前日の約束通り、イルファンニーナに村まで案内してもらった。
小娘の足に合わせたが、かなり歩かされた。片道で二時間近くと言ったところか。この世界の許容性はやや高く、彼女の足でも地平線の向こう側まではいく。
オレは人里から十分距離は取っていたからな。こんな距離をよくもまあ足繁く通ってくれたものだ。
やがて着いたところは、何ということはない。寂れた村だ。石造りの家が散見される辺り、文明も遅れている。
検問所などもなく完全に拓けており、留め立てもなく入ることができた。
元来、よそ者など来ない地なのだろう。
人目に立つでかい図体のオレを見れば、村民どもは化け物でも見るかの奇異な視線を向けて、そそくさと道を開けた。
そのこと自体には、特には何も思わない。怖く見える自覚はあるし、積極的に人助けをしなくなってからはこんなものだ。
それよりも、共にいるイルファンニーナの方へ向けられている視線の方が気になる。
除け者を見るような目。「何を連れてきた」とでも言いたげだ。閉じた村の性質として排他的であるのはわからんでもないが、皆一様にというのはさすがにおかしい。彼女への当たりが冷た過ぎる。普段からろくな扱いを受けていないのではないか。
彼女はそれでも気丈に歩いていたが、そのうち嫌な空気にオレを連れ回すことに耐えられなくなったのか、気まずそうに笑った。
「あはは……。だから言ったでしょ。つまらないって」
「確かに良い心地ではないな」
自分で考えている以上に不機嫌になっていたらしく、声は険しいものだった。
「なぜこんなことになっている」
「うーん……。たぶん仕方のないことだから」
「事情を話せ。外では話しにくいのなら、家へ上がるぞ」
「強引だなあ。初デートでいきなり女の子の家へ上がろうなんて」
「変なことを言うな。それに貴様ほどではない」
「……そうね。あなたが来たいって言った時点で覚悟は決めるべきだったんだろうね。もしかしたらって、そう思っちゃったのも確かだから」
そして連れられて、彼女の家の前にまで来た。
自ずと事情は見えてきてしまった。オレはあまりの惨状に言葉を失っていたのだ。
これは……どういうことだ。
石造りの街並みの外れで、ただ一つぽつりと建つ木造家――いや、果たして家と言って良いものなのか。へし折れた木板、ささくれ立った木板をそのまま打ち付け、寄せ集めた木の枝で屋根を組んだだけの――小屋だ。
およそまともな人の住むべきところではない。動物小屋でもまだマシなものだ。
その上、側壁には無数の穴が穿たれ、現地語で口汚い落書きが掘られている。
『死ね』『白い魔女め!』『災いの娘が』『ここから出ていけ!』
他にも死を暗示する印が色々と殴り書きされていた。
瞬時に感情が昂ぶりそうになる。だが、この場で気を解放すれば地鳴りを起こしかねない。思い直し、感情を押し殺しながら言った。
「……上がるぞ」
家の中には、どこからか拾ってきた調理器具と、例の弁当箱以外には何もない。がらんどうの部屋。
フェバルの運命とは方向性が違う、だが壮絶な孤独がそこにあった。
こんな場所で、毎日のようにあれほど美味い料理を作ってくれていたのか。
何もないのにだ。己は非人のごとき扱いをされながら、オレのために。
「イルファンニーナ。貴様、食材はどうやって集めている」
「裏手に森や畑があるから、そこからちょちょいとね。あ、畑からこっそり取ってるのはみんなには内緒だよ!」
「材料調達から調理まで手ずから、片道あれほど時間をかけ……。他に何をする時間がある!? 馬鹿か貴様はッ!」
こいつが来ない日もあった。それはそうだろう。食材は毎日採れるとは限らず、村での扱いもあれでは。
だが可能な限り、こいつは必ずオレのもとへ来ていたということだ。己の使えるほぼすべての時間をかけてまで。
馬鹿げている。異常だ。オレにそこまでする価値はない。
「なぜだ。なぜそこまでする。わけがわからんぞ」
「んー……さあ、なんでだろ? 寂しかったのかも。あなたを見てたら、何だか放っておけなくて」
「…………そう、か」
聞き覚えのある言葉だった。それも一度ではない。
オレは自分で言うのもなんだが、生活能力がない。姉貴にもこいつにもお墨付きだ。武功によって稼ぎのある世界であれば良いが、そんな伝手がすぐ得られるような物騒な世界ばかりではない。
ゆえに時たま「寝てしまう」こともあるのだが、なぜだかそういうときに限って親切者が現れる。イルファンニーナほどの奴は、姉貴以外にはいなかったが。
いや、姉貴ですらこれほど献身的にはなれない。病的ですらある。
これほどの惨状とは思わなかったのだ。そうは見せないほど、こいつはずっと明るく振る舞っていた。
だが、オレなどに縋ってしまうほど救いがないのだとすれば……。
オレはギリギリと奥歯を噛み締め、こいつに問いただした。
「話してもらおうか」
「私ってほら、こんな見た目じゃない」
「綺麗だと思うが」
「ばっ……! いやいや、そういうことじゃなくって! ほら、真っ白でしょう?」
「ああ。白いな。それがどうしたというのだ」
「うん。やっぱりあなたって変わっているよね」
花のごとく笑い、それから憂いを秘めた表情で胸に手を添えた。
「白い身体と赤い目はね、魔女憑きの証なの。昔から災いの象徴とされていて」
「確かに他の人間にはない魔力を感じる。所詮有象無象の程度でしかないが」
フェバルや星級生命体といった人外に比べれば、ごくささやかなものだ。
「わかるの? でもそんなことを言うのはあなただけだよ。魔女憑きは大地から豊饒を吸い上げて生まれてくる。実際、私の生まれた年に、百年に一度の大飢饉が起こったみたいで」
ぽつりぽつりと彼女は続ける。時折苦い顔を交えながら。
実際に災害が起こり、大義名分をもって、村民どもは正義の加害者となった。
イルファとは忌むべき名だ。邪悪なる魔女憑きに付けられる名なのだ。
一度迫害が始まれば、どんどんエスカレートしていく。
両親は小さいうちに人生と彼女を捨てた。迫害に耐えかねて自殺してしまったそうだ。
ならば彼女はどうやって生き延びたのか。
食べ物を見つけるのはやけにうまいのだと胸を張る。向こうから自分に教えてくれるのだと。
……魔法の使い方の一つに、食材の魔力分析がある。彼女は生存本能から、無意識にそんな使い方をしていたのかもしれん。
オレのことも、魔力を何となく察知して見つけたらしい。オレは食材ではないが。
聞けば聞くほど、哀しかった。何より、そんな悲劇を当たり前のこととして、仕方ないこととして話す彼女が哀しかったのだ。
「そんなことか。色が違う。ただそれだけのことで。下らない。あまりにも下らない!」
オレはついに激高した。
「ふざけるなッ! 貴様が何をしたと言うのだ!」
生まれが運命を決めるなど。しかも何ら根拠もわからぬ、然様な下らない迷信によってなど!
おかしいとは思っていた。こいつの怪我はやはり修業などではなく、他人によって傷付けられていたのだと確信する。
怒髪天を衝く。振り上げた拳と同時に、地鳴りが起こる。
「ちょ、ちょっと! 落ち着いて!」
彼女が縋り付いてとりなしたので、どうにか己を抑えることができた。
いかんな。やはり周囲に与える影響が大き過ぎる。
「すまん。取り乱した」
「はあ、もう……。でもヴィッターヴァイツ、私のためにこんなに怒ってくれるんだね」
嬉しそうに言うので、オレは気恥ずかしくなってつい顔を背けた。
「貴様も貴様だぞ。なぜこんな村、さっさと出ていかんのだ」
「そうしたいのは山々だけど……みんなあなたほど強くはないから。知ってる? この村だけなの。この辺りで、私たちが暮らせる場所は……ここだけなの。あの荒野、どこまでも広がっていて果てがわからないから」
「ちっ。そうか」
ままならぬものだ。
随分と広い荒野だとは思っていた。この星に飛来するとき、見た目で乾いた星という印象はあった。よもや彼女の知る限り、他に人の住める場所がないほどとは思わなかった。
限られた水源と森。ちょうどオアシスのようになっているということか。
「あなたは本当に不思議な人。この世界の人間じゃないって言ってたけど、私は絶対に信じるよ。ヴィッターヴァイツに出会えてよかったって思ってる」
「おい。恥ずかしいことを言うな……。そもそもオレはまだ何もしていない」
「ごめんごめん。でもまだってことは、期待していいのかな?」
ああ。こいつは。本当に……。
だがここまで聞いてしまって何もしないという選択肢は、オレには持てなかった。
如何にするべきか。
優しい性根の持ち主だ。一人一人ぶん殴ってやりたいところだが、こいつは住民どもへの復讐は望んではいまい。
となれば、すべきことは一つ。
「そもそも、土地が貧しいから住民どもの発想も貧しくなるのだ。魔女憑きなど、何の根拠もない迷信に過ぎん」
彼女の頭をぽんと叩いた。オレには白い髪も、赤い瞳も、ただの美しい飾りにしか見えん。
綺麗ではないか。ただそれだけだ。
「いいだろう。こんな世界、オレが変えてやるとも。貴様が何ら特別なことはないただの小娘であると、オレが証明してやる。貴様にまつわる不幸な伝説とやらを終わらせてやろう」
オレにはそれができる。できてしまう。
呪われし運命と引き換えに得た力。【支配】は、世界を造り替えるだけの力を持っている。
大地の性質を変える。可能な限り豊饒な土地へと変貌させる。
治水を含め、あらゆる工事もしよう。力仕事はオレの得意分野だ。身一つですべてこなせる。
そうすれば、おそらくは崇められるだろう。人ではない扱いをされるだろう。
構わん。そいつは気に食わないが、貴様が魔女になるくらいなら。
「オレが神になってやる。救うのは貴様だ。イルファンニーナ」