力を溜めた。
「はあっ!」
渾身の右ストレートが、やはり爆音を伴って眼前の敵にぶち込まれる。
ヴィッターヴァイツも、あえて避けはしなかった。
膨れ上がった腹筋と猛々しい《剛体術》のオーラが、しかと彼の拳を受け止める。
「……くっくっくっく」
「……はっはっはっは」
どちらともなく、乾いた笑いを上げていた。
お互い、自信の一撃を止められた。長らく経験のないことだった。
戦いを愉しめる事実も、戦闘者として抑え切れない歓びも。また久しいことだった。
だがジルフにとっては、許せない敵であることに変わりはない。
ヴィッターヴァイツもまた、彼の怒りをよく認識している。
不意にぴたりと笑いが止む。両者眼つきが変わった。
再度気合の一声で、今度は同時に拳を放つ。
凄まじいラッシュが始まった。
ヴィッターヴァイツの拳がジルフの肩を叩けば、ジルフの拳もヴィッターヴァイツの肩を穿つ。
ヴィッターヴァイツがジルフの頬を殴れば、ジルフもヴィッターヴァイツの頬を殴り返す。
殴る。殴る。殴る。
光速のターン制かと見紛うほどの、凄絶な拳の応酬が繰り広げられていく。
両雄、一歩も引かず。ノーガード。
その場に立ち止まっての、意地と意地の殴り合いである。
天変地異が生じていた。
クリスタルドラゴンが住まう山々は、二人のぶつかる拳が生み出す衝撃波の乱気流によって、恐ろしい速さで削り取られていく。
凄まじい暴力の余波がすべてを更地に変えてしまうのに、ものの数分もかからなかった。
互い、攻撃に全力を傾けているために、ダメージもまた凄まじいものがあった。
既に幾万を超える拳の打ち込みによって。皮膚は変色し、所々が裂け、赤黒い血の痣が浮かび上がっている。
延々と続くかと思われた打撃戦であるが。
あるタイミングで拳と拳がぶつかり、流れで組み合った。
「ぬおおおおおおおおおおおっ!」
「かあああああああああああっ!」
殴り合いから、押し合いへ。
双方、我こそが膂力に勝るべしと。
全身あらゆる血管の筋が浮き上がるほどに力を込めて、相手を潰しにかかる。
引き合いや逸らし等の駆け引きなど、考えもしない。
小賢しきはすなわち敗北を認めたも同然。言葉はなくとも、両者の共通認識だった。
そしてついに、地面の方が耐え切れなかった。
既に更地と化していた周辺領域に、容赦なく追撃が加えられ。
二人を中心として、『爆心地』にも似た巨大なクレーター模様が出来上がっていく。
互いの足場が崩れたことで、力比べは決着を見ないまま、強制的に終わりを迎えた。
宙に浮いた二人は一度、新たに生じたクレーターの底に降り立って。気合とともにオーラを再び漲らせた。
力の高まりを見合ってから、猛然と駆け出す。
クレーターの最深部。中央で再度、両雄は激突した。
今度は蹴りまでも交えた、凄まじい技と技の掛け合いになる。
始まりと違うのは、いなし、かわし、時に受け止め。
あらゆる技術を駆使して、「直撃」を避けている点だ。
傍からすれば一見工夫のない、単純な殴り合いのようにも見える。
そこには、一般的な技と呼べるものは一切存在していない。
だがこれが。これこそが、フェバル級の戦いだった。
ある段階を超えると、戦闘という概念は一変する。
重力を乗せる、急所を狙う、関節を極めるなどといった。
あらゆる常人戦闘において必須とされる知恵、常識、有効技術は。
もはや彼らフェバルのレベルにおいては、毛ほどの意味も持たない。
彼らにとっての急所とは、人体の急所ではない。
二人が虎視眈々と狙うは、攻防において生じる意識の急所――オーラ防御の最も弱い地点への「直撃」である。
ピークを越えて減少を始めた気力の鎧は、既に万全の防御ではなくなっていた。
すべての一撃が必殺の威力を伴って、命を刈り取らんと放たれる。
秒間数百数千にも及ぶ攻撃の、わずか一手でも対応を誤れば。
そのまま致命傷に繋がり、勝敗が決する。
ヴィッターヴァイツ渾身の蹴りが、ついにジルフの脇腹を掠めたとき。
血肉が裂ける。翳りを見せたオーラが、ダメージの増大をももたらしていた。
ジルフが苦痛に顔を歪める。勝ち誇るヴィッターヴァイツ。
しかし、ただでやられはしない。
蹴り出された足を両腕で掴み取り、返し技で力任せに地面へ叩きつける。
ヴィッターヴァイツの額が割れる。
全身ごと、深く深く、地へめり込んでいく。
同時に、激しい地割れが起こった。
クレーターが真っ二つに割れて、さらに大地は破壊されていく。
気付けば、辺り一帯が朦々と湯気を上げている。マグマの流れる高熱層が近づいていた。
ジルフは油汗の滲む額を拭い、激しく痛む脇腹をさすった。
回復している暇はない。
雄叫びを上げて、地の底より怒れるヴィッターヴァイツが飛び出した。
両腕に竜巻のごとく気力が渦巻いている。どうやら決めるつもりでいるらしい。
ジルフも両腕に力を溜めて、身構えた。
「かああっ!」
両の拳が、ほとんど同時に放たれた。
ジルフは迫り来る左の拳を、気を高めた右腕でブロックする。
竜巻が絡みつく。思った以上の威力だった。
拳を専らとする者とそうでない者の差が、紙一重で出たか。
右腕はズタズタに引き裂かれ、体勢が乱れる。
防御が間に合わないところへ、さらに荒ぶる右の拳が迫る。
ジルフの懐へと、深々とめり込んだ。
竜巻状のエネルギーは、彼の内部へと侵入し。内臓を刻みながら荒れ狂う。
深刻なダメージが生じた。
ジルフの口から、血反吐が零れる。
だが――。
右腕は壊れたが、左腕はまだ「死んでいない」。
ジルフの闘志もまた、死んでなどいなかった。燃えていた。
肉を切らせて骨を断つ。
喰らうと同時、狙い澄ましたカウンターが炸裂する。
攻撃に全力を傾けたためにがら空きとなった、敵の胴を正確に穿つ。
ヴィッターヴァイツもまた、口から激しく血を吐き出した。
腹を押さえて、よろめく。
だが、意地でも倒れない。戦闘の構えは解かない。
意識を手放すのは、死ぬときだけだ。
互いに消耗が激しい。肩で激しく息を切らしている。
満身創痍に鞭打って。
いざ決着をつけるため、三度激突せんと。両者が気を高めたとき。
いつの間にかレンクスが迫っていることに、二人は同時に気付いた。
――決め切れなかったか。タイムリミットだ。
ヴィッターヴァイツは狡猾な男である。
逃げる手段は持っているし、逃げるだろう。
ジルフは悔しさを滲ませながら、戦いの中で素直に感じたところを述べた。
「並大抵の鍛錬ではない。そもそもお前の本質は、実直な武道者だったはずだ。そうだろう?」
「……知ったことを」
「……それほどの力を持ちながら、なぜ奢り昂る。なぜその力をもっと有意義に活用しない?」
「有意義だと?」
これが、ヴィッターヴァイツの何に触れてしまったのか。ジルフにはわからなかった。
彼は嗤った。狂ったように嗤い続けた。
そして。
突如憮然として嗤いを止めた、ヴィッターヴァイツの目には。
激しい憎悪と――絶望の色が浮かんでいた。
「有意義なことなど、どこにある。オレにとっては、もはやすべてが意味のない……下らんことだ」
ジルフは、あえて反論することはしなかった。
この男を狂わせるような何かがあったのだろうと、彼は悟った。
このように絶望に塗れたフェバルを、ジルフは知らないわけではない。
エーナを始め、知っている仲に何人もいる。
……彼自身も、イネアと別れるとき。運命を呪わなかったわけではないのだ。
いや、今も呪っている。
せめて託されたユウを気にかけることで、前向きな意味を見出そうとしているだけなのだ。
「実はな。お前を止めるように、J.C.には言われていたんだ」
「なに……?」
よく知る者の名を聞いて、ヴィッターヴァイツが顔色を変える。
「聞いたぞ。昔のお前は真面目だったと」
彼は、さらにあからさまに不機嫌になっていた。
「貴様……。そうか。姉貴の差し金だったとはな」
「姉貴だと? こんな弟がいたとは、初耳だな」
「……実の姉弟ではない。遥か昔、オレがフェバルとして駆け出しだった頃、散々要らぬ世話を焼いてくれた――下らん女さ」
「家族同然の縁は大切にしておけよ。そう得られるもんじゃない」
「下らん。オレはな。目が覚めたのだ」
この世のすべてを見下した目で、ヴィッターヴァイツは淡々と語る。
「この世は所詮力がすべて。真の自由など――意志など、ありはしないのだ。こんな救いようのない世界など、戯れにするしか仕様があるまい」
「力がすべて。だから、力の優れるお前が何もかも好きにしようと。そんなことが許されると思っているのか?」
「許すかどうかの問題ではない。事実認識の問題だ」
「……そうか」
ジルフは、この男に失望していた。
戦いの中で、もしかすれば。
この男はJ.C.から聞いていたように、実直な部分があったのかもしれないと感じた。
所詮は名残だった。遥か昔に「その男」は死んでいる。
今この場にいるのは。
運命に負け、力の論理に溺れてしまった残虐なだけの男に過ぎない。
「案外愉しいものだぞ。異世界を気ままにさすらい。好きな物を食い。好きな女を抱き。好きな奴を殺し。好きなものを壊し。好きなものを支配する。一時、下らんことを忘れられるくらいにはな」
「そこまで愉しいとは思えないがな。俺は戦っていた方が愉しいぞ」
ヴィッターヴァイツもさすがに同意して、皮肉げに肩をすくめた。
「これに比べればな。久しぶりに味わわせてもらったぞ」
「お前を喜ばせるために戦ってるんじゃない」
こめかみを引き攣らせ、ジルフは静かに怒っていた。
この男に勝ち切れなかった、自分の至らなさへの苛立ちも交えながら。
いよいよ、レンクスがそこまで迫っていた。
ヴィッターヴァイツは、本来伝えるはずだった用件――戯れとしての挨拶を、ここで済ませておくことにした。
「この下らん世界も、終わりは近い」
「お前。何をするつもりだ」
「さあな。ホシミ ユウに伝えておけ」
彼は不敵な笑みとともに、告げる。
「どうやってトレヴァークに来ているのか知らんが。身の程知らずが今度、オレの前に立ち塞がることがあれば。死よりもなお恐ろしい苦痛と後悔を与えてやるとな」
「そうはさせんぞ」
「くっくっく。できんな。現実世界に一切無力な貴様らでは。だからあの小僧しか姿を見せんのだろう?」
図星だった。
あからさまに悔しがっては奴を喜ばせるだけと考え、ジルフは黙って拳を握り締めている。
その態度だけでも、ヴィッターヴァイツは満足だった。
「貴様らは世界が蹂躙される様でも、仲良く指をくわえて見ているがいい。はっはっは!」
最後に高笑いを上げて。
ヴィッターヴァイツはワープクリスタルを使い、姿を消した。
「くそ……!」
手負いのジルフは、悪態と同時に膝を突く。
あのまま戦い続けて。負けるつもりはなかったが、勝てたかどうかはわからない。
ユウのためにも、散々に打ち負かしてやりたかった。
ジルフは、奴のいなくなった虚空を、いつまでも険しく睨み続けていた。