『アセッド』に戻ると、まだ朝だと言うのに店は異様な空気に包まれていた。
レンクス、ジルフさん、エーナさんも隅のフェバル席にいて、険しい顔で待機している。
レオンも来ていた。ハルがメールをくれた通りに、俺にミューエレザの件を伝えに来てくれたのだろうけど、どうやらそれだけではなさそうだ。
ミティは大丈夫だろうか。辛うじてユイの隣に立っているけれど、心がどこかへ行ってしまったかのようだ。
事情については、ユイが話してくれた。
「終末教が、世界各地で同時武装蜂起しているだって!?」
「私もさっき聞いたばかりなの」
「冒険者の膝元であるここレジンバーク以外、ほとんどすべての都市で火の手が上がっている。既に神聖都市ラビ=スタの大神殿が占拠されてしまったそうだよ」
レオンが、実に悲しそうに目を細めて言った。
「ただでさえ、向こうの世界でも大事件が起こっているというのにね」
ヴィッターヴァイツが暴れているというこのタイミングで……。
偶然なのか。いや、そうとは思えない。
だけど、あのヴィッターヴァイツが終末教と手を組むなんてあり得るのか……?
「その大事件ってのはなんだよ」
レンクスの問いに、レオンは暗い顔で俺に目を向ける。
俺は、やるせない怒りを感じながら答えた。
「人がたくさん死んだ。たぶん……ヴィッターヴァイツだ。奴が人間爆弾を使って、無差別に都市を爆破しているんだ!」
「そんな。なんてひどい……!」
いつもなら俺の心をよく覗いているユイは、初めて聞いたという顔でショックを受けていた。こちらでもミティの対応やニュースが入ってきて、聞き耳を立てる暇がなかったのだろう。
ジルフさんも、硬い表情で怒りを滾らせているのが見えるほどだった。しかし言葉はあくまで冷静だ。
「ディスクによれば、向こうで人を殺せば、不浄なる死の想念とやらで、世界の基盤が弱体化するという。考えられることではあったな」
「だからってマジでやるか普通?」
「まったくとんでもないことね。力があるからって何でもしていいわけじゃないのよ」
レンクスとエーナさんも、それぞれ呆れ混じりに怒っているようだった。
「こうしている間にも、次の都市が狙われるかもしれない。俺、行かないと」
ラナソールのことも気になるが、トレヴァークのことは俺にしか対処できない。ここはみんなに任せるしかない。
それは、レンクスも同じ心境のようだった。
「くそったれ。お前に任せるしかないのが心苦しいぜ」
「あまり無理はするなよ。また本体を見つけたら、今度こそレンクスと共に叩いてやる。頼んだぞ」
「はい。お願いします」
本体さえ探知してしまえば、奴もトレヴァークに手を出している余裕はない。見つけて触れるまでが勝負だ。もうこれ以上の好き勝手をさせるわけにはいかない。
レオンに向き直って、手を差し出した。
「レオン。ハルのところへ行きたいんだ。手を」
「お安い御用さ。トレヴァークを、よろしく頼む」
改めてみんなを見渡した。いざ行くとなると、一人俯いているミティのことがやっぱり気がかりだった。
あんなことがあったんだ。無理もない。
「ミティ……」
「大丈夫……です。こんなときに、わたしだけ泣き言ばかりは言ってられないですから。頑張らないと、です」
人前で泣きたいほど辛いけれど、懸命にこらえている。そんな表情だった。
「行って下さい。ミティからも、お願いします」
後ろ髪を引かれる思いがしたけど、ミティの健気な意を汲み取って、ミチオの頼みを汲み取って、今は行くことにした。
〔ラナソール → トレヴァーク〕
***
ユウがトレヴァークへ行って、私たちはラナソールのことを何とかすることになった。
もちろん私だけは間接的にユウのサポートができるから、いざ戦いになれば精一杯の手助けはするつもりだ。
それに、今のユウは……しっかり支えてあげないと、心が不安定になっていて。冷たく染まってしまいそうで。怖いの。
「レオン。あなたはこれからどうするの?」
「例のクリスタルドラゴンの山消失事件――ヴィッターヴァイツとやらのことは、君たちに任せようと思う。僕は冒険者たちと協力して、終末教の件を対処するつもりだ」
ちょうど受付のお姉さんから緊急招集もかかっていることだしね、と彼は付け加える。
「でも……あなたたちだけで大丈夫? 私たちも、何かした方がいいんじゃ」
「いいや。ヴィッターヴァイツというのは、恐るべき脅威と認識しているよ。君たちはどうかそちらに集中して欲しい」
「そうだね……わかった」
この先、レジンバークは作戦本部のような役割を果たすことになるだろう。
下手に戦力を散らせて、また前のようにレジンバークを強襲されるようなことがあれば。正確な情報が迅速に行き届かなくなる。現場は混乱して、大変なことになる。
「それに、きっと大丈夫だ。ランド君とシルヴィア君がいないのは心細いことだけど……Sランク冒険者が何名も集まってきてくれていると聞いた。ありのまま団からも有志が来てくれるらしい。彼らと上手く協力して事に当たるとも」
『快鬼』アルバス・グレンダイン、『魔聖』ケーナ=ソーンティア=ルックルーナー、『拳双』ゴン・イトー、『剛棒』イシュミ・アレイター、『奇術師』ルドラ・アーサムなど、名ありのSランク冒険者は多くが力を貸してくれるみたい。
ルドラも、今回は一冒険者として素直に力を貸してくれると。
でも、それでも。
レオンは大丈夫と口では言っているけれど、かなり不安は感じているはず。高ランク冒険者やありのまま団の実力者を総動員しても、世界のすべてをカバーするには足りるかどうか。
こちらの心配を察してか、レオンはぽんと私の頭に手を乗せて、励ますように言ってきた。
「ある戦力で頑張るしかないさ。お互い、全力を尽くそう」
「うん……」
聖剣を背負って、彼は颯爽と戦地へと発って行った。
「ちくしょー。あいつ、中身が女ってわかっても相変わらずキザな野郎だな」
いつの間にか、レンクスが隣で、去る彼の後ろ姿を恨めしげに見つめていた。
「みんなの理想が入っちゃって、どうしてもああいう風になっちゃうんだって」
「そういうもんなのか」
「そういうもの、らしいよ」
「そっか……」
「…………」
「……やっぱり、心配か」
「うん」
嫌な予感がするの。
こっちの世界のことも、もちろん心配で。
でも、まだ戦えるみんながいるからいいよ。きっと何とかなるって信じてる。
だけど、ユウは……。
困ったとき、頼れる仲間はいる。友達もたくさんいる。
ただ、まともに戦える力のある人がいない。みんな、守らなくちゃいけなくて。
ほとんどたった一人で、世界をカバーしなくちゃいけないんだ。
それにまた、あの男と……。
あいつと向き合ったときのユウが、いつものユウじゃないみたいで。怖くて。
ユウ……。
私は、待つしかなかった。無事を祈るしかなかった。
本当に無力で。もどかしくて、不安で仕方がなかった。