ヴィッターヴァイツにぶん殴られ、俺は地面を転がっていた。
相当手加減されて殴られたことはわかった。こいつが本気なら、既に俺の首は繋がっていない。
ヴィッターヴァイツは、憤りを露わに吼えた。
「ユウ! 貴様、こんなときに何をしている。いつからそんな腑抜けた面をするようになったのだッ!」
理解した。この男は、不甲斐ない俺に喝を入れたのだと。
ずきずきと痛む頬を押さえる。折れた腕なんかよりもずっと、芯に響く傷みだった。
――事情もすべて知らないくせに、言ってくれるじゃないか。
「ふざけるな。オレは、今の貴様のような弱い男に負けた覚えはないぞ!」
「だって……っ……! しょうがないじゃないか! トレインを殺してラナソールを消さなきゃ、あの世界のみんなを消さなきゃ、トレヴァークも宇宙も、すべてが終わってしまうんだ! そんなこと言われて、どう考えたってそれしか道がなくて……俺だってもうどうしたらいいかわかんないんだよっ!」
仇敵だったからこそ。恥も外聞もなく、立場もなく。生のままの感情を、そのままぶつけられた。
ヴィッターヴァイツは、正面から俺の感情を受け止めて、甘い言葉はかけなかった。バッサリと切って捨てる。
「馬鹿野郎。そんなこと、奴らに生命反応がない時点で、初めから可能性として予想できていたことだろうが……!」
「そんなことだとッ! 俺が、俺たちが! どれだけ……っ! みんなを助けるために動いてきたと思ってるんだ!」
「オレから言わせれば、そんなものはただの現実逃避だ。貴様は薄々気付いていながら、ただどうしようもない真実を認めたくなかっただけだ。違うか?」
違わない……。
本当はわかってた。そうかもしれないって、ずっと思ってた。
よりによってこの男に図星を突かれたことが、悔しくて。情けなくて。
絶対に言ってはいけないことまで、衝動的に言ってしまう。
「お前がそれを言うのか! 運命に屈服して、逃げ続けてきたお前が!」
最低だった。言った瞬間に後悔した。
けれどもヴィッターヴァイツは、怒鳴り返すことなく、静かに認めた。
「ああ、そうだ。オレはずっと逃げ続けてきた。全部諦めて逃げ続けて、自分を誤魔化して、そして……この様だ」
苦々しい表情で拳を握りしめ、尻餅をついたままの俺に歩み寄りながら、問いかけてくる。
「貴様も同じように逃げるのか? 貴様も所詮は同類だったのか?」
まだ答えられない俺に、ヴィッターヴァイツはさらに追い打ちをかける。
「この世の不条理になど負けないと。人のままフェバルに勝ってやると。運命などクソ食らえだと。そんなものに負けてなるものかと。そう息巻いていたのは誰だ?」
俺に指を突きつけ、彼は己が発した問いに答える。
「貴様だ! 貴様の決意と覚悟とやらは、そんな程度のものだったのか!?」
「う、ぐっ……!」
死ぬほど悔しかった。死ぬほど情けなかった。
命をかけるほどの啖呵を切って、ハルや人々の想いも乗せて徹底的に向き合った相手に。絶望からどこまでも人の価値を否定しようとしたこの男に、逆に人の覚悟を諭されているようじゃ、世話はない。
俺の気持ちが揺らいだと見たか、ヴィッターヴァイツは少し声を和らげ、説教を続ける。
「……人生の先輩として、一つ教えてやろう。この宇宙には、救いようのないことなどいくらでもある。いくらでもあるのだ……。フェバルに降りかかる過酷な運命は、それほど強力で理不尽なものなのだ……」
万感を込めて、無念を隠さずに呟くヴィッターヴァイツ。
何も否定できない。俺はあのとき、この男の心を見てしまったから。
そして、心底同情してしまったのだから。できれば救ってやりたいとさえ思ってしまうほどに。
「じゃあ。これが運命だと……諦めろと……」
「そういうこともあるという話だ。いい加減、現実を見ろ。己に課せられた運命を真っ直ぐ見つめろ。神ならぬ人の身には、どうしたって限界はあるのだ。何もかも何とかなるなどと、思い上がるな」
「……そう、か。そうだよな……俺、やっぱりどこかで、思い上がっていたんだ」
改めて思い知らされて、打ちひしがれる俺を、だがヴィッターヴァイツは改めて否定する。
「だがな」
「…………?」
「今回ばかりは、すべてを救えないかもしれん。それでも貴様は、どうしても割り切れなくて、みっともなく戦い続けているのだろう?」
「ああ……そうだよ……」
「ラナソールの連中を裏切ったも同然。さぞかし罪悪感でいっぱいというところか」
「まるでお前の方が、心を読んでいるみたいだな……」
「ふん。わかりやすいのだ。貴様は」
彼は俺の瞳をじっと見つめ、少し言葉を考えてから言った。
「なあ、ユウよ。何をそんなに苦しんでいる」
「何をって」
当たり前だろう。これが苦しくないわけがない。
だがヴィッターヴァイツは、下らんと断ずる。
「割り切れない。常には正しくあることができない。そんなことで押し潰されそうになっている貴様は、何だ。神にでもなったつもりか?」
「…………いや」
「違うのだろう? 人なのだろう? だったら――割り切れない。それで一向に構わないではないか」
「…………!」
「それにな。割り切れないことと、へし折れることは違うぞ。貴様は一度の敗北で心が折れてしまうほど、弱い人間なのか!?」
「違う……」
「違うだろう!? そうではないはずだ!」
また、燃え滾る情熱の激が飛ぶ。
何がそこまで言わせるのか。そこまで彼を変えてしまったのか。
俺の想いは、自分が思っていたよりもずっと深く、この男に「届いていた」のだろうか。
「思い出せ。貴様がいつだって最も大切にしてきた想いを! 貴様は! 貴様はッ! その優しさと慈悲の心で、手に届くだけの人間を救ってきたのではないかッ! その想いと行動に嘘偽りなどありはしないッ! そうだろうッ!」
幾度もの激突が。因縁のぶつかり合いが。彼を俺の最も深い理解者の一人にしていた。
ヴィッターヴァイツは側まで歩み寄り、ぶっきらぼうに俺へ手を差し伸べた。
「立て。オレの手を取れ。立つのだ! ホシミ ユウッ!」
ほとんど泣きそうな声で、彼はそう言った。
あのヴィッターヴァイツが……。
俺もつられて泣きそうになっていた。
これまで絶望から流してきたものとはまったく違う、熱い熱い涙が滲む。
「ユウよ! 立て! 戦え! こんなところで負けるな。オレのように逃げてくれるな。今日運命に勝てずとも、最後までしっかりと向き合え。その優しさで、できるだけのことをやってみろ! 今は届かぬことでも、必ず明日へと繋がっていくはずだッ! それが人というものだろうッ! なあ、違うのかッ!?」
「……ああ。その通りだ。何も、違わない……!」
当たり前のことを忘れていた。
なまじ強くなってしまったばかりに、何でもできなきゃいけないと思い上がっていた。できないことに絶望してしまった。
すべてを救えなかったことなんて、今までだってずっとそうだったじゃないか。
ただ今回は、あまりにも規模が大きいから。だから何もかもが見えなくなってしまって。
でも、やっぱり同じことなんだ。
この手に届くものは限られている。けれども手を伸ばさなければ、何も助けることはできない。
確かに昔とはもう違う。すべて同じように考えることはもう……できない。
人は成長して、変わっていく。俺もきっと変わってしまった。
無力を嘆いていれば良い時代は終わった。
いよいよ自分が世界を背負うときが来ている。多くの人よりも力ある者として、責任を取らなきゃいけないときが来ている。
終わらせるしかないものを、終わらせるしかなくて。
どんなに悔しくて。泣きたくて。諦めるしかないときでも。罪のない人たちの、ランドたちの想いを裏切ってまでも。
それでも俺は。何のために戦うのか。
神ならざる人は。どんなに最善を探しても、全員にとっての最高には決して至れない俺たちは。
人だから。選ばなくちゃいけないんだ。
どうしても選べないって、泣きながらでも、割り切れなくても。それでも。
誰かが。俺がやらなければ、救われない者たちが、もっともっと、たくさんいるから。
今日は届かないことでも、明日には届くようにと願って。未来へと向かって。
せめて、できるだけの優しさと慈悲をもって。
それが俺にできること。やらなくちゃいけないことなんだ。
「貴様の想いの力は、こんなものではないはずだ。貴様が信じる人としてのフェバルの可能性は、こんなものではないはずだ! 貴様は――貴様なら、いつかは運命をも超えられるはずだ! なあ、オレに見せてくれ! 貴様の次の一歩を! オレを変えた貴様を、オレが信じた貴様を、最後まで信じさせてくれ……!」
祈るような声で、思いの丈を振り絞って、男ヴィッターヴァイツは叫んだ。
彼の目には、隠し切れない涙が浮かんでいた。
男が二人。みっともなく泣いて。
でも――そうだな。わかったよ。心はまだぐちゃぐちゃだけど……やってみるさ。
手を取ると、温かい力が流れ込んでくる。
腕の痛みが綺麗になくなった。黙って折れた腕を治してくれたのだと気付く。
はっとする俺に、ヴィッターヴァイツは照れ隠しで手を振り払った。そして告げてくる。
「……ナイトメアどもならば、オレが相手をしてやる。最後の時間くらいは作ってやる。だから、貴様が大切にしてきたものを、これから終わらせるものを――しっかりその目で見てこい。貴様の姉と一緒にな」
「お前……まさか」
J.C.さんが言っていた。義弟にはアルトサイドでやりたいことがある。まさかそれって……。
ヴィッターヴァイツは、わざとらしくとぼけた。
「おい。何を呆けている。案ずるな。オレの強さならば、よく知っているだろう? 貴様一人の分くらい、どうとでもなるわ」
「ヴィッターヴァイツ……」
「さあ、さっさと行け。気まぐれなオレの気が変わらんうちにな」
まさかこの人を相手に、こんなことを言う日が来るとは思わなかったけれど。
「――ありがとう。ヴィッターヴァイツ」
男はもう何も言わず、ただ背中で答えた。
今このときばかりは、誰よりも大きくて、頼もしく見えた。
俺は一時戦線離脱し、駆け出す。アニエスの時空魔法を頼りに向かう。
ユイが待っている――最後の日のラナソールへ。
ユウが去った後、ヴィッターヴァイツはやれやれと肩をすくめた。
「まったく世話かけさせやがって」
ナイトメアは空気を読まない。
ナックガルガが消し飛ばされてもまたすぐに大群が現れる。
そいつらを前にして、ヴィッターヴァイツは獰猛に笑った。
「言った手前、存分に暴れさせてもらうぞ」
そこへ、ブレイが復帰してくる。
全身あちこち擦りむけ、額には血が滲んでいたが、まだ戦うには支障のないレベルではある。
ブレイには、途中からユウとこの男の会話が聞こえていた。
「お前が人のために戦おうとは。どういった風の吹き回しだ」
「ただの気まぐれだ。それより、せっかくのトレードマークが台無しのようだが」
ブレイの眼鏡(本体)は、レンズが粉々に砕け散り、へしゃげたフレームだけがわびしく貼り付いていた。
しかしブレイは事も無げに言う。
「こいつは伊達だ。古臭いファッションだよ。フェバルの目が悪いわけなかろう」
「くっくっく。それもそうか」
互いに見合わせる。
思うところはあったが、ブレイは今すべきことを優先することにした。
「お前には色々と罪状があるが……今だけは見なかったことにしてやる。手を貸せ」
「そいつはどうも。貴様こそ、足手まといにはなるなよ」
「善処しよう」
心強い味方を得たブレイは、ユウと組んでいたときに倍増して敵を殲滅していく。
正真正銘、戦闘タイプのフェバルは、一人で戦況を変えるだけの力を持っていた。
ヴィッターヴァイツの士気も極めて高い。ユウを失望させないためにも、力の続く限り、彼は戦い続ける。
やがて、回復に来たJ.C.は、ブレイとともに奮闘する義弟を見て、嬉しそうに頬を緩めるのだった。