アルトサイドはいつまでも呑気に立ち話ができるほど平和ではなかった。ただ歩いているだけで、以前ユウとハルと一緒に映像で目にした闇の異形がひっきりなしに襲ってくる。
あのときの映像から、光魔法なら効くということがわかっている。念のため他の攻撃方法も試してみたけれど、結局光属性しか効かないということがわかるだけだった。
《アールリット》
光弾の中位魔法を放つと、霧状の闇の一体が掻き消えた。
どうやらここではラナソール並みの力を保持できているみたいで、超上位魔法である《アールリバイン》を使うまでもなく大抵の闇は撃破することができた。むしろいつどれだけの数の化け物が襲ってくるのかわからないので、魔力は節約した方が良いと判断し、弱めの魔法主体で戦っている。
ちなみにJ.C.さんはというと(「自分で違う名前にしたらどうですか?」と尋ねたら「今さらだもの。愛着もあるし」と返されたので今後もJ.C.さんで通すことになった)、やっぱりフェバルみたいでとてつもない力を持っていた。
そして戦い方がワイルドだった。
「はあッ!」
光を纏った拳が唸りを上げたかと思うと、闇のドラゴンが一撃で爆裂した。その動きは辛うじて見えないこともないものの、エーナさんのようなコテコテの非戦闘タイプとは明らかに隔絶している。J.C.さん本人は非戦闘タイプと言っていたけれど、下手な戦闘タイプとも遜色ないレベルの肉体派だ。
「うわあ……すごいですね」
素直に感嘆の意を述べると、J.C.さんは得意に胸を張った。
「魔闘拳というやつよ。肉体に魔力を纏って戦うの。気力より魔力の強いフェバルでも、決して魔法ばかりが戦い方じゃないのよ」
「参考になります」
ユウの《気拳術》の魔力バージョンってところかな。私や私と「くっついた」ユウの場合、気力が持てない関係で身体が弱いからそのまま真似すると身体を壊してしまいそうだけど。何か参考に新しい技が作れたらいいな。
でも今までの一連の動き、身のこなし方。どこかで見たような……。
「《剛体術》……」
ほとんど無意識にぽつりと口から出て来たのは、忌々しい男の体捌きだった。『心の世界』の記憶が覚えていたの。
それはとても小さな声だったのだけど、J.C.さんは聞き逃さなかった。名前の由来を尋ねてきたときをも超える剣幕で迫ってきた。
「あなた、ヴィットを知ってるの!?」
「ヴィット……まさかヴィッターヴァイツのことですか?」
「あの子を知ってるのね!?」
「あの子!? 知ってるも何も、あいつは!」
私は憤慨していた。あれほどひどいことをして、みんなやユウを苦しめて! 恐ろしい黒い力が目覚めてしまったのも、半分くらいはあいつのせいだよ!
私の怒りのほどがよく伝わったのか、J.C.さんは気圧された様子だった。
「やっぱり……そうなのね。噂は本当だったのね……暴虐と破壊の限りを尽くすようになったって風の噂で聞いて」
J.C.さんはとても悲しげに目を伏せた。何か事情がありそうなのは伝わってきたけれど、そんなことで私の腹の虫は収まるわけもない。
「ようになった? 昔はそうじゃなかったと言いたいんですか!」
「……そうよ。不器用だけど真面目で根は優しい男だったわ。【支配】も人のために使っていた……」
遠い目で悲しそうに語るJ.C.さんを見て、嘘を言っている可能性は頭から消えた。
だけどとても結びつかなかった。あのヴィッターヴァイツが昔は優しいところがあったなんて。
J.C.さんは絞り出すような声で語る。
「才能はあったのだけど、独りぼっちだったし、フェバルとしての力の使い方がろくになっちゃいなかったから。姉代わりとして色々手ほどきしてあげたのよ。そうして一緒に磨いてきた力が、今は乱暴のために使われているなんてね……」
肩が小さく震えていた。心底落胆し、悔やんでいるのが目に見えてわかってしまう。さすがにこの人を責めるのはお門違いだとはわかっているし、私の怒りも萎えていく。こんなに辛そうな人に追い打ちをかけるほど鬼にはなれなかった。
「彼に一体何があったんですか? J.C.さんがショックを受けるほど変わってしまった原因は何なのでしょう」
「わからない……どうしてそうなってしまったのか。私が知りたいくらいよ」
「……そうですか。でもたとえ昔どんなことがあったからと言って、今のあいつを許すわけにはいきません」
私はきっぱりと言った。どんなに辛い事情があったとしても、今の彼の暴挙を許すわけにはいかないの。現に虐げられている人たちがいるのだから。
「ええ。わかっているわ。噂が事実なら、私も懲らしめるつもりで来たから……できるかどうかは別としてね」
力なく俯いたJ.C.さんには、闇の異形を相手していたときの自信は欠片もない。それは仕方のないことだった。
「あの子は――ヴィットは強いわ。対峙したあなたたちもよくわかっているはずよ」
「はい。散々苦しめられてますから」
そう。私たちから見て、J.C.さんの動きは辛うじて「見える」。でもヴィッターヴァイツの動きは「まったく見えない」。
かつてはJ.C.さんが姉代わりで師だったかもしれないけれど、戦闘タイプとして永く力を高め続けたフェバルの実力は格が違うのだった。
「何より、仮に戦って倒せたとしても」
「そうですね……」
フェバルは殺しても死ぬことがない。結局はこの場で倒したところで、改心でもしない限りは彼の向かった次の世界で同じような悲劇が繰り返されるだけ。何の解決にもならない。そんな彼をどうやって懲らしめることができるというの?
彼からフェバルとしての力を奪うような手段があればと心から思う。封印みたいなことができればいいのだけど、フェバルに対してそのようなことができるという話はまったく聞かない。
「きっとあなたたちはそれでも戦うと思うのだけど……一度会ったら話をさせて欲しいの。もしヴィットに少しでも良心の欠片が残っているなら……」
私にはとても彼が改心するようには思えなかったけれど、J.C.さんの祈るような想いを無下にすることもできなかった。
私の無言を肯定と受け取ったJ.C.さんは、弱々しい声で「ありがとう」とだけ言った。それからしばらく気まずい沈黙が続く。
空気を読んだのかは知らないけれど、その間新たに闇の化け物が襲ってくることはなかった。
歩きながらも、ユウのこととか、ヴィッターヴァイツのこととか、世界のこととか。頭の中がぐちゃぐちゃで心の整理が付かなかった。薄暗闇ばかりで気が滅入るような光景も、ネガティブな考えに拍車をかける。
少しでも違うことを考えて、気分を変えなくちゃ。ユウはもっと辛いはずなんだから、私が参ってちゃいけない。
そうだ。お母さんの楽しい話をしよう。J.C.さんに聞かせてもらおう。
って。
「ちょっと待って。お母さんがJ.C.さんの名付け親で姉貴分、そのJ.Cさんの弟分がヴィッターヴァイツ……」
身の毛もよだつような関係性が成り立つことに気付いてしまった。
「私たち、あんな奴と親戚みたいなものなんですか……おじさん……」
露骨に嫌な顔をすると、ずっと黙り込んでいたJ.C.さんも困ったように苦笑いした。