無力に打ちひしがれ、泣き崩れていた俺は、けれどそうしていることも許されないようだった。
――なんだ?
数え切れないほどの悪意を感じる……! それも世界のいたるところから!
これではまるで、八千年前のあのときの再来じゃないか……!
さらに、一際強いヤツの反応があった。
この反応は――まさかエルゼムか!?
そうか……。あいつがとうとうこっちの世界に出て来てしまったんだ。だから恐ろしい数のナイトメアも一緒に……。
ちくしょう。こんなときでも、世界は待ってはくれないのかよ……。
わかっている。滅びの危機に瀕しているこんなときだからこそ。世界は待ってなどくれないのだ。
袖を拭って立ち上がる。立ち上がるしかなかった。ただ泣いているだけで許される立場の人間では、もうないのだから……。
俺がおびただしい数のナイトメアを察知して間もなく、トリグラーブを緊急警報が揺るがした。屋内待機命令が下り、またバラギオンが数体集まって、広域破壊防止用の結界を張るようだ。
遠慮がちに部屋のドアがノックされ、リクの呼びかけが聞こえてきた。俺はドアを開く。
「ユウさん。ダイラー星系列から招集が来てます。緊急会議を行うから、速やかに来るようにと。J.C.さんも呼ばれて、既に向かってます」
「わかった。すぐに行くよ」
「その……こんなときに言うのもあれですけど、大丈夫ですか? 目、真っ赤ですよ」
傍目からもひどい状態になっているのだろう。泣いた痕も隠せはしない。
「……ごめんな。大丈夫なんて、とても言えない。けど、人を守るためなら戦えるさ。戦わなきゃな……」
「そう、ですか……」
人を助ける。そのために動いている間は、余計なことを考えなくて済むから。
「その……ランドさんなんですけど。僕にはやっぱり気持ちが良くわかってしまって。ユウさんのことボコボコに殴っちゃったけど、怒らないでやってくれませんか。あの人もどうしたらいいのか、わからないんだと思います……」
「怒るわけないだろ。俺だって気持ちは痛いほどわかるさ。俺だって、みんなを助けたい……。でも、俺にはもう……っ……」
「ユウさん……」
「ごめん。もう行かないと」
突き放すように、俺は足を進めた。
頭が痛い。まるで虫が動き回っているようにぐちゃぐちゃだ。
さらに入り口まで進むと、ピンク髪の少女がおずおずとした様子で立っている。
「ユウくん……」
「ハル……」
こんなときでも《マインドリンカー》が効いている辺り、ハルとレオンはとことん俺の理解者であるらしかった。
すごいよな……レオンは。自分が死んでしまう可能性を受け入れているのだから。
俺がどんな気持ちでいるのか伝わっているから、ハルは余計に声がかけられないようだった。思い悩み、勇気を振り絞るように一言だけ告げた。
「ボクとレオンは、キミがどんな決断をしても、味方だから。だから……」
「……ありがとう。行ってくる」
――結局は、俺の心一つ次第なんだ。誰かが代わりにやってくれるわけじゃない……。誰も代わりなどできない……。
昔の俺ならどうしただろうか。サークリスにいた頃の俺なら、きっとランドのように、止めたいって心のままに行動していただろうか。
それがどんな結末に繋がるとしても、最善の道を信じて進み続けたのだろうか。
だとしたら、大人になってしまったのかな。
旅の中で、本当に色々なことがあった。綺麗事ばかりでは動かない世界。色々なことを知ってしまっただけ、心は重く鈍ってしまった。
それが良い変化なのか、俺にはわからない。今の俺にできなくて、あのときの俺にならできたことだってあるのだろう。もちろん逆もある。
リクには心配されたけど、俺は本当にランドに対してまったく怒ってなんかいなかった。
むしろ、あそこで感情を剥き出しにして怒れるランドが眩しかった。俺もそうしたいと思ってしまったんだ。
ランドとシルヴィアと一緒に世界を駆けずり回って、がむしゃらにみんなを救う道を探せたら。どんなに良かっただろう。
でも、今の俺にはできない。俺がやってはいけないことなんだ……。
俺は無力だ。けれどそれは、世界の現状に対して自分ではどうすることもできないという意味であって。
あのときのような、世界を左右する力もない、ただの無力な子供ではない。
今の俺は人間のつもりでも、同時に能力を磨いたフェバルでもある。
……もう言い訳はできない。
数少ない、二つの世界を行き来できる力が。幾多の依頼をこなし、死すべき人々の運命すら変えてきた力が。やり方次第で、ヴィッターヴァイツにさえ届いた想いの力が。
この手にはもう、世界を変える力がある――。
それは同時に、力を持つ者としての、世界を動かせる者としての、責任があるということなんだ……。
世界を正しく終わらせる力。その力を持つのは、俺だけで……。
…………。
俺は分厚い雲に覆われたような気分のまま、トリグラーブ暫定政府に向かって、足だけは急いでいた。すべきことと、心の中がちぐはぐだった。