出発の直前に、ランウィーさんから通信連絡が入った。ずっと気がかりだったエルゼムについてだ。
奴がなぜすぐにトリグラーブを襲って来なかったのか。足止めされていることが判明したのだ。
爆心地付近にて、エルゼムは謎の赤髪の女性と交戦中だとランウィーさんは教えてくれた。その女性は、押され気味ながらも、たった一人で奮闘しているらしい。
たぶん、いや間違いなく受付のお姉さんだ。
お姉さんは、エルゼムが最も厄介な敵であることを察知して、単身真っ先に乗り込んでいったのだ。
アレとまともに戦えるということは、最低でも戦闘タイプのフェバル並みには強いということになる。俺たちは反応することすらできなかった相手に。本当にすごい人だ。一体どれほどの修行を重ねてきたのだろう。
すぐにでも応援に入るべきか迷ったが、そのうちにまた戦況が変わった。
さらに謎の黒髪の幼女と大柄の男性が現れ、お姉さんの助けに入ったらしい。三対一となり、大地が削れるほどの激戦を繰り広げているようだ。
幼女と男……ラミィとザックスだろうか。爆心地の方に注意を向ければ、確かに二人の反応を感じた。
以上の状況連絡を受け、ブレイさんは判断を下した。
「よし。我々は予定通り、世界各地のサポートに入るぞ。どうも我々が立ち入れるレベルの戦いではなさそうだ」
「はい。そのようですね」
悔しいが、今の実力で入っても足手まといになるだけだ。ブレイさんの言うことが正しかった。
俺はそのまま、ブレイさんと行動をともにする。時折アニエスの手を借りて、戦力が足りていないところのカバーを中心に回る。アニエスは俺たちに付きっきりではなく、全体の足として忙しなく動き回っていた。
ランウィーさんが戦況を見極め、逐次適切な場所を移動を指示してくれた。
劣勢に陥っているところへ応援に行く関係で、俺たちが向かうところは常に激しい戦いが繰り広げられていた。
ナイトメアの大群に襲われ、怪我を負い、悲鳴を上げる人々。殺されてしまった人々。そればかりか、ナイトメアに変化させられてしまう人々。そして、ナイトメアに変化した家族や友人に殺されてしまう人々。
何度も何度も目の当たりにした。
俺はとにかく必死になって、ナイトメアを斬って斬って斬りまくった。一体一体だけを見れば、まったく勝てない相手ではない。それでも敵の数はあまりに圧倒的で、しかもそれぞれが遥かにパワーアップしている。
とてもみんなを守れない。手を伸ばしても届かないものが多過ぎる!
繰り返し見せ付けられる惨殺が、悲劇の連鎖が、へし折れそうな俺の心をさらにめった打ちにする。
泣いている場合ではないのに、何度も目に涙が溜まって。そのたび周りに悟られないように拭っていた。
それもこれも、情けない俺がいつまでも決断できないからなんだ。手をこまねいている間にも、どんどん犠牲者は増えていく。
俺のせいだ……。俺がしっかりしていないから……。
心の力は、ハルやフェバルたちとの繋がりを除いては、ほとんどろくに働いてはくれなかった。
動きにも冴えがない。自分でもわかっていた。けれど、戦いの手を止めるわけにはいかない。
見かねたブレイさんが、心配して声をかけてくる。
「ユウ。お前……やはり本調子ではないようだな。精神状態に大きく左右される力というのは、こういうときに面倒だな」
「本当にすみません。もっとしっかりしなきゃいけないって、わかってはいるんですけど……っ!」
「無理はない。だが、少し下がった方がいいんじゃないのか? そもそもお前には、この世界の人々を救う義務はないのだぞ」
「そんなこと、言わないで下さい。俺が何のために今まで戦ってきたのか、知らないわけじゃないでしょう!?」
「そうか……そうだよな。わかった。何も言うまい。気の済むようにするといい」
ブレイさんは、それからも黙々と戦い続けていたが、彼もまた無力を感じているようだった。
彼の能力は【素粒子操作】らしい。対象の素粒子を操作することによって、破壊や変換といった事象を引き起こす。ヴィッターヴァイツの【支配】と若干似ているが、対象を素粒子に限定する代わりに、よりきめ細やかな操作が可能だそうだ。
だが、ナイトメアには実体がない。操作すべき対象がないのだ。能力は役に立たず、自前の魔力によって戦うしかない。こうなると、戦闘タイプでないことが致命的に響いた。
今の彼は、今の俺よりいくらか強いレベルに過ぎないのだ。
そして、そんな俺たちの限界をまざまざと見せ付けるような強敵が、ついに現れてしまった。
地を揺るがしながら迫る巨大な影。異常に肥大した手足のみを誇りにする、シンプルなゴーレム型の体躯。
「おいおい……。なんだあのでかいのは……」
「あいつは!? まさか!」
ナイトメア化し、全身が真っ黒に染まっているが。あの姿はラナクリムでも有名だった。よく知っている――!
「『拳闘神獣』ナックガルガ……!」
「そいつはなんだ。特別な魔獣か?」
「はい。魔神種です! しかも最強クラスの!」
「何だと……!?」
ラナクリムにおける「挑戦推奨」レベル――570。
あの偽神ケベラゴールよりもさらに数段格上の、文句なしに最強格の魔神種だ。
図太い手足に相応しい圧倒的パワーと、見かけに似合わない超スピードから繰り出される、「世界の壁すらも砕く」と形容される威力の物理攻撃のみを武器とする、実に潔いヤツだ。
まさかあのクラスまでもが、ナイトメア化してしまうなんて……!
今まではなかったことだった。魔神種は、闇に呑まれない程度には個の強さを持っていたはずなのだけど。ここまで世界の崩壊が進んでしまうと、さすがに耐えるのは無理だったのか。
エルゼムだけが問題ではなかった。あいつほどではないが、恐るべき実力を持つ敵は複数いたのだ。しかもこいつはナイトメア化したことで、さらに一段と実力が上がっている。今の俺たちに勝てるのか――。
ナックガルガは俺たちに狙いを定めると、巨大な足を踏み込む。次の瞬間には、地を蹴り砕く爆音に先んじて、拳を振りかぶりながら目前まで迫っていた。
速い――!
《パストライヴ》!
足の踏み込みが殴り込みの予備動作であることを知っていた俺は、咄嗟にショートワープで回避する。
一方、ブレイさんは一瞬の対応が遅れ、顔面にパンチが直撃していた。トレードマークの眼鏡が粉々に割れ、弾丸のようにすっ飛んでいく。肉体が吹き飛んでいないのは、フェバルの頑丈さが為せる業か。
『ブレイさん!』
思わず念話を飛ばすが、人の心配をしている場合ではなかった。
ナックガルガは、既に逃げた俺の位置を掴んでこちらに向かっている。《パストライヴ》は使用後に一瞬の隙があるため、こいつを前にして連続使用する暇はなかった。
打ち出してくる拳に合わせ、カウンター狙いで光の魔法気剣を突き出す。うまくかわしつつ浅く斬り付けたが、ダメージは微々たるものだ。
俺が次の一手を繰り出すよりも速く、ナックガルガは動く。
強烈なかかと落としが頭上から降り下ろされていた。まともに受けてはまずい。
受け流したが、勢いを殺し切れずに地へ弾き出される。
もろに叩きつけられる前に地面を蹴り、急速に方向転換する。距離を取って魔法気剣に賭けるつもりだった。
しかしナックガルガは、そんな俺を嘲笑うかのように、軌道を余裕で追跡し、いつの間にか背後に回っていた。
まずい。
振り向き、急ブレーキをかけ、両腕を交差させてガードする。もはやそれしかなかった。
ガードの上からでも、ぶち抜く拳が炸裂する。インパクトの瞬間、自ら後方へ飛び、威力を殺す。
それでもダメージは大きかった。
両腕が折れているのがわかる。今ので死ななかったのは、咄嗟の判断が功を奏したが――。
見逃してくれる敵ではない。
空中で体制を整える間もない中、容赦なく追撃の拳が迫る。今度こそ防ぐのは不可能。
――ダメだ。俺。
気持ちの整理も付かないまま、無理に戦おうとして。この様か。
心の弱った俺は、こんなにも弱くなってしまうのか。
みんなをろくに守ることもできず。ナイトメアの一体にも勝てない――。
本当に、情けなくて。どうしようもない――。
――――。
思わず、自分の目を疑った。
大きな背中が、まさに止めをささんとする敵の前に立ちふさがっていた。
彼の掌は、ナックガルガの巨大な拳をぴたりと受け止めていた。まるでそよ風のように、何でもないかのように。
ナックガルガは、いきなりのことに動揺が隠せなかった。拳を引こうとするが、掴まれたままびくともしない。
彼は獰猛に笑って、言った。
「獣風情が。力任せばかりで、拳の使い方をろくに知らんと見える。いいか。拳はな――こうやって打つのだ!」
腰のひねりを利かせた、光の魔力を纏った拳が――実に美しい軌道を描き、ナックガルガの胴へ叩きこまれる。
それは芸術のごとく磨き上げられ、高められた人の技。修業と戦いに身を捧げた男の技だ。
激突の瞬間、ナックガルガは全身丸ごと、風船のように弾けた。
格の違いを示すかのように。最初から敵ではないと言わんばかりに。
一撃でケリが着いた。
やったことはわかった。その圧倒的な強さも身をもってよく知っている。
でもなぜ、何がどうなってそうなったのか。さっぱりわからなかった。
どうして、お前が俺を……?
「ヴィッターヴァイツ……!?」
「フン。探したぞ。ホシミ ユウ」
ヴィッターヴァイツは、茫然とする俺の胸倉を掴むと――ナックガルガの代わりとばかりに、殴り飛ばした。