「ラナ様。出立の準備が整いました」
「ありがとうクレコ――ふふっ」
くりくりとした目で私を見つめるクレコを見ていると、自然に笑みがこぼれてくる。
「どうされました?」
「うふふ。あなたって本当に若い頃のイコによく似ているわね」
「はあ……。ラナ様、またですか。遠いご先祖様のことを言われましても、私にはさっぱりなのですひゃああーっ!?」
頬をつつくと、クレコはクールな佇まいをたちまち崩して素っ頓狂な声を上げた。
「ほんとは可愛いのに、お役目にはしっかり者さんでいようって、一生懸命気張っているところとかね」
彼女は顔を真っ赤にして、やや涙目で消え入るように言う。
「ううう……人の心が見えるのはずるいのですよぉー……」
「いいこいいこね。あなたが聖書記になってからお出かけするのは初めてだけれど、そんなに固くならなくてもいいのよ」
「やっぱり初めての御付きで。トレイン様もいないとなると、私がきちんとしなくちゃって……」
「その気持ちはありがたく受け取っておくわ。でもほら、リラックスよ。笑顔笑顔。あなたはそのままで素敵な魂を持っているのだから」
「ううー、ありがとうございましゅ……。なるべく気負わずにやってみますー」
「よろしくね。楽しんでいきましょ」
うんうん。まだまだ固さがあるけれど、さっきよりは良い心持ちになってきたかしらね。
そのとき、バーンと勢い良く扉が開いて、見慣れた顔が飛び込んできた。
「どうした!? 御付きの悲鳴が聞こえて飛んできたけど」
「はわわ……! 申し訳ありませんトレイン様! はしたない真似を!」
「ただのスキンシップよ。問題ないわ」
「……あはは、そうか。ならいいんだ。それにしてもきみたちは仲が良いな。まるでイコが隣にいるようだよ」
「もう……。トレイン様までそんなこと」
「うふふ。ごめんなさいね。年寄りの感傷に巻き込んでしまって」
「そんな。ラナ様が謝ることじゃないですよー!」
私たちがいちゃいちゃしているのを、トレインは目を細めて穏やかに見つめていた。
「じゃあトレイン。私たち、行ってくるから。お留守番はお願いしますね」
「任された。久々のお忍びなんだ。楽しんでくるといいさ」
さて。公務の場合は空飛ぶ『女神の揺り籠』に乗って、ゆっくりと人々に姿を見せて回るのだけど、お忍びにそんなもので大々的に行ってしまっては意義がない。
プライベート用のワープクリスタルを使えば、一瞬でトリグラーブへ行くことができる。ちょっと味気ないけれどね。
クレコのコーディネイトのおかげで変装もばっちり。よほど近くで見ないとわからないくらいにはしてもらった。
「行きましょう」
「はい」
私とクレコはしっかり手を繋いで、ワープクリスタルに触れた。
一瞬の浮遊感に包まれて、ワープ先は冒険者ギルドの一室だった。
既に私たちが訪れることは連絡済みだったから、身綺麗な壮年の男性がそこにいて、私の姿を確認するなりお辞儀をした。
「お待ちしておりました。トリグラーブへようこそいらっしゃいました。ラナ様」
「現ギルドマスター、ガランド・ジェイフォードですね。ご苦労様です」
「ああ、私などの名前を覚えて頂けているなんて! 恐悦至極にございます……!」
大の男が地に着くんじゃないかというくらいに頭を下げて、涙さえ浮かべて感激している。
私は「女神」だから、みんな腫物に触るようにうやうやしい振る舞いをするの。時々オーバーな人もいる。この方みたいに。
やっぱりこの感じ、わかっていてもいつまで経っても慣れないものね。
「顔を上げて下さい。私に関わった子供たちの名前くらいはみんな覚えていますよ」
一人一人魂が異なるのだから、忘れようはずもない。記憶力が優れているのはちょっとした取り柄だ。
「はあぁ。ラナ様……!」
「ラナ様……!」
もう。クレコまで感激してどうするの。
「ありがとうございます。ありがとうございます……! 我々一同、ラナ様がいらっしゃるのを心よりお待ちしておりましたので。ぜひ楽しまれていって下さいませ!」
「ええ。そうさせてもらいますね。それでガランド。今回の世話役はどなたなのかしら」
冒険者ギルドの視察もあるけれど、今回の主目的はあくまで遊び。ちょっとした冒険ツアーである。ガイドを一人付けてもらい、案内してもらうつもりだった。
するとガランドは、困ったように頬をかいた。
「それが……そのう。なるべく若い子を希望されていらっしゃいましたよね?」
「ええ。色に染まっていない方が楽しめますから」
ガランドのような人に慇懃にされてはかなわないから、もう少し気兼ねなくコミュニケーションができそうな若い子にお願いしているのだけど。
「まあ……いるにはいるのですが……新人も新人で。かなり変というか、問題のある奴でして。ご迷惑をおかけしないかと……」
「あら。楽しそうで結構じゃないですか。ぜひその方にお願いしたいところですね」
「ふーむ。ラナ様がそうおっしゃるならば……。おーい、ご指名だぞ! しっかりやってくれよ!」
扉がそーっと開いて、一人の若い女性がささっと滑るように飛び込んできた。
燃えるような赤い髪が特徴的。ぱっと見た感じはクレコと同じ年頃かしら。
吊り気味の目の奥にある瞳が、落ち着きなくそわそわと彷徨っている。かなり緊張しているみたい。
うん。見た感じ特に言うこともないような、ただの大人しい子だけれど。
……まあ、その割に魂は燃え盛る業火のように迸っているのが引っかかるかしらね。これって性格のとても強い子にありがちだから。
「わ、わたしは、あの……その……」
あらあら。可愛いこと。
いざ私を前にすると固くなって声が出て来ないなんて、よくあることだものね。
「そんなに構えなくていいですよ。ゆっくりでいいですから、あなたのことを教えて下さいね」
「あわ、わた、し……うう、くっ……」
「うーむ……仕方ない」
ガランドは悩ましげに額に手を当て、懐から何かを取り出した。
何のことはない、ただの受付台帳だ。
ただし、なぜかそれを筒状に丸めてから、
「ほいよ」
そのまま新人の子に手渡した。
すると突然。本当に突然のことだった。
カッと火が付いたように彼女が豹変したの。
筒にした台帳をマイクのように使って、先ほどまでが嘘のような溌剌とした声で、雨あられとまくし立てる。
「はーいどうもー! 呼ばれて飛び出て来ましたっ! アカツキ アカネ! 金なし! コネなし! 力なし! 空元気だけが取り柄の18歳ですっ! 先月配属されたばかりのピッチピチフレッシュな受付担当なんですよー! 今日はあの超☆絶★有名なラナさんにお会いできるってことで、昨日は楽しみで楽しみで夜もねぶっ……わー、かみかみましたすいませんっ! まだまだ不慣れですが、精一杯案内役を務めさせて頂きますので! よろしくお願いしまーす!」
「…………ふ、ふふふ。中々元気の良くて面白い子ね」
「でしょう?」
ガランドが困ったように苦笑いする。
クレコは「様を付けろ様を」と、こちらにしか聞こえないほどの小声で若干キレていた。
随分変わった魂を持っているみたいだし。なんだかこの子、将来大物になりそうね。
***
「ぶっふぁっ!?」
「どうしたんですか!? ユウくん! 何かすごく嫌なものでも見ちゃったとか!?」
「い、いま……! いま! 受付のお姉さんが……!」
「あれれぇ……? てことは、もしかしてあの人、あたしと同じ……」
「君と?」
「あーっ、ほら! ちゃんと集中しないと時間がもったいないですよ! 一大事なんですからっ!」
「……う、うん。そうだね。とにかく続きを見るよ」
「お願いしますっ!」