フェバル~TS能力者ユウの異世界放浪記〜   作:レストB

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221「ラナの記憶 3」

「……生きてる?」

 

 目が覚めたとき、本気で死を覚悟していた私の第一声は、自分でもどこか間抜けだと思う響きで出てきた。

 

「ああ。生きてるよ」

 

 私の完全な独り言だったけれど、視界の外から不意に男の声がして驚く。

 でもほっとしたような声色だったので、警戒心は和らいだ。

 

 私にはその人の魂――本源が見える。この人は悪い人ではないと直観した。

 

 何だかとても……寂しそうな魂だ。それに、ひどく擦り減っている。

 

 容易に推察できる事実としては、どうやら私はこの人に助けられたらしい。

 

「ありがとうございます。まだ死にたくありませんでしたから」

「まだ死にたくないか。眩しいね」

 

 まるで微笑ましいものを見るように目を細めるのが不思議だった。

 そして、私を見つめる彼の瞳には熱がある。

 

「ところでそれ、とても興味深いね」

「それ?」

 

 不意に尋ねられる。

 と言っても、私の周りには私の無事を嬉しそうに飛び回っている空飛ぶモコ――ポモちゃんしかいない。

 そしてポモちゃんは私だけにしか見えないはず。

 そのはずなのに、男は確かにポモちゃんを指して言った。

 

「そいつさ。君が創ったのかい?」

「あなた……ポモちゃんが見えるの!?」

「ポモちゃんっていうのか……」

 

 男はやや引きつった顔で笑った。いい名前なのに。

 

「見えるとも。その不思議な生き物が」

「ポモちゃん」

「……ポモちゃんが僕を引っ張って来てくれたんだ。でなければきみを見つけることはできなかったろうさ」

 

 ……初めて見た。私以外に見える人がいるなんて思いもしなかった。

 私だけじゃないってわかって。救われたような気がした。

 

 それとポモちゃんが一生懸命助けてくれたんだね。ありがとね。

 

『きゅ! きゅきゅー!』

 

 ポモちゃんは誇らしげに鳴いた。それに助けようとしたのは自分だけじゃないよとも伝えてくる。

 そっか。みんな私を助けるために頑張ってくれたんだ。後でお礼を言っておかないとね。

 

「世界って広いんですね。私だけだと思ってました」

「世界はきみの想像なんて付かないくらい広いものさ」

 

 訳知り顔で言う彼は、まるで自分がその一端を体験してきたかのようだ。

 

「きみは確かに特別だけどね。きみだけじゃない。僕も――例えばこんなことができる」

 

 彼はポモちゃんに掌をかざす。すると……。

 

「きゅー!」

 

 ドン。

 

 私の胸に思いもかけない衝撃が走った。

 

 ポモちゃんだった。この子の重さが私にかかってきたのだ。

 

 ああ。信じられない。なんてことだろう。

 

 ポモちゃんに触れる。ポモちゃんが私の世界にやって来た……。

 

「あ、はは。ポモちゃん……! ポモちゃん……っ!」

 

 あなたってこんなにしっかりしていて、温かったんだ。

 このような嬉しい不意打ちをくらっては、さすがに私も涙を我慢できなかった。

 

 ――こら。舐めなくていいんだよ。しょっぱいから。

 

 心ゆくまで実体化したポモちゃんと触れ合うのを、彼はずっと待っていてくれた。

 

「気に入って頂けたかな」

「あなたって、もしかして神様だったの?」

「だったらよかったんだけどね」

 

 彼は残念そうに肩をすくめる。

 

「実はね。恥ずかしながら、僕のこの力はとんでもない欠陥能力だったのさ。ほんのさっき、きみに出会うまでは」

「どういうことですか?」

「……そうだな。僕は自分の能力を【創造】と呼んでいる。文字通り、無から有を創造するのが僕の力さ」

「それってとてもすごいと思うのですけど」

 

 私なんて形あるものは何一つ生み出せない。

 イコたちどころか、自分一人さえ助けることができなかった。

 何の役にも立たない、誰にも理解すらされなかった力にずっと思い悩んでいたのに。

 

「でもね。無から何かを創り出すためには設計図が必要なのさ。それもいい加減なものじゃいけない。それを成すための完璧無比な情報が。そんな条件を満たすものがどれほどあると思う?」

 

 言われて、私にもようやく理解できた。

 この人はすべてを創ることのできる理想上の可能性だけを与えられて。可能性だけでしかなかったのだと。

 私と同じで、ほとんど何の役にも。いや話し相手にさえならない分、それよりもひどい……。

 

「はっきり言って役立たずさ。僕に創れたのはほんのわずかの……ごく単純な無機物だけだった。本当に欲しいものや大切なものは……何一つ創れなかったんだ」

 

 諦観の中に隠し切れない悔しさを滲ませるところを見ると、よほどのことがあったのだろうかと勘ぐってしまう。

 そしてここまで聞くと、私を見つめるその瞳の熱さもよくわかった。

 だって今、私も感動しているのだ。

 

「僕はきみの力こそ奇跡だと思うよ。完璧な心を持った存在を生み出すことができるなんて。きみのおかげで、僕は初めて自分の力をまともに使うことができた」

「私も……まさかポモちゃんたちと触れ合える日が来るなんて思いませんでした」

 

 夢や可能性でしかなかったものが現実に届く。

 私だけでは、この人だけではほとんど何にもならなかった。

 でも二人なら届く。

 

 だったら。もしかしたら――。

 

 この出会いは私たちにとって大きな希望をもたらした。

 

 互いに似たような寂しさを抱えていたのもあるだろう。それからの会話はよく弾んだ。

 つい時間の経つのも忘れてしまうほどだ。異性とこれほど話したのは初めての経験だった。

 もちろん名前も教え合った。彼はトレインといった。

 

「きみはフェバルを知っているか?」

「フェバル? 何ですかそれ?」

「ああ。知らないならいいんだ。君は年相応に見えるし、たぶんそうじゃないんだろう」

「あなたは年相応……にはとても見えませんね」

 

 あまりにも擦り減った彼の本源。彼を彼たらしめるものは、どれほどの人生を歩めばこんなにも弱々しくなってしまうのか、想像も付かないほどだったから。

 今際の際にある老人でさえ、彼に比べれば命はまだ輝いている。

 

「僕は生き過ぎた。できれば死にたいと願っている」

 

 不思議な人。心の底から死にたがる人なんて初めて。

 

「だったらどうして死ななかったの?」

 

 別に無理して生きることはないもの。生きたくても生きられない人がいるのだから。

 自ら死ぬという贅沢ができるのなら、死ねばいい。

 少なくとも私は悪いことだと思わないし、責めたりしない。

 

「試さなかったと思うのか。色々やったさ。すべて無駄だった。すべてね!」

 

 地雷に触れてしまったのか。

 くっくっく、と突然壊れたように笑う彼は不気味で、そして哀しい存在に見えた。

 この人は嘘は言っていない。

 世の中には死にたくても死ねない人間がいるのか。

 まこと驚くべきことだった。

 

「誰も僕を殺せない。僕自身でさえも! フェバルは呪われた存在だ。強過ぎるんだ! まともに人の間で暮らすことさえ叶わないっ!」

 

 元から精神が不安定がちなのだろう。あんな本源の状態では無理もない。

 自暴自棄になった彼は、たぶん力任せに何もない空中を殴った。

 たぶんというのは、鼓膜が破れるのではないかというほどの爆音とともに、彼の目の前の地面が恐ろしい勢いで直線状にめくれていくことしかわからなかったからだ。

 まるで自然災害。およそ人間業ではない。その暴力がまかり間違って誰かに向けられたなら、為すすべもなく死ぬしかないだろう。

 ポモちゃんはぶるぶると恐怖に震え、私の背中にしがみついた。

 だけど私は、そんな彼を見てもあまり怖いとは思わなかった。

 私には見えてしまうから。

 

「でも私には、あなたが今にも死にそうなほど弱々しくて、震えているように見えます。触れるだけで、壊れてしまいそうなほどに」

「じゃあどうなんだ。きみが僕を殺してくれるのか? 壊してくれるのか? たかが人間にこんないかれた化け物を殺せるっていうのか!? なあ!?」

「……どうしてもと言うのなら。あなたは私の恩人ですから」

「ほう!」

 

 トレインはやけに挑発的な声色で、強い関心を示した。できるものならやってみろと言いたげだ。

 

 実際、私ならできるだろう。

 

 私は手を伸ばし、彼の肌に触れながら――さらにその奥に触れた。

 

 私は相手の本源を見ることができる。

 

 ……実はそれだけでなくて、本源に直接触れることもできるし、ほんの少しだけなら奪うことも与えることもできてしまう。

 

 物質の世界を超越し、ただ五感によって表層を知るよりも、遥かに本質的な――それをそれたらしめるものを直接に識り、わずかだけながら操ることができる。

 

 どうして私だけこんなことができてしまうのか、私にはわからない。

 

 ただ、私はこの不思議な力を――トランスソウル(超越本源)と呼んでいる。

 

 さすがに健康な人をいきなり死なせてしまうほどの力はない。けれど、死ぬに死に切れなくて苦しんでいる人や動物を楽にしてあげるということはこっそりしてきた。

 逆に元気のない者をちょっぴり励ましたりとか、その程度のこともしてきた。

 

 そうした基準で言えば……死にかけの命よりも削れ切ったあなたの本源を摘み取ることなんて、赤子の手をひねるよりも容易い。

 

 それこそ、あなたがいかに普通のやり方で死ねないとしても、生物として自然災害並みの、不死身の強さを誇っていたとしても、まったく関係ないの。

 

 彼の弱り果てた魂に触れながら、しかし私の施した操作は殺しではなく、癒しだった。

 

 陽炎のごとくだった彼の彼たる由来は、今少しはっきりしたものになる。

 もはや擦り減った本源を元に戻すことはできない。根本的な解決にはまったくならない程度の延命措置に過ぎない。

 けれど、とにかく私は素直な気持ちに従ってそうした。

 

 彼の全存在に届く痛みとは真逆の感覚に、トレインははっと我に返り、ひどく驚き、そして心震えていた。

 

「なんだ……? 温かい……あまりにも……久しい、生きた心地だ……これは、奇跡なのか……?」

「……どうしてもというのなら終わらせます。でも、もう少しだけ生きて下さい。今あなたに死なれると困ります」

「どうしてだい?」

「だって。あなたがいなくなってしまったら、私が絶望してしまいますから。勝手に助けておいて、勝手に希望を持たせておいて、勝手にいなくなるなんて、ひどいと思いますよ?」

 

 ウインクしながらそこまできっぱり言うと、彼は肩を震わせ、愉快に笑い出した。

 

「ははは! 確かに君の言う通りだ! 僕はきみに対して責任があるな」

「ええ。大アリです」

「ふふ。そうか。そうか……」

 

 彼はついに号泣した。滂沱の涙だった。

 

「今、理解した。僕がこれまで生き永らえてきた意味を。無駄じゃなかった。意味はあった。救いはあったんだ……僕の力は、きみのためにあったんだ……」

 

 深く目を瞑り、万感を噛み締めるように言う。

 

「ここを僕の旅路の果てとしよう。そうするよ。そうしたいんだ……そうさせてくれ」

 

 そしてトレインは、私に対して膝をつき、深く頭を垂れたのだった。

 

「ラナ。残りの人でいられる命を預けよう。僕のすべてを預けよう」

 

 それはとてつもなく重く、彼にとって心の底からの覚悟と感動に満ちた誓いだった。

 

「だから……たった一つのお願いだ。どうか僕が僕でいられるうちに。僕がきみからいなくなる前に。きみが僕からいなくなる前に。きみの手で……僕を終わらせてくれ」

「……私に、あなたを殺せというの?」

「ああ……頼む。あなたにしかできない。あなたにしか僕を救えない」

 

 正直、私には彼の苦しみのすべてまではわからない。想像しかできない。

 それに、殺すなんて物騒なことをする気には、今はとてもなれない。

 

 ……けれど、それが唯一の救いになるというのなら。

 

 そして、この人と歩むことができるなら。

 きっと何もかもが変わる。変えられる。

 そんな予感と希望を胸に抱いて、彼を真っ直ぐ見つめて、問うた。

 

「じゃあ、あなたは私に何をもたらしてくれるのかしら?」

「望むなら――あなたの思い描くままの世界を」

 

 

 

 私はトレインを伴い、追放されたスチリア村に帰還する。

 

 イコを救う。村人を救う。

 隣人から、スチリア村から始めるのだ。

 

 誰もが生きるためだけに必死にならなくても良い世界を。

 誰もが自由を謳歌し、今日の糧を、明日の命を思い悩むことのない平和な世界を。

 そして、子供の頃の遊びや空想を忘れないまま大人でいられるような、素敵な夢に溢れた世界を。


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