フェバル~TS能力者ユウの異世界放浪記〜   作:レストB

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177「世界の果ての向こう側」

[ミッターフレーション同日 ラナソール 果ての荒野]

 

 とうとう果ての荒野の最果てが見えてきた。大地は途切れ、向こうには綺麗な空が見えている。

 ランドとシルヴィアは喜び勇みながらも、仲良く手を取り合って慎重に歩みを進める。油断しているとどんな凶悪なトラップがあるかわかったものではないことを、二人は経験上身に沁みて理解していた。

 幸い何事もなく順調に進んでいく二人であったが、

 

「あら?」

 

 ふと風に違和感を覚え、シルヴィアが立ち止まって首を傾げた。

 

「どうしたよ」

 

 顔を覗き込むランドに、彼女は感じたことをそのまま話す。

 

「ねえ。なんかあっちの方、妙に空が騒がしくない?」

「んー。言われてみりゃ確かに変な感じもするなあ」

 

 レジンバークの方角である。やけに大気がぴりぴりしているなと二人は感じた。

 同時刻、ユウとウィルの凄まじい戦いによって世界は滅茶苦茶になっているのだが、遠く離れた地にいる二人には流石にわからない。

 

「ま、考えたってわからないもんはしょうがねえさ。何か起こってるんならユウさんやレオンさんが何とかしてくれるだろ」

「……それもそうね」

 

 楽観的なランドに対し、シルヴィアは妙な胸騒ぎを覚えてならなかった。だが自分でも不安の原因がわからなかったため、その場ではランドに追随することにした。

 

「それより目の前のことだ。もうすぐだぜシル!」

「ええ。行きましょ!」

 

 世界の誰もが成し得なかった偉業が目の前に迫っている。興奮を隠せない顔で、二人は最後の一歩を踏み出した。

 

 そして――ついに先端へ到達する。

 

 突然、景色が変わった。美しかった空は消えて、途切れた大地の先がその真の姿を現した。

 

「ああっ!?」

「これって……!?」

 

 ランドもシルヴィアも、圧倒され、愕然として立ち尽くしていた。

 

 ずっと夢見ていた。世界の果てには何があるのだろうと。

 

 人は、永遠の空が広がっているのだと言った。

 人は、黄金の大地が広がっているのだと言った。

 人は、神々が住まう桃源郷があるのだと言った。

 人は、果てなどなく世界は丸いのだと言った。

 

 ランドもシルヴィアも、どれでも良いと思っていた。真実を確かめること自体が宝だと考えていた。気の良い冒険者連中や町のみんなとの楽しい話の肴になればそれで良かったのだ。

 

 答えは――()()()()()()

 

 唐突に世界が終わっている。そうとしか表現しようがないほど、二人のいる地点とその先は断絶していた。

 大地はなく。空もなく。海もなく。

 無だ。どこまでも無の闇ばかりが広がっている。

 夜空ともまた違う。星の輝きなどどこにも存在しない。不気味だった。

 いかに無鉄砲な勇気に満ち溢れたランドと言えども、真の無謀は心得ている。

 この先へ飛び込んで行く気などまるでしなかった。進めば二度と戻っては来られない気がした。本当に何もないのだとしか思えなかった。

 と同時に、あれほど熱狂していた夢がすうっと冷めていくような気がした。本能的な恐怖すら覚えた。 

 世界の終わり。ここに自分たちの可能性の終わりを見た気がしたのだ。俺たちは「ここまで」の存在なのだと――よくはわからない、けれどもっと大きな何かに言われているような気がしたのだ。

 どこまでも行けると思っていた。どこまでも強くなれると思っていた。世界の果ての先にも新しい「冒険」があるのだと、無邪気に信じていた。

 向こう側は空っぽだ。俺たちは限られた箱庭の中にいる。寒々しい真実を眼前に突きつけられているような気がして。

 

「なんかよ……。こんなもんなのかな」

 

 ふらふらと立ち尽くし、込み上げてきた空寒さや虚しさを噛み締めながら、ランドがぽつりと呟いた。

 同じ思いをしていたシルヴィアも、らしくもなく弱った彼の肩を支えて頷く。

 

「夢は夢だから素敵に見えるもの。すべてがロマンチックな結末ばかりとは限らない。そういうものなのかもね」

 

 しみじみと振り返って、それから彼女はランドに笑顔を向けた。

 

「でも、私は楽しかったよ。ランドと一緒に駆け出しの頃から夢中になってさ。いっぱい無茶もしたよね」

「ああ、色々馬鹿もやったよな。俺もさ。シル、お前がいたから楽しかった」

「私も。ランドがいたから楽しかったよ」

 

 二人で笑い合う。

 ランドは思い出していた。夢の終わりが手放しで喜べないものだとしても、過ごしてきた黄金の日々までが色褪せるわけじゃない。

 帰ったらみんなに顛末を報告して、ユウさんにお礼を言って、それから――。

 

「なあ、シ――」

 

 突然、大きな地鳴りがした。いつの間にか、空は悪魔のように荒れ狂っている。

 

「なんだ!?」

「なによ!? 何が起こってるの!?」

 

 向こう側で大地にひびが入り、砕け始めた。二人のいる方向へ向かって、恐るべき速度で裂け目は広がっていく。

 ランドもシルヴィアも、あまりのことに動く間もない。逃げようにも、今の二人はパワーレスエリアにいるせいで、一般人と大差ない身体能力しかなかった。

 

 裂け目が到達するよりも早く、突然シルヴィアの足元が崩れた。為すすべなく、悲鳴を上げて彼女が落ちていく。

 

「シルヴィアーーーーーーっ!」

 

 ランドは必死に手を伸ばすも、届かない。

 

 彼女の叫び声が遠くなっていく。深い闇へと姿を消そうとしている。

 位置だけではない。彼女の存在そのものが遠く離れていくような気がして、彼はたまらなかった。己の身が引き裂かれそうだった。

 

「ちっくしょう!」

 

 ランドは頭を抱えて叫んだ。

 何が起こっているのかはわからない。だがやることは一つだった。

 

「この先何もなくたって構うもんか! 死んだって! シル、お前を一人にはさせねえっ!」

 

 シルヴィアを救うためなら、彼は迷わなかった。意を決して、彼は自ら深淵なる闇へと飛び込んでいく。

 闇を掻き分けながら、必死に彼女を探す。

 だが何も見えない。何もわからない。

 シルの声は聞こえない。どこにいるのかまったくわからなかった。

 そして、彼女の名を呼ぼうと声を出そうとして――彼はまったく声が出せなくなっていることに気付いた。

 そればかりではない。徐々に手足の感覚がなくなっていく。

 耳の感覚、肌の感覚、さらに心臓の鼓動までわからなくなろうとしていた。

 ランドはぞっとした。

 己の無鉄砲な行動に後悔はない。だがとてつもない心細さが彼を襲っていた。自分がなくなっていく恐怖。

 ついには思考までぼやけていく。心を強く持たねば、自分という存在のすべてが消えてしまいそうだった。

 

 シル……!

 

 心の内で、何度も彼女の名を呼んだ。自分はランドだと、ここにいるのだと言い聞かせながら。

 だが、無の闇は容赦なく彼の存在を削り取っていく。なぜ自分が失われていくのかも、彼にはわからなかった。

 

 シル……わりい……俺……もう……。

 

 意識が闇に溶けようとしていた――そのとき。

 

 …………!?

 

 ランドは驚いた。驚くことができた。

 どこからともなく、淡い光が彼を包み込んだ。温かな光だった。

 消えかけていた彼の意識がはっきりしていく。心臓の鼓動が、遅れて手足の感覚が戻ってくる。

 

 ラナ、様……?

 

 彼はさほど信心深い人間ではない。だがその優しい温かさに触れたとき、彼の魂は不思議と彼女の意志の介在を確信していた。

 

 そして――。

 

 不意に闇が開ける。

 

 彼は満足な五体を伴って、気が付けばどこかに立っていた。知らない場所だ。

 

 街中だということはわかった。なぜ自分がこんなところにいるのかわからなかった。

 

 人の声が多い。無数の人が彼を見ている。彼は注目されている。ざわざわとやけに騒がしい場所だなと彼は素直に思う。

 不意に、癇に障る音が耳を衝いた。それを発しているのが車で、しかも一台ではなく何台も列を成していて、やかましい音は自分に向けられているのだとランドは気付いた。

 車自体は知っている。だがどれも知らない型だ。フェルノートのそれと違って、地面を走っている。やけに野暮ったい形状をしている。物珍しく、自分の置かれた状況も忘れてつい見惚れてしまうと。

 

「おい! 何ぼけっと道のど真ん中に突っ立ってんだよ! 兄ちゃん!」

「邪魔だ!」

「妙な恰好しやがって! コスプレかよ!?」

 

 目の前の何台もの車から、次々と怒声が飛んでくる。

 

「あ、ああ。すまん」

 

 意味不明の状況に半ば放心したままのランドは、とりあえず言われるがまま道を譲ってしまった。

 そうしてしまった後で、ようやく我を取り戻し、食い入るように周囲を見回した。

 ごった返すような人の群れ。窮屈に並んで走る車。ガラス張りの高層ビル。

 どれもこれも、彼が知っている世界とはまるで様子が異なっている。

 

 先ほどまで冒険していたはずだ。命がけで闇へ飛び込んだはずだ。

 シルはどこへ行った。変な夢でも見ているのか!?

 頬をつねってみるも、鈍い痛みが彼が起きていることを保証するだけだった。

 

「おいおい……。なんだってんだよ。どうなってんだよここは!?」

 

 ランドが立っている場所。

 

 そこは、現実世界。首都トリグラーブの大通りだった――。


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