ようやく泣き止んで、落ち着いたところで私は言った。
「ごめん。泣いちゃって」
「ふふ。とても可愛かったわよ」
頬が熱くなるのを感じる。
「からかわないでくれよ。アリス」
「からかわれるようなことしょっちゅうするユウが悪いのよ。反応もわかりやすいし、弄りがいがあるわよね」
「ですね。弄り初心者向けです」
「うっ」
楽しそうに笑うアリスとミリアに身じろぐも、気を取り直して。
「あのさ。まだまだ話さないといけないことがあるんだ」
「まだあるの?」
アリスが驚いた。
「私個人の話は大体おしまいだよ。もっと重要な話なんだ」
最低でもアリスとミリアに話せば十分だったのに、わざわざアーガスまで連れて来たのは、今からする話を聞かせるためというのが大きい。
もし彼が戦力になってくれるなら、非常に心強いと思ったんだ。
「ここから先は、先生も知らない話になります」
「ほう」
気持ちを入れ替えて。本題に入る。
「昨日、トーマス・グレイバーという男に会いました。フェバルの一人です」
「トーマスって、どこかで聞いたことあるような……」
「私もです。誰でしたかね」
「魔闘技の初日に、司会をやってた人だよ」
「あれ? 司会はモール先生じゃなかったかしら」
「そうでしたよね」
「モール先生は、二日目からのはずだけど」
「えっ?」
「そんなはず、ないですよ。私、見ました」
二人ともとぼけているわけではないようだ。どうやら本当に覚えていないらしい。
そうか。彼曰く認識を変える能力で無理に割り込んだから、彼がいなくなった後は記憶が修正されるなり何かしたのかもしれない。
「まあそのことはいいや。それで、彼は恐ろしいことを言い残していったんだ――ウィルが、行く先々の世界を滅ぼして回っていると」
「なんだと!?」
先生が一気に顔を険しくした。他の三人は、話のスケールの急な違いについていけなかったのか、ぽかんとしている。
「確かに奴ならやりかねんが……。だが奴がこの世界に来たとき、滅ぼしたのはエデルだけだぞ」
「はい。ですが――」
「ちょっと待って!」
説明しようとしたところ、アリスからストップがかかった。
「エデルって、あの失われた魔法大国よね!? 魔法実験の失敗で滅びたんじゃないの?」
「一体、何を、言ってるんですか」
アリスとミリアは、とても信じられないという顔をしている。
「そのままの意味だよ。エデルを消したのはウィルだ。それもたった一人で、一夜でやったらしい」
「おいおい……。どんな与太話だよ」
あまりのことに、アーガスはすっかり呆れてしまったらしい。両手を上げて肩をすくめている。
けれど、あいつの恐ろしさを肌で知っている私には、真実だという確信があった。
「あいつの【干渉】という能力は、底が知れないんだ。先生。かつてエデルを滅ぼしたのは、奴の《メギル》ですか?」
先生からあいつと戦った当時の詳しい話を聞いてはいなかったが、偶然バザーで見つけた本の記述を頼りに尋ねてみる。
先生から返ってきたのは、肯定の言葉だった。
「そうだ。奴が隕石の軌道に【干渉】してこの世界に引き寄せ、落としたのだ」
「やっぱり。そうだったんですか」
先生にとっては生の苦い思い出に違いないけれど、そのときのことを話して聞かせてくれた。
「――師は、私を遠くへ逃がすので精一杯だった。結局エデルは滅び、師は行方不明となってしまった。そして、わずかに生き残った人々が――まあ、そうでも考えないと納得できなかったのだろうな。奴を神の化身と呼び、隕石による攻撃を天体魔法《メギル》と呼んで畏敬したのだ。神の化身だなどと、とんでもない。奴は悪魔だよ」
ウィルに対する明らかな嫌悪感を滲ませながら、先生はそう締めくくった。
アーガスは、腕を組んで難しい顔をしている。
「聞いたことがある。エデルは隕石の衝突によって滅びたと。そう言ってた奴が確かにいた。だがその説だと、ラシール大平原の魔力汚染が説明できない。だから、学説では否定されていたはずだ」
冷静に指摘する彼に、先生もまた堂々とやり返す。
「魔力汚染については原因がわからないが、これは私が体験した事実だ。誓って嘘は言ってないぞ」
彼は先生の顔に目を合わせたまま、少し黙り込んだ。ちらりと私の顔を窺い、また先生に目線を戻す。
そして、重々しく口を開いた。
「そうかよ……。わかった。にわかには信じられないが、頭には置いとく。正直な、さっきから妙な話だらけで混乱してんだよ」
「あたしも。なんて言ったらいいか……。ユウの話、想像以上に重たくて。ちょっと聞く覚悟が足りなかったかも」
「まるで、おとぎ話でも、聞いているみたいです」
口を揃えて戸惑いを訴える三人に、先生も同情と理解を示す。
「だろうな。私も師に出会って奴を直接見ていなければ、こんな話聞く耳もたん」
「だな。だが冗談や嘘にしては話を盛り過ぎだ。少なくともお前らは、真実のつもりで話してるわけだろ?」
「そうだよ。嘘だったら、どんなにいいか」
「ったく、とんでもないな」
アーガスが肩を落とす。でも落胆した様子はなくて、天才の頭を巡らせているようだった。
「ユウ。続きを頼む」
「はい」
先生に促されて、頷く。
こちらを注視する四人に囲まれながら、私は話の核心を切り出した。
「あいつは、自分で世界をどうにかできるような圧倒的な力を持ちながら、直接手を下すことはそうそうしない。代わりに、何らかの世界が滅びるような危険因子を置き残していくらしいんだ」
「うわあ……」
「なんとも、悪趣味ですね」
「ひっでえな」
「それが何かのきっかけで働いて、実際に世界が滅んでいくのを眺めては暇を潰している。そういう、最悪の奴なんだ」
そこで一つ、呼吸を置いた。
みんな固唾をのんで、次の言葉を待つ。
私は――最も重要なことを告げた。
「この世界も、狙われている」
四人の顔に、驚愕の色が映った。
みんなそれぞれに思いを巡らせているのか、深刻な顔をしたまま黙り込んでしまう。
やがて先生が、苦々しく口を開いた。
「エデルを滅した後、急に奴の気が消えたから変だとは思っていたのだ。まさか、そんなことをしていたとはな……」
「ウィルがここにいたときの活動範囲はわかりますか?」
「ああ。奴の独特な気はすぐにわかったからな。奴はエデルの辺りにずっといた。それ以外の場所には行ってないはずだ」
「だとしたら、やはり危険因子は……エデルに関わる何かである可能性が高いと思います」
昨日トーマスにこの話を聞いてから、ずっと考えていた。
ウィルが世界滅亡因子を残すとしたら、どこだろうかと。
最も怪しいのは、あいつが自ら手を下したエデル。その周辺に罠を仕掛けたというのは、十分に考えられることだ。
しかも、あいつがエデルを破壊したことで、ロスト・マジックを始めとする失われた遺産という概念が生まれた。そいつにカモフラージュすれば、いくらでも危険なものは隠すことができる。
誰かがそうと知らずに、あるいはそうだと知りながら、あいつの「遺産」を手にしたならば――。
人の悪いあいつが、考えそうなシナリオだ。
そして推測通り、もしエデルが関わってくるならば――。
「そうだな。とすると、脅威なのは――」
「ちっ。仮面の集団か」
アーガスがいらついたように言うのに合わせて、私は頷いた。
「奴らは、エデルの遺産を掘り起こすのに躍起になっている。何を考えているのかわからんような危ない連中だ。もし奴らがその危険因子とやらを見つけてしまったならば――」
「場合によっちゃあ、世界はおしまいってことか」
「そう。だから、実際に気を付けるべきは仮面の集団だと思う。奴らのひどさは、今日の事件で思い知ったよ」
考えるだけで胸糞が悪い。
「待てよ。あいつら、仮面の集団だったのか!?」
アーガスは驚いている。確かに、普段はもっとあからさまに仮面してるからね。
私が答える前に、アリスが言ってくれた。
「そうよ。主犯の男がうっかり口を滑らせたわ。本当の目的の目くらましだって」
「くそっ! 奴ら、偽装のためだけにあそこまでやったのかよ……! 一体何人死んだと思ってやがる!」
拳を握りしめて、激しい怒りを露わにする彼。
私も同じ気持ちだった。奴らには憤りを感じるよ。
「それで、お前はどうしたいのだ? 何か言いたいことがあるのだろう?」
四人の注目が、再びこちらに向いた。
そうだ。先生の言う通り、この状況をなんとかしたくてこの話をしたんだ。
なるべく誠実に、素直な想いを語る。言葉を選びながら、ゆっくりと。
「私は、よそ者だ。でも、この世界が好きだ。みんながいる、この世界が好きなんだ」
「あたしもよ。この世界が好き。みんなのことが大好き」
「そう言われると、照れますね。私もですよ」
「へっ。言うまでもないぜ」
「うむ。でなければ、ろくに長生きしておらん」
各者各様の想いを受け取って、続ける。
「だから私は。ウィルの、あんな奴の掌の上でこの世界が転がされていることが、どうしても許せない。この世界が滅びるかもしれないのを、黙って見ていたくないんだ」
そこでいったん言葉を区切る。
もう一度全員の顔を見回して、私なりの決意を固めていく。
「だけど……あいつの力は強大だ。それに比べたら、私の力は……あまりにもちっぽけで、頼りない。私だけでは、あいつの魔の手には、勝てない。仮面の集団に対抗することだって、できない。でも」
トーマスの言ってたこと。
この世界の人たちと、力を合わせて戦うことができれば。
「みんなの力を合わせれば。それでもまだ、小さいかもしれない。足りないかもしれない。でも、私一人よりは、できることはずっと多いと思うんだ」
私は誠意をもって、頭を下げた。
「頼むよ。みんな。力を貸してくれないか。私は、この世界を守りたい。みんなを、守りたいんだ」
みんなを守るために、みんなの力を借りる。
晒さなくて良い危険に晒すことになるかもしれない。
矛盾しているのはわかっているけど、放っておけばいずれすべてが終わってしまうんだ。
これが、私なりに必死に考えた上での結論だった。
協力してくれるかどうかはわからない。もし断られたなら、一人でも足掻くつもりだ。みんなのためなら、一度くらい死んだって惜しくはない。
「頭を上げろよ」
アーガスに促されて顔を上げると――そこには、温かく私を見つめる四人がいた。
「頼むも何も。元々この世界のことは、ここに住むオレたちの責任だろ?」
「そうよ! ユウだけが背負うことなんて、何もないわ」
「私たちが、何とかしないとです」
「私も力を尽くすぞ。奴との因縁もあるしな」
「みんな。ありがとう……」
私は……本当に良い仲間を持った。
***
それから私たちは、襲撃事件の詳細や、これからどうするかについて話し合っていった。
「それで、やたらスケールの大きなこと言ったけど……。当面は普通に暮らしながら、仮面の集団の動向に気を付けるくらいしかできることはないかなって感じなんだよね」
「まあそうよね。その危険因子とかいうものの正体がわかれば叩きにいけるんだけど」
「難しいですね。情報が、何もないですから」
「オレとしては、わかりやすくていいぜ」
アーガスが、にやりと口角を上げた。
「ぶっちゃけ世界とか言われてもピンと来ないが、それならどっちみちオレのやりたかったことだ。奴らは、今度の件で完全にオレを怒らせた」
出し抜かれたことも含めて、今回の事件には相当思うところがあるらしい。
「家に働きかけて、連中の動きをできる限り押さえてやるよ」
「それは、本当に助かるよ」
名家がバックにつくというのは、非常に心強い。ありがたいことだった。
もう一人、やる気を出したのが先生だった。
「ならば、私は奴らを直接潰しに回ることにしよう」
「ついに先生自ら出動ですか」
「お前もだぞ、ユウ。これからは実戦形式での修行もやっていくからな」
「それって、つまり」
「斬るにはちょうど良い相手だろう?」
「――はい!」
私は自分の甘さを克服しなければならないと、今回のことで痛いほど思い知った。
敵に対しては、毅然と立ち向かえるようにならなければならない。そして必要なら、しっかりと斬れるようにならなければならない。
それができなければ。勝てるものも勝てず、守れるものも守れないことがあるのだ。
これから仮面の集団と戦っていく中で、身も心も強くしていこう。そう思った。
「ごめんね。あたしは、すぐにできそうなこと、思い付かないわ」
「私も、ちょっと……」
「いいよ。気持ちだけで嬉しいから。もし何かあったときは、よろしく頼むね」
「もちろん。よーし! いつでも力になれるように、もっと魔法に磨きをかけておくわ!」
「最近、ユウに付き合わされたせいで、特訓が、楽しくなってきたんですけど。どうしてくれるんですか」
「えー。そんなこと、知らないよ」
「あはは。ミリアが感化されちゃった」
「もう。ふふっ」
「ははは」
――今までは、ずっと逃げ続けてきた。目を背けてきた。
トラウマからも。運命からも。真実からも。
でもやっと、少しだけ向き合えたと思う。
決意を新たに。
ここから一歩ずつ、前に向かって歩いて行きたい。