【ダイラー星系列 第97セクター観測星】
二人の観測員、オルキとメイナードは、相変わらずお茶を啜りながら、まったりと星の観測を続けていた。
奇妙な挙動を示す世界について、ちょっとした異変は報告したが、そのくらいだ。
第97セクターは今日も平和で、これからも平和のはずである。
世間話に花を咲かせていると、ちょうど二人のお茶がほぼ同時になくなった。
オルキが、空になった湯呑みを持て余して、最近は持て余すこともあまりなかったなと思い、すぐに思い至る。
「あー……そうか。もういないんだよな」
「はい。とうとう行っちゃいましたね。あの赤髪の少女」
「ずっといてくれてもよかったのにな。あの子が入れてくれる茶は、本当に美味かったからなあ」
赤髪の少女は、そろそろ行かなくちゃと言って旅立っていった。
よく働くので、できればずっといてくれてもいいと思った二人であるが、元々が旅銭のための短期滞在である。引き留められようはずもなく、二人は旅の無事を祈って彼女を見送った。
「私が入れてきますよ」
「すまないな。頼む」
メイナードが、オルキから湯呑みを受け取り、給湯室に向かおうとした、そのとき――
通信ブザーが鳴る。
二人は、仕事の顔付きになって、すぐに襟を正した。
長らく鳴ることがなかった、緊急用の受信機にかかってきていたからだ。
そして、通信先を確認して――背筋が凍った。
通常の報告先である管轄星を遥か飛び越えて――本星から、直接である。
何があったのか。とりあえずで報告したあの一件しか心当たりがない。
まさか。あれがここまで大事だったというのか。
二人の中では上位者であるオルキが対応する。緊張の面持ちで通信を入れた。
「こちら第97セクター観測星、観測員オルキ」
『こちら本星。手短に用件を伝える。本星では、惑星97-I-00365――現地呼称トレヴァークを、厳重注意観測対象と認定』
厳重注意観測対象。
隣で聞いていたメイナードは、思わず湯呑みを落としかけるほどのショックを受けた。
かつてのエストティアも――あれはエストティアの挑発的行為によって、一飛びで殲滅対象になってしまったが――元々のレベルは要注意観測対象に留まる。
いかに本星が、トレヴァークを重く見ているかという姿勢の表れだった。
『ついては規定に則り、本星より星裁執行官一名および副官一名、補佐官五名、さらに臨時戦力兵器を派遣する。以後、第97セクター観測星およびトレヴァークは、厳重注意解除の通達があるまで、同星裁執行官の指揮下に置かれる』
となれば、星裁執行権を持つ者が派遣されてくるというのは、必然の流れである。
観測星は、種々のサポート業務――つまりは、体の良い雑用を嫌というほど任されることになるだろう。
その分、ボーナスはたんまりと弾むことになるだろうが……これからの苦労を思うと、メイナードはうんざりした。
『星裁執行官の名は、ブレイ・バード。まもなくそちらへ到着する。丁重に迎えるように』
「はっ、承知いたしました」
冷や汗を滲ませながら、オルキは粛々と頷いた。通信が切れるのを聞き届けて、彼はどっと疲れた顔で腰を落とした。
「いやあ。とんでもないことになってきましたね」
「二千年前の小事件以来か。いきなり本星が出張ってくるだなんて、相当なことだぞ」
「妙なことにならないといいのですが……」
「そうだな……」
二人は溜息を吐いて、問題となっている当の観測対象――トレヴァークを改めて映し出す。
重なり合う二つの世界のうち片方が、以前より妙に揺らいでいた。
***
【惑星ノーマティラム】
目的地まで物理的な距離は大きいが、星脈上はラナソールへと直接流れ込む――一つ隣の星である。
J.C.は、いよいよラナソールに臨もうとしていた。
「ジルフはどうしているかしら。ヴィットは……」
遠い記憶の中の彼の姿を、脳裏に浮かべる。
どこまでも実直な男だった。どこまでも不器用な男だった。
彼と出会ったのは、いつのことだったか。
いきなり異世界に放り出されて、どうしたらいいかもわからないので、ただその場に留まって、日課通り、ひたすらに拳を振るって修行をしていたという。聞けば笑ってしまうような出会い方だった。
死に分かれた実の弟に少しだけ雰囲気が似ていた。弟が歳を重ねれば、彼のようになっていただろうか。それで、柄にもなく世話を焼こうと考えた。あの頃はまだ自分にも「若さ」みたいなものがあった。
自分のことは姉さんと呼べと。生活の知恵から振舞い方から何から何まで、散々つきまとって鬱陶しいとは思われていたのかもしれないけれど。ぶつくさ文句を言いながらも、なんだかんだで素直に言うことを聞く子だった。
最後まで、姉さんとは呼んでくれなかった。時々言いにくそうに「姉貴」と。ちょっと可愛いところもあった。
【支配】は素晴らしい能力だ。上手く使えば、あれほど人の役に立つ力もそうない。
川の流れを【支配】すれば、治水工事を一手にやってしまうこともできる。そうして人に感謝されることの喜びを、彼には教えたし、知っていたはずなのだ。
ただ、やり過ぎてはいけないとも。
J.C.自身、長い旅の中で変わってしまったフェバルを知らないわけではない。しかし、もしあのヴィットがそうなっているのだとしたら……それは、とても悲しいことだと思う。
「やっぱり、この目で確かめないとね」
J.C.は、移動のための自殺への準備に入った。
***
【惑星トーラロック】
J.C.の後を追うように、赤髪の少女は移動を続けていた。
現在、星脈上は目的地の三つほど隣の星である。ただし、物理的には最も近い「ヒトの暮らす」星である。
彼女は、しばらくそこで待機していた。
彼女は、死んで移動することはできない。そもそもフェバルでない彼女は、死ねばそれまでである。
J.C.と違って、彼女にとってより重要なのは、物理的な距離だった。ある程度距離が近ければ、直接時空魔法を行使して目的地へと到達することができる。
星間移動魔法。フェバルのように星脈の制約に縛られず、かつ尋常でない魔力を持つ彼女であるからこそ可能な離れ業だった。
彼女が待機しているのには理由がある。
行こうと思えば、いつでも行くことだけはできるのだ。
しかし今はまだ、無理に行けば彼女では耐えられない。ラナソールは、本来いるべきでないよそ者がいるには、極めて厳しい環境だ。フェバルほど強い存在でなければ、たちまちやられてしまうだろう。
「たぶん……もう少しだね」
《アールカンバー・スコープ》を用いて、彼女はラナソールの様子を注意深く観察していた。いつでも動けるように。
世界の揺らぎは増大している。まだ決定的なことは起きていない。
これから何が起こるのか。彼女はすべてを知るわけではない。
ただ、何があっても見届けて、道を繋げるために彼女はいる。
***
【惑星アギア】
J.Cや赤髪の少女とは別ルート。しかし、こちらもラナソール到達まであといくつかというところまで迫っていた。
わき目も振らず全速力で移動してきたため、この移動のために自ら心臓を貫いた回数は、既に四桁を数える。
「待っていろ。終わらせてやる」
ウィルは、躊躇うことなく再び自らの心臓を突き刺した。
***
【ラナソール 果ての荒野】
「なあー。これ、いつになったら終わるんだろうなー」
「わかんないわよー。それを確かめるために歩いてるんじゃないのー」
「それもそっかー」
ランドとシルヴィアは、棒のようになった足を動かしながら、仲良く旅を続けていた。
どこまでも代わり映えのしない荒野かと思われたが、緩やかな変化はあった。徐々に地形も、ごつごつした岩から、よりきめ細かな白い砂のような何かに変わっていって、より無機質で乾いた風景となっていた。
「ユウさん、結局昨日来なかったな」
「きっと忙しいのよ。もしものときのためにちょっとずつ少なめに食べてるから、まだ大丈夫よ」
ヴィッターヴァイツにやられて気を失っていたために来られなかったということを、二人は知らない。
地形の凹凸もほとんどなくなって、無限の地平線が広がっている。生き物はどこにもいない。とても寂しい場所だと、二人は感じていた。不気味な怖さもある。もし一人だけでここにいたら、耐えられないだろう。
魔獣のようなわかりやすい敵はいないが、危険がないわけではなかった。むしろ得体の知れない危険に満ちていた。
突然、何もない空間に暗黒の穴が開く。それは周りの白い砂を巻き上げて、容赦なく呑み込んでいく。
「またあれね……」
「気を付けろよ。あれに巻き込まれたら、どうなるかわからないからな」
「当然よ。ランドこそ、うっかりしないようにね。今は私より弱いんだから」
「ぐ……それを言うなよ」
風が妙に揺れていたら。白い砂が微妙に巻き上がっていたら。そこは穴が開く兆候だった。経験則で学んだ二人は、危なそうな場所は避けて通るようにしていた。
さらには、目に見えない危険もあった。
「あの辺……砂がちょっと凹んでるわね」
「よし。あそこは避けるぜ」
まだ砂の土地が荒野だった頃、歩きに退屈したランドが、何となくその辺の小石を適当に投げたときに運よく発覚した、恐ろしい現象。
小石が消えたのだ。跡形もなく。何度投げても、忽然と消えた。
ランドとシルヴィアは、この恐ろしい現象に対して、結論するしかなかった。
ぱっと見た上では何も変化はないが、ただ足を踏み入れただけで、存在が消し飛んでしまう罠のような空間があると。
こちらも万能な見分け方はないが、持ち物を適当に放って識別してみたり、今のように周りの砂などが消えていると、怪しいと見立てることはできる。
慎重にならざるを得ないおかげで、ただでさえパワーレスエリアで遅くなっている足は、さらに遅くなってしまっている。
だが、着実に進んではきていた。
そして――
「ねえ。あれ……」
「ああ……」
遥か彼方、いつまでも続くと思われていた土地が、ついに途切れているのが見えた。
「もしかしてあれ、世界の果てってやつなんじゃないか……?」
「じゃないの? だって……」
遅れて、徐々に実感が込み上げてくる。
感極まって、二人は跳び上がり、強く抱き合っていた。
「やった! やったぞ! シルヴィア! 俺たち、ついに見つけたんだ! 辿り着いたんだ!」
「うん! うん! やったね! ランド!」
何年もかかった。大変な苦労もした。死にかけたこともあった。
すべては、この日のために。
喜びを噛み締めるあまり、抱き合ったまま小躍りもしてしまうほどだった。
とは言え、ようやく落ち着いてみると、ここからがまだまだ大変だった。うっかり駆け寄ろうものなら、どこであの消滅エリアが牙を剥くかわからない。
「最後の詰めだ。慎重に行くぜ」
「ええ」
二人は仲良く手を握り合って、最後の一歩を進む。
この先、何が待ち受けているかも知らずに。
***
【ラナソール ありのまま団宿舎】
「ジルフとヴィッターヴァイツがな。いよいよきな臭くなってきたな……」
木を隠すなら森の中。上裸を隠すなら漢たちの中。トーマス・グレイバーは、さりげなく溶け込んでいた。
バディが、気安く肩を叩いてくる。
「どうしたトーマス! 漢の悩みなら聞くぜ?」
「……いや、何でもねえさ」
「そうか! それよりどうだい? この筋肉! また鍛えたんだ! 素晴らしいだろ?」
「おう! いいもの持ってるじゃねえか! お返しに、俺も見せてやるよ!」
適当に力を込めると、服が弾けて、素晴らしい筋肉の姿が露わになった。バディは泣くほど感動していた。
「オーウ。ビューティホゥ……」
ユウ。ウィル。それから……。
お前ら、これからどうするよ。見届けさせてもらうぜ。
トーマス・グレイバーは、今は傍観している。
***
【ラナソール 何でも屋『アセッド』】
そして、ユウとユイは、この日、27歳になっていた。
ラナソールに来てから、ほぼ二年のことである。
また、去年のように盛大な誕生日パーティーを開く予定もあった。
ランドとシルヴィアはさすがに欠席で、個別に会いに行くことになるのだろうけれども。
トレヴァーク側でも、レオンを通じてユウの誕生日を知っているハルは、周りに働きかけて、何かささやかなものを考えているようだった。
ただ、とても去年のようには素敵な気分では楽しめないだろうなと、ユウは残念ながら感じていた。
ヴィッターヴァイツのことが、ずっと頭に重くのしかかっているからだ。
それでも、この日ばかりはみんなと一緒に楽しもうと、健気なことを考えていた。
しかし、ついに二回目の誕生日パーティーが開かれることはなかった。
なぜなら、この日――。