俺とユイはアニエスに連絡を取り、トレヴァークへ帰還することにした。今回はユイも付いてくる。
ラナソールが正常なときであれば、ユイはまずトレヴァークへ行けなかったが、今なら大丈夫だろう。俺ともしっかり繋がっているし、消える心配はない。
そして、エーナさんも一緒に来てくれることになった。もうラナソールに残る理由はないから、と。
「ユイさん。お会いできて光栄です」
「はじめまして。アニエス」
ユイとアニエスがしっかりと握手を交わす。
アニエスは何だか俺に会うとき以上に感極まっているような気がするんだけど、たぶん気のせいじゃないよな。
すぐに『アセッド』のトリグラーブ支店へ飛ぶ。俺とユイとはしっかり手をつないだままだった。
無事に着くと、ユイは俺と一緒に来られたことにちょっと感動していた。
「ここがトレヴァークかあ。このタイミングで来られても、ゆっくり見て回る暇がないのは残念だけど」
俺が帰ってきたことを知ったハルとリクが、仕事に小休止を入れて来る。
ハルはそろそろと歩み寄ってきた。
「ユウくん。おかえり。大変だったね」
「ただいま。ハル」
「それからユイちゃん。キミにはぜひ一度直接会ってみたかったよ」
「うん。私もあなたにはぜひ会いたかったかな」
何やら視線がバチバチ戦っているような気がするけど、やっぱり気のせいじゃないんだろうな。
あ、認め合った。
お互い微笑みを作って、ガッチリと握手を交わしていた。感動的なような、何だか恐ろしいような。
リクもユイとは初対面である。
「はじめまして。ユイさん、ですよね? ユウのお姉さんの。お話には聞いてました」
「うん。リクのことは、ユウを通じてよく見ていたよ」
「そうですか。何だか初めて会ったような気がしなくて」
「そうだね。ランドとはよく会ってたからね。うっすらと覚えているのかも」
「なるほど。ユウさんとも、どことなく雰囲気が似てますね」
「まあ姉弟だから」
俺に雰囲気が似ていると言われたユイは、あからさまに嬉しそうだった。
俺がいつもはユイの姿に変身できるって知ったら、リクはきっとすごく驚くだろうな。それを披露する機会はなさそうだけど。
『ぜひ見てみたかったけどなあ。女の子のユウくん』
『いやあ。ただ俺の性格残したままユイの姿になるってだけなんだけど』
『へえ。それはそれは可愛いのだろうね。危なっかしそうで心配だけど』
『さすがよくわかってるね。そうなの。私が時々介入してあげないと、ほんと危なっかしくて見てられなくて』
『やっぱりそうなんだね。例えばどんな――』
何だか俺の話題で心のガールズトークが始まってしまったので――まあこういうときだからこそ、楽しい話題の一つくらいはしたいだろう――俺は小さく溜息を吐いて、リクに世界情勢を確認した。
「今、世界はどうなってる?」
「はい。エルゼムが出現してから、約一日が経過しましたけど……世界人口30億のうち、死者が約6億、夢想病患者が約9億にまで増えています」
「つまり大体2割は二度と帰って来ない状態で、夢想病も含めたらもう半分くらいやられてしまっているのか……」
「ですね……」
改めて重い事実を受け止める。エルゼム出現前、死者と夢想病患者を足しても世界人口の15%程度だったことを思えば、いかに凄惨な戦いの進行状況であるかは数字からも明らかだ。
このペースでは、ダイラー星系列が世界を破壊する期限までには、どの道世界は壊滅状態だろう。
俺とユイの心が固まるまで、こんなに時間がかかってしまった。でも、自分を責めている場合じゃないよな。
それからリクに細かい状況を確認しながら、考えていた。
……たぶん、これから大切な戦いが待っている。そしてそれが終わったとき、どんな結果になったにせよ。もうこの世界のみんなと触れ合う時間はないだろう。そのままお別れになってしまうかもしれない。
だから。
「みんな。この場に集まれる人だけでいい。話があるんだ」
そう言って、ほんの少しだけ時間を取ってもらうことにした。
少しして、『アセッド』トリグラーブ支店のメンバーのうち、どうしても手を離せない人以外が集まってきた。
別れを言えるのもここにいるメンバーだけになってしまったけれど、仕方のないことだ。
シルバリオは、またモニター越しに話を聞いている。
シズハは、ずっと警護の任に当たってくれている。最後に話せなかったことは申し訳ないけれど、本当にありがとう。
この場に集まった約三十人ほどのメンバーに対して、俺は一つ一つ言葉を選びながら話した。
「みんな。忙しいときに集まってくれてありがとう。本当はこんなことしてる場合じゃないんだけど、ほんの少しだけ時間を下さい」
聞き入るみんなに視線を配って、続ける。
「俺はこれから、隣に立つ姉のユイとともに最後の戦いに赴くつもりです」
隣に立つユイを示す。最後の戦いという響きに、総員が固唾を吞んだ。
「その結果如何で、世界の命運は決するでしょう。そして……結果がどうなるにせよ、俺とユイはたぶん、もうここへは帰っては来ないと思います。皆さんとは、ここでお別れです」
それを聞いたみんなからどよめきが走る。
「本当ですか!?」
「おいおい! 冗談だろう!?」
「もうユウさんには会えないんですか!?」
「そんなの嫌です!」
「寂しいですよお!」
そうか。そんなに寂しがってくれるのか。
最初はみんなごろつきだったのに。人助けをするうちに、良い顔つきになったな。みんな。
胸いっぱいになりながら、言葉を紡いでいく。
「みんなと別れるのはとても寂しいけれど、今まで色々大変なことがあったけれど……今が一番大変なときだけど……本当に楽しかった。今まで、夢想病から人々を救いたい、そして世界を救いたいっていう俺の想いに、ずっと付き合ってくれてありがとう」
「ありがとうはこっちの方だよ!」
「どんなにユウさんには夢見させてもらったか!」
「いっぱい助けてもらったよな!」
「私、幸せでした!」
「僕もですっ!」
――ああ。愛されているなあ。本当に幸せな二年半だった。
……まったく。今日は何回泣くんだよ。
涙ぐみながら、俺はまた決意を強くする。
「最後に一つ、一番大きな仕事が残っています。世界を救うという大仕事が。どうかみんな、最後まで力を貸して下さい。想いを貸して下さい!」
「「もちろんです!」」
「「任せて下さい!」」
割れんばかりの返事に、胸がカッと熱くなる。
本当に、これが最後なんだな……。寂しいよ。
「みんな……本当に、本当に、ありがとう。無事にこの仕事が終わったら……『アセッド』は解散することになるけれど、それでも――」
「待って下さいっ!」
「リク……?」
いっぱいいっぱいに声を張り上げたリクは、息を荒くして、前へ進み出てきた。
「終わらせませんよ」
胸をとんと叩いて、彼は堂々と言ってのける。
「僕がやりたいこと。僕にできること。やっとわかったって、そう言ったじゃないですか」
「まさか、君は……」
「はい。僕が継ぎます。僕たちが継いでみせます。あなたが始めた何でも屋の――『アセッド』の灯火は、たとえあなたがいなくなっても、ずっと消えはしない! ねえ、そうじゃないですか! 皆さん!」
リクが思いの丈を叫ぶと、全員から拍手大喝采が起こった。
「「そうだそうだ!」」
「リクの言う通りだぜ!」
「こんなところじゃ終わらねえよ!」
「私たちに、ユウさんの意志を継がせて下さい!」
「俺たちに安心して任せてくれよ!」
「ユウくん!」
「「ユウさんっ!」」
そしてシルバリオも、モニター越しに頭を深く下げていた。
「ユウさん。私からもどうかお願いします。『アセッド』の活動は、我々エインアークスの自警団としての原点を思い出させてくれるものでした。今後も予算を組み、支援金を出し続けます。ですから、どうか」
――そうか。みんな、そこまで……。
俺と同じく、涙を目にいっぱいに溜めたユイが、俺の手を握って頷きかけた。俺も強く頷き返す。
心はもう決まっていた。
正直、まだまだ経験は足りないけれど。たとえ力がなくても、この看板を継ぐ者は――優しさと、一歩踏み出す勇気を持った人間であって欲しいから。
「そうか……わかった。みんな、これからの『アセッド』を、どうかよろしくお願いします。そして……明日からは君が新たなリーダーだ――リク」
俺も前へ進み出て、リクの目を見つめ、肩をしっかりと叩いてそう言った。
周りからは、大きな拍手が巻き起こる。
「はいっ! 精一杯頑張りますっ!」
リクは感極まって、涙を流していた。
俺ももう何度、君に決断を促されたかわからない。
――本当に成長したんだな。君は。
……そして、大きく成長したのは、君の片割れも同じだ。
そんなあいつと、俺はこれから――世界をかけて戦わねばならない。
俺の表情から考えを察したリクは――そうか。繋がっているんだったな――周りに聞こえない程度の小さな声で言った。
「避けられないんだと思います。僕だって……心のどこかで諦めたくないって、そう思ってるから。理想を体現するあの人なら、きっと最後まで足掻き続けるに違いないって」
「……そうだな。あいつなら、絶対にそうするよな」
どこまでもバカ一直線で。誰よりも諦めるという言葉を知らないランドという男は。
どんな残酷な真実を前にしても、だからなおのこと、ラナソールの人々の想いを背負って立ち塞がるだろう。
そういうヤツなんだ。あいつは。
誰かがラナソールの人たちの権利を代表しなければ。本当に救われないということを知っているから。
「だからせめて、見届けさせて下さい。もう一人の『僕』として、絶対に見届けなくちゃいけない」
「……ああ。わかった」
最後にもう一度肩を叩き、離れる。
それからいくつか言葉を述べて、温かい拍手に包まれながら、俺の退任式は幕を閉じた。
***
退任式を終えた俺は、ハルに個人的に声をかけた。俺の個室へ来るようにって。
ベッドの上で、二人きりに並んで座った。最初に出会ったときのように。
あのときと違うのは、距離感だ。腕と腕が触れ合う距離で、お互いに手を握っていた。
「ハル。これが最後になると思うから。レオンにもよろしく頼まれちゃったしな」
「そっか……。うん。大丈夫。キミがフェバルだって知ってから、いつかはこんな日が来るってわかってたから」
何度も手を握り直して、感触を確かめる。
いつもは別れのときって、身体が消えかけているのだけど、こんなしっかりしているのにもうお別れだなんて。すごく変な感じだよ。
ハルに顔を向けて、全身を目に焼き付けた。
この細く頼りない身体に、どれほどの強く気高い意志が宿っているか、俺はよく知っている。
君にも何度だって助けられてきたよな。
ふと、彼女の病弱な足に目が付いた。
今はぷらぷらさせている彼女の細い足も、事態を解決すれば、また動かなくなってしまう。
J.C.さんに頼めば、【生命帰還】できっと治してくれるだろう。俺が彼女から力を借りて、治してあげることもできる。
せめて治してから行こうか。
だがそんな俺の考えを察して、ハルは小さく首を横に振る。
「これは、このままでいいんだ」
「いいのか?」
「うん。何でもキミに頼ってばかりじゃいけないからね。ちゃんとこの世界のやり方で、いつか自分の力で歩けるようになろうと思うんだよ」
「そっか。立派だな」
「えへへ。もう何度もユウくんには奇跡で助けてもらったからね。これ以上は、ずるになっちゃうよ」
「わかった。応援するよ」
それから、いくつか思い出話をした。
二年以上も一緒にいれば、下らないことから大切なことまで、積もる話があった。
話しているうち、お互いそれほど意識しないままに、スキンシップが重ねられていく。
そして、ふと話が途切れたところで、ハルの顔がすぐそこにある。潤んだ瞳が期待している。
そのまま自然と、キスを交わしていた。
お互い探り探り感触を確かめ合うような、共同作業のキス。
目を閉じて、彼女の細い肩を抱き、甘くとろけるような一体感が脳を突き抜けるのを、じっくりと味わった。
舌は何度か付いたり離れたりを繰り返した後、次第にねっとりと絡み合った。
キスの仕方にも個性が出るのだと、この世界に来て初めて身で知った。
そうして随分長いこと繋がっていた後、最後に名残惜しそうに舌をもうひと絡め、ゆっくりと唇が離れる。
とろんとしたハルの女の顔が、息のかかる近さに映っている。
しばし甘美な沈黙を楽しんだ後、ぽつりとハルが漏らした。ちょっぴり申し訳なさそうに。
「また、しちゃったね」
「ああ。しちゃったな」
二人で穏やかに笑い合う。
「日に二度も違う女の子とキスするなんて。リルナに怒られちゃうな。絶対」
「キミって一途なのか、そうじゃないのか、どうもよくわからないよね」
「こんなときにもう」とやきもちを焼いて頬を膨らませる彼女が、心から愛おしい。
「はは。すっかり優柔不断になっちゃったよ……。根負けしたよ。君には」
……ミティにもな。
あの子には、結局好きというほどまではいかなかったけれど。
でも……負けたよ。最後のあれには……。
「また違う女の子のこと考えてる」と、ハルに小突かれる。でも俺の心を知っているから、今度は仕方ないなと笑っていた。
「優しいもんね。ユウくんは。突き放せないんだよね」
「ダメだな。やっぱり面と向かって好意をぶつけられるとさ……弱いみたいだ」
「応えてあげたくなっちゃうのは、ユウくんらしいね」と微笑んで、ハルは少し表情に影を作る。
「ごめんね。ボクも、死にかけたこととか、色々と付け込む形になっちゃって」
「ほんとだよ。けど、もういいさ。本当に生きててよかった。それだけだよ」
「ふふ。でも正直言うとね、こうなれて嬉しいなって思ってるボクがいるんだ」
しな垂れかかる小さな身体を、しっかりと受け止める。
見かけによらず、積極的な女の子なのだ。心に英雄を宿すほど、強く逞しいところもある。
けれど、上目遣いで顔を寄せるハルは……やっぱり切なさでいっぱいだった。
「できれば一緒に旅をしたかったけど……もし行けたとしても、きっといつかユウくんを悲しませることになっちゃうよね……」
「ハル……」
永遠の命を持つ者と、一人分の命しか持たない者。
気持ちが一緒でも、立場の違いは如何ともしがたい。
ジルフさんとイネア先生の関係と同じだ。
フェバルとそうでない者の……これも運命の残酷さか。
「今までありがとう。ハル。君と一緒に過ごせたこと、世界のために戦えたこと、心から幸せだった」
「ボクもだよ。ユウくんと一緒にいられて、心から幸せだった」
「でもな……こんなこと、今言うことじゃないけどさ。今しか言えないから……」
「……うん」
つらいとわかっていても。俺はあえて言うことにした。
「俺のことは、ずっと覚えててくれてもいい。好きなままでいてくれてもいい。でもさ。君にはずっと俺ばかりに囚われずに、前を向いて生きて欲しいって、そう思ってるんだよ」
「ユウくん……」
愛に気付く余裕がなかった青春時代。初めて愛して良いのだと気付き、愛することでいっぱいいっぱいだった時代。
どちらにおいても俺は、別れのときにこの言葉をかけてやれなかった。
もしかしたら今までも知らないところで、俺に囚われたままになってしまった人がいたのかもしれない。
特にリルナは絶対にそうだろう。あのエルンティア一のしつこさと強情さは死ぬまで直らないだろうし、あの人はそれで全然良いのだと思う。
というか、こんなことを言ったら絶対に殺される。だから後悔はしてないのだけど。
でもハルは違う。どんなに芯が強くても、やっぱり普通の女の子なのだ。
俺の強さを信じて送り出すことよりも、旅をする俺の孤独を想って心底同情してしまうような、一緒に寂しく思ってしまうような、そんな女の子なのだ。
裏を返せば、君だって同じ気持ちだろう。
だから。夢の時間は……今日で終わりにしなくちゃいけない。
遠く宇宙に去ってしまう幻影を追い続けて、一生を棒に振るなんて真似は、この子にはあまりに酷な話だ。
俺は、ハルの瞳をしっかり正面から見つめて、語り聞かせるように言った。
「でないと、どんなに愛を求めても俺から離れてしまう君が、もう二度と側で人を愛せないなんて。遠く想うことしかできないなんて。そんなのは、可哀想だからさ」
「……まいったな。ボクが言ったこと、そのままキミにそう言われちゃったら、反論しようがないじゃないか」
ハルは、ぽろりと大粒の涙を零した。
ひどいことを言ったのはわかっている。残酷なことを言ったのはわかっている。
それでも、これからの君にとっては必要なことだと。そう思った。
ハルも、俺の心はよく理解していた。納得もしていた。
愛する気持ちに偽りがないことも。幸せを願っていることも。
だから涙を拭い、健気に笑ってみせる。
「わかったよ。ユウくん。ありがとう。宇宙で一番素敵な初恋だった」
「ごめんな。ありがとう。ハル」
「ううん。消えてしまう人たちに比べたら、幸せ過ぎるくらいだよ。ほんとにいいのかなってくらい」
「そうだな……」
ラナソールの人たちのことを想えば、君がこうして生きて、しっかり別れを言えることは、本当に幸せなことだろう。
「それでもね。せめて今だけは……ボクだけのユウくんでいてくれないかな……?」
「ああ……。愛してるよ、ハル」
「うん。愛してるよ、ユウくん」
もう一度、今度は固く固く抱きしめて、迸る気持ちのままに、熱く切ないキスを交わす。
そうして少ない時間の許す限り、俺とハルは愛を確かめ合ったのだった。