「着いたぞ」
グレイバルドさんに案内されてやって来たのは、白いドーム型の巨大な建造物の前だった。一切の突起のないつるりとした形状で、入口らしいものも見当たらない。
これは……。前にハルと一緒に映像で見たことがある。
ナイトメアが執拗に襲い掛かろうとして、最後まで弾き返されていた建物じゃないか。
なるほどね。グレイバルドさんの仲間たち、アルトサイダーにとっての生活防衛施設だったということか。
「この中に会わせたい人たちがいるんですね」
「そうだ。少しここで待っていてくれ。入れてもらえるよう話を付けてくる」
彼は俺をその場に留め置いて、一人でドームの壁の一か所に手を触れた。
そして壁に向かって喋っているようだ。
何を喋っているのか聞こうとしたけど、なぜか声がこちらまで届いて来ない。距離的に聞こえないこともないはずだけど、何か音声を防ぐ魔法でも使っているのだろうか。
声が聞こえなくても彼の表情は見える。察するに、交渉は難航しているようだった。
彼が離れている間にナイトメアに襲われないか心配になってきたところ、ようやく戻ってきた。
「私が監視するという条件付きで入れることになった」
「よそ者ですからね。警戒されても仕方ないですよね」
「まあそれもあるんだけどな」
彼はやけに含みのある苦笑いをしたが、俺にはまだ意味がわからなかった。
「とにかくあまり手荒な真似はしてくれるなよ。私も約束した手前、力づくでも止めないわけにはいかないからな」
「よほどのことがなければ大丈夫だと思いますけど」
これでも普段はかなり穏やかな方だと思うんだ。たぶん。
でも彼の懸念の意味するところを、俺はもう少し後でよくよく思い知らされるのだった。
滑らかなドームの表面に穴が開いて、ちょうど人が二人分通れそうな入口になった。
中に入ると、ドームの中は明るく、また温かった。
眼前には立派な街並みが広がっている。装飾や遊びの多い建物の造形はトレヴァークよりかラナソールチックな雰囲気で、どことなく魔法都市フェルノートの匂いを感じさせる。
大層な街並みに反して、人気はまったくと言っていいほどなかった。無音が支配する様はまるでゴーストタウンのようだ。
「静かな町ですね」
「今はな。ゆくゆくは賑やかにしていきたいようだが」
「俺に会わせたい人というのはどこにいるんですか?」
「大通りを真っすぐ進むと市庁舎ホールがある。そこに全員集まっているそうだ」
彼らがいるという場所に近づくにつれて、妙に心がざわついてきた。
……なんだ。嫌な感じがする。
不安だとか敵意だとか、そういったものがありありと感じられるようになった。
単によく知らない相手を警戒しているにしては強い感情だ。嫌われるような因縁でもあるのかな。相手のことを知らないからよくわからないけど。
市庁舎ホールに着いた。階段を登り、大会議室の一つへと案内される。
そして扉を開き、彼らの――そいつらの顔を見た瞬間――おおよその事情を理解して。
俺の怒りは完全に沸騰していた。
「お前らああああああああーーーーーーーーっ!」
胸倉を掴みかかろうとして、グレイバルドさんに肩をロックされた。
「落ち着け! 暴れるんじゃない!」
「……っ……あなたもこんな奴らの仲間だったんですか!?」
「……数少ない運命共同体だからな」
「見損ないましたよ! おい! お前たち! 自分がどれほどひどいことをしたのかわかってるのか!」
そうだ。こいつらの何人かはよく知っている。
忘れもしない。あのとき俺の行く手を阻んできた奴らだ!
お前たちがあそこで邪魔をしなければ。ヴィッターヴァイツに協力さえしなければ、俺はあいつを止めて、聖地ラナ=スティリアのみんなを助けられたんだ! あいつの野望は頓挫し、レンクスやジルフさんがきっとあいつを懲らしめてくれた! ラナさんはやられなかったし、ウィルは確かに世界を壊そうとしていたけれど、話が通じたかもしれない。世界が今ほど悲惨な状態にならなかったかもしれなかったんだ!
それを……お前たちが……!
女の一人がくすくすと笑いながら言った。
「あらら。随分と威勢の良い子っすねえ」
「だから私は会うの反対したのよぅ」
別の女――こいつは知ってる奴だ――がびびった顔で返す。
そして、あのときブラウシュと名乗っていた男が答えた。
「失敗したとは思っているさ。俺たちも困っているんだ」
「ふざけるなよ。何が失敗しただ。何が俺たちも困っているだ! 他人事のように言いやがって! わからないって言うんだったら思い知らせてやる!」
どれほどの人が闇に堕ちて、今も苦しんでいるのか。どれほどの残された人が深く悲しんでいるのか。
少しでも人の心があるなら。どうしてそんな平気な顔をしていられるんだ!
許すものか。俺の能力を使ってでも、この痛みと悲しみを教えてやる!
「離せよ!」
「そいつはできない相談だ。これ以上暴れるなら痛めつけてここから放り出すぞ」
構わずもがくものの、体格で劣り、力も圧倒的に向こうが上で全然ロックが外れない。
「くそっ! どうして俺をこんな連中に引き合わせようなんて思った!」
俺だって我慢ならない相手はいる。わかっていたなら、こうなることは目に見えていたじゃないか。
あなた自身からはそんなに嫌な感じはしなかった。悪い人ではないと信じていたのに!
睨みつけると、グレイバルドは困った顔をしながら答えた。
「……もしかすると、現状を打開する戦力になるかと期待してな。私は別に構わないんだが、全員困っているのは本当なんだ」
「ああ! もう大体わかったよ! どうせ世界をぶっ壊したのはいいけど、ナイトメアは暴れるしダイラー星系列はやって来るしで、思い描いていたはずじゃなかったって言うんだろ!? どの面下げれば協力が得られるだなんて図々しい発想になるんだ!」
「だが望む望まざるとに関わらず、現実を考えるなら君は僕たちの手を取らざるを得ないだろうさ」
特徴的な銀髪を散らかした男が、余裕を湛えた笑みを浮かべて歩み出て来た。
「ゾルーダという。一応僕たちアルトサイダーの取りまとめ役をしている」
「お前か。あのふざけた真似を指示したのは!」
「そうだな。見苦しい言い訳はしないさ。僕たちの自由のために必要だと思ったからやった」
ほとんど全員が頷いた。
グレイバルドだけは少し思うところがありそうだが、他は微塵も悪いとは思っていない顔だ。
「そうかよ……」
空恐ろしいものを感じて心底引いてしまった。おかげで俺は少しだけ冷静になってしまった。なんて奴らだ。
「こんな退屈で恐ろしい敵だらけの場所に永遠といなければならないことがどれほどの苦痛か、ここまでやって来たあなたならわかるでしょう?」
「だから俺たちはどうしても世界の境界を壊す必要があったんだ」
「だけどなあ。思うようにはいかないもんだよなあ」
そして彼らは口々に言い訳のような説明を始めた。
ラナソールの理から外れてしまった者は、薄暗闇の世界に堕ちる。
アルトサイダーは永遠の命を得る代わり、この世界からほとんど出ることは叶わない。少しの間だけなら無理に出ることはできるが、居座れば存在自体が消えてしまう。
彼らが本当の自由を得るためには、世界の境界に消えることのない十分大きな穴を開ける必要があった。
だからやったと。何の悪びれもなく。
話を聞いていて、怒りを通り越して呆れ、さらには悲しくなってきた。
こいつらは、立派な信念があって世界を破壊しようとしたわけではない。
ただ元は普通の人間だった者が外れて(しかも大半は不死のために自ら望んで!)この世界の住民となり、ゲーム感覚が抜けないまま過ごし、そしてただ己の欲望のために周りを蔑ろにしようとした。それだけのことだったのだ。
確かに何百年何千年と闇と敵ばかりの世界で過ごすのは想像を絶する苦痛だろう。俺ならとても耐えられないだろうし、そこは大いに同情する。
けれど、まったく出られないわけじゃないんだ。少しの間だけならラナソールやトレヴァークで過ごすこともできると言っていた。
だったら、望んで得た永遠の命の代償だと思って、どうして我慢できなかったのか。どうしても自由を得たいなら、なぜもっと平和方法を探し求めなかったのか。
どうしてこんな奴らのために、彼らの自由ただそれだけのことのために、二つの世界全てが犠牲にならなければならなかったのか!
できることなら今すぐにでもこいつらを捕えて、しかるべき場所で裁いてやりたかった。たとえ俺が断罪する立場になくても、こいつらのせいで犠牲になった者たちに向けて罪を明らかにしてやりたかった。
だけど今はそうしている場合ではないし、こいつら自身が言うように、こいつらには重大な利用価値があるのだった。
「道に迷っているんだろう?」
「だったら何なんだよ」
「賢明な君ならもうわかっているはずだ。僕ならば一度だけ君の望む場所へ送ってやることができる。どうだい?」
「……っ……!」
腹立たしいほどに魅力的な提案だった。これまでがむしゃらに進んでも進んでも迷うばかりで得られなかった「確実な移動手段」が、目の前にある。もし断るならばどれほどの時間のロスになるかわからない。
だけど……だけど……! どうしてよりによってこいつらなんだ!
俺は苦悩した。感情としては今すぐにでもぶちのめしてやりたい。けれどそんなことをしても意味がないことは明らかだ。すべては既に終わってしまったこと。何の解決にもならない。それにグレイバルドも止めるだろう。
だが手を取るならば、確実に一歩進むことはできる。
迷った末俺は……大人の決断をするしかなかった。
「……乗ってやるよ。お前たちは俺に何を求める? 変なことをさせようとしてみろ。刺し違えてでも止めてやるからな」
「やれやれ。物騒っすねえ」
「元より嫌われているのはわかっているさ。ここはビジネスライクにいこうじゃないか」
「言ってみろ」
「僕たちがまず求めるのは生活圏の確保さ。もちろんこんなところではない、ね。それにはある程度の不安定で良かった。だけど今は不安定になり過ぎている」
「つまりどうすればいいんだ」
「漠然としていた頼みだが、なるべく世界の形を取り戻して欲しい。望むところだろう?」
「自分たちで壊そうとしておいて今度は直そうだなんて、よく言えたもんだな。でも……わかったよ」
「では交渉成立だな」
厚かましくも手を差し出してきたゾルーダ、そしてそれを当たり前のように歓迎する面々を見て、俺は深く溜息を吐いた。
「確かにお前たちの境遇には同情するよ。俺ならずっとこんなところにいたら気がおかしくなってしまうかもしれない」
握手の代わりに握り拳を作る。
「けどな」
静かな怒りに身を任せて、俺は無理に拘束を振りほどいた。そして、目の前のゾルーダを一発だけ思い切り殴り飛ばした。
壁を突き破って吹っ飛んでいく奴の姿に、他の連中は狼狽え、また俺に非難の目を向けた。
グレイバルドもまた険しい顔を俺に向けたが、正面から睨み返すと俺の意を察したのか、何も咎めなかった。
今さらこいつらを倒したところで、何の解決にもならないことはわかっている。わかっているさ。
だけど、こいつらの身勝手で犠牲になった人たちや今も苦しんでいる人たちのことを想うと、けじめとして何もせずにはいられなかったんだ。
いきなり殴られて気分が良いわけがない。やがて仏頂面で戻ってきたゾルーダを見据えて、俺は冷静に、だがきっぱりと言った。
「俺はお前たちを許さない。いくら可哀想な事情があったって、他人を踏みにじって自分たちだけは自由を謳歌しようだなんて、そんな勝手は許されない」
「おい。てめ――」
「黙れ」
「……くっ!」
黒い力が漏れかけているのを感じる。しっかり理性で抑えておかないと、わけもなく暴力を振るってしまいそうだ。
何度か深く息を吸い、どうにか心を落ち着けてから続けた。
「今だけは協力してやる。でもいずれ必ず報いは受けてもらうぞ」
「……心に留めておこう」
こうして互いに腹に一物抱えたまま、一時的な利害の一致というだけの理由で、俺とアルトサイダーは渋々ながら手を組むことになった。