「おい……ふざけんじゃねえよ……!」
振り返ると、ランドが顔を真っ赤にしてぶちキレていた。
「ラナソールが夢の世界だあ!? 夢は醒めなければならないだ!? さっきから聞いてりゃ、まるで俺たちが偽物か何かで、みんな消えてなくなっちまうみたいなこと言ってよう! え? ラナさん、どうなんだよ!?」
ラナさんは泣き腫らした顔で、ふるふると首を横に振るばかりだった。
「ごめんなさい。愛するあなたたちを、私は助けることができない……ごめん、なさい……」
「……ちっ!」
ランドは、激情のまま俺の胸倉を掴んだ。やり切れなくて仕方がない。そんな表情だった。
「おい。ユウさん!」
「ランド……」
「ユウさん! あんた知ってたのかよッ! その辛気臭い顔は、今知ったってわけじゃないだろう!? あんた、薄々知ってて……っ……それでずっと黙ってたのかよッ! 俺たちをずっと騙してたのかよ!?」
「それは……」
直視できない。とてもランドの顔を見られない。
君たちが知ってしまったら、こうなるかもしれないって。確かに恐れていた。意図的に言わなかったのは……事実なんだ。
「てめえ!」
顔をぶん殴られる。芯に響く痛みを受けて、俺は尻餅をついた。立ち上がれない俺に、彼はなおも掴みかかる。怒りと悲しみに満ちた心で。
「なあ……答えろよ。ユウさん……答えろって言ってんだよ……!」
「……ごめん。黙ってたのは、本当だ……」
「この野郎……!」
またぶん殴られる。それから何度も何度も、執拗に顔を殴られた。
俺はただされるがままで。この痛みさえも、罰にはまったく足りなくて。
リクがたまらず、割って入る。
「ちょっと! やめて下さいよ! 今は味方同士で争っている場合じゃないでしょう? これからどうするか、考えなくっちゃいけないときでしょう!?」
俺を殴る手が止まる。ふらりと立ち上がったランドの声は、嘘のように冷たいものだった。
「これからどうするか? リク……お前は呑気でいいよな。やっとバカな俺にわかったぜ。お前が『本物の俺』だったってわけだ。だよな。だから繋がってたわけだ。お前も、わかってたんだよな?」
「それは……」
「なあ。お前も殴られないとわかんねえのか?」
「ひっ!」
「待って!」
猛然とリクに掴みかかろうとするランドを、シルヴィアが抱きかかって止めた。
「シル!? なんでお前が止めるんだよっ!」
「リクはユウじゃないのよ! あなたの攻撃になんて耐えられない。そんなことしたら、本当に死んでしまうわ……! あなただって、一緒に……っ……!」
そう言っているシルヴィアは、今にも泣きそうだった。
「でもよ。じゃあ、シルはこれでいいってのかよ……!?」
「私だって、いいわけないっ! もう、わかんないわよっ! さっきから、頭の中ぐちゃぐちゃで……でも、ああそうだったのかって。もう、わけがわかんないわよぉ……!」
あのシルヴィアまで、しくしくと泣き始めた。もう一人の自分の存在は自覚していても、自分が偽物の方だという事実に耐えられない。
泣くシルを見てさらに怒りが湧いたランドは、歯を食いしばり、浮かない顔をする一同を睨んで言った。
「なあ。お前らみんな、俺たちが死ぬのが正しいって思ってんのか!? こんな結末、本当に仕方ないって思ってんのかよ!」
「正しいなんて、思ってるわけないよ。でも……ボクも、みんなも、わからないんだ……正直。どうすればいいのか……」
「はん。英雄レオンの片割れが。やっぱ女だな。女々しいこと言いやがって。聞いて呆れるぜ」
ランドは吠えた。ラナソールに生きる者たちを代表する、魂の声だった。
「ざけんな! 俺たちだって生きてんだよ! 俺たちとあんたらと、何が違うってんだよ! ほとんどのやつが、何も知らずに今だって生きてんだ! めちゃくちゃになった世界で、必死で戦ってんだ! なのに俺たちが諦めちまったら……誰がみんなを助けられるんだよ!? なあ! 俺たちは、最初から生きてちゃいけなかったってのかよ!」
誰も答えられない。その問いに答えられる者なんていない。
ランドは、やるせなく拳を振りかざした。
「こんな結末……認められるかッ!」
殴られたまま呆然としている俺に、もう一度ランドは食いかかった。
「なあ、ユウさん。違うって言ってくれよ……! そんなことは許さないって、言ってくれよ……っ! いつものあんたなら、みんな助けてみせるって……そう、力強く言ってくれるところだろ? 違うのかよ! おいっ!」
「…………っ」
返事のできない俺に失望したような目を向けると、いやいやと首を振って彼は言った。
「見損なったぜユウさん。ラナ様、あんたもだ! 俺は、諦めねえぞ……! ユウさん、あんたが一番それを教えてくれたんじゃねーか! なのに、あんたがそんな顔してちゃあおしまいだ! 今のあんた――最低だよ」
俺は、ガツンと心を直接殴りつけられたようで。何も口から出て来なくて。情けなくて。
彼はさめざめと泣き続けるシルヴィアの肩を抱いて、みんなに背を向けた。
「どこへ行くんだい?」
呼び止めるハルに、彼は答えた。覚悟を決めた瞳で。
「決まってる。探しに行くのさ。みんなを救える方法を。みんなが笑える方法を。誰もやらねーって言うんなら――俺がやる。送れよ。アニエス」
「でも……」
所在なく、俺とランドの双方に視線を彷徨わせるアニエス。
「送ってやってくれないか。好きなようにさせてあげてくれ……」
辛うじてそれだけ言うと、彼女は目を伏せて頷いた。
ランドとシルヴィアが、転移の光に包まれて消える。
「はあ……」
重いため息が漏れた。
全身からごっそり力が抜けていくのを感じる。ラナソールのみんなと心を繋げておくことなんて、もう無理だった。罪悪感で耐え切れなかった。
今の俺は、ミッターフレーションで現実世界に堕ちたあの日と同じ――すっかり弱い自分に戻ってしまった。
英雄とはほど遠い、ちっぽけで無力な人間に。
お通夜のように冷えた空気で、誰も何も言えないまま、それぞれが物思いに沈んでいた。
しばらくして、俺はただ義務感だけで、ラナに尋ねた。
「トレインを殺すとして……どうしたらいいのですか? アルトサイドにはエルゼムもいます。まずあれも倒さなくてはいけないでしょう」
「聖剣フォースレイダーに、夢想病に苦しむみんなの生きたいと願う心の力を込めることで……ですが、今のあなたでは……難しいですよね。その剣は、人の意志を背負う英雄にしか振るうことができませんから……」
「そう、ですね。今の俺では、とても……」
こんな状態の俺に聖剣を振るう資格がないことは、自分が一番よくわかっていた。
「ちょっと、考えさせてはくれませんか。まだ少しだけ、時間はあるはずですから」
「……わかりました。私はここで待っていますので。気持ちが固まったら、また来て下さい。あなたたちがどういう結論を出すとしても――私は受け入れます」
「ありがとう、ございます……」
戻ってきたアニエスの転移魔法で、一旦はトレヴァークに帰ることにした。
ランドとシルヴィアは、既に旅立ったらしい。あてもなく、みんなを救うための手がかりを求めて。
腫れあがった顔を見たJ.C.さんにぎょっとされ、治療を申し出られたが、俺は断った。痛むままの方がまだ、ほんの少しだけ気が楽だった。
「少し、一人にしてくれないか。頼む」
それだけ告げて、俺は何でも屋の私室に籠る。
一人になると、これまでみんなの手前、何とか気丈に振る舞っていた。責任感という化けの皮が剥がれた。
視界がぼやける。涙が滲む。
ここまでずっと、がむしゃらに走り続けてきた。
希望があると信じていた。願っていた。
みんなの力を合わせれば、できると思ってた。また世界を救えるって思ってたんだ。
馬鹿だ。今までは、ただ運がよかっただけなんだ。
思い上がっていたのは、俺だ……!
――結局、ウィルの言っていたことが正しかった。
これは、形ばかりの延命ではどうしようもない――本質的な問題だ。
ラナソールそのものが『事態』の原因であるのだから。世界を消すしかない。
極めて単純で、それしかない解決方法だ……。
リクもその可能性には気付いていた。俺だって薄々はわかっていたんだ。
認めたくなかった。それしかないんだって。どうしても認めたくなかった。
だから必死に回り道をして……結局は、元の場所へ戻ってきてしまった。
とっくに終わってしまったはずの世界。トレインが一人で無理に延命させているだけの世界。
終わらせるのが正しい。終わらせなければ、ラナソールだけじゃない。トレヴァークのみんなも、宇宙のみんなも弾け飛んでしまう。
みんなを救う都合の良い方法なんて……そんなものはない。
考えれば考えるほど、もう手遅れなのだと。もうどうしようもないのだとわかってしまう。
だけど。だけど……トレインを手にかけるということは――。
トレヴァークとほぼ同じ、ラナソールに満ちる30億の命。
それだけじゃない。トレヴァークでも夢想病にあって、既に魂がナイトメアに変質してしまったと思われる「手遅れな」命が、世界人口の約5%――1.5億人はいる。
彼らの命をも、完全に絶ってしまうことになる。
知らない命じゃない。みんな、知っている。
ランドを。シルヴィアを。ミティを。レオンを。
俺を信じて送り出してくれた、みんなを。依頼をしてくれた、関わった一人一人の大切な笑顔を。願いを。すべて消し去ることになる。
みんなを救うためにって、そのために力を借りて。みんなの想いに応えるために。
やっとここまで来た。ここまで来たのに……!
俺はみんなの想いを、裏切らなければならない。
俺が、終わらせなければならない。俺にしかできない……。
ただ世界を破壊して皆殺しにすることよりも――たった一人を殺して綺麗に終わらせることの方が、まだほんの少しだけ、優しいから。
――いいや。同じことだ。何が違う!
やり方がちょっと違うだけじゃないか。みんな死ぬことには、変わりないじゃないか……!
けれど、それが最善。それが揺るぎない結論だと。
わかる。わかってしまう。
行きつく先はもう――ない。探したって、もう。ないんだ。
これまで折れそうな心を支えてきたささやかな希望すら、もうない。
「う、うっ……」
ぽたぽたと、情けない涙が床を濡らす。
あ、あ。ダメだ。もう、ダメだ……。
いくら正しいとしても。仕方ないとしても。
「そんなこと……っ……そんな残酷なこと、できるわけがないじゃないかぁ……!」
もう限界だった。心が折れていた。
俺は膝から崩れ落ち、小さな子供のようにうずくまって、泣き続けるしかなかった。
無力だ。俺は何もできない。
運命は――どこまで残酷なのか。