やや間を置いて、ヴィッターヴァイツのところにJ.C.が戻ってきたとき、彼はすっかり憑き物が落ちたような顔をしていた。
彼女が知っていた昔の彼が戻ってきたようだった。理由まではわからなかったが、もう大丈夫だろうと判断した。彼女はヴィットを回復することにした。
立ち上がったヴィッターヴァイツは、神妙な面持ちで破れた空の向こう側を見つめた。そこには深淵の闇が広がっている。
アルトサイド――悪夢の領域。
イルファンニーナの記憶を得た彼は――【運命】にもがき苦しみ続け、ユウの奇跡の力に救われた彼は、薄々ながらことの真相に辿り着きつつあった。
彼に記憶を送った者の存在。どうやら彼とともにいるらしいユウの姉。
記憶が繋がった瞬間、ヴィッターヴァイツにはどういうわけか二人の位置を知覚することができた。
そして、何がイルファンニーナを殺したのか。何が彼を苦しめてきたのか。
未だ影すら見せない――【運命】を操る真の敵が存在するらしいことを。
そいつに知らぬまま翻弄され、絶望の底に叩き落とされ、良いように操られていた己の不甲斐なさに、彼はようやく気付いたのだった。
ならば。オレのすべきことは。
「……ホシミ ユウが目覚めたら伝えてくれ。オレにはやることができたと」
「どうするつもり?」
「アルトサイドへ行く。決して悪いようにはせんと誓おう」
知らねばならない。聞き出さねばならない。
この世の真実を。そして。
「後で詳しく話してもらうわよ」
「ああ」
J.C.は殊勝な態度の彼を見て、信じて送り出すことにした。彼女は、彼が口にするのを恥ずかしがり、黙ってすべきことをするときの様子を思い出していた。今のヴィットの姿はそれと重なった。だから信じられた。
ヴィッターヴァイツは、そんな姉心を知ってか知らずか、彼女に背を向けると、闇へ向かって飛び込んでいった。
何をしに行ったのかは後で話すつもりだったが、なぜそうしようと思ったのかはずっと胸に秘めておこうと彼は思った。
言えるはずがなかろう。つい先ほどまで殺し合っていた相手を、希望だと思ってしまったなどと。希望を守らねばと思ってしまったなどとは。
***
ナイトメア=エルゼムとウィル、レンクスとの戦いは長い膠着状態に陥っていた。約二ヶ月もぶっ通しで戦い続けている二人には、さすがに疲労が見え隠れしている。
戦いが進むうち、二人はエルゼムの動きを完全に見切っていた。既に「一回の戦い」において、二人がそれを脅威に感じる要素はない。
光の魔力を纏ったレンクスの蹴りが、エルゼムを砕く。エルゼムの「一回分」の命が失われた。
『ぜえ……ぜえ……。これで何回目だ? 1万から先は数えるのも面倒になっちまった』
『10万とんで4072回というところだな』
ユウと同じ完全記憶能力を持つウィルが、さらりと答える。
『ほんとに言うなよ……。気が滅入ってくるだろうが』
『僕もさすがにうんざりしてきたところだ』
ウィルが完全に同意して頷く。正確な回数がわかってしまうだけに、人一倍しんどいかもしれなかった。
二ヶ月も一緒に戦っていると、互いに軽口を叩けるくらいにはなっていた。会話くらいはしないと本当に気が滅入って仕方がない状況であり環境というのもあるが。
直後、ほんのわずかだけ闇の気配を薄めて、エルゼムは完全復活する。
10万4073回目の戦いが始まる。
さらに厄介なことがあった。
次第に進む世界の崩壊によって強まる闇が、せっかくエルゼムを倒した分のダメージを補填してしまっていることに途中で二人は気付いた。いつか終わるという希望も既にない。
エルゼムの無限の耐久力に対して、二人はいくらフェバルと言えども体力は有限である。まだまだ負ける要素はないが、根競べも永遠にできるわけではない。少しずつだが、動きに精彩を欠いてきている自覚が二人にはあった。
しかも負けないとしても、決着を見る前に世界崩壊によるタイムアップを迎える可能性が高い。総合的に考えると、情勢は苦しいと言わざるを得ない。
エルゼムが闇から手下のナイトメアを大量に召喚する。地平を埋め尽くす億の軍勢が、奇妙な叫び声を上げて二人に襲い掛かる。
「おいおい。またそれかよ」
「芸のない奴め」
フェバルからすれば雑魚でも、現地人にとっては厄介極まりない。
こいつをアルトサイドに張り付けておくことは面倒でも重要な仕事であると、二人は正しく理解していた。
『いくぞ』
『僕に命令するな』
二つの光が、瞬く間に闇の軍勢を溶かしていく。
エルゼムに一つの死を与え、そしてそれはまた蘇る。
いたちごっこはまだまだ続きそうだった。