「うーん……」
エーナは、何でも屋『アセッド』のベッドで目を覚ました。
〈注意。寝返りを左に打ってはならない。
注意を無視した場合に想定される結果。ベッドからの落下〉
まだぼんやりとした頭に、【星占い】による情報が瞬時に流れ込んでくる。
何かと下手を打ちやすい彼女は、普段は能力に〈注意〉をアラームさせて回避していたのだった。
もっとも、ラナソールに来てからは最近まで使えなかったのであるが。
「わかったわよ」
エーナはもごもごと独り言ちて右へ寝返りを打ち、身体を起こした。
目が覚めてみると、やけに身体がべとべとしていることに気付いて顔をしかめる。
そう言えば昨日はほとんど一日中戦っていたから、帰ったらそのまま何もせずに寝てしまったのだった。
朝食をとる前にシャワーを浴びることにした。
シャワールームに着いた彼女は、すぐにシャワーを浴びようとして〈注意〉をくらった。
〈注意。シャワーの温度設定を上げるべし。
注意を無視した場合に想定される結果。水を被る〉
「おっと。水なのね」
〈注意〉通りにつまみを回して温度を上げ、彼女は朝のシャワーを満喫した。
無事にシャワーを済ませた彼女は、濡れた足でシャワールームを出る。
〈足元注意。
注意を無視した場合に想定される結果。転倒および床の破壊〉
「濡れてるものね」
恐る恐る足を踏み出した。
それから着替える。
〈下着の履き忘れ注意。
注意を無視した場合に想定される結果。恥ずかしい思いをする〉
「はいはい」
毎度のことながら【星占い】の律義さ、お節介焼き加減にうんざりしてくるエーナであるが。
これほど〈注意〉が飛び乱れるのは、彼女がエーナだからであることを本人は知らない。
信頼と安心のエーナクオリティ。
それから、温風魔法で髪を乾かそうとして。
〈注意。火属性の出力を落とすべし。
注意を無視した場合に想定される結果。髪が焦げる〉
「……はい」
事あるごとに逐一〈注意〉を加えられながら、彼女はどうにか一人前に身を整えた。
普通に行くと足を踏み外すと【星占い】に言われたので、階段を慎重に降りて、階下の食堂に向かう。
既にミティは起きて調理場に立っていた。ジルフは端の方で情報誌に目を通している。
「おはよう。ミティ。ジルフ」
「おはようございます。エーナさん」
「おう。おはよう」
ミティははつらつと挨拶を返し、ジルフは静かな声で返した。
「もう朝ごはん作っちゃった?」
「いいえ。掃除を終えてこれからってとこです」
「毎日頑張って偉いわね。私、掃除係なのにさぼっちゃってごめんね」
「エーナさんは町を守るために戦ってるから仕方ないですよ」
世界が壊れたあの日、レジンバーク周辺の地理は劇的に変化した。
エーナの懸命な守護魔法も空しく、暴風が吹き荒れ、屋外にいた多くの無力な人間は吹き飛ばされた。
混乱に紛れて、ユイの身体も所在がわからなくなってしまった。
さらに、町の約四分の一は地割れを受けて陸から剥がれ、フォートアイランドとともに周辺の海ごと闇に落ちた。
崩壊が止まったとき、辛うじて残ったものは。
町の約四分の三を残す小島と、無数の破片に分かたれた未開の地ミッドオールであった。
以来、凶暴化した魔獣やナイトメアたちがレジンバークを度々襲うようになる。
そこでエーナは、ジルフや町の冒険者、ありのまま団と連携して、町の警護に就いているのだった。
「それにユウさんたちがいつ帰って来ても良いように、店は綺麗にしておかなくっちゃです!」
意気込むミティに、エーナは目を細めた。
健気な子だと思う。
エーナ自身は、願っても残念ながら二度と店が本来の業務をすることはないだろうと考えていた。
この『アセッド』は世界が平和だったから、何よりユウとユイがいたから何でも屋として機能していたのだ。
中核のいなくなってしまった店は、今はただの入れ物でしかない。
***
あれから色々悩んで、エーナは町を守ることにしたのであるが。
最初は守りをジルフに任せ、自分はユウとユイを探そうと考えていた。
【星占い】にかけたところ、二人のおおよその所在はわかった。
〈解釈。星海 ユウおよび星海 ユイはともにアルトサイドに存在と推定〉
『占星。二人は一緒にいるの?』
【星占い】は《占星》の行使により、星脈の保有する宇宙規模のレコードを〈解釈〉する。
それによって、求める情報を一定の精度で得られる能力である。
〈解釈。いないものと推定〉
同じ領域にはいるが、一緒にはいないだろうとのこと。
ユイの状態が気になっていたエーナは、次に尋ねた。
『占星。ユイちゃんの状態は?』
〈解釈。星脈への還元、確認されず。生存と推定〉
ということは、生き返ったということだろうか?
いや、そもそも星脈に戻されていないのなら、死んでいないということになる。
ユイが生きている――最悪の心配は回避されたことに安堵するエーナであるが。
あのほぼ完全に死んでいた状態から、どうやって助かったのかがわからなかった。
『占星。なぜユイちゃんは助かったの?』
〈エラー。星脈に十分な情報がありません〉
「えっ? フェバルのことなのに、星脈に十分な情報がないの?」
エーナは思わず声に出して戸惑った。
ウィルのように当人が妨害している場合は、〈妨害されているため使用できません〉と返されることはあった。
しかし、十分な情報がないというパターンは初めてだった。
『占星。なぜ十分な情報がないの?』
【星占い】は少々融通の利かないところがある。
自発的に知ろうとしなければ、いかなる情報も与えてはくれないのだ。
事細かに〈注意〉してくれるのは、想定される身の危険には常にそうするように予め《占星》しているからである。
すると、【星占い】の返答は驚くべきものだった。
〈エラー。占星権限がありません〉
「権限がないですって!?」
今度こそエーナは声を張り上げた。
以前、エーナは「フェバルの存在理由」だとか「星脈の由来」などを《占星》しようとしたことはあった。
ただし、そうした自身のルーツに関わることはすべて「占星権限がない」と返されるのが通例であり。
幾度も試みて、彼女はついに諦めた。
しかし、なぜ一個人に対してそんな大それたことになるのかがわからない。
『占星。それはなぜ?』
〈エラー。占星権限がありません〉
ダメだ。こうなると【星占い】は頑固なのだ。
だけどユウの能力が【神の器】であることは、そもそもこの能力によって知ったのだ。
ということは……。
『占星。ユイちゃんに関する情報は十分にないけど、ユウに関する情報はある。間違いないかしら』
〈解釈。肯定〉
『占星。ユウって星脈にとってどんな存在なの? ユイは?』
〈解釈。星海 ユウはフェバルであり、最大危険因子。星海 ユイ……エラー。星脈に十分な情報がありません〉
最大危険因子。随分と物騒な単語が出て来たが。
自分やレンクスたちを含めたフェバルを圧倒するほどのポテンシャルを見せつけられた今となっては、あり得ないことでもないと彼女には思えた。
『占星。どのような意味で危険なの?』
〈エラー。占星権限がありません〉
『……占星。あの謎の黒い気は何? どうしてあれを纏ったユウは、あんな化け物みたいに強いの?』
〈解釈。『黒性気』。星海 ユウのものはコピーである。
オリジナルは『始まりのフェバル』が保有する。強度において最強のオーラであるため〉
『始まりのフェバル』と言えば、ほとんど伝説でしか聞いたことがない超越的な存在だ。
それと同質の気とは、またなんて物騒な話なのか。
『占星。どうしてユウはそんなものを?』
〈エラー。占星権限がありません〉
肝心なところは役立たずめ。
エーナはイライラした。
『占星。なら、今のユウの状態は? 『黒性気』は纏っているの?』
〈解釈。健康かつ『黒性気』は纏っていないものと推定〉
ならユウは、普通の状態に戻っていると解釈して良いだろう。
助けに行っても問題ないはずだと、エーナは一人頷く。
『占星。ユウとユイちゃんを助ける方法を示して』
〈解釈。放置を推奨。エーナでは助けることは不可能〉
「なんですって!?」
ショックを受けるエーナであるが、【星占い】はいかに無味乾燥でも、〈解釈〉は必ず一定の正しさを持つ。
そのことは、彼女の長い長い人生の中で証明されている。
つまり、彼女にはどうやっても、まず助けることは叶わないのだ。
さらに追い打ちをかけるように、【星占い】は彼女に伝えた。
〈注意。アルトサイドへ行くべきではない。
注意を無視した場合に想定される結果。エーナのナイトメア化〉
またまた物騒なワードが飛び出してきたことで、エーナは動揺した。
『ちょっと待って。そもそもナイトメアって何よ。ナイトメア化とは? 占星。解釈を要求する』
〈解釈。ナイトメア。
ラナソールを構成する要素として、不必要とされる悪夢的要素から構成された存在。
理性を失い、破壊的衝動に従って行動する。
ナイトメア化。非ナイトメア生物がナイトメアと化す現象。寄生型ナイトメアにより、発症の恐れあり。
対象の記憶に重大なトラウマが存在する場合、極めて発症危険性が高い。エーナは該当〉
「……なるほど。だから私にはどうしても無理ってわけね」
言われて、度々襲撃してくるあの真っ暗闇の異形がナイトメアなのだろうと思い当たる。
そして、己のトラウマの深さを自覚しているエーナは、理由にも納得した。
彼女が闇に触れれば、間違いなくナイトメア=エーナになってしまうだろう。
こうして彼女は、泣く泣くユウとユイの救出を諦めるしかなかった。
せめてものことで、町を守る決断を下したのだ。
それから数週間。辛うじて小康状態は保っている。
***
「……ミティ。せめて朝ごはんは一緒に作りましょうか」
「はい! 美味しいごはんは一日の活力ですからね」
ミティはこんな時でも明るく振る舞うことを忘れない。
町を守る戦士たちが、安心して帰ってこられるようにと。
それが戦えない自分にとっての「戦い」なのだと、ミティは考えていた。
「ふっ。私の鍛えた料理スキルが、またまた火を吹くときがきたようね!」
……この後、【星占い】による〈注意〉が嫌になるほど入ったことは言うまでもない。