フェバル~TS能力者ユウの異世界放浪記〜   作:レストB

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309「暗闇の空に海色の虹をかける」

 闇に包まれた世界で、人々は眠れぬ夜を過ごしていた。

 次の瞬間には、自分も殺されているかもしれないという恐怖に怯え。明日には世界が終わってしまうかもしれないという恐怖に震え。

 ナイトメアの奇妙な叫びと破壊の音が、静寂を激しく揺らす。

 またどこかで誰かの尊い命が奪われ、あるいは悪夢の異形の仲間入りをさせられていく。

 世界中のどこにも、安全な場所や逃げ場などなかった。トリグラーブなど、ダイラー星系列が重点的に守る大都市においても例外はない。

 深刻に進む世界の崩壊は、現実と暗黒面の境界を限りなく薄めていた。今や奴らはどこにでも即座に現れる。

 絶望した者から先に、目敏く奴らに見つけられて、命を散らしていく。

 

 一切希望の見えない情勢の中で、それでも人々は願っていた。

 

 英雄の出現を。絶望の闇を切り裂く戦士の到来を。

 

 ゲームや聖書の物語のようにはいかないことは、誰しもがわかっている。

 しかし、現に空想上の化け物や悪夢の化身が我が物顔で暴れ回っているのだから。

 

 救ってくれる者の一人くらい、いてくれても良いじゃないか――。

 

 だがそんな都合の良い者など、現れるはずがない。

 人々の悲鳴を音色に、破滅だけが確実に進んでいく。

 

 ほとんどのすべての人たちが、未来を諦めかけていた――そのとき。

 

「おい……あれは何だ……!?」

 

 誰かが、光を見つけた。

 

 指さした方向に、人々が見上げれば――暗闇の空を駆ける海色の光が、一つ。

 

 あまりの速さに、それがよもや人であると認識した者は、ほとんどまったくいなかった。

 

 昏い闇夜を切り裂くように照らしながら。天翔ける一本の線は、青く、青く――綺麗な虹のような軌道を描いて。

 

 海色の虹がかかると、そこから淡く青白い光が降り注いでくる。

 

 その温かな光を浴びた誰もが、自らの抱いていた恐怖が和らぎ、気持ちが穏やかに安らいでいくのを感じていた。

 

 その光は、物理的な力を持たない。

 

 決して誰も、何も――一切余計なものを傷付けることのない。

 

 それは、優しさという想いの力だった。

 

 そして同時に、敵とみなしたものに対しては、苛烈な厳しさをも持ち合わせている。

 

 人々を襲い苦しめていたナイトメアたちは――ああ、何ということだろう。

 ただ彼らだけが、ひどくもがき苦しんでいる。

 すべての人類の敵は、間もなく全身が崩れていき、まるで浄化されるように消えていった。

 

 青き光が過ぎ去ったとき、もはや人を傷付けるものはどこにもなかった。

 

「奇跡だ……」

「私たち、助かるんだわ……」

「やった!」

「ああ、ラナ様……!」

 

 人々は感涙し、ただ一心に祈りを捧げた。

 

 ラナ様の奇跡と、かの女神に遣わされた何かに。

 

 祈りに応えるように、70億の想いを背負った光は、あまねく世界を閃きのように駆け巡り、小さな村々に至るまで、優しさという救いを届けていく――。

 

 

 

 ***

 

 

 

 彼と彼女がトリグラーブに達したとき、二人をよく知るごくわずかな者たちだけが、それがあの心優しい英雄の姿であると気付いた。

 

 市中に湧き出てきたナイトメアと命がけの死闘を繰り広げていたシズハは、突然崩れ落ちた敵に目を細め、光降り注ぐ空の向こうを見上げた。

 

「綺麗……」

 

 シズハは知らずのうち、美雲刀を取り落とし、心から涙していた。

 

 彼女自身は覚えていなくても、魂が約束を知っている。

 

 彼は。彼女は。ちゃんと約束を届けに来てくれたのだ――。

 

 

 

 ***

 

 

 

 エーナは、次々と崩壊していくナイトメアたちと、それを引き起こしている想いの力を目の当たりにして、心が震えていた。

 

「あれが、本当にフェバルだって言うの……? いいえ、違う。あり得ない……。あのときのような、恐ろしい強さをまったく感じない……それどころか」

 

 彼女の測り知ることのできる気力も魔力も、まるで最初に地球で出会ったときと同じ。

 ほとんど一般人のレベルにまで「落ちている」のだ。信じられないことに。

 

 なのに……まったく勝てる気がしなかった。

 

 力こそ、すべてに優先する。

 

 フェバルを始めとする超越者たちの「力の倫理」は、宇宙において絶対支配的であり、誰にとっても常識だった。

 この世において、力なき者に権利はなきに等しい。強き者の気まぐれによって、弱き者はいとも容易く踏みにじられるものなのだ。

 そんなことは、数え切れないほど見てきた。

 彼女自身が初めてあの子に戦慄したかの黒き力も、その倫理を究極にまで突き詰めた、延長の果てにある強さでしかなかった。

 

 なのに。あれは、なに。何なの。

 

「あれは、もっと別の何か……」

 

 規格外。常識外。

 そんな異常の力を、彼女は今、見せつけられていた。

 まるで噛み合わない。そもそも軸がずれている。

 まったく別次元。異端の強さ。

 今見ているものが、とても信じられなかった。

 

 想いの力。

 

 そんなものが本当にあるのだと。あるとして、現実をも超越するレベルで実現するのだと!

 永い時を生きてきて、これほど痛感せしめられるとは思わなかったのだ。

 

「もしかしたら。ユウ。ユイちゃん。あなたたちこそが……」

 

 フェバルには、絶望しかないと思っていた。

 

 もしかしたら……間違いだったのかもしれない。たった一つの例外が、あるのかもしれない。

 

 私はいつの日か――フェバルを殺そうとしなくても良いのかもしれない。

 

 エーナも、気が付けば温かな涙を流していた。

 

 これから一つの世界が滅びると知っていても。そんなことはよくあることだと、どこかで冷めた考えを持ってしまっていた彼女も、心から泣かずにはいられなかったのだ。

 

 心が擦り切れるほど絶望し、すべてを諦め、それでもなお心のどこかで待ち望んでいた。渇望していた。

 

『フェバルの救世主』――その可能性が、きっとここにいるのだ。

 

 

 

 ***

 

 

 

 優しい光が街を照らすとき、ハルはすぐそばに愛する人の存在をしかと感じていた。

 彼女は嬉し涙を浮かべて、しみじみと呟く。

 

「やっぱり。ボクの勘は、間違ってなかった……。ユウくん。最初に、キミを信じてよかった。キミに頼んでよかった……。ボクの英雄は――みんなの英雄だったんだね……」

 

 リクもまた、彼と彼女の存在を強く感じていた。

 

 ハルの手を引き、一目散に屋上へ飛び出す。空を駆ける青い虹に向かって、二人で目いっぱいに手を振った。

 

 ――きっとそうだ。リクは確信していた。

 

 あの光は――ラナソールの人たちの想いだって。逃げずに背負ってくれたんだ。

 

 でなければ、これほど力強く、温かく、世界を照らすことはないのだから。

 

 すべての者たちの想いを背負うこと。

 

 それこそ、彼の片割れが最期に望んだことであり。今や彼の魂に深く刻まれている誓いだった。

 

「ユウさん。いけ。いけ……!」

 

 魂の震い立つままに、リクは叫ぶ。

 

 かの存在を薄っすらと感じ取った『アセッド』の面々も、遅れてぞろぞろと屋上へ出てきた。

 みんなこぞって、暗闇を奔る美しい海色の閃きを眺め上げる。

 

 ――あの人だ。あの人がいるぞ。

 

 リクが始めた掛け声に、ハルが続き、やがて皆が皆、万感の想いを込めて叫んでいた。

 

 想いよ、世界中に届けと。

 

 できるだけのみんなを救ってくれと。

 

 

「「いけ! いけーーーーーーーーーっ!」」

 

 

 友や仲間、愛する者たちに見送られ、想いの剣を手にした青き光は――やがて海を越え、世界中に救いをもたらしながら、エルゼムの君臨する爆心地へと向かっていく。

 

 

 

 ***

 

 

 

 ナイトメア=エルゼムの力は、時を経るごとに高まり、その攻撃は苛烈さを次第に増していった。

 J.C.の【生命帰還】があればこそ、ギリギリのところで均衡は保たれていたが、それでも次第に回復が追い付かなくなっていく。

 

 そしてついに、恐れていた事態が起こってしまった。

 

「姉貴……ッ!」

 

 広範囲攻撃である《闇の棘》の一端が、彼女の脇腹を深く抉ったのだ。

 恐るべきは、その威力もさることながら、悪夢の塊であるために、精神へのダメージも絶大であるということだった。

 彼女の抱えるトラウマが、激しい痛みとともに呼び起こされる。

 そのショックは、非戦闘タイプの彼女にはとても耐えられるものではなく……彼女は絶叫し、とうとう気を失ってしまった。

 

「チッ……よくも姉貴を!」

 

 敬愛する姉貴をやられた怒りを糧に、なお奮闘するヴィッターヴァイツであったが、持久戦の要である彼女を欠いたことは、やはり致命的だった。

 均衡は一気に崩れ、形勢は怒涛のごとくエルゼムへと傾く。

 間もなくラミィが、そして彼女を庇ったザックスが。一網打尽にやられてしまった。

 

 五人の万全な態勢で迎え撃っていた対エルゼムの陣も、気が付けば、アカネとヴィッターヴァイツの二人だけになってしまっていた。

 

「いやー、さっぱりよくわかんない組み合わせよね。最後があなたとなんて」

「まったくだ」

 

 強がって軽口を叩いてみるが、どちらも疲労が色濃く、満身創痍であることは間違いなかった。

 エルゼムは、カカカ、と、嘲笑するような乾いた音を発している。

 それが持つ残虐性から、弄ぶような態度を取るエルゼムに、お姉さんは中指を突き立てて応じた。

 

「へーんだ! こっちだってね。素直にやられてやるわけにはいかないのよっ!」

「オレが任せろと言ったのだ。貴様のようなデク人形になど、負けていられるか……!」

 

 もはやなけなしとなった光の魔力を纏い、二人は猛然果敢とエルゼムに挑みかかる。

 守勢に回れば最後。どちらかが攻撃の手を緩めた瞬間に終わると、二人とも理解していた。

 

 しかしながら、そうこうする間にさらに力を高めていくエルゼムは、ついにフェバル級の攻撃を完全に見切ってしまった。

 拳を振り切った一瞬の隙を突き、両腕を鎌のように変形して、二人同時へ斬りかかる。

 

 すんでのところで致命傷ばかりは避けた二人だったが、鎌は二人の身体を捉えていた。

 決して小さくはない身体ダメージに加え、精神への追撃が来る。

 トラウマという字を知らないアカネは、その点についてはかなり平気だったものの、フェバルであるヴィッターヴァイツはただでは済まない。

 イルファンニーナが磔にされる光景などが、次から次へと浮かんでくる。

 

「ぐぬ……! こんなもの……惑わされてなるものかッ!」

 

 もはや運命に絶望していた己ではないのだ!

 

 気合いで悪夢を跳ね除けたヴィッターヴァイツは、だがそこまでが限界だった。

 

 エルゼムの頭が二つに割れる。のっぺらぼうとゾルーダの成れの果てに分かれた顔のそれぞれ、口のあるべき部分から、二つ同時に闇の波動が放たれる。

 既に体力の失ったアカネとヴィッターヴァイツには到底避けられるものではなく。

 爆心地をさらに抉り取るほど、強かに打ち付けられる。

 

 さしものアカネも、命を繋ぐ程度に威力を殺すのが限界だった。ついに意識を失ってしまう。

 ヴィッターヴァイツだけは、まだ辛うじて意識を残していた。

 だが手足はヒクつくばかりで、もはや動くことままならない。

 

 エルゼムは、邪魔者を消す歓喜に、ケタケタと嗤っていた。

 二つに分けていた顔を、また一つに戻す。誰にも知られることのない、哀しき男の叫び顔だけが貼り付いている。

 そして、五人全員をまとめて消し去らんと、爆心地の直系すら上回るほどの、絶大な闇の球を作り出す。

 

「くっくっく……はっはっは!」

 

 確実に星が削れるレベルの圧倒的な攻撃を前にして、ヴィッターヴァイツは狂ったように高笑いしていた。

 

 いや、そうではない。

 

 彼は――勝利を確信していたのだ。

 

「――おい。遅かったじゃないか。待ちくたびれたぞ」

 

 そして、今にもトドメを放とうとしているナイトメアの親玉に対して、不敵に吠える。

 

「化け物。貴様は、もう終わりだ……!」

 

 彼だけは、その力を「身をもって」知っている。

 

 十分に仕事を果たしたヴィットは、満足に笑って、意識を手放した。

 

 エルゼムが手を振りかざすと、この残酷な指揮者に導かれて、闇の球は大地の破片を巻き上げながら地へ降り注ぐ。

 

 だがそれは、地へ至り致命的な効果をもたらす前に――真っ二つに斬られていた。

 

 綺麗に裂けた闇の巨大球は、それぞれの破片が威力を残すこともできなかった。

 

 なぜなら――それを構成する理そのものが、完璧に破壊されていたからである。

 

 つまるところ、エルゼムの攻撃は、何らの期待した影響も及ぼすことなく――この世から完全に消滅した。

 

「ギ……!」

 

 エルゼムは、眼下に現れた新たな敵を睨み付ける。

 

 深青の剣を手に、青白のオーラの衣を纏う――星海 ユウが大地を踏み固め、真っ直ぐに己を見上げていた。


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