世界を破滅の一歩手前まで追いやったナイトメアの大襲撃を乗り越え、約半年の月日が流れていた。
同じフェバルではあるが、任務のため他のフェバルより遅れて来襲したブレイは、未だトレヴァークにおけるタイムリミットを迎えてはいなかった。
いや、迎えてもらっては困るのだ。任務をまっとうできるよう、十分長期間滞在できる見込みのある者が星裁執行者として派遣されることになっているのだから。
本来は、ダイラー星系列としては、そこまでやる義理はないのだが。
『事態』の後始末のため、ブレイたちはトリグラーブに留まり続けていた。
この世界の科学技術を超えない範囲で、復興作業も入念に支援している。
おかげ様で、宇宙の辺境において悪名高いダイラー星系列にも関わらず、現地人からの評判は上々であった。
最終的に世界人口のおよそ3割、9億人もの尊い犠牲が出た今回の『事態』であったが。
宇宙そのものの破滅という最悪の可能性を鑑みれば、最良に近い結果だったと言っても良いだろう。
……あいつは、絶対に納得しないだろうが。よくやったと言いたい。
そして、大きな痛みを乗り越えて、世界は力強く復活しつつある。
「人間というものは、中々どうして強いものだな……」
人々の想いを束ねた奇跡の力を目にし、そしてこの逞しい復活劇を日々眺めて、ブレイはフェバルらしからぬ感想をしみじみと漏らしていた。
「しかし、こいつは勘弁だったな……」
世界が無事に残ってしまったおかげで、面倒な仕事は一気に増えた。
どこまでも尽きることのない、未決裁の電子書類の羅列。そして、現地から毎日届く山積みの書類を見つめて、ブレイはうんざりと溜息を吐いた。
伸びをして首を曲げると、ポキポキとおっさん臭い音が鳴る。フェバルが鳴らして良い音じゃないんだが。
だが、ぼちぼちピークも終わる。もう少しである。
暫定政府は、近日中に全権を現地政府に明け渡すことになっている。残りの仕事は、本星に帰ってゆっくりやれば良い。
執務室へ、副官のランウィーが入ってくる。彼女はシェリングドーラに任せることなく、自らそそくさと茶を出した(それが彼女の好意の表現なのだと、ブレイは重々知っている)。
そして彼女は、ブレイの肩を揉んで労いつつ、言った。
「お疲れ様でした。ようやく一区切りできそうですね」
「ああ。まったく。とんだ報告泣かせだよ。ホシミ ユウという奴は」
「そうですね。ほんと滅茶苦茶ですね。アレは……」
とんでもなく英雄的な活躍を見せてくれた一人のフェバルを思い、二人は嘆息した。
ダイラー星系列にも、メンツというものがある。
あいつは、やり過ぎた。
自分たちでは何もできませんでした、よそ者のフェバルが勝手に解決しましたと、そのまま報告書をまとめるわけにはいかないのだ。
そもそも、ラナソールという世界があったという痕跡はまったく消え去ってしまい、さらにナイトメアがいたという証拠も、もはや破壊の痕しかない。
既に客観的には、いささか信ぴょう性が欠ける次第というのに。
三百億を数えるナイトメアのうち、最強最悪のエルゼムを含む三分の二以上を、ホシミ ユウたった一人だけで、しかもものの数時間のうちに壊滅させたなどと。
そんなことをバカ正直に書き連ねれば、絶対に受理されないに決まっている。
それに何より――そんな報告をすれば、本星はホシミ ユウという人間を危険視するに違いないのだ。最悪、特別監視対象にリストされてしまうだろう。
フェバルが通常、持つはずのない「想いの力」などというものは。
あれはむしろ、異常生命体にカテゴライズされるべきものだ。
フェバルでありながら、「異常者」へ片足を踏み入れる。広い宇宙においても、ほとんど類例がない。
それほどのことを、あいつはやってしまったのである。
ダイラー星系列の影響力は伊達ではない。彼(あるいは彼女か)へのマークがきつくなれば、それだけ旅もしにくくなることだろう。
「だからって、何も隠すことないじゃないですか。ほんとバカですね。あなたも」
「うーむ。それを言われると、ぐうの音も出ないのだが……」
本来ならば、よくないことなのだ。
「異常な」フェバルについては、詳細を報告せねばならないと規程にも定められている。
だが個人的に彼へ好感を持ってしまったブレイは、どうしても温情をかけたくなってしまったのである。
そして、そんな彼の心を理解している幼なじみも、小言をつらつらと並べるだけに留め、同じ罪を背負おうとしているのだ。
バレたとしても、さすがに死刑にはなることはないが。仕事を変えねばならなくなる可能性は高い。
それで、ダイラー星系列主体の活躍によって『事態』を解決したという、もっともらしい言い訳と筋書きを思いつくのに、何か月も時間がかかってしまった。
それもまた、やけに滞在期間が延びてしまった大きな理由である。
「しょうがないですね。昔から呆れることばっかりして。もう」
「すまん。帰ったら一緒に旅行でもしようか。好きなだけ奢るぞ?」
「ほんとですか? じゃあいっぱいお言葉に甘えますよ」
しばし談笑した後、ランウィーは仕事に戻っていった。
一人になったブレイは、ふと懐に忍ばせた二枚の紙を取り出す。
苦笑いとともに、それらを見つめる。
一枚は、彼がバラギオン等を粉砕したことに対する、損害請求書。
そしてもう一枚は、給与明細だ。『事態』を解決したことに対する、特別ボーナス付きである。
「まだ渡していないからな。こいつは、大事に取っておくぞ。いつかまた会おう。ホシミ ユウ」
後日、ダイラー星系列は全権を現地政府へ返還し、彼らはその日のうちにトレヴァークから撤収していった。
またいくらか月日が流れ、本星には、紙に換算して千数百枚にも及ぶ膨大な報告書が提出された。
トレヴァークレポートと名付けられたそれは。
ブレイによって極めて巧妙な記述をされ、一見して真相がわからないように書かれてはいるが。
子細を調べ、妥当な推測に推測を重ねれば、一人の人物が浮かび上がってくる。
後に、星海 ユウというフェバルの伝説の始まりを記す重要な文献として、ダイラー星系列の歴史に名を残すものである――。