トレヴァーク全域に対して突然アラームが点灯し、ダイラー星系列のトリグラーブ暫定政府はにわかに慌しくなった。
星裁執行官であるブレイは、ずっと険しい顔で副官ランウィーの報告を聞いていた。危機感から、ランウィーも冷や汗を浮かべている。
「シェリングドーラによる調査の結果、ナイトメアの総数は……推定三百億は下らないかと」
「滅茶苦茶な数だな。何かの嘘では……ないんだろうな……」
ブレイは額に手を当てる。ランウィーは下らない冗談を言う人間でも、嘘を吐く人間でもない。
「残念ながら。事実です」
彼女もまた、肩を落とす。
トレヴァークの世界人口は約三十億。その実に十倍もの数のナイトメアが押し寄せようとしているのだ。八千年の悪夢の爆発は、第一次ミッターフレーションとはさらに規模が違っていた。
二人は知らないことだが、『ユウ』とアルの激突によって押し出されてきた異形のうち、ほとんどはトレヴァークに来ていた。エルゼムに引き寄せられ、夢の大元である現実を破壊にしに来ていた。
一方、ダイラー星系列の戦力は、あくまで三十億の現実世界を制圧統治することを想定して派遣されたものである。『事態』が想定以上のことを考慮し、ブレイはある程度余裕をもって戦力の準備をしていたのだが、それでも世界人口の十倍もの敵数は想定を遥かに超えるものだった。
まともな戦力にカウントできるものとして、バラギオンは無事なのが十体、シェリングドーラは約十万体。一般の機械兵士では、ナイトメアの相手をするには実力が不足している。
まったく数が足りていない。
どうしたものか。いざというとき、本星からは現地人保護条約を破棄しても良いという通達が来ている。しかし。
「まさかこんなことになろうとは……突然だったな。何があったんだ?」
「わかりません。ホシミ ユウがラナに接触した直後に――あいつが何かしたのでしょうか?」
フェバルそのものを危険視する向きのある彼女は、ユウに疑いの目を向ける。だがブレイは首を横に振った。
「あいつが何をやったらこうなるんだ? ラナの復活が何かのトリガーを引いてしまったのかもしれないが……今は協力者を疑っている場合ではない」
「そうですね。失言でした」
哀れな一人の小物が引き起こしてしまった事態とは、誰も気付くわけもなく。
さらに、敵襲の他にも、星脈に開いた穴も急速に広がっていることを計器は示していた。
「世界崩壊の進行速度が著しく上がっている。通常の承認ルートを経ていては、とても間に合わん」
星裁執行官の中でも良心派であるブレイは、可能な限り現地人を救うという選択を捨てたくはなかったが……常に最悪の可能性を考える義務があった。
「本星へ緊急即時対応を通達する。三日以内に、周辺領域ごと――トレヴァーク、ラナソール、アルトサイドの三世界を消滅させる」
「承知しました。すぐに手筈を整えます」
緊急即時対応。議会の承認を経ずして、現地判断により星消滅級兵器の招来および使用を行うことである。
ブレイの対応は、取れる範囲での最善手ではあった。だが残念ながら、通達からの世界破壊は、宇宙の崩壊には間に合うだろうが、背後で進んでいるアルの完全復活には間に合わないだろう。
なぜなら……【運命】はそのように決まっているのだから。
【運命】の掌の上であることを知らない二人は、できる限りの手を打つ。
「まだ時間はあるはずだ。ホシミ ユウとシルバリオ・アークスペイン、それから国軍とレッドドルーザーの総指揮官に連絡を。緊急会議を行う。『アセッド』やエインアークス、他の現地の連中と共同で応戦するぞ」
「はっ」
「ランウィー。私も現場へ出ることになろう。指揮は任せたぞ」
フェバルはそれ自体が貴重な戦力である。圧倒的戦力不足に陥っている今は、焼け石に水かもしれないが。動かないという選択肢は彼にはない。
ランウィーは、いつも現場に対して親身になり過ぎ、無茶をしてばかりの幼なじみを心配する。それでも、愛する彼の決めたことだからと。仕方ないなと呆れたように嘆息し、優しく背中を押した。
「わかりましたよ。まったくあなたは。うっかりナイトメア化なんかしたら、絶対に許しませんからね」
「心得ている。心配するな。私がお前を泣かせたことがあったか?」
「おかしいですね。記憶違いでしょうか? 昔から散々泣かせてばかりだったような気がしますが」
「そうだったかな? フフ。さあ、いくぞ――戦の準備だ」
ブレイは、眼鏡をくいっと上げて会話を締めた。
***
「はあ。やっと出られたのよ」
「長い長い、そしてつまらない旅だったな……」
永遠の幼女を肩車した男が呻く。ここはトレヴァークのどこかか。
結局ユウを送り出してから、何か月にも渡ってずっと薄暗闇の世界を歩き続けていたのだから、嘆くのも仕方のない話ではあった。
神域の男が二人。激突したことにより、アルトサイドのいたるところに穴が開いた。ナイトメアの波に混ざることによって、ラミィとザックスは現実世界へ脱出することができたのであった。
「始まりのフェバルと黒の旅人……ついに激突したようね」
「場所を選んでくれ……いや、選んでアレなのか……。危うく死にかけたぞ」
戦いの余波だけで、危うく二人は軽く消し飛ばされそうになっていた。二人で協力して全力の防御魔法を張らなければ、命が危なかったのである。
アルトサイドで戦うことが、周囲への被害では最もマシな選択であると理解はしていたが。どうにも不運な二人だった。
「で、これからどうする? お姫様」
「お姫様は止めて頂戴。……そうね。ユウと合流してみようかしら。どうやら世界の危機、というものではあるようだし」
「手を貸すつもりか? 珍しい気まぐれだな」
「乗りかかった船でしょうよ。わたしとしても、この仕打ちには堪えかねるものがあったもの。敵の一つや二つ、消し飛ばして気分転換よ。やっておしまい」
幼女は、目下の下僕馬に細い足を蹴りつけてけしかけた。
その年頃の姿の女の子が、本来していてはいけないような怖い笑みを浮かべている。
「貴女が望むなら。まあ俺は、協力すると言っても、誰にも近づけないけどな……」
ザックスが寂しそうに肩を落とす。
「もう。私がいるのだから、くよくよしないのよ」
小さな手が、嘆く男をあやす。
どんな世界の危機にあっても、二人は【いつもいっしょ】。とにかくマイペースだった。
***
「ついに始まったか……」
『世界の傍観者』トーマス・グレイバーは、闇の軍勢が迫る雰囲気を感じ取っていた。
ナイトメアのほとんどはトレヴァークに向かったが、ラナソールにも来なかったわけではない。いつもの襲撃に数倍するほどの数が、こちらにもやって来ようとしていた。
「そうだなッ! 始まってきたなッ!」
違う意味に捉えたのか、隣で、ありのまま団同僚のマイケルが、白い歯を見せてにやりと笑う。彼はようやく身体が温まってきたところだった。
そう。トーマスはありのまま団の連中にひっそりと混じり、今は襲い来る魔獣やナイトメアに対抗するため、漢のマッスルトレーニングをしているところだった。
トーマスは思案する。
ラナソールは夢幻の世界である。
この世界に暮らす連中は、最終的には皆、殺されて死ぬか消えてなくなるか、どちらかに収束するのだろう。
だがそれは、どうせ死ぬからこいつらを放置しても良いということにはならない。
今死なせてしなうと、現実世界にいる対応した人物の命も失われることになる。
やはり現状、ラナソールは捨て置くことはできない。トレヴァークと同様、守らなければならないのだ。
「HAHAHA! トーマス! いいぞッ! お前の筋肉も仕上がってきたなッ!」
「俺はいつもバリバリDAZE!」
潜伏して三年近く。裸の付き合いも短くはない。愛着がわいていないと言えば嘘になる。
――そうだな。たまには「一肌脱ぐ」としようか。
ただし、俺がこっそり守るのはありのまま団だけだ。
あとは――あんたの仕事さ。見守らせてもらうぜ。ユウ。
トーマスは、不敵に笑った。
それぞれが動きを見せる中、闇の襲撃はすぐそこまで来ていた。