悠然と空を舞いながら、手当たり次第に火球を撃ち出し続ける暴虐の王に、俺は焦りを覚えていた。
このまま好き放題にやらせていては、町は壊滅する。みんなが死んでしまう。何とかしてあれの注意を俺に引き付ける必要がある。
だけど、どうする。
問題は方法だった。
力を高めて俺という脅威を知らせるのは無駄だろう。かつて炎龍と戦ったことはあるけど、あの誇り高い龍と違って、あれは高い知能は持っていない。所詮元がゲームの一敵キャラに過ぎず、周囲に邪魔者がいれば殺すくらいの認識しかないだろう。
おそらく気を惹く唯一の手段は、直接攻撃を当ててヘイトを稼ぐことだ。
しかし……。俺自身が持つ飛び技は《気断掌》系統の技だけど、トレヴァークでは飛ばすのに許容性が足りない。
レンクスたちに仕込んでもらった『切り札』では威力が大き過ぎて、住民まで巻き込んでしまう。人がいるところでは使えない。
くそ。魔法を使うことができたら。魔力銃を使うことができたら。簡単な話なのに。
ユイがいない穴の大きさを痛感する。
……これしかないな。
消耗は激しいけれど、《パストライヴ》の連続使用で疑似的に空を飛び、奴のテリトリーである空で戦うしかないだろう。
手をこまねいていれば、それだけ被害は大きくなる。
助けてもらって、世話にもなった。あの母子をみすみす死なせてしまうことだけは、絶対に許されない!
意を決した俺は、瞬間移動を重ねて空を駆け上がっていった。
思ったよりも高度があり、さらに高速で空を移動している。側に辿り着くまでに、数十回は重ねなければならなかった。それだけでもかなりの体力を持っていかれた。
息を切らしつつも、最後の一回でドラゴンの背中を捉えた。水晶様の鱗の一つにへばり付く。
山のような巨体に比べれば、俺は豆粒のようなものだ。上手く存在を認識されずに、ここまでは来られた。
首元まで迫れば、さすがに気付かれる。まずはこの位置で有効打を叩き込んでやる。
強風に煽られながらも、へばり付いた状態から立ち上がる。《マインドバースト》を使って、平常よりも気を高めた。
気剣を抜き放ち、目下の鱗に向かって突き刺してみる。ラナソールでは一太刀の下に真っ二つにしてしまうほどだったが……気剣は硬い鱗で強い抵抗を受け、辛うじてそれは貫通したものの、肉を浅く傷つけるに留まった。
痛みは感じているらしい。咆哮を上げて暴れ出したのがその証拠だ。
巨体では、単純に身をよじられるだけでも苦しい。わずかな時間で上下に数メートルは揺さぶられ、それが延々と繰り返される。病み上がりにはきつかった。
頭が揺れる。まともな思考を遮られそうになる。それでも、振り落とされないように必死にしがみ付きながら、次の手を考える。
トレヴァーク基準では、思った以上に硬い鱗だ。だったら、気剣よりもこちらの方が有効か。
両足もかぎ爪のように使って踏ん張る。左手に気力を集中して、目の前の体表に押し当てた。
《気断掌》
ドラゴンの内側で、何かが潰れる鈍い音がした。気剣よりは手ごたえありだ。
魔獣に遠慮は要らない。気の浸透によって、容赦なく内部破壊を狙う。何度でも撃ち込んでやる!
一度ではどれほどのダメージか見えなかったので、その場で一点集中した。苦しむ敵に対して、間髪入れず、執拗に同じ点から衝撃を叩き込む。
十回ばかり撃ち込むと、咆哮にやや痛々しい響きが混ざった。
すると、クリスタルの体表がぼんやりと輝き始める。ほのかに熱を帯び始め――。
まずい!
直感で危険を悟った。《パストライヴ》を使い、急いで敵から離脱する。
直後、ドラゴンの全身を熱波が包んだ。膨大な魔力を駆使して、身にとりつく虫を振り払おうとしたのだ。
危なかった。あのままいたら焼き殺されるところだった……。
かつて炎龍が見せてくれた技。全身を炎のバリアで覆うというものがあった。あれを見て知っていた経験が生きたよ。世界が違うけど、こちらもドラゴン。同じような技を使えるということか。
ということは、張り付きながら急所を狙うのは厳しい。厄介だな。
もう一つ、問題があった。距離を置いたことで、俺の姿が奴の正面に映った。そして、奴はとうとう俺を明確な敵と認識したのだ。
獲物に対する動きは早かった。翼を羽ばたかせ、猛然と躍りかかる。
ここからが正念場だ!
気剣を構えて、受けて立つ。
――速い!
巨体に見合わぬ速度で、来たと思ったときには、既に目前まで迫っていた。
光り輝く爪が振り下ろされる。まず、魔力が込められている。《ディートレス》では防げない。
咄嗟の判断で、瞬間移動によって背後へ抜けた。
再び接近を試みるが、先ほどから常時展開されている熱波のオーラが、それを許さない。
まずいぞ。近付けないのでは、有効打がない!
くそ。本当に、ユイがいてくれたら……。
牽制の魔法を放つことができただろう。アーラ系の魔法で防御を固めて、熱波を強引に突っ込むこともできただろう。
首を振る。今はいないことを考えても仕方がない。自分の力で状況を打破しなければ、みんな殺されてしまうんだ。
敵が振り向く前に、次の攻撃は来た。
尻尾が正確に俺を狙って伸びてくる。巨大質量による一撃。やはり小さな身体で受け止めるには無理がある。
今度も技を使ってかわすしかなかった。
ダメだ。空中では自由に身動きが取れない。直線的な瞬間移動しか回避手段がないようでは、苦しい。
まだ勝負になっているが、時間の問題だ。相手の得意な領域で戦っていては、いずれ体力が尽きて、負ける。
あれほど弱いと感じていたクリスタルドラゴンが、まるで別の敵に見えた。正直に、脅威とすら感じている。
いや……元々からして、強い存在だったんだ。
ラナソールというあまりに恵まれた世界が、すっかり感覚を狂わせていた。奴はかつての黒龍、いや、もしかするとそれ以上の――。
ゲームじゃない。チートもない。
今こそ、本当の試練の時だった。
かつて、イネア先生は龍を斬った。
今の俺に、それができるか。
やるんだ。できなければ、みんなは助からない。
利用できるものは利用しろ。強いて言えば、知能の低さは弱点になるはずだ。
既に俺は明確に敵として認識されている。よほどのことがなければ、考えもなしに追いかけてくるはずだ。
あえて《マインドバースト》を解除する。可能な限り消耗を避けて、すべての攻撃を最小限に避け、戦いながら、徐々に高度を下げていく。さらに、町から離れていく方向へ落ちていく。
地上だ。地上戦にまで持ち込めば、必ず勝機はある。
執拗に追手の追撃は続く。爪は何度も身体のすぐそばを掠め、燃え盛る火球が余波で髪を焦がす。
疲労以外の明確なダメージは今のところないが、ギリギリの死闘を演じていた。
奴の攻撃すべてが、人の身ではかすり傷ですらも確実に致命傷となる、必殺の威力を持っているからだ。
ゼロか死か、という勝負だった。決してダメージを受けるわけにはいかなかった。
遠かった。大地がようやく見えてきた。
舞台は地上戦へ移行する。奇しくも、初めて炎龍と戦った森にどこか似た場所だった。
ここでも、俺は機を焦らなかった。
ドラゴンの体表を防御の熱波が覆っている限りは、近寄ることはできない。だが、常時ああしていれば、相当な魔力を消費しているはず。
奴の魔力は確かに甚大だろう。けれど、粘り強く戦っていれば、いつか必ず隙を見せるはずだ。
クレバーな戦いを続けた。奴に高い知能があれば違和感を持てただろうが、しぶとい獲物に対して、奴は苛立ったように、執拗に大振りな攻撃を繰り返すばかりだ。
そして、勝負の刻は来た。
痺れを切らした奴が、大きく息を吸い込む。喉の奥が、煌々と白く輝く始めた。
ブレス攻撃をするつもりだろう。一思いに、周囲ごと俺を消し去ってしまおうと。
攻撃に集中した瞬間、全身を覆う防御が解かれたのを見逃すわけはなかった。
チャンスだ。だけど……油断はならない。
クリスタルドラゴンは、性質の異なる四種類のブレスを使い分けると聞いた。
あの色は、最も厄介な――クリスタルダストブレスだ。
四種の中で最も美しく、最も凶悪な――七色に輝くブレス。その正体は、奴にとっての老廃物の再利用――超硬度の塵状クリスタルの集合体だ。
全身をズタズタに裂く高い殺傷力もさることながら、ほんの少しでも吸い込めば、たちまちにして肺が傷だらけになってしまう。まともに食らってしまえば、確実に助からない。
ただ、ラナソールでは「理想的な」回復魔法があったから、大きな問題はなかった。トレヴァークや他の世界にそんなものはない。
当然、広範囲かつ高威力だ。周囲を薙ぎ払うように吐かれてしまえば、すべてかわし切るのは難しいだろう。
その前に、決定的な一撃を見舞ってやる。
進む覚悟を決めた。
気剣に力を集中させながら、駆け出す。《パストライヴ》で瞬間移動する前後で、白い刀身は、鮮やかな青白色へと転じた。
《パストライヴ》から直接体表に迫り、剣撃を叩き込むこともできるが、あえてしなかった。
奴の足元で、地を蹴り出して跳び上がった。加速度による威力を付ける。
狙うは、今まさにブレスを吐こうとしている喉元だ。
ただ巨体のせいで、辿り着くまでは数十メートルもある。上昇中の減速によって、威力は殺される。大きな不安材料だが、押し切れるか。
やるしかない。
《センクレイズ》!
狙い澄ました一撃が、正確に入った。
喉の裏。逆鱗の一点に、気剣は深々と突き刺さっていた。
ドラゴンが、悲鳴を上げる。鎌首が、ぐらりと揺れる。
だが、それも一瞬のことだった。
……ダメだ! 地上からでは、威力が足りなかった! 決め切れなかった!
苦しみ呻きながらも、奴は攻撃を中断しなかった。眼下に俺という敵の姿をはっきりと捉える。強い怒りと憎しみを込めた瞳だった。
失敗だ。回避を――。
背後に気付いて、戦慄した。
こいつ……! パーサも射程に入れている!
もはや一刻の猶予もなかった。身を挺してでも、守る以外の選択はない。
……《アシミレート》!
すべてを、能力に託すしかなかった。
視界を真っ白に埋め尽くすほどの強烈なブレスを、至近から受ける。そのすべてを、正面から一身に受け止める。
銃弾程度ならば何事もなく受け止めてしまうが、さすがに勝手が違った。
『心の世界』は、たちまち荒れ狂った。身体への直接ダメージの代わりに、内側から針が突き刺すような痛みが俺を襲った。頭と心臓が張り裂けそうだった。
抑えてくれるユイがいない分、さらに耐え難い痛みが際限なく苦しめてくる。
くっ。まだか。意識が……。
口の中が苦い。血だ。
執拗なブレスは、いつまで続くかというほど止まない。
既に限界が近かった。少しでも気を抜けば、甘美な死の誘いが俺を包み込んでしまうだろう。
くそ。また、守れないのか? また、俺は……!
看病してくれた、イオリ母子の笑顔が浮かぶ。後ろには、二人がいるんだ。
させてたまるか。
世界を守らなきゃいけないんだ。守れなかった、傷付けてしまった、償いをしなくちゃならないんだ。
目の前の命一つ守れないで、どうするんだ!
「うおおおおおおおおおお!」
気合を入れ直した。叫んだ。すべてを受け切る意志を、盛り返した。
永遠とも思える死の攻撃を、ただ無心に耐える。
そして、視界が開けたとき、まだ辛うじて立っている俺がいた。
凄まじい攻撃を受けた後なのに、やけに心が落ち着いていた。
クリスタルドラゴンは、なおも攻撃を続けようとしている。
動きが妙にゆっくりに見えた。奴の瞳やその意志まで、やけによく見えた。
この世のすべてを敵に回そうというほどの、強い憎悪を感じる。
わずかながら、奴の心が伝わってきた。わかったような気がした。
山が消えた。世界が壊れた。
住処を奪われたことへの。人類への、怒り。
彼は、怒っていたのだ。
「……悪かったな。クリスタルドラゴン」
言葉がわかるはずもないが、呟いた。
「でも俺は……人間だから。人の側に立つよ」
ふらつく足を一歩踏み出して、右手を構えた。
今受け止めたもの。返すよ。
《ディスチャージ》
超火力のクリスタルダストブレスは、そっくりそのまま、撃ち出した当のドラゴンに向かって撃ち返された。
自身最強の威力を持つ攻撃だ。さしもの彼も面を喰らったことだろう。
今や立場は逆転し、明らかに苦しみ、のたうち回るのはクリスタルドラゴンの方だった。
可哀想だと感じてしまう自分を、偽ることはできなかった。
だがきっと、このまま生かしておいても、相容れることはないから。
せめてこれ以上は、苦しまないようにと。
《パストライヴ》を限界まで使って、空高く飛び上がった。
今度は、重力加速度を最大に付けて。
持てる力を尽くし、気剣の力を高める。再び、刀身は目の覚める青白に染まる。
もがき苦しむ、彼の首へと狙いを込めて。
「はああああああーーーーーーっ!」
全力で振りかぶる。
刀身が、輝く鱗に触れた。肉と骨が、重たい抵抗を伴って、断ち切られていく。
そして、俺が降り立ったとき。
ドラゴンの首が、重々しい音を立てて、地に落ちた。
「ふう……。何とか、勝てた……」
辛うじて立ってはいるけど……満身創痍もいいところだった。
まさに死闘だった。
本物のクリスタルドラゴンは……強かったよ。
だが、安心できたのは、ほんの一瞬のことだった。
空を、次々と大きな影が横切っていく。
もう聞こえないはずの咆哮が――怒りの咆哮が聞こえる。
「な……」
三体。
目視できるだけでも、三体のクリスタルドラゴンが、同時に空を舞っていた。
一瞬、パニックになりそうだった。
だが考えてみれば、当たり前の話だ。
クリスタルドラゴンは、ラナソールではS級「一般」モンスター。これまでも数多くの個体がいたし、一体が現れたのなら、他にいたってまったく不思議なことではない。
だけど、よりによって。今。
しかもだ。ことによれば、クリスタルドラゴンでは済まない。さらに厄介な連中まで、この現実世界に一斉に解き放たれているのだとしたら……。
それも、大量に。
みるみるうちに、心を絶望が覆っていった。
待ってくれよ……。
たった一体で、これほど苦戦したんだぞ。
こんなの、どうしろって言うんだよ!
逃げたくとも、容赦なく現実は襲ってくる。
三体のクリスタルドラゴンが、同時に襲来しようとしていた。彼らもまたそれぞれが、人類への怒りを向けている。
「は、は……」
乾いた笑いが出て来た。
これが、報いか。
散々夢想の世界で軽く捻っていた相手に、現実を見せつけられて。
俺が救おうとしている世界は。化け物だらけで。
壁は、あまりにも高く。
……それでも、最後まで諦めて良い理由には、ならないよな。
抗ってやる。
ぼろぼろの身体に活を入れて、気剣を両手で構えた。来るなら来い。
しかし、またも信じられないことが起きた。
三体のクリスタルドラゴン。
その巨大な影をさらに凌駕する巨大な影が、一つ。
全長が山ほどもある、人型の白銀フォルムが、飛来してきた。
機械製の……兵器だ。
あれは……!
そいつは、右手にやはり、山ほども巨大な武器を作り出した。
紫色の――高周波ブレード。
そして、それを構えたと思ったら、あっという間もなく。
消えた。
何かと思った直後、現れたが、そのとき、一体のクリスタルドラゴンの背後を完璧に取っていた。
刺突。
クリスタルドラゴンの胴体。そのど真ん中に大穴が開いた。深々と刃が突き立てられていた。
悲鳴の咆哮を上げる間もなかった。精強なクリスタルドラゴンは、次の瞬間、跡形もなく蒸発して、消えたのだ。
そして、また人型が姿を消す。
次に現れたとき、二体目のドラゴンもまったく同じ最期を迎えた。
恐れをなした三体目が、尻尾を巻いて逃げようとする。
逃げられはしなかった。人型が高周波ブレードを構えると、それは瞬く間に伸びて、三体目を串刺しにした。三体目も、惨たらしく蒸発して消えた。
とてつもない光景を見ていた。
三体の怪物は、それを凌駕する恐ろしい兵器に、何もできずに瞬殺されてしまった。
俺は、震えていた。
まさか、今度はあれが襲ってくるのか?
最悪の想像だったが、希望の持てる要素はない。
だって、俺はあれを知っている。
無理だ。今この状況で、たった一人で、勝てるはずがない。
戦々恐々としながら、もはや無意味だと思っていても、気剣を支えに構えていたが……。
クリスタルドラゴンを抹殺したそいつは、そのまま、何もせずに空を去っていった。
全身の力が抜けた。その場で崩れ落ちた。
震えが止まらない。
「あれは……」
全身を白銀に塗られてこそいるが……あの大きさ。あの武器。あのフォルム。
そして、胴体の真ん中にでかでかと備わっていた――特徴的な主砲。
あの強さ。
見間違えようがない。
かつて、エルンティアで死闘を演じた強敵。
バラギオンだ。
どうして、バラギオンがこの世界にいるんだ……!?