フェバル〜TS能力者ユウの異世界放浪記〜   作:レストB

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80「5月10日23時59分」

『穴』を通り、現実世界の新宿駅構内に舞い戻ってきたユナは。

 爆撃の傷跡がありありと残る周囲を見渡して、確かに「こちら側」へ戻ってきたのだと実感する。

 振り返ると、『穴』の存在は「こちら側」からは確認できない。もう「向こう側」へ行くことはできないようだ。

 なるほど。一方通行ってわけかい。

 その方がいいだろうな。いずれここも復旧が済めば、世界有数の人通りでごった返すようになるだろうから。

 GPSがちゃんと機能していることを確認し、ほっと一息吐く。

 SMSを旦那に向けて飛ばしてみれば、すぐに返信が来た。いつでも迎えに行けるよう自宅待機していたとのこと。

 よかった。シュウはまだ生きている。

 悪いが直接ここまで来てもらおう。もう自分一人で歩くのも辛いからな……。

 重傷の姿を覆い隠せるような衣を持参することを頼み、近くの壁に身を預けてもたれかかる。

「こちら側」の新宿駅が立入禁止でよかったなとつくづく思う。

 血塗れで突然大衆の前に現れてはパニックになり、自由に身動きも取れなくなってしまっていただろう。

 もしやその辺りまで考慮して、トレイターは待ち合わせ場所をここに指定したのだろうか。

 だとしたら、とんでもない神算鬼謀だな。

 どこまで先を見通していたのか。マジですごい奴だったよ。

 

 最愛の旦那が来るまで、生きることのみに集中する。

 意識だけは失わないように、胸の鼓動に耳を澄ませ、一つ一つの息遣いをしっかりと感じる。

 ただ生きるということが、こんなにも遠く。あまりにも長い戦いのように思われた。

 

 数十分の後、シュウは騎士(ナイト)のように堂々と立入禁止区域を踏み越えて馳せ参じてくれた。

 時刻は……22時48分。

 夫に支えてもらい何とか車に連れ込んでもらって、山のふもとまで移動して。

 

 そうか――そこで、終わりか。

 

「うわ。またひどい怪我じゃないか……!」

「やっちゃったわ。まあ生きてるわよ。ほら」

 

 笑って力こぶしを作ろうとして、それすらも満足にできずへたれてしまう。

 

「無茶しないで。その、二人は……」

「セカンドラプターは、無事さ。生きているよ。シェリルは……」

「そうか……わかった。つらかったね」

「うん……」

 

 シュウは大切に壊れないように、ユナを優しく抱き締めた。血が纏わりつくこともまったく厭わずに。

 抱き締めたそのままで、耳元に顔を寄せて彼は尋ねる。

 

「ユウは」

「これから迎えに行こう。あの山のふもとで、待っているんだとさ」

 

 そこに本当にいるのか。ついでに黒幕もいるのか。

 何一つわからないけれど。それでも。

 ほんの少しでも、また会える可能性があるのならば。

 

「なあ。私さ、今日これから死ぬらしい。23時59分に。明日を……迎えられないんだとさ」

「そうなのかい……」

 

 ユナは既に頭では終わりを確信しつつあった。今旦那が無事ということは、たぶんそういうことだ。

 この道を共に行けば。どちらも助からない。

 私たちは、時をほぼ同じくして死ぬ。

 だがもう、自分では運転もままならない。わかっていても頼みにするしかないのだ。

 じゃあこのまま尻尾を巻いて大人しく、黙ってその時が過ぎるのを待てというのか。

 そんなことで助かるなんて、甘い話じゃないことくらいはわかる。

 それで済むんだったら、みんな【運命】の前に涙することはなかったはずだ。

 放っておいてもきっと私は、今日のうちに力尽きて死ぬのだろう。

 どちらにせよ、救いようのない結末には違いない。

 だったら私は、ユウへ会いに行く可能性に賭けたい。

 その先にどんな残酷な結末が待っていたとしても。それでも。最後まで戦い抜くことを選びたい。

 それが、私の生き方なんだ。

 

「悪い。もしものときは、一緒に死んでくれるか?」

「もちろん。君だけを置いては行かないさ」

 

 即答だ。

 ほらなレンクス。ヘタレのあんたと違って、カッコいいだろ?

 本当に最っ高の旦那だよ。ありがとう。

 

 もういつできなくなるかもわからないから。

 二人はわずか時間の許す限り、精一杯情熱的な口付けを交わした。

 

 

 ***

 

 

 いつまでも止まない雨が降り続いている。

 夜中に立入禁止の山の方面へ向かおうという車は少ない。都心から離れるに従って道は閑散とし、快適に走らせることができた。

 シュウがハンドルを固く握り運転を続け、ユナは助手席に座っていつでも戦闘態勢でいる。

 リルスラッシュを背負い、両手には愛用のバトルライフルYS-Ⅱを縦に携えて。

 彼女は常に周囲を警戒こそしているものの、ほとんど形だけだ。

 もうお得意の気配察知もろくにできないほど、すっかり弱り切ってしまっている。

 しきりにうつらうつらする首を叱り付け、ただ意識を保つだけで精一杯なのだ。

 

 嵐の前の静けさのように、嘘のように何事もなく。

 間もなく目的地というところだが。

 

 23時58分。

 

 おかしい。まだ山の入り口には辿り着いていないというのに。

 もう時間が来てしまう。

 何か。もしや何か、致命的な見込み違いをしていたのではないか。

 

 そんな不安が、彼女の頭を過ぎったとき。

 

 突如として、破裂音が鳴り響く。

 

 タイヤがパンクしたのか。

 車は急減速し制御を失い、滅茶苦茶に蛇行し始めた。

 

「危ないっ!」

 

 突然運転を放り出して、シュウが自分へ覆いかぶさってきた。

 車体は間もなくアスファルトから逸れて、激しく横転する。

 身体をひどく打ち付けた彼女は、重くのしかかる最愛の人の顔を見つめ上げた。

 

「あなた――!」

 

 ユナの目が、はっと見開かれる。

 

 額に穴が開いている。即死だった。

 

「よくも……!」

 

 激しい悲しみと怒りが、瞬時に込み上げてくる。

 頭では。人間なんてこんなあっさりと終わるなんてことは、わかりきっていたのに。

 二人一緒にドラマチックに死ぬなんてことも……現実には許されなかった。

 火事場の馬鹿力は、どうやら死にかけの身にも残されていたらしい。

 彼女はドアを跳ね上げ、バトルライフルを構えて飛び出す。

 

「誰だ! 誰がやった!」

 

 優れた戦士としての本能が、反射的に銃口を向ける。

 

 その視線の向こうには――。

 

 ああ。なんてことだ――。

 

 ユナの表情が切なく、ぐちゃぐちゃに歪む。

 

 なんて、くそったれな結末なんだ。

 

 これがいつものことならば。

 向かってくる敵に対しては、やられる前にやる。

 

 何でもないはずのことだったのに。

 

 これがもし、万全の状態であったのならば。

 易々と弾丸をかわし、返す弾で正確にそれだけを弾き落としていただろうに。

 だがそんな超人じみた動きは、もうできないのだ。

 奇跡は起こらない。決してそんな「つまらない」ことにはならぬように。

 異世界帰りのガンスリンガーを、ただの無力な人間に堕落させるために。

 彼は徹底的に事を計り押し進め、ついに極限まで彼女を「削り切った」のだから。

 

 したがって、残酷で無慈悲な基本律は例外なく適用される。

 

 地球において。この許されざる世界において。

 

 ほんの一瞬の気の迷いは、致命傷となる。

 

 星海 ユナは、母は。

 

 

 たった一人の子供だけは、どうしても撃つことができなかったのだ。

 

 

 そしてそれは――当然にして必然の結末をもたらす。

 

 乾いた一発の銃声が、ついに彼女を貫いた。

 

 

[5月10日 23時59分]

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