魔法演習の初日が始まった。
初日の目的はまず森に慣れること。行軍の訓練を行いながら、そこらに生えている植物やキノコ、小型の動物等について監督生から説明を受けていく。
翌日のサバイバル訓練に必要な知識なので、みんな一生懸命耳を傾けていた。
こんな軍隊じみた訓練を行うのは、有事の際にも運用できる魔法使いを育成するという学校の理念による。
頭でっかちなだけでなく使える魔法使いをという方針のおかげで、私もかなり実践的な魔法を身につけることができたわけだ。幸運なことだった。
木々の間を通して遠くに見えていた大きな動物を指さして、アリスが尋ねてきた。
「何かしら? あの動物」
四本の足で歩き、イノシシに少し似た雰囲気がある。
あれのことを「死ぬほど」よく知っていた私は答えた。
「正式名称ライノス・ビリガンダ。通称ライノス。見ての通り、額に大きな二つの角を持つ十メートル級の大型草食獣だよ」
「へええ」
「縄張りに近づかなければ大人しいから大丈夫。ただし、強い魔法耐性があるから決して挑発しないように注意して」
アリスが感心したように顔を寄せる。
「詳しいのね」
「うっかり近づいちゃって、殺されかけたことがあるからね……」
脳裏にあのときの恐怖が蘇り、ちょっとだけ身ぶるいした。
あれはイネア先生との修行を始めてから、まだ四カ月くらいのことだった。
実際あのときは、本気で死を覚悟したよ。
よりによって子育て中だったらしくて、キレっぷりが半端じゃなかった。
仲間意識も強くて、五頭くらいに森の中をたっぷり二時間は追い回された。
気剣を使おうにも怖過ぎてとても近づけなかったし、そもそも悪いのはうっかり近づいちゃった私なわけだから、斬ること自体も躊躇われて。
女になって牽制に魔法を使ってみたんだけど、魔法耐性の高さのせいでまったく効かなくて。
涙と鼻水たらしながら、気力強化で逃げ回り、最後は湖にダイブして泳いで逃げたんだった。
「そんなことがあったんですか!?」
驚いた顔で問いかけるミリアに、私は頷く。
「うん。そう言えば前に、イネア先生に転移魔法で知らない森に放り込まれたことがあったんだよ。あいつを見て思い出した。よく考えたら、この場所以外にあり得ないなって」
要するに、私はとっくに演習の一部+αに相当する内容を済ませていたということになる。
だからイネア先生も楽しんでこいなんて暢気なことを言ってたんだなと、今さらながらに理解した。
集団で歩いていると、やがてちょっとした事件が起こった。
調子に乗って道を外れた奴が、カッチミーの巣をうっかり刺激してしまったらしい。大量のそいつらに追いかけられてこっちに逃げてきた。
カッチミーは、ハチに生態や大きさがよく似た虫であり、お尻のところに付いている針には毒がある。
このままこっちに突っ込まれると、他の人にも被害が及んでしまう。対処しなければ危ない。
すると、アリスが前へ進み出て迎え撃とうとする。
「火の川よ。かの者を豪流に呑み焼き尽くせ。《ボルリアs」
「バカ! こんなところで火を使うな!」
確かに虫に対して火は効果的だが、森林火災になる恐れがある。
慌てて制止すると、うっかりに気付いたアリスがぺろっと舌を出す。
「あ! てへへ」
その間にも虫の群れは迫って来ており、周囲は騒然としていた。
もはや一刻の猶予もない。
代わりに私がやるしかない。周りに人がいるから、詠唱式でいこう。
「吹き飛ばせ。螺旋の風。《ファルアクター・スパイラル》」
強風の中位魔法《ファルアクター》に旋転を加えて、対象を散らすことを目的にした魔法だ。
本来殺傷力はないものだが、小型の虫ならば散らすときの風圧で効率良く仕留めることができる。
《ラファル》や《ラファルス》と違って、風の刃ではないから、誤って追いかけられてる人や周囲を傷付けることもない。
狙い通りカッチミーの群れは吹き飛ばされて、すべて綺麗に息絶えた。
周りから安堵の声と、鮮やかな手際だったからか、まばらに拍手が上がる。
横で見ていたアリスが嬉しそうに飛びついてきた。
「おおー! またアレンジ魔法ね!」
「まあね」
何度もアレンジはやってるからね。
当然みたいにさらっと言ったら、「すましちゃって。このこの~」と彼女に肘でぐりぐりされた。
そんな私とアリスの様子を眺めながら、ミリアがしみじみと呟く。
「やっぱり人によって、魔法の宣言って違いますよね」
「イメージの仕方は人それぞれだからねー」
と、アリスが応じる。
宣言とは、使う魔法のイメージを確定させるために、魔法名の前に添える言葉のことだ。
これにより、イメージの誤りや不鮮明による魔法の失敗が減る。
さっき使ったやつなら、『吹き飛ばせ。螺旋の風』がそれに当たる。
確かに言われてみると、この部分は人によって個性が出るよね。
「《ファルスピード》は頭の中でなんて言って使ってますか? 私は『神速の風よ。力を』です。なるべく速いイメージが欲しいので」
「そうなんだ。私は『加速しろ』だけど」
あっけらかんに答えると、ミリアがやや呆れたように笑った。
「さすが、開発者の一人は味気ないですね」
「魔法って、やることと効果だけ最低限言うなり念じるなりすれば十分じゃないの?」
宣言に対する私の率直な感想だった。
実際それだけあれば、しっかりとイメージを練ることができるし、失敗することもない。
だから私にとって、長ったらしい文句は無駄にしか思えなかった。
だがそこに、納得がいかない様子でアリスが反論を差し挟む。
「でもそれじゃ雰囲気出ないでしょ。あたしは『風よ。あたしにその疾風の如き速さを授けよ』かな」
至極当然よみたいな得意顔でのたまうのが、私にとっては妙に面白かった。
さっきやりかけた魔法といい、これといい。
「アリスが意外と中二病だってことがわかった」
「なによ。そのチュウニビョウって。意味は知らないけど、馬鹿にしてるでしょ?」
「ふふ。ごめんごめん。別に変じゃないよね」
「そうよ。もう」
この世界にはこの世界の常識があるわけで。それに照らし合わせれば、別におかしなものでも何でもないのだろう。
でも真顔で言ってるのは、やっぱりちょっと厨臭いかも。はは。
まあ人のこと言えないか。魔法なんてものがスパッと使えたら、少しはカッコつけたくもなる。
行軍が終わり、野営予定地に到着してテントを張れば、夕食まではしばらく自由時間だ。
三人一緒になって、迷わない程度の範囲で散策することにした。
辺りは木々の葉が日光を和らげて、穏やかな光が差し込んでいる。
至る所に木や植物が根を張っており、足場はごつごつしてたりぬちゃっとしてたりで、かなり悪い。
そして時折、虫や獣の鳴き声が聞こえてくる。
集団行動のときはあまりのんびりできなかったけど、こうしてゆったり森林浴をすると中々気分は爽快だ。
そのうち、偶然にも非常に良い物を見つけた。
巨大な木が目の前に立っていた。三人で手を繋いで広がればやっと届くかというぐらい、幹の幅がある。
見上げると、遥か頭上には、黄金色の皮を被った丸い果実が十個ほどなっている。
「すごいな。ゴップルの実じゃないか」
「ゴップルってあの!?」
「果物の王様とか言われてるあれですよね」
普通は貴族でも上流階級しか食べられないような高級品だ。魔法図書館にあった図鑑によれば、とても甘くてジューシーな味わいらしい。
まさかこんなところでお目にかかれるとは思わなかった。
「ちょっと三個だけ取って来るね。夜に食べよう」
「いいね! でも、あそこまで登るのは大変じゃない?」
「落ちたら危ないですよ」
「大丈夫」
確かにそよ風魔法の《ファルリーフ》では落とせそうにないくらい、実はしっかりついてるみたいだ。
それに下手にそれより強い魔法を使って、少しでも木を傷付けてしまうとまずい。
なぜなら、この木は感情を持つと言われているんだ。
実を取ろうとする者に少しでも傷を付けられると、怒って瞬時に実をまずくしてしまうと本には書かれていた。
だから普通は、頑張って木によじ登らないと得られないのだけど。
こんなときのために覚えておいてよかった。
《飛行魔法》
反重力魔法と風魔法を組み合わせて使用し、私はふわりと浮かび上がった。
アリスとミリアが、目を丸くして驚いている。
「なによ!? その魔法!?」
「何なんですか、それ!?」
そっか。そう言えば、まだ見せたことないんだったっけ。
「飛行魔法だよ」
「すごいじゃない! 後で教えてよ!」
「私もやってみたいです!」
きらきらと目を輝かせる二人。
やっぱり自力で空を飛ぶというのは、相当に魅力的なことみたいだ。
ただ残念ながらこの魔法、私やアーガス級の魔力値を持つ人専用なんだよね……。
「もちろんやり方は教えてあげるけど……。アリスやミリアだと、魔力値が足りないんじゃないかな。実はこれ、結構燃費が悪いんだよね」
私並みの魔力があっても使いどころが限られるほどだと正直に説明すると、二人は露骨にがっかりしていた。
「なんだー。残念」
「今まで教えてくれなかったから、どうせそんなことだろうと思いましたよ」
宙に浮いたまま、私は苦笑いするしかなかった。
中々現実というものは厳しい。いつか魔力の大きさに関係なく、みんなが空を飛べるようになったらいいなと思う。
ちなみに、大森林まで空を飛んで行かずに、アルーンに乗ってきた。
それはもちろん二人と一緒に行きたいというのが一番大きな理由だが、単純にそこまで飛ぶほど魔力が保たないのも理由としてごくささやかにあった。
やっぱり人間が生身で空を飛ぶというのは、かなり無茶があることみたいだ。
最初から飛べる者の力を借りた方がずっと合理的だと、完成したこいつを使ってみて、改めて思った。
やはりこの世界の先人は正しかったのだ。
魔力の特別高い者だけに許された贅沢であり、通常は欠陥魔法の類いとしか言いようがない。
仮に誰かが開発していたとして、このような魔法をわざわざ後世に書き残す価値はなかったのかもしれない。
実戦でもほとんど使っていないんだけど、それもひとえに燃費の悪さのせいだ。
まあ空を飛べないと困るときもいつか来るかもしれないから、選択肢として用意しておくのはありだとは思っている。
夢のような効果と、所詮夢に過ぎない実用性を併せ持つ、まさにロマンの魔法。
私はこの魔法大好き。
さっと上まで飛んで行って果実のところに辿り着き、一つ一つ丁寧にもぎ取っていく。
拳大の実は、宝石のようにきらきらと輝いていた。
その後も気付きにくいところから、私はついつい食べ物を見つけてしまう。
イネア先生にあちこち置き去りにされた際、必死に生き延びようとした癖で、ついね。
キノコ類に、花の蜜に、小動物を仕留めたり。
今日の夕食は確か、兵士用のまずい携帯食を体験するはずだったんだけど。
私たち三人の班だけ、やたら夕食が豪華になりそうだった。
「ユウがいたら、明日のサバイバル訓練楽勝じゃん」
「私たちの訓練にならないから、ちょっと何もしないで見ていてもらった方がいいですね」
「そうね。わからないことあったら教えてね」
こんな調子で、私はすっかりサバイバルの先生扱いになってしまった。
ふと口から、ある言葉が漏れる。
「サバイバルこそ正義さ」
「何それ?」
怪訝な顔をするアリスに、私はどこか引っ掛かりを覚えつつ答えた。
「誰かが昔、そんなこと言ってたような気がする」
実際フェバルになってみてわかったけど、どんな過酷な場所でも生き延びられるサバイバル能力は必須だ。サバイバル教に入信してしまいそうになるくらいには、その重要性を噛み締めているところだ。
と言っても、さすがに食べるものくらいは選びたいけどね。
やっぱりヘビとかハチとかを平気でいくのは……ないんじゃないかな。
なんでこれがぱっと浮かんだのかは、わからないけど。
夕食が終わる頃には、すっかり日が暮れていた。
ちなみにゴップルの実は、地球で食べたことのあるどんな果物よりも美味しかった。
王様と言われるだけのことはある。こんな果物が本当にあっていいのかと思ったくらいだったよ。
満腹になったお腹を押さえてくつろいでいると、
「さて。私のささやかな計画に乗りませんか?」
前々から準備を進めていたミリアが、楽しそうに笑った。