「ラナ! 起きろー! ラナっ!」
「う~。もうちょっと寝かせて……」
「だめー! おきろー! もうお日様登ってるよー! お仕事の時間だよー!」
私はいつものように騒がしい親友に叩き起こされた。
「……おはよう。イコ」
「おはよう。ラナ。今日も素敵なお目覚めね」
呆れたように笑うイコを横目に、私はあくびをする。
まだ眠い。できるなら昼くらいまで寝ていたい。
「ふわーあ。せっかく良い夢を見ていたのに」
「また始まった。今日はどんな夢を見たの?」
「モコが翼を生やしてたくさん空を飛んでてね。私もみんなと一緒にふわーって飛んでたの」
「はいはい。聞いた私がバカでした」
「えー。楽しいんだよ?」
一生懸命夢の楽しさを語るも、イコはまともに取り合ってはくれない。
「ほら早く支度して。ただでさえとろいのに、また穀潰しって責められるよー。いつか村を追い出されても知らないんだから」
「それは嫌かなあ」
「その割には必死さが足りない。ラナはマイペース過ぎるよー」
「イコは真面目ね」
「ラナがすぼらなだけよ」
支度と言っても身一つと道具くらいのもので、そんなに時間がかかるわけではない。
水瓶に汲み置きしておいた水を手ですくい、一飲みする。濡れた手で目元を拭うと少しさっぱりした。
「行きましょ。のんびりしてると虫が私たちのご飯をみんな食べてしまうわ」
「虫たちも懸命に生きてるのね」
「虫側の気持ちになって考えるな虫の!」
私は生まれたときからずっとここスチリア村で暮らしている。
両親は物心付いたときにはいなかったし、よくわからない。私という人間が生まれているのだから、両親という存在がいたということだけはわかる。
身寄りがない子供だった私は捨てられて死ぬしかなかったところ、イコのババ様(元村の長)が身元を引き受けて下さった。
以来同い年のイコとは家族であり、姉妹同然の仲だ。
仕事とは一つは農作業のことだ。日が昇り切って暑くなる前に害虫駆除等の手入れをしてしまう。
そんなわけで私とイコは村の畑までやってきたのだった。
私たちを見るなり、作業監督の女マルセラが怒号を飛ばす。
「遅い! 他の者はとっくに始めてるよ!」
「すみませーん!」
「またラナだろう? いつもぽけーっとしてさあ!」
マルセラは私にきつい拳骨を振り下ろした。そして痛みに目から星が出ているところに言ってきた。
「自分の食い扶持くらいはしっかり働きな。穀潰し」
「……はーい」
「まったく。どうしようもない子だね。ババ様もどうしてこんな子を拾ったんだか」
マルセラにぼやかれつつ、私とイコは照り付ける日差しの中、雑草抜きと害虫取りを始めた。
「痛かったねー。よしよし」
「ありがとう」
「でもラナもいけないんだよ? もうちょっと周りに合わせようって意識は持たないと」
「わかってはいるんだけどね」
あんまり積極的に命を摘むことができなくて、私はぼんやり空を見上げた。
からりとした綺麗な青空だ。
「ラナ! また空なんか見て。話聞いてるの!?」
「イコ。空って綺麗よね」
「え? まあ、そうね。でも今それどころじゃなくない?」
周りを見れば、あくせくと草抜きや虫取りに励んでいる。
命と戦っている。命が戦っている。
みんな。私も。イコも。虫も草も。
「みんな生きるのに一生懸命だよね」
「そりゃそうよ。死にたくないもの」
イコは当然という顔で答えた。
「ラナはどうなの? せっかくおばあさまに拾ってもらったのに、死にたいの?」
「まさか。ただ……一生懸命にならなくても生きてたい、かな」
「贅沢な話ねえ」
虫をつまみ取りながら、イコは苦笑した。
「男たちは狩りや戦いに行く。私たち女は農作業や物作りをする。そうやって村は回っていくのよ。そうしなきゃ人は生きられないの」
「それって誰が決めたのかしら」
「変なことを言うのね。神様が決めたに決まってるでしょ」
「じゃあ神様って誰なのかな」
「私たちと私たちの世界を創って下さった偉大な方よ」
「ふーん」
「あー、その信じてないって顔! 神様は敬わなくちゃダメなんだからねー!」
ぷりぷりするイコは可愛くて前から好きなのだけれど、それを言うともっと怒ってしまうから言わないでおこう。
私は疑問を続ける。
「じゃあ、どうして神様は私たちや世界を創ったのかな」
「それは……うーん……」
中々答えられないイコだったが、やがて言った。
「寂しかったからじゃない?」
「へえ。どうしてそう思うの?」
「きっと神様に同じような仲間がたくさんいたら、私たちなんて必要なかったと思うのよね。だから、仲間が欲しかったんじゃないかな」
「とても面白い考えね」
「久しぶりにラナに感心された気がするわ」
あなたって興味があるときとないときがわかりやすいのよ、と小突かれる。
「お日様が高くなるまでは頑張るわよ! ほら、ラナも手を動かす!」
イコが急かすので、いよいよ私は目の前の植物と向き合わなければならなかった。
「ごめんね」
謝りながら一生懸命葉にしがみついている虫をつまみ取る。
そしてまた次の一匹だ。
「ごめんね」
一言ずつ声をかけてから、丁寧に虫を剥がしていく。
「一匹一匹に声かけるなんて物好きもいたものよね」
「虫にも命があるから」
「そんなことやってるから時間かかるのよー」
イコは私の分までちゃっちゃと作業を進めていく。彼女は私とはまったく違う人間なのだと常々思う。
とは言え、他の人のように私を馬鹿にしたり蔑むことはしないで、違いをそのまま受け入れてずっと隣にいてくれるのはありがたいことだった。
日が高くなると農作業は中止となる。
私たちはゆっくりと昼ごはんを食べ、日の最も高い時間は子供は遊んだり大人は日陰で身体を休めたりして、その後日が沈むまでは物作りの作業にいそしむ。
私は休み時間、近くの木の皮を削って絵を描いた。今日夢に見た空飛ぶモコの絵だ。
慣れた手で五つほど削り終えると、元気に遊んでいる子供たちを呼んだ。
「はーい。今日は空飛ぶモコのお話をするよー!」
「「わー!」」「ラナおねえちゃーん!」
大人たちからとろいと蔑まれる私ではあるが、小さな子供にはまあまあ人気だった。私の「物語」は純粋な子供には素晴らしいものに感じられるらしい。
木の板の絵を使って空飛ぶモコの話を膨らませていく。最後は新天地を目指してモコの群れが月に向かっていったところで終わった。
「はい。おしまい」
「あー楽しかった!」「また明日ね」
きゃっきゃと手を叩いた子供たちが離れていく。
イコが後ろから温かい目で見つめていた。
「素敵な絵とお話ねー」
「今日のはよくできたと思うわ」
「私もそう思う。それだけにもったいない才能よねー」
「もったいないかな」
「うん。確かに面白いけど、木に絵を描いたってそれでご飯が食べられるわけじゃないもの」
「……そっか。そうだよね」
もし世の中に「物語」屋さんがあるとしたら、それはきっととても恵まれた存在に違いない。生きるために必要なすべてのことの上に初めて成り立つものだから。
「ごめんね。傷付けるようなこと言っちゃったかな」
「ううん。本当のことだし。それにイコの本心はわかるから」
「どうも。まー私も元長の孫娘だし、次の長の筆頭候補ではあるんだよねー。それで、色々と現実的なことを考えなくっちゃいけなくて」
そして私を見つめて、とても悲しそうに呟いた。
「……もしかしたら、近いうちに一緒にお仕事とか、できなくなっちゃうかも」
「――大丈夫。私は平気だよ」
「そのときは、ごめんね」
「うん。でもずっと友達だよ」
「もちろん!」
やがてイコは作業監督者になり、色々と重役の仕事を任せられるようになり、十七で成人すると正式に村の長となった。
そしてすぐに村一番の男と契りを結び、新しい大きな家が建てられて、そこへ移っていった。
イコが村の長になってからというもの、「家族である」私が露骨に蔑まれることはなくなった。だけどそんなことよりも彼女と話す機会がめっきりなくなってしまったことが寂しかった。
昼の休み時間。最近私はよく一人で近くの丘で寝転がり、空を見上げている。
人や村は変わっても、空は変わらない。いつも通り素敵な青を描いていた。
「みんな今を生きるのに一生懸命なの。だから青い空や白い雲や、花や草木の美しさをつい忘れてしまう」
もっと自由にのんびり生きられたらと思う。私だって、生きていくことに精いっぱいだ。
空に浮かぶ雲って美味しそうだよね。手を伸ばして、届くわけもなくって、笑う。
「確かにイコの言う通り、素敵だからって食べられるものじゃないわね」
『きゅー?』
隣で、空飛ぶモコが可愛らしい鳴き声で呼びかけてきた。「なに考えてるの?」と言いたいらしい。
この子は生まれてから私によく懐いている。
「ねえ。あなたならあの雲のところまで行けるかな?」
『きゅ!』
「そう。なら行っておいで。そして素敵な雲の味を私に教えてね」
『きゅきゅ!』
空飛ぶモコは精いっぱい翼をはためかせ、白い雲の一つへ突っ込んでいった。
――私には、物心付いたときから不思議な力がある。
私はあらゆるものの魂――本源を捉えて【想像】することができる。
【想像】したものは私の知識や経験を明らかに超えて動き出す。
彼らは本物の心を持ち、本当に「生きている」の。
……私の認識の中だけでだけどね。
私にできることはただ【想像】することだけ。それが実体を持つわけではないの。
だから、私以外の誰にもあの子たちが「生きている」ことを証明できない。わからない。
もしかしたら、私が勝手に「生きている」と思い込んでいるだけなのかもしれない。
……私は、異常なのかもしれない。
ところで、虫一匹にも、草木の一つにも、私は本源を感じ取ってしまう。
だから私にとっては昔から虫も草木も人とあまり変わらない存在だった。
そのせいで、昔から色んなことに気を取られていた。鈍臭いと言われることも多かった。
「イコ。あなたは別に村の長になりたいわけじゃなかったよね」
私は知っている。ずっと彼女の本源を見ていた。
彼女の本質は自由だった。だから私を決して蔑まなかったし、むしろ羨ましく思っていたかもしれない。
「でも、あなたは立派だよ。どこに出しても恥ずかしくない村の長になってしまった……」
けれど。だから。会えない。どんなに望んでも。もう「あなた」に会えない。
成長した今の私なら、人でさえ――イコを【想像】することすらできるだろう。
でもそれをすれば余計に空しくなるだけだとわかっているから――私は絶対にそれをしない。
モコは躍起になって空を駆け回っている。雲は食べようとすると逃げていくらしい。一つ勉強になった。
世界には、私にしか見えない私だけの【想像】で溢れている。
私は――私だけの世界の【想像】主。
……私も、寂しいかもしれなかった。