ハルが影から協力してくれているとは言え、絶対的強者がいない中でのアルトサイド進軍は非常に神経を擦り減らすものだった。
特に島の住民「だったもの」を手にかけてからは、心が押し潰されないようにするのが精一杯だった。いつもは調子の良いランドも目に見えて険しい顔を浮かべ、ほとんど喋らなくなっていた。
偽神級の凶悪なナイトメアにはまだ出くわしていないということと、シルが生きていることだけが救いだった。
「もうすぐだ。もうすぐシルのいるところに着く」
「やっとか。ほんとにまだ無事なんだよな? ユウさん」
「奇跡的に無事だよ」
「ったく信じられねーぜ。こんなところでよく無事で――待ってろよ。もうすぐだからな」
近付くにつれ気が逸るのはどうしようもないが、しかし着実に仕事をこなしていく。見敵必殺を徹底することが、ここまでナイトメアの大量発生を避けていた。最後の最後でやらかしてシルの下に辿り着けないのではやり切れない。
そして、ついにシルが倒れているところに辿り着いた。彼女の美しい銀髪が光球の魔法に照らされて見えたのだ。
「シル!」
ナイトメアに気付かれるかもしれないが、ランドが大きな声で彼女を呼び、横たわる彼女のところへ駆けていくのは責められないだろう。
二、三歩遅れて俺もついていく。
そう言えば、なぜかこの近辺だけ闇の気配が薄くなっているな。
「おい、生きてっかよ! シル!」
ランドはかがみ込んでシルを抱き、軽く頬を叩いて彼女の状態を確認する。
彼女はうなされているものの、浅い呼吸を繰り返していた。
「ハハ……。おい、ちゃんとシルだぜ……寝てっけど……息してるぜ。ユウさん!」
ナイトメア化してしまった悲惨な住民たちを何度も見て来たから、いくら俺が無事だと言ってもこの目で確かめるまでは安心できなかったのだろう。目の端に涙を浮かべて、隣に来た俺の肩を揺らしてきた。
「うん、うん。よかった。これなら助けられそうだ」
俺は「わかっていた」けど、思っていた以上に不安だったらしい。ランドの安堵した声にもらい泣きしそうになりながら、彼女に手を伸ばす。
彼女の身体に触れそうで触れないところで、ふと彼女を包むオーラに気が付いた。
非常に気付きにくいけれど、極めて精巧で強力な守りの加護だ。
間違いなくフェバル級の。こ
れがナイトメアの脅威を弾いていたに違いなかった。
誰かに守られていたのか……? だから無事で……。
誰なのかは見当も付かなかったけど、シルを死の淵から守ってくれた人間に感謝する。そして改めて《マインドリンカー》をかけようとして――
不意に頭に声が響いた。
――――
『やはりな。お前なら来ると思っていた』
俺の声!?
いやいや。落ち着け。
これは俺じゃない。もう一人の『俺』だ。
『もしかして、君がシルを守ってくれたのか?』
色々聞きたいことがあったが、まず出て来たのはこの言葉だった。
しかし彼は答えることなく、淡々と彼自身の言葉を続けた。
まるで録音音声のようで……実際にそんなものなのかもしれない。
『じゃあなと言っておいてしまらないが。注意することができた。手短に伝えておく』
『注意すること?』
『ナイトメア=エルゼムと出くわしたら当面は逃げろ。今のお前では勝てない』
ナイトメア=エルゼム?
どういう奴だ。ナイトメアだということはわかるけど。危険な種類なのか?
『そいつはアルに『命名』されている。見れば『それ』だとわかるはずだ』
『どういうことだよ……』
『まず世界の脅威になるだろう。お前が倒せ』
逃げろって言ったのに今度は倒せって。いきなり言われても。
『どうして俺なんだ。そんなに危ない奴なら、君が倒してくれないのか?』
『俺では倒せない。お前なら倒せるはずだ』
図ったようなタイミングで言葉が返ってくるが、会話をしている印象はまったく受けない。あくまで俺の言うことを先読みして置いておいたようなセリフだ。
でも、黒の旅人って滅茶苦茶強いフェバルなんだろう。シルを守っていた加護を見ても明らかに桁が違う。
なのに、君じゃ倒せなくて俺なら倒せるってどういうことだよ……。
ほとんど突き放されたまま、もう一人の『俺』はすぐ別の話題に移った。
『それからもう一つ。世界の記憶を探せ』
『世界の記憶……?』
『俺では意味がない。お前が刻み付けろ。そして本当のラナに会うんだ』
『本当のラナだって?』
『おそらくはカギになる』
ラナは……ヴィッターヴァイツに殺されてしまったんじゃないのか……?
いや、俺が城で見た彼女は……確かに普通のラナソール人というよりも、さらに儚い印象は受けたけど……。
次から次へと突きつけられる情報に、整理が追いつかない。
『俺が示してやれるのはここまでだ。これはお前の旅だ。どうするかはお前が決めろ』
俺が決めろ、か。
突き放されているようで力強く応援されているような。そんな不思議な感じだった。
『君は……君はどうするんだ』
『俺は時間を稼ぐさ。これまでのようにな』
決意を込めた声とともに、『彼』の気配が遠ざかっていった。
――――
はっと我に返ると、《マインドリンカー》は発動していた。
シルヴィアとシズハの途切れかけていた繋がりが結ばれていく。
うなされていた彼女の寝顔は安らいでいき、やがて彼女はゆっくりと目を開けた。
「あら……ここは……?」
「シルゥーーーーーーーッ!」
ランドは人目も憚らず、抱えたシルを力強く抱き締めていた。
「わっ、ランドッ!? どうしたの!?」
「お前よおっ……! バッカやろう! マジで! あんまり心配させんなよなっ! マジで……っ……! ああちくしょうっ!」
「ちょ、ちょっと! ランド! なにいきなり泣いてんのよ……!」
「俺よう、マジで……ッ! お前が……ほんとによ……っ…………あーもう! 何にも言えねえっ!」
起きたばかりで状況がわからず、目を白黒させているシルに、ランドは男泣きで縋りついた。
「もう。ばか……」
シルは仕方ないなと優しい溜息を吐いて、まんざらでもなくランドをあやし始めた。
数秒後、そんな様子を見ていた俺にはたと気付いて、彼女はわかりやすくあわあわした。
「ユウ!? あんたいたの!? って、ちょっ、なんであんたまで泣いてんの……!?」
「あれ……? おかしいな。泣かないって決めたつもりだったのに」
ああ。よかった。いつものシルだ。変わらないシルだ。
たった一人だけど、救えた。
少しだけあの楽しかった日が帰ってきたような気がして。
やがてそれとなく事実を把握してすすり泣き始めたシルと、三人で泣きながら無事を喜び合った。