「アルだと……!」
奴が分離して現れた事実に驚くと同時に、やはりかとウィルも納得していた。自分の中に奴の要素が色濃く巣食っていたことは、彼自身が一番よく理解していた。
それが、彼の破壊者としての資質を担う最たるものの一つだったからだ。
「気分はどうだ」
「ああ。おかげで今はすっきりした気分さ」
ウィルは、悔しい感情を隠さずに皮肉を言った。
自分は助かったが、みすみす奴の復活を許してしまった。最後まで自分の中に封じ込めておくことができなかった。
ここまでいいようにされて初めて、奴が描いていた遠大な絵も、ようやく一部が見えてきた。
今さらだろう。遅過ぎるだろう。彼は舌打ちせずにはいられなかった。
「お前がそのユウの中にお前自身のコピーを仕込んだように、奴も僕の中に奴自身のコピーを仕込んだ――そうなるよう仕向けていたということか」
「そうなるな。そうしていつでも復活の機を窺っていた」
【神の器】は、経験要素をすべて忠実に取り入れ、利用できる。
それは、人との記憶、関わりであっても例外ではない。
一つ一つは断片的である「人との関わり」も、膨大な量を寄せ集めていけば、あるいは刻み付けていけば。
近似的に「人そのもの」を成すに足りる。
つまり潜在的には、「人そのものの創造、複製すらも構成可能である」ということ。
その最も身近な例がユイであり、その実例に目を付けて利用したのが、『ユウ』であり、アルだったのだ。
「くそっ! ふざけやがって!」
結局は、掌の上だった。
ラナソールという世界は……釣り餌だ。
こんな危険極まりない世界の存在を、どうあっても放置するわけにはいかないが。
そう思わせ、僕をのこのこ向かわせることが奴の狙いだった。
ラナソールという特殊な環境は、おそらくユウとあの女が分離しているのと同じ理屈で、奴を僕と別個体として分離させ得る土壌があった。
そして、僕が予断を許さない状況に焦りを覚えた――ここぞというタイミングで、意識を誘導した。
同じ性質――黒の力を持つ『ユウ』と呼応させることで、断片的に眠っていた奴の要素は目を覚ました。明確な意識を持った奴は、奴自身のコピーを僕の内で構成し――そして、先刻ついに抜け出したのだ。
始まりにして究極のフェバル。
もし、奴が僕の知っている通りの強さを持つなら――。
誰にも勝てない。
唯一、目の前にいるこの男を除いては。
この男が勝てないというのなら……宇宙は終わりだ。
「黒の旅人。お前は、勝てるのか? お前なら、【神の手】を倒せるのか?」
「……今なら」
『ユウ』は少し考え、決意を込めて肯定した。
「奴はまだ完全ではない」
「オリジナルではない……所詮は【干渉】――紛い物のコピーに過ぎないと言いたいのか? だがそれはお前も同じことじゃないか」
ウィルにとっては、心から認めたくない事実であるが。
【干渉】は、アルが持つ【神の手】の不完全な――遥かな劣化コピーだ。
効果そのものは同じ。
ただ、影響力も規模も有効範囲も桁違いであるという、それだけのことだ。
あらゆるフェバルに対して絶対優越性を持ち、奴がその気になれば、誰も彼も触れることすらままならない。
ただ一人。奴に対抗するため、永遠に近い旅の果てに限りなく力を高め続けた、オリジナルの『黒の旅人』を除いては。
「だから、先んじてかなりのダメージを与えてやった。奴は逃げていった」
「そうか。すぐ穴の向こうに逃げたのは、逃げざるを得なかったのか」
わずかながら、希望の持てる話ではあった。
『ユウ』が最初から完全に表出していたのに対し、奴はウィルの抵抗に遭いながら、自身を構成するところから始めなければならなかった。状況の有利が、『ユウ』に有効な一撃の機を与え、今も優位は続いている。辛うじて首の皮一枚を繋いだというところか。
「まだ奴は実体を持てていない。しばらくはアルトサイドでしか活動できないはずだ。今なら殺せる」
「だが、いつまでも手をこまねいていれば……」
「ラナソールの特殊性を利用して、力と肉体――完全復活を狙っているだろうな」
「そうなれば……終わりだ。また永遠の暗黒時代がやって来るのか」
アルが完全復活することがあれば、続いて「奴」を招く。
そうなれば、詰みだ。
「お前は、これからどうする」
「奴を追う」
当然だ。聞くまでもないことだった。それでもあえて聞いたのは、ウィル自身が道を決めかねていたからだ。
「……僕は、これからどうする」
「好きにしろ」
『ユウ』は、冷たく突き放した。
やはり、見抜かれている。
そう言われるのではないかと思っていた彼は、黙って肩をすくめた。
ウィルとしては、『黒の旅人』に協力し、アルを始末したい気持ちは山々である。
考えたが、かえって足手まといになると諦めるしかなかった。
先ほどから、思うように身体に力が入らない。奴が抜け出るとき、力の大半を持っていかれてしまったようだ。
もはや、凡百のフェバルと大差はないだろう。
彼はまた、喜ぶべきか悲しむべきかわからなかった。
破壊者として最も相応しい人格から解き放たれたと同時に、その圧倒的な力も、資質も失われてしまったわけだ。
ふと、いつかあの赤髪の少女が言っていたことが思い起こされた。
『まだ破壊者なんてやってたんですね』
――ああ。なんだ。そういうことか。
お前、やっぱりわかっていたんだな。
「……くっくっく」
すべてを理解した。笑わずにはいられなかった。
――まだだ。まだ止まるわけにはいかない。
「奴のことは任せる。僕は僕の好きにするさ」
「そうか」
「……それよりお前、そのままで行くつもりか?」
「……枷に縛られたままではな。俺も身体を捨てていくさ」
アルトサイドにいる奴を倒すためには、普通の人間の肉体に留まっていては力が足りない。『ユウ』は、自らを切り離すべく、黒の気剣を握った。
その行為が意味するところをよく理解しているウィルは、わかっていても目を細めた。
「お前はそもそも異物だ。精神体になれば、おそらく二度とは元に戻れないぞ。奴と共に、死ぬつもりか」
「……元々一度は消えた身だ。構わないさ」
「……そうかよ。ちぇっ、かっこつけやがって」
顔を背けたウィルを一瞥してから、『ユウ』は、自らに胸に剣を添えた。
あと突き刺すだけというところで、彼は自嘲気味に呟いた。
「最後の置き土産のつもりで力を遺していったが……かえって邪魔になってしまったかもな」
皮肉にも、再びこの力を自らが使うことになってしまった巡り合わせに、溜息を吐いて。
自分と入れ替わりで眠ってしまった本来の身体の持ち主に、心で語りかけた。
あのとき時間がなくて、言えなかったことを。
『いいか。お前は、俺のようにはなるな』
自らの失敗と後悔を込めて、言う。
『黒でも白でもない、お前自身の道を見つけるんだ』
どちらも絶大な力を得る代わりに、大切なものを捨て去ってしまう。
そこまでしても――ただフェバルとしての力を高めていっても、奴らには決して勝てない。
『さもなければ、お前もいずれすべてを失うことになる。俺と同じ道を辿ることになるぞ』
これまで、無念や絶望の果てに散っていた星の数ほどのユウを苦い気分で思い返しながら、お前だけはそうなってくれるなと、願う。
『お前ならきっと見つけられる。これまで出会ったどのユウよりも弱く――誰より優しいお前なら』
数々の偶然と人の想いの上に、今のお前は辛うじて成り立っている。この宇宙は辛うじて希望を残している。
お前の力は、どのユウより小さい。すべてが上手くはいかないだろう。
だが、自分の手をことごとくすり抜けていったものを、どのユウより多くのものを、お前は確かに守ってきた。
そして、これからも。
『俺は……そんなお前に賭けたんだ。がっかりさせてくれるなよ?』
さあ、言うべきことは言った。
後は自分で気付き、道を見つけてくれればいい。
『ユウ』は、躊躇うことなく黒の気剣を自らに突き刺した。
***
影が分かれて、離れていく。
その瞬間、元々のユウの意識が蘇った。
ユウは、何もよくわかっていなかった。
ただ、目の前に自分とそっくりな人物がいて。彼の目は冷たくて。わけもわからないまま、語り掛けられた言葉ばかりが、重く心に響いていた。
彼を行かせてはいけないような気がした。聞きたいことがたくさんあった。
「待って! 待ってくれ! 君は……!」
「……じゃあな」
そして、もう一人の『ユウ』は、闇へと消えた。