フェバル〜TS能力者ユウの異世界放浪記〜   作:レストB

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82「"ふたり"ぼっちのユウ」

 気が付くと。

 小さなユウは元の男の子の姿で、自宅の自室のベッドに寝かされていた。

 身体の穢れは浄化され、血で汚れた服なども綺麗に取り換えられ、『彼』の手で処分されている。

 女の子のままでは色々と支障があるからと、『彼』が今は元に戻しておいた。

 母と『姉』がすべてを賭してでも、護り通そうとしたものを。

 何も知らないままで過ごせる日常を、『黒の旅人』は最大限尊重した形である。

 しかし休む間もなく宇宙を飛び回って『破壊者』の仕事をしなければならないため、『彼』にできるのはここまでだった。

 その後のことがわかっていても、それもまた「確定」した事項であるから、如何ともし難いものだ。

 ただ健闘を祈り、『彼』は幼い彼のもとを去り行く。

 

 そして、ゆっくりと身を起こした彼は。

 

「…………」

 

 ユウは何があったのかを一生懸命思い出そうとして。

「火の金曜日」事件――新宿駅が爆発した、あの始まりの日以来。

 ここ半年の記憶がやけに霞がかったようで、大事なことは何もわからないことを悟る。記憶喪失にも等しい状態だった。

 タクお兄ちゃんや、ベンおじさんや、みんなのことは覚えていても。どうなったのかわからない。

「おじさん」のことも、まるで儚い夢のことであったかのように霧散してしまっている。

 担任の先生が誰であったのかすらも、まったく思い出せない。

 すべての悲劇に辿り着き得る記憶は、今は決して参照できないようになっていた。

 

 なのに。何一つ覚えていないのに。

 何かそういうことが、少し前にもあったような気がして。

 本当に忘れてはいけない誰かを。みんなを。

 本当に思い出さなくてはいけないことを、忘れてしまった気がして。

 

「俺、何かを。大切な何かを……」

 

 ほとんど無意識に涙が頬を伝い、いつまでも静かにすすり泣いていた。

 

 部屋が真っ暗になるまで項垂れ、そうしていたが。

 人はどんなに悲しくてもお腹は空くもの。

 やっとふらつく足で立ち上がり、明かりも付けずにキッチンへと向かっていった。

 いつもなら。お母さんが戦いに出ていたとしても、お父さんは帰って来てくれるはずなのに。

 どうしてだろう。いつまで経っても帰ってこない。

「ただいま」って言ってくれない。

 

 お揃いのコップは……4つあった。

 俺と、お父さんと、お母さんと。

 あと、誰なんだったっけ。

 

 自分のコップを手に取り、背伸びして蛇口をひねる。

 カラカラの喉を潤したら。ほんの少しでも水分を摂ったら。

 また止め処なく、堰を斬ったように涙が溢れ出てくる。

 ぐしぐしと目を擦って、ひとりでもできる料理をする。

 ケトルを準備して、また背伸びして水を入れ。お湯が沸くまでしばらく待って。

 タクお兄ちゃんが大好きだったカップラーメンに、お湯を注ぐ。

 三分間が永遠のように感じる。

 ようやくできたものを口にしても、まるで味がしなかった。

 

「ああ……」

 

 食べたい。あんなに嫌だったのに。今は。

 お母さんのまずい卵焼きが、無性に食べたい……。

 

 小さな彼も、次第に残酷な事実を理解しつつあった。

 みんなきっと、もういないのだと。二度と誰も帰っては来ないのだと。

 

「う、あぁ……」

 

 誰もいないテーブルに一人俯いて、ユウは絞り出すように嗚咽を上げる。

 

 みんな、どうしてしまったんだろう。

 どうして誰もいなくなってしまったんだろう。

 何も言わずに。

 

 そう言えば。

 世界がいつもよりずっと静かになってしまったことに、ユウはそのとき初めて気付いた。

 もう人々の心の声も。犬や猫たちの何気ない会話も。小鳥の歌う声も。虫たちのざわめきも。

 何一つとして聞こえてこないことを悟る。

 なぜだろう。あんなに騒がしくて、賑やかで。時には困るほどだったのに。

 もうわからない。何も届かない。

 今はそのことが無性に寂しくて。あれほど当たり前にできたことが、既に遠く懐かしいことのような気がして。

 彼はひどく苦しむ小さな胸をそのままに浸って、いつまでも泣き続けた。

 

 彼が万物の声を聞く力を失ってしまったこと。

 母と『姉』が小さな身には過大な力を封じ込めたからというのもあるが、それ以上に。

 

 ユウが無垢な心を、その純粋性をついに喪失してしまったからと言えるだろう。

 

 まったく思い出すことはできなくても。確かに刻まれてしまった悲惨な経験はもう決して消えることはないから。

 彼はもう、世界と【運命】の残酷さをその身に覚えてしまったから。

 

 神の子は真に物心を覚え、その無垢なる神秘性を喪失して。

 人の子として歩み始めようとしていた。

 

 

 ***

 

 

 翌日も。その翌日も。次の日も。次の日も。

 ユウは学校へも行かず、どこにも出ず。ただ虚ろな顔で誰かの帰りを待ち続けていた。

 何か嘘であってくれないかと。誰か一人くらいは迎えに来てくれないかと。

 カップラーメンの空になった容器だけが積み重なって、残酷な時間の経過を示している。

 今はぼんやりと死んだように、ずっとテレビを垂れ流していた。

 ちょうど昼のワイドショーニュースが流れていた。

 

『先日暗殺された、西凛寺元首相ですが。世界各国要人の不審死とも、黒い繋がりがあるとされており――』

 

「…………」

 

 ピンポーン。

 突然、チャイムが鳴る。

 

「お父さん……お母さん……?」

 

 そんなはずはないだろうと頭では理解しつつも、つい一縷の望みに縋ってしまう。

 とてとてとふらつきつつも、玄関へと駆け寄り。

 

 そして、ドアを開けた先には――。

 

 ユウの身が、思わず竦む。

 

 ユキエおばさん。

 

 星海 ユナ(お母さん)の実の姉にして、自分のことを明らかに毛嫌いしている彼女がそこに立っていた。

 

「相変わらずきみの悪い目つきだね。生意気な妹そっくりだ」

「あ。おばさん……」

「ユウ。いつまでひとりぼっちでそうしているつもりだい。学校にも来ないだって、とうとううちにも連絡が来たじゃないか」

「あのね。ずっと、帰りを待ってるの」

 

 おばさんは、イラついたように声を荒げる。

 

「あのねえ。いい加減、現実を受け止めな。お前の両親は! 交通事故で死んだんだよ!」

 

 残酷にも小さなネット記事を目の前に突き付けて、ご丁寧にも名前のある箇所を見せつけて。

 おばさんは勝ち誇ったようにほくそ笑む。

 

 交通事故。

 そっか。そっかぁ。

 やっぱり、もう……。お父さんとお母さんは……。

 

 ついにはっきりと事実を突き付けられて、絶望に打ち沈むユウに。

 対照的に、姉はやけに嬉しそうだった。

 

「あの女。ついにくたばった。いつもいつも私を蔑むような目で見て、うざったかったんだよ。きっと罰が当たったのさ」

「やめてよ! お母さんのこと、そんなに言わないで!」

「うるさい!」

 

 乱暴に振るった腕が胸に当たり、ユウはたまらず尻もちを付いてしまう。

 

「うぅ……!」

「ガキのあんたに何がわかるって言うんだい。私がどれほどあいつに苦しめられてきたか。劣等感に苛まれてきたか。あの忌々しい女から生まれてきた鬼の子めッ!」

「ううぅ」

「けど感謝しな。お前、他に身寄りもないからねえ。しょうがないから、うちで引き取ってやるのさ。そのために来たんだ」

 

 その胸の内には、莫大な遺産を掠め取れるからという打算しかないことを。

 何となく嫌な感じはしても。人の心の読めなくなってしまったユウには、その奥がわからない。

 

「ほら。きりきりと感謝するんだよ!」

「ぐ……あ、ありがとう、ございます……」

 

 逆らったら何をされるかわからないと察したユウは、痛む尻をさすりながら何とか立ち上がり。しぶしぶ頭を下げた。

 前々からお母さんのことが大嫌いで。子の自分にやけに当たりのきついことも、よくわかっているから。

 ただひどく悲しい顔でそう言ったユウに、おばさんは満足げだった。

 

「よろしい。うちはあいつと違って、お前を甘やかしはしないからね。家事炊事、言われたことは何でもやりな。あとうちの子にも逆らっちゃいけないからね!」

「はい……」

「じゃあさっさと行くよ」

 

 痛いほど強引に手を引っ張って、出たところで待つ車へと連れ込んでいく。

 運転席には、彼女の旦那が愉快な面で待っていた。

 

「お前がユウか。今日から俺が親父だぞ。感謝しろや。おう」

「よ、よろしく、おねがいします……」

 

 おばさんと違い、妹との確執やユウ個人への愛憎が特別あるわけでもなく。

 ただ粗暴なだけのおじさんは。今は莫大な遺産を手にできると知って、殊に機嫌が良かった。

 車は星海家を発ち、あの温かかった家を永遠に去っていく。

 あの家がどれほどの値で売れるのかなど、生々しい話が歪んだ笑みとともに、車内でひたすら繰り広げられている。

 どうせわかりはしないと、幼子の前でタカをくくって。

 人の悪意もわからなくなってしまった小さなユウは、確かにただ何となく嫌らしい話をしているとしか察することができず。

 不安を胸いっぱいに抱えたまま、車は従兄のケンの待つ田中家へと向かっていく。

 

 そして、「約束された」つらい日々が始まる。

 

『負けないで。愛してるよ。ユウ』

 

 ただ一人。

 次第に自我の芽生えつつあった、『心の世界』の『姉』だけは。

 最愛の『弟』のことを、まだ届かない声で陰からずっと励まし続けていた。

 

 

[続 金髪の兄ちゃんともう一人の「私」]

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