トリグラーブに着いてからの俺は常に気を消して歩くようにしていた。もし俺の気を解析されているなら、俺の気の反応があった時点で機械兵士たちが駆けつけてくる可能性が高いと踏んだからだ。実際、前に障壁に近づいただけで殺戮メイドが大量にやってきたからね。
さすがに特定の人間を捉えるまでのシステムを現地には配備できなかったのか、今のところは警報の類いもなく、機械兵士が飛んで来る気配もない。
ただし、例の殺戮メイドが街中をパトロールしているのは散見された。なので彼女らの目に付かないよう細心の注意を払いながら移動する。
さて、どこから行こうか。
みんなのことは心配だけど……できればまずはシルバリオと連携を図りたい。
……だけどニュースによれば、彼は緊急国会に召喚されていて、ダイラー星系列の連中とは既に面識があるはずだ。この星の重要人物としてマークされている可能性が高い。直接接触するのはリスクが高いか。
どうにか向こうに気付かれないように連絡取れないものかな。誰かを介して間接的に連絡を取ることは……。
そうだ。シズハを通じて接触を図ることはできないか。
そう考えて彼女の心を捉えようと念じてみるものの……。
……心の反応がない。
気を読むのは一般人に紛れてしまうので難しいけど、心を読むのはよほど離れていなければできるはずだった。
まさか……。
最悪の想像が過ぎる。
いや落ち着け。まだそうと決まったわけじゃない。ただ遠くにいるだけかもしれない。そうであってくれ。
不安に駆られた俺は、他の友達の反応も探る。
リクは彼自身の家だ。ハルはいつもの病院にいる。シェリーは……反応が薄くてよくわからない。
他にも主だった知り合いの反応を探ったところ、トリグラーブについてはシズハとシェリー以外は無事なようだ。二人が心配だな。
シズハがいないなら、当面はエインアークスとの接触は難しいか……。
どうにか連絡が取れないかと、何でも屋『アセッド』のトリグラーブ支店にも向かってみた。だがさすがに俺本人が運営していた店は警戒が厳しくなっていて入り込めそうもない。やはり向こうは俺がユウであることは掴んでいるようだ。
リクとハルから会いに行くことにしよう。今いる場所からすぐ近いのはリクの家の方だな。
警備の網をくぐり抜けつつ彼の家に向かう。この手の潜入は何度もこなしているからお手のものだ。本来慣れるべきことじゃないんだけど。
無事リクの家に到着。張り付いている兵器は……いないな。よし。
パトロールの目を縫って滑り込むようにアパートの階段を無音で駆け上がり、彼の部屋の前に立つ。
インターフォンを鳴らすのもノックするのも目立ってまずいので、ピッキングを駆使して静かに家の鍵を開ける。
気配を殺したまま侵入。音もなく真っ直ぐにリクの下へと走る。犯罪者っぽさが半端ないが気にしてはいられない。
彼が気付く前に背後から組み付き、大声を上げる前に口を塞いだ。
「~~~~!」
(しっ。俺だ。ユウだ)
「!? モガモゴ!?(ユウさん!?)」
(急に口を塞いでごめん。なるべく声を殺して欲しいんだ。頼む)
驚きながらもリクが頷いたところで、俺は腕の力を緩めた。
(よし。手を離すよ)
そっと手を離すと、リクは何度か大きく肩で息をしてからじと目を向けてきた。
「びっくりしましたよ。相変わらず突然の登場ですね」
急に口を塞いだことへの不満を表明しながらも、しっかり声は抑えてくれているのがありがたい。
「色々あってさ。ダイラー星系列って町を占拠してる連中いるだろ? あいつらに目を付けられてるんだ」
「あー、また何かやらかしたんですね」
「まあ……そうかな」
「ユウさんですもんね」
しみじみと呟くリクの顔は「わかってますよ。いつものことですよね」と言いたげだったのでさすがに心外だ。俺だって好き好んで厄介事に首を突っ込んでいるわけじゃない。
「君の中で俺はどういう扱いになってるわけ?」
「ユウさんはユウさんですよ」
どこか呆れたような、どこかほっとしたような調子の曖昧な笑みを浮かべるリク。
「でも生きてて安心しました。ずっと顔を見せてくれないからもしかしてって心配してたんですよ」
「ごめんな。本当はもっと早くこっちへ来たかったんだけど……色々あったからさ」
……色々あり過ぎたよ。
でも俺はリクやハルの前であまり弱みは見せたくなかった。戦う力のない人たちを余計に不安がらせるだけの真似はしたくない。だから二人の前では気丈に振る舞うつもりだ。
「僕としてはその色々をぜひ聞きたいですね」
「話せる範囲で話すよ。俺も君の近況を聞きたい。情報交換といこう」
アルトサイド関連の出来事は適当にぼかしながら、聖地ラナ=スティリアが壊滅したテロ事件から今までのことを順に追って話した。
俺が世界を滅茶苦茶にしてしまった一因であることは……あえて自分からは話さなかった。
今リクに話しても何にもならないとわかっているからだ。すべて正直に吐き出して彼に責められるなり許されるなりしたところで、ただ自分が楽になりたい以上の意味はないから。
リクは相当不安が強かったようで、俺に縋るように身振り手振りをいっぱいにして自分の体験を臨場感いっぱいに聞かせてくれた。
「いやーもう大変だったんですよ! 突然ラナクリムのモンスターたちがわらわらと現れて! もうダメかと思いましたよ」
「新聞記事なら見たよ。S級魔獣までもが大量発生したって」
「そうなんですよ。やばいなあって、でも見てるしかなくて。そしたらあのでっかいロボットがズバーッと全部やっつけちゃって! 何かの映画みたいだったなあ……」
「さすがはバラギオンだな……」
「ユウさんあのロボットのこと知ってるんですか?」
「うんまあね……」
苦しかった思い出しかない。もう二回くらい戦ってることまでは言わなくてもいいか。
「ダイラー星系列の焦土級戦略破壊兵器だよ。名前の通り、町や山なんかを焦土に変えてしまうくらい恐ろしい兵器さ」
「へえ~。そんな物々しい名前だったんですね。確かに『世界の壁』吹っ飛ばしてましたね……」
「そんなのが三体も町の上空を徘徊してるんだからぞっとしないよ」
「そりゃ怖いっすね」
トリグラーブは特に重点的に守られていて、バラギオンが三体も常駐しているのだった。この一点だけでも下手な動きは取れない。
「でも、ユウさんからしたら敵対関係かもしれませんけど、あの人たちやバラギオンってのがいなかったら危なかったと思いますね」
「そこはもちろん認めてるよ。俺としてもあまり正面切って敵対したいとは思ってないんだよね」
悪いフェバルとかに比べたら、まだ話せばわかってもらえる方だとは思うんだ。実際今のところは上手く統治しているみたいだし。
ただフェバルは排除する方針なのだろうか。バラギオンまでけしかけて殺しにかかられると、さすがに穏便な対話は難しいのかなと感じてしまう。
それから、今起こっている事態について、ぼかすところはぼかしながら一通り説明した。
「つまり、この世界でたくさん人が殺された結果、ラナソールも滅茶苦茶になってしまって。壊れた世界から人やモンスターがこっちに来てしまってるということですか」
「大体そうだね。って、人もこっちに来てるのか?」
魔獣は嫌と言うほど見かけたけど、人は見たことなかったな。でもあり得ない話ではないのか。
リクはとっておきの話題を切り出すように答えた。
「そうなんですよ! これ、後でじっくり相談しようと思ってたんですけど。ランドさんが来たんです! 僕のところに!」
「ランドだって!?」
本当なのか!?
確かランドはシルヴィアと一緒に世界の果てを目指していたはず。世界の崩壊に巻き込まれて落ちてきたのだろうか。
「はい。僕の操るゲームのキャラクターをそのままリアルにしたような感じで。本当に驚きましたよ」
「それは驚くだろうね。でもそうか。あいつが来てるのは心強いな」
ラナソールでしかろくに力の発揮できない俺と違って、魔獣がそうであるように、トレヴァークでもS級冒険者上位クラスの実力が落ちることはないだろう。戦い方も教えたから、弟子ながら今の俺より強いかもしれない。
それからリクはランドとのやり取りについて色々と話してくれた。一緒に風呂に入ったときにショックだった話は……まあ、どんまい。
結局ランドは今ここにいないわけだけど、それはこういう理由かららしい。
「ランドさん、シルヴィアさんとはぐれちゃったみたいで。僕がユウさんと協力して探したらどうでしょうって提案したら探しに行っちゃったんですけど……入れ違いになっちゃいましたね」
「そうだったのか。シルヴィアとはぐれたのが気になるな」
シズハの心の反応がないのと関係がありそうで気になるな。彼女もS級上位の実力を持っているから、普通なら簡単にやられはしないだろう。
……まさかアルトサイドに落ちてしまったのか?
だとすると早く助けてあげないとまずいな。
業が深い人間ほど闇に魅入られやすいという。シルヴィアの元であるシズハは暗殺者だからな。ずっと闇に触れていたらナイトメア化してしまうかもしれない。
それに約束もした。もしどこに行ったとしても俺が見付けてやるって。
そうだな。世界のことも大事だけれど、まずは約束を守ろう。身近な仲間を一人助け出すのを最優先にしよう。ランドと一緒ならナイトメアも相手にできるはずだ。
頼む。無事でいてくれよ。
「リク。ちょっと手を貸してくれ」
「あ、はい。いつもこうやってランドさんのこと確認してたんですよね?」
「気付いたのか。そうだよ。君たち二人は心が繋がっているからね」
今さら別に隠すことでもないので肯定した。
すると、リクはおずおずと手を差し出しながらも浮かない表情になっている。
「どうした?」
「あの……ランドさんのことなんですけど」
「うん」
「彼って……その、つまり。僕の夢なんですよね……?」
「……そうだな。君の考えている通り、君の夢描く冒険者としての理想的な彼が形を成したものだよ」
「それって……要するに、今はなんでかこの世界に現れているけれど、本当は実体がないってことですよね?」
……なるほど。浮かない表情になるのもよくわかる。
「そのことは本人に伝えたのか?」
「いいえ。あまりに残酷のことのような気がして……」
「……今はそれでいいと思う。俺も結局は言えてないんだ」
今を確かに生きているラナソールの人間たちに、所詮は夢幻に過ぎないかもしれないなんて。そんなこと言えるわけがないじゃないか……。
だから俺はずっと黙ってきたし、これからも言うつもりはなかった。
見ると、リクは拳をぐっと握り込み、思い詰めた顔をしている。
「僕……考えたんです。今、この世界に起きていること。ねえユウさん。僕たちにとっての正常ってなんでしょう? ダイラー星系列の考えている事態の解決ってなんでしょう?」
「それは……たぶん、ラナソールの魔獣たちがこの世界に現れることがなくなって、世界の歪みが解消されることで……」
「そうですよね」
リクは続ける。核心に迫る言葉を。
「ユウさんはラナソールのことを普通に話してましたけど、間近で見てよくわかりました。やっぱりおかしいです。普通じゃないんだ。夢の存在が実体化しているなんてことは」
俺は剣と魔法の世界というものに慣れていたし、超常的なものにもたくさん触れてきた。だからラナソールという世界を当たり前に受け入れられていた部分はあったと思う。
でも、リクはそうじゃなかったのだと理解する。そしてそれがトレヴァークの人の一般的な感覚に近いものであることも。
「夢想病の原因も、元を正せば心が分離して……ああやってランドさんみたいに実体化していることなんだ」
「そうだな。何が言いたいんだ?」
自分の口調がぶっきらぼうなものになっていると自覚する。言葉は先を促すけれど、聞きたくなかった。
「だから……もし、彼らが生きていることそのものが問題なのだとしたら……?」
「お前……何を……」
「もしこの事態を解決することが、ラナソールそのものを――ランドさんたちすべてをこの世から消し去ることだとしたら……?」
「リク! 言って良いことと悪いことがあるぞ!」
「……っ……可能性の話ですよ。僕だってそうであって欲しいなんて思ってませんよ! でも……ユウさんだって可能性として考えてた! だから否定できないで、そんな顔をしてるんでしょう?」
……ああ。わかってるさ! そんなこと!
事態を知ったウィルが真っ先に世界を消そうとしたことも。
ダイラー星系列が見切りを付ければ、トレヴァークごと滅ぼすに違いないことも。
ラナソールはまだ存在しているのが不思議なくらい壊れかけていて。多くの人が夢想病で苦しんでいるのはそのせいで。
どうやれば元に戻るのかもわからない。元に戻すことが正しいのかさえ……!
「もしそうだとしたら……ユウさん。あなたにそれができるんですか?」
「…………」
心に杭を打ち込まれたようだった。俺は何も言えずに目を伏せるしかなかった。
気まずい無言が続いた。沈黙を破ったのはリクだった。
「……すみません。残酷なことを言ってしまって」
「いや……俺こそ怒鳴って悪かった。本当はわかってたんだ。だけど……ごめん。今は答えを出せそうにない。でも、できることをさせて欲しい――諦めたくないんだ」
「……わかりました。ユウさんならそう言うと思いました。僕もできることなら諦めたくないです。力はないですけど、できることなら協力しますよ」
「ありがとう」
そう言って今度は力強く手を差し出すリク。心は繋がったまま――つまり俺を信じてくれているということだ。ありがたかった。
ランドとの繋がりを確かめて、彼のところへ飛べそうな感覚を掴んだところで、実際に移動するのは後回しにする。
「よし。ランドのところに行けそうなのはわかった。でも実際行くのはもう少し後にするよ。まだこっちで情報を集めたい」
「ハルさんにはもう会いました?」
「まだだけど会うつもりだよ」
「ぜひそうしてあげて下さい。ハルさん、ユウさんのことすごい心配してましたからね」
「そうだろうね。あの子には悪いことしたな」
ハルにはすべて包み隠さず話しておこう。彼女からはレオンの近況とかを聞いておきたいな。ラナソールの人がいる領域にも行けるかもしれない。
ふとリクが何かまずいことに気付いたような顔になって口を押えた。
「……ところで、ユウさん。静かに言ってたのに自分で怒鳴っちゃって大丈夫だったんですか?」
「あっ……」
慌てて周囲を確認するが、兵器がやってくる気配はない。
「セーフ。セーフ」
「僕完全に口塞がれ損ですよね」
「ごめん。マジごめん」
思い出したように声を殺し、両手を合わせて謝り倒すと、リクはくすくすと笑い出した。
「ユウさんってやっぱりどこか抜けてますよね」
「気を付けてるんだけどなあ」
悪かった空気が少しだけ弛緩して、二人で笑い合うのだった。