『穴』を通り、現実世界の新宿駅構内に舞い戻ってきたユナは。
爆撃の傷跡がありありと残る周囲を見渡して、確かに「こちら側」へ戻ってきたのだと実感する。
振り返ると、『穴』の存在は「こちら側」からは確認できない。もう「向こう側」へ行くことはできないようだ。
なるほど。一方通行ってわけかい。
その方がいいだろうな。いずれここも復旧が済めば、世界有数の人通りでごった返すようになるだろうから。
GPSがちゃんと機能していることを確認し、ほっと一息吐く。
SMSを旦那に向けて飛ばしてみれば、すぐに返信が来た。いつでも迎えに行けるよう自宅待機していたとのこと。
よかった。シュウはまだ生きている。
悪いが直接ここまで来てもらおう。もう自分一人で歩くのも辛いからな……。
重傷の姿を覆い隠せるような衣を持参することを頼み、近くの壁に身を預けてもたれかかる。
「こちら側」の新宿駅が立入禁止でよかったなとつくづく思う。
血塗れで突然大衆の前に現れてはパニックになり、自由に身動きも取れなくなってしまっていただろう。
もしやその辺りまで考慮して、トレイターは待ち合わせ場所をここに指定したのだろうか。
だとしたら、とんでもない神算鬼謀だな。
どこまで先を見通していたのか。マジですごい奴だったよ。
最愛の旦那が来るまで、生きることのみに集中する。
意識だけは失わないように、胸の鼓動に耳を澄ませ、一つ一つの息遣いをしっかりと感じる。
ただ生きるということが、こんなにも遠く。あまりにも長い戦いのように思われた。
数十分の後、シュウは
時刻は……22時48分。
夫に支えてもらい何とか車に連れ込んでもらって、山のふもとまで移動して。
そうか――そこで、終わりか。
「うわ。またひどい怪我じゃないか……!」
「やっちゃったわ。まあ生きてるわよ。ほら」
笑って力こぶしを作ろうとして、それすらも満足にできずへたれてしまう。
「無茶しないで。その、二人は……」
「セカンドラプターは、無事さ。生きているよ。シェリルは……」
「そうか……わかった。つらかったね」
「うん……」
シュウは大切に壊れないように、ユナを優しく抱き締めた。血が纏わりつくこともまったく厭わずに。
抱き締めたそのままで、耳元に顔を寄せて彼は尋ねる。
「ユウは」
「これから迎えに行こう。あの山のふもとで、待っているんだとさ」
そこに本当にいるのか。ついでに黒幕もいるのか。
何一つわからないけれど。それでも。
ほんの少しでも、また会える可能性があるのならば。
「なあ。私さ、今日これから死ぬらしい。23時59分に。明日を……迎えられないんだとさ」
「そうなのかい……」
ユナは既に頭では終わりを確信しつつあった。今旦那が無事ということは、たぶんそういうことだ。
この道を共に行けば。どちらも助からない。
私たちは、時をほぼ同じくして死ぬ。
だがもう、自分では運転もままならない。わかっていても頼みにするしかないのだ。
じゃあこのまま尻尾を巻いて大人しく、黙ってその時が過ぎるのを待てというのか。
そんなことで助かるなんて、甘い話じゃないことくらいはわかる。
それで済むんだったら、みんな【運命】の前に涙することはなかったはずだ。
放っておいてもきっと私は、今日のうちに力尽きて死ぬのだろう。
どちらにせよ、救いようのない結末には違いない。
だったら私は、ユウへ会いに行く可能性に賭けたい。
その先にどんな残酷な結末が待っていたとしても。それでも。最後まで戦い抜くことを選びたい。
それが、私の生き方なんだ。
「悪い。もしものときは、一緒に死んでくれるか?」
「もちろん。君だけを置いては行かないさ」
即答だ。
ほらなレンクス。ヘタレのあんたと違って、カッコいいだろ?
本当に最っ高の旦那だよ。ありがとう。
もういつできなくなるかもわからないから。
二人はわずか時間の許す限り、精一杯情熱的な口付けを交わした。
***
いつまでも止まない雨が降り続いている。
夜中に立入禁止の山の方面へ向かおうという車は少ない。都心から離れるに従って道は閑散とし、快適に走らせることができた。
シュウがハンドルを固く握り運転を続け、ユナは助手席に座っていつでも戦闘態勢でいる。
リルスラッシュを背負い、両手には愛用のバトルライフルYS-Ⅱを縦に携えて。
彼女は常に周囲を警戒こそしているものの、ほとんど形だけだ。
もうお得意の気配察知もろくにできないほど、すっかり弱り切ってしまっている。
しきりにうつらうつらする首を叱り付け、ただ意識を保つだけで精一杯なのだ。
嵐の前の静けさのように、嘘のように何事もなく。
間もなく目的地というところだが。
23時58分。
おかしい。まだ山の入り口には辿り着いていないというのに。
もう時間が来てしまう。
何か。もしや何か、致命的な見込み違いをしていたのではないか。
そんな不安が、彼女の頭を過ぎったとき。
突如として、破裂音が鳴り響く。
タイヤがパンクしたのか。
車は急減速し制御を失い、滅茶苦茶に蛇行し始めた。
「危ないっ!」
突然運転を放り出して、シュウが自分へ覆いかぶさってきた。
車体は間もなくアスファルトから逸れて、激しく横転する。
身体をひどく打ち付けた彼女は、重くのしかかる最愛の人の顔を見つめ上げた。
「あなた――!」
ユナの目が、はっと見開かれる。
額に穴が開いている。即死だった。
「よくも……!」
激しい悲しみと怒りが、瞬時に込み上げてくる。
頭では。人間なんてこんなあっさりと終わるなんてことは、わかりきっていたのに。
二人一緒にドラマチックに死ぬなんてことも……現実には許されなかった。
火事場の馬鹿力は、どうやら死にかけの身にも残されていたらしい。
彼女はドアを跳ね上げ、バトルライフルを構えて飛び出す。
「誰だ! 誰がやった!」
優れた戦士としての本能が、反射的に銃口を向ける。
その視線の向こうには――。
ああ。なんてことだ――。
ユナの表情が切なく、ぐちゃぐちゃに歪む。
なんて、くそったれな結末なんだ。
これがいつものことならば。
向かってくる敵に対しては、やられる前にやる。
何でもないはずのことだったのに。
これがもし、万全の状態であったのならば。
易々と弾丸をかわし、返す弾で正確にそれだけを弾き落としていただろうに。
だがそんな超人じみた動きは、もうできないのだ。
奇跡は起こらない。決してそんな「つまらない」ことにはならぬように。
異世界帰りのガンスリンガーを、ただの無力な人間に堕落させるために。
彼は徹底的に事を計り押し進め、ついに極限まで彼女を「削り切った」のだから。
したがって、残酷で無慈悲な基本律は例外なく適用される。
地球において。この許されざる世界において。
ほんの一瞬の気の迷いは、致命傷となる。
星海 ユナは、母は。
たった一人の子供だけは、どうしても撃つことができなかったのだ。
そしてそれは――当然にして必然の結末をもたらす。
乾いた一発の銃声が、ついに彼女を貫いた。
[5月10日 23時59分]