ありのまま団を去った後、俺たちが次に向かうのは冒険者ギルドだ。
ここまで世界各地を急ぎ足で回ってきたが、そろそろ日は落ち夜になろうとしている。
「トレヴァークに戻ってからのことも考えたら、あまり時間はないな」
「名残惜しいけど、ゆっくりしてはいられないね」
ユイはトレインの待つアルトサイド中枢の位置情報をもう一人の「俺」から得ている。しかし、道を開くためには封印の要石となっているナイトメア=エルゼムを倒す必要がある。エルゼムを倒し、なおかつトレインの元に辿り着くまでの時間は最低限必要になる。
それだけでなく、トレヴァークで今も続いている絶望的な戦いの推移も考慮する必要がある。
今でも心を繋げているハルから時々連絡が来ているのだけど、戦況ははっきり言ってひどいものだ。
トリグラーブなどの大都市では辛うじてナイトメアを押し留められてはいるが、地方都市は圧倒的に手が足りていない。まともな戦いと呼べるものにすらなっていなかった。
ラナソール人と違って現実的な力しか持たないトレヴァーク人は、闇の攻勢に対してはただ蹂躙されるばかりだ。小さな都市からまず連絡が付かなくなり、魔神種ナイトメアの一撃によって地図から消えてしまった都市もあるという。
俺たちがぐずぐずしているうちに、どんどん犠牲者が増えている。
胸はひどく痛むけれど、しかし覚悟のできてない状態で行ったところで、焼け石に水にしかならない。実際戦ってみて痛感している。
今の俺とユイでは、魔神種の一体にも勝てない。それがゆるぎない事実なんだ……。
仮に今ここでどんなに覚悟を決めたと嘯いてみても、【神の器】は心の状態に対して正直にパフォーマンスを発揮する。焦って気持ちの整理を付けないまま向かっても、想いの力は応えてはくれない。ただのなまくらになってしまう。中途半端な決意で向かうことは、むしろ最悪なのだ。
だから回り道のようでも、今はなるべく一つ一つのことに向き合わなくてはいけない。
この世界の人たちに、きちんとお別れをしなければならない。そうでなければ先へ進めない。
――他ならぬ俺たちが、そう思っているから。
話を戻そう。
放置すれば世界を一気に滅ぼしかねない最凶のエルゼムは今のところ、受付のお姉さんたちによって食い止められている。
J.C.さんが後方で回復役を担っており、定期的に体力を回復しながら戦っているそうだ。
だがエルゼムは、単純な強さも戦闘タイプのフェバル並みでありながら、光魔法とお姉さんシリーズ以外の攻撃を一切通さない防御性能を誇る。さらには、ダメージを与えてもすぐに再生してしまう脅威のタフネスを持っていた。J.C.さんがいなければ、とっくに戦線は崩壊しているところだった。
そして光魔法でなくても、お姉さんの虹色オーラの攻撃はなぜか通るらしい。お姉さんのやばさが伝わる一面ではあるが……。
とにかく、彼女たちドリームチームでも未だ決定打は与えられていない。何度かお姉さんやザックスさんがエルゼムの全身を吹き飛ばすほどの大技を放ったみたいだけど、それでも再生復活してしまったそうだ。
J.C.さんの回復能力と、エルゼムの再生能力によるいたちごっこが続いている。
とすると、やっぱりアレはもう一人の「俺」が言う通り、俺たちでなければ――本源を断つ一撃じゃないと倒せないってことなのか。
しかも厄介なことには、時間が経ち、世界崩壊が進むにつれて、次第にパワーアップしてきているということだ。
現状のメンバーではじきにもたなくなると見たアニエスは、先にこちらの世界へ来て、ジルフさんをトレヴァークに召喚した。
そしてジルフさんをブレイさんのサポートに就け、入れ替わりでヴィッターヴァイツが対エルゼム戦に追加参戦した。姉弟のコンビネーションが加わり、劣勢だった状況を五分にまで押し戻している。
……というのが、現状であるようだ。
『こっちは頑張って耐えておくから、ユウくんとユイちゃんはちゃんと自分の為すべきことをしてね』
『わかった。報告ありがとう。ハル』『ありがとね。ハル』
「……もうすぐギルドだ。行こう」
「……うん」
冒険者ギルドに着いた。
両開きのドアを上げると、受付兼酒場になっている。
今は襲撃が来ていないからか、また夜の時間で、たくさんの冒険者たちが店内にいた。
受付には、お姉さんの姿はないようだ。ゴルダーウ団長の姿も見当たらない。作戦会議してるっていうから、上のフロアにいるのかもしれない。
みんなが俺たちに気付くと、やんややんやの大喝采が上がる。
「おお、ユウさん!」
「ユイちゃんもいるぞ!」
「やったぜ!」
「しばらくぶりだなあ! ユイちゃんなんていつぶりだ?」
「ユウ様!」「ユイ様!」
「英雄のご帰還だーーーー!」
わっと人が押し寄せて、二人して揉みくちゃにされる。
温かい歓声が、今は突き刺すような痛みを伴ってくる。喜ばれることがこんなにつらいと思う日が来るなんて、思わなかった。
「で、どうなんですかい? 今度の冒険の首尾は?」
「俺たちみんな、あんたらの活躍を聞きたくってさ!」
「ぜひ酒の肴に聞かせてくれよ! 今度はいったいなんて奴を倒したんだ?」
「誰を救ってくれたのかしら?」
「この世界を救う方法、探してるって聞いたわよ!」
「「ユウさん! ユイさん!」」
「「みんな……」」
やっぱり言葉が出てこない。こんなとき、何を言ってやれるものか。
俺たちはみんなの期待を裏切るのだと。これからみんなを亡き者にするのだと。救う方法なんてないのだと。
そんなこと……っ……。
唇を噛み締め、涙を堪えるばかりになってしまった俺たちに、ギルドの面々は慌て出した。
「わ、どうしたよ?」
「おーい誰だ!? こんな可愛いの泣かせちまったのは!」
「まさか僕が……?」「おめえ喋ってなかったじゃねえかよっ!」
「つらいことがあったのかもね」
「オレたちと一緒さ。英雄だって人の子だろうよ」
「ほうら、席へお迎えしろ! 誰か二人に奢ってやれ!」
促されるまま、酒場のカウンターに座らされる。
騒がしくも優しい声が余計に心にしみて、胸がいっぱいで喋ることができない。みんなの顔が涙でぼやけて、見えない。
「言い出しっぺのあんたが奢れよ!」「くっそー、今手持ちがねえんだよぉ!」
「オレが奢るぜ。こんなときのための借りだ」
「ギンド!?」「そういやてめーユウさんに散々奢られてたなあ!」「そうだな! それがいい!」
「よっしゃ、酒だ酒!」「元気出してもらわなくっちゃ」
「何言ってるのよ! ユウ様とユイ様はお酒を召し上がらないのですわ!」
「だったらなんだ?」「ミルクだ!」「いつも頼んでるやつな!」
「英雄はママのミルクがお好き!」
「ベイビー」「「ヒュー、ベイビー!」」
「こら、ひやかすな!」「もう!」
やがて大ジョッキがドカンと置かれ、俺の隣に一人の男が座った。
ギンドだ。あの乱暴者だった。
3つのジョッキには、すべてなみなみと白い液体が注がれている。
「オレの奢りだ。せっかくだし、オレも同じの付き合うぜ。知らなかったが、結構高いんだな。こいつ」
ああ。ミルクでは最高級品だからな。それ。
「乾杯だ。ユウさん。ユイさんも。てめえらも!」
「「乾杯……」」
「「乾杯!」」
ガチャリとグラストグラスがぶつかる。小気味の良い音があちこちで鳴る。
そして、酒のように豪快にジョッキをあおるギンド。
「く~~~、甘えなあ。まるであんたらのようだ。おら、せっかくだから飲んでくれよ?」
「ああ……」「うん……」
気は進まないが、口をつけてみる。
まろやかな甘みが涙に混じって、よくわからない味がする。
そこで何が可笑しいのか、くっくと笑い出したギンドは、とっておきの報告をした。
「実はな、今度結婚するんだよ。235回目のプロボーズ、ついに決めたぜ!」
「マジか!」「やるじゃねえかギンド!」
「ついでに言うとな、子供も授かったぞ!」
「おー!」「おめでとう!」
あちこちから冷やかし混じりのおめでとうが聞こえ、指笛が鳴る。
やがて落ち着いた辺りで、彼は俺の肩を叩いて、言った。
「オレさ。思い上がっていたんだ。あんたに根性叩き直されて、何度も相談乗ってもらってよ。自分を見つめ直して、ひたむきに頑張ってみようって。一応、Aランクにも上がったしな。まあ、そう思えたのはユウさん、あんたのおかげだ」
「ギンド……お前……」
二年以上の歳月は、人を変えるには十分だった。愚かな男は、これから父になる立派な男の顔をしていた。
「こんなこと言うのもこっ恥ずかしいんだが、あんたの優しさに救われたんだよ」
――違う。救えないんだ。
俺は今日か明日にでも、君の幸せごとすべてを奪ってしまう……。
つい目を伏せてしまう俺に、彼はもう一度、今度は強めに肩を叩く。
「ま、オレには何があったのか、英雄様の心中まではわからねえけどよ。バカなオレでも、一つだけわかることがあるぜ」
「なに……?」
横から尋ねるユイに、ギンドはにっと笑って答えた。
「ここにいるみんな、あんたらには大なり小なり恩があるってことさ!」
「そうだよ!」「おうともよ!」「そうです!」「ですわ!」
場内が割れるばかりの大賛同に、また熱いものが頬から流れる。
なのに。なのに――どうして運命はっ!
「だからさ、つらいかもしれないけど、負けないでくれよ。胸張ってくれよ! あんたたちは文句なしに英雄さ! これだけの人を救ってきたんだって、そこは誇りに思っていいんじゃねえかな?」
「ギンドの言う通りだぜ!」
「なあ、笑ってくれよ!」「お二人の笑顔、大好きなんですよ!」
何も知らない人たちの、溢れるばかりの祝福は。同じだけの呪いとなって。
救ってきたものの大きさと。救えないものの大きさを。また心に刻みつけて。
「「ありがとう……ごめん……」」
ただ、そう言うことしかできなくて。
それでもみんなの気持ちに応えて、精一杯笑ってみた。
そうしたら、みんなも笑い返してくれて。あのいつも不機嫌だったギンドも、不器用に笑ってくれて。
――やっぱり、みんな無事ってわけじゃないよな。ここにはない笑顔、永遠に失われてしまった笑顔だって、たくさんある。
それでも。それぞれつらいことがあっても、胸を張って、前を向いて笑っている。
そんなこの場所が、温かった。大好きだった。
「楽しかった……。本当に、楽しかったんだ……」
「そうか……」「だよな」「うんうん」「わかるわ……」
次から次へと、思い出は溢れてくる。
数ある依頼の最大手は、この冒険者ギルドだった。たくさんの人の冒険をお手伝いしてきた。
下らないことでど突き合い。喧嘩してたりして。
数えるのも飽きるほど、仲裁に入って。簡単に仲直りして。
しょうもないことで笑い合って。小さなことではしゃいで。大きなクエストに胸躍らせて。
本当の意味での冒険が、ここにはあった。
フェバルとして旅をしてきた俺たちは、このレジンバークという地で。
このラナソールという世界で。
――初めてだったんだ。ほとんど何の気兼ねもなく、バカ騒ぎしてばかりの楽しい日々を過ごせたのは。
世界と戦う忙しさに、忘れていたはずの日常があった。
こんな騒がしく平和な日がずっと続けばいいって、そう思っていた。
そんな日常を、暴走によって壊してしまったのも。これから永遠に消し去ってしまうのも。
すべてを終わらせるのは。ここにいるみんなを終わらせるのは。
俺たちだ。俺たちなんだ……!
ここまで世界を回ってきて。いよいよ残すはもう、自分の店だけになって。
今、一度にたくさんの仲間を目の前にして。
強く、強く。
そのことが、実感として胸に湧き起こってきた。
心配したユイが、こちらへ手を伸ばしている。
自分も同じ気持ちなのにな。
その手を、包むように握って。
ぼろぼろ涙を流しながら、一生懸命笑って。
俺たち、どんな顔をしているのかな。
「「みんな……大好きだよ」」
「「俺たち(私たち)(僕たち)もだ(よ)!」」
また揉みくちゃにされて、いっぱい励ましの言葉をかけられて。
ただただ、胸がいっぱいで。ずっとこの今と思い出を噛み締めていた。
そのうち、受付のお姉さんとゴルダーウ団長が最終作戦会議を終えて降りてきた。
とっくにすべての事情がわかっている二人は。覚悟などとうの昔に済ませている二人は。みんなに揉まれる俺たちを見つけると、自分たちと話すよりも、その時間を大切にして欲しいと思ったようだ。
あえて何も言わず、ただ黙って子を見るような優しく視線を向けていた。
……そして、みんなの温かい声援を受け、俺たちは冒険者ギルドを後にする。
ラナソールの旅の最終地点。俺たちの店は、すぐそこだった。