剣神の名は伊達ではなかった。
グレイバルドさんは圧倒的な強さを見せつけた。道中でどんな厄介なタイプの異形が現れても、どれほど大量に現れようとも、すべて目にも留まらぬ速さで一刀の下に斬り伏せてしまう。
ザックスさんのような特殊能力ではない、純粋な実力によってである。俺の目でも捉え切れない速度は、これまで出会ったどのラナソールの人間を遥かに凌駕していた。
剣の威力もまた凄まじいものがある。魔剣シュラヴェードというのは、どうやら彼自身の手によって創り出される特別な魔法気剣の類いであるらしいというのは、見たものの絶対記憶を分析してようやくわかった。というのも、剣の創出から攻撃からしまうまでの動きがあまりに速く洗練され過ぎていて、ほとんど残像しか見えなかったからだ。
いかに許容性無限大とは言っても、ただの人間がこれほど強くなれるものなのかと心底驚かされる。
本人の言うように伝説は実話で、実際長い時を生きてきて、気の遠くなるような年月修行を重ねた末の到達点なのだろうか。
十度目の襲撃を容易く退けてから、彼は肩を竦めて言った。
「やれやれ。今日はいつになく多いな」
「やけにしつこいなとは思いましたけど。いつもは違うんですか?」
「当社比300%というところだな。お前、よほどあいつらに好かれてるんだろうな」
「こんな恐ろしい連中に好かれるような心当たりがないんですけど」
「はあん。さてはお前、見かけによらず業が深いな?」
「……そうかもしれません」
色々あったからな……。
「けど、だから何だって言うんですか」
「あいつらナイトメアは、人の闇や弱みに付け込んで引きずり込み、仲間を増やそうとする。心の内の闇が深いほど引き寄せられてくるんだ」
そうだったのか。初めて知った。名前も生態も。
確かに今の俺は大分弱っているだろうし、闇も抱えてしまっている。
だから俺にしつこく襲い掛かってくるのか……。
それにしてもナイトメア――悪夢ね。何となく由来もわかる気がするな。
「ナイトメアって言うんですね」
「私たちが勝手にそう呼んでいるだけだけどな」
「シンプルだが的を射た名前だろう?」と続けてから、グレイバルドさんは遠くを見つめた。
「ラナソールは人の希望と夢ばかりを集めたような世界だ――少なくとも最近まではそうだった……はずだ」
最後言葉を濁したのは、悲惨な現状を彼も知っているからだろう。
「だけどな。人が希望ばかり、素敵な夢ばかりを見ることがあるだろうか」
「ないでしょうね。光あればまた闇もある、というわけですか」
「そうだ。ラナソール世界が素晴らしい場所であるためには不都合な存在、言わば悪夢のようなものも同じだけ存在する。そいつらも希望や夢と等しく力を持ち……不都合を嫌う世界によって溜まり場に押し込められた。この狭間の領域――アルトサイドにな」
「なるほど。そういうことでしたか」
やっぱりあいつらはそうやって生まれて、押し込められてきたモノだったのか。
ラナソールが理想の夢に満ちた世界なら、アルトサイドはそこから零れ落ちた悪しきものの集まり。暗黒面というわけだ。
「彼らは世界にとって邪魔な、切り離された不要物だ。だから生まれたときから自分を虐げた世界を恨んでいるのさ」
ナイトメアのあの世界のすべてを恨むような叫び声や破壊衝動は、本当にそうだったんだな。
改めて危険性を認識するとともに、可哀想な連中だとも思う。
「もっとも、世界にとって不都合で切り離されてしまったという点では私たちも変わりないけどな」
「ではあなたたちは……」
「ああ。私たちはここアルトサイドに住まう者――アルトサイダーと自称している」
そう言った彼は、自身を誇るというよりはやけに自嘲めいた様子だった。
「お前はこの世界を見てきてどう思った? 正直に言ってくれ」
「正直……あまりに厳しいところだと思います。こんな何もないところにずっといたら、気がおかしくなってしまいそうです」
「そうだよな。それが普通の感想だよなあ」
グレイバルドさんは苦笑しながらひとしきり深く頷いて、
「だから何でも許されるとは言わないが……あいつらの気持ちもわかってしまうんだよな。わかってやって欲しいもんだな」
独り言なのか俺に向けた言葉なのか、中途半端な感じで言った。
「わかってやって欲しいというのは?」
「なあに。会えばわかるさ」
彼はにやりと笑って続ける。会えばわかるってどういうことだろう。
「そういう意味じゃ、私はすごい変わり者なんだろうな。私は平気なんだよな」
「えっ!? よく平気ですね」
「私はまだまだ生きていたかった。さらに剣を極めて強くなりたかった。そのためには、辿り着いたこの世界は都合が良かったんだよな」
すごいな。散々ナイトメアに襲われている俺からすると、都合が良いだなんて天地がひっくり返っても思えそうにない。
「何せ放っておいても修行相手のナイトメアどもがわんさか湧いてくるし、寿命で死ぬこともないからな。私のようなただ剣を振るっていれば良い馬鹿にとっては、そんなに悪くないところさ」
「ただまあ、私のようなのは例外中の例外なんだろうなあ」と整った顔で豪気に笑うグレイバルドさんを見て、俺は彼の本質を理解した。
この人、ジルフさんと同じ修行バカだ。