フェバル〜TS能力者ユウの異世界放浪記〜   作:レストB

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8「宣戦布告」

「どうして……どうやって!?」

()()()はちゃんとしておくものよ。ねえ」

 

 動揺を隠せない私に、アイは余裕綽々にくつろいだまま、排水口を指さしてくすりと笑う。

 そうだった。こいつは身体を液状化させることができる。配管の類があれば潜り込むことなんて造作もないのか。

 それに人が素肌をさらけ出すところに監視カメラなどは置かないだろうことも見越している。

 

「あれがアイなのですか……!?」

 

 声をひそめて問いかけるメリッサに黙って頷くと。

 三人は裸の身を庇うようにして、一挙に臨戦態勢に入った。

 

「その姿、確かにテレビで見たぜ。アルシアの顔貼り付けて、気持ち悪い色しやがって!」

「許せないですわ!」

 

 姉御肌のアマンダが格好良く見栄を切り、イプリールが同調する。

 メリッサは私の側を守るように黙って立っている。

 アイは何が面白いのか。くすくすと笑い続けたまま、ゆっくりと湯船から立ち上がった。

 化け物の証である薄桃色の肌は、水滴に塗れて滑り気のある光沢を放っている。

 相変わらず顔だけは元のアルシアのまま。ヒトとしての白さを残している。

 

「随分な歓迎ね。わたしはただお風呂を楽しみに来ただけかもしれないのに」

「そんなわけあるかよ」

「ふふ。さあね」

 

 怒れるアマンダを前にしても、人を食ったような態度を続けるアイ。

 でもどうして。わからない。十分気を付けていたはずなのに。

 私の心の感知にも、メリッサの超六感にも引っ掛からなかったっていうの……!?

 内なる心の問いを見抜いているのか、アイは私に嘲るような視線を向けて口を開いた。

 

「気配を消すことなど、わたしには造作もないこと。ユウ。それでもあなたが男でいたなら、気付けたかもね」

「……っ!」

 

 確かに……男でいる方が生体感知には優れている。

 でも女三人の生活に、男一人は混じりにくい。特に裸の付き合いの場とあっては。

 しかもただでさえ喰われるリスクのある男に変身するのは躊躇われるところ。

 状況的にそうするはずがないという絶対の自信をもって、こいつはあえて挑発しているのか。

 

「見え透いた挑発に乗るんじゃないですわよ」

「わかってる」

 

 だけど。頭ではわかっていても。

 現に目の前の相手が、つい昨日まで家族のように親しくしていた友を取り込んだものであるという事実が。

 しかもあえて彼女の顔を晒して執拗に挑発的な態度を取る行為が、どうしても私の心を揺さぶる。

 そんな私たちの感情も肴にして。アイはこちらを舐め回すように見つめ、明らかな愉悦に浸っていた。

 見下した態度の敵を前にして、黙っている巫女たちではない。

 

「ふん。あたしら三人の巫女の前にわざわざ出て来るなんて、命知らずもいいとこさ」

「わざわざ探す手間が省けましたわ。観念なさい」

「いや、あれはたぶん本体じゃない。本物のあいつならもっと……」

 

 私から一応、注意しておく。

 あの身体からは精神に直接働きかけてくるあの妖しげな、吸い寄せられるような魅力を感じない。

 それに一万人を喰らったときに大きく増した力も感じられない。

 ただ姿形だけそっくりに変形させたしもべを操って喋らせているだけだろう。

 そうだ。また誰かを犠牲にして……!

 そのことに思い至り、さらに怒りが滾ってくる。けれど冷静さを失えば奴の思うつぼだ。

 アイは当然のように肯定する。

 

「もちろん。バカ正直に出てくるわけないでしょう」

「ちっ。舐めてるなあおい」

「ぐぬぬ……!」

「なるほど。油断ならない相手ですね」

「アイ。お前の目的はなに?」

 

 いつでも動けるように身構えながら尋ねる。できるだけ情報を引き出すの。

 アイはわずかに首をもたげ、少し言葉を選ぶような素振りを見せた。

 

「そうね。強いて言うならば。まあ、挨拶みたいなものかしら。宣戦布告というところか」

 

 宣戦布告という物騒な言葉に、私たちはそれぞれ身を固くする。

 

「手。足。胸」

 

 アイは目を細め、三人の巫女へ順番に視線を向けた。

 口にした身体の部位に対応する順に、女神の身体を見定めている。

 同時に、自らの身体もそれらの部位に合わせるように。

 太ももから胸の先まで、変色した身体をゆっくりと指先でなぞり上げていく。

 

「そして――」

 

 気のせいではないだろう。私へといっそう熱い眼差しを向ける。

 肉食獣が獲物を狙うときのような――いやそれよりもずっと深く。愛と憎悪が入り混じった瞳が突き刺す。

 私は背中がざわつくような悪寒を感じた。

 そして、アイは宣言する。

 

「お前たちはすべてわたしのもの。みんな、アイになるために生まれてきたもの」

「はあ!? 誰がお前なんかに喰われてやるものか!」

「ふざけるなですわ!」

「あり得ません。私たちの力は女神のもの。正しいことのためにあるのです!」

 

 ここまで三人の中では控えめだったメリッサが、今は一番怒っていた。

 だがアイは鼻で嘲笑う。

 自分こそが、自分だけが正しいと言わんばかりに。

 

「フッ。遥かな時の流れで、女神とは誰かも忘れてしまった愚か者たちよ」

「なんですって!?」

「女神とはわたし。わたしがこの星のすべて」

 

 嘘だとは言わせぬ威厳と迫力があった。

 アイは自信と確信に満ちていた。

 

「わたしのカラダとなって、わたしとともに永遠を生きる。お前たちはそのために生まれて来た――この娘がそうであるように」

 

 第一の犠牲となったアルシアの裸体をまざまざと見せつけながら、アイはきっぱりと言い切った。

 もし自分まで食べられてしまったら。取り込まれてしまったら。

 否が応でも未来の姿を想起させてしまう生理的悪寒に、誰もが言葉を失っていた。

 それは根源的恐怖だった。

 私たちの恐怖を見透かすように、アイは穏やかに微笑む。

 わたしこそが母なる女神なのだと。

 

「怖がらなくていいのよ。あるいは怒りや悲しみさえ。きっとそれさえもわからなくなる。すべてが混じり合って、わたしたちは一つのアイになるの」

 

 気付けば、動揺の隙を縫って。滑り込むように私たちの間合いに入ってきていた。

 紅き血の瞳が、私を射抜くように見つめている。

 

「ねえ。ユウ。今ね、とても温かい気分なの。どうしてだと思う?」

 

 わからない。わかりたくもない。

 返事ができないでいるうちに、アイはすらすらと続けていく。

 

「ユウ、あなたを見ているとね。ああ。この子はきっと、とてもあなたを愛していたのね」

 

 恍惚とした表情で私だけを見つめ、舌なめずりするアイ。

 

「だから、わたしもそう。たぶん、そう。あなたを愛しているわ。今すぐに食べちゃいたいくらい」

「……その声で」

「んん?」

「それ以上、喋るなああああああっ!」

 

 もう我慢の限界だった。

 これ以上、蕩けるような彼女の声で。よりによって大切な親友の姿で。

 本来彼女が言うはずもないおぞましい言葉を並べ立てるのを聞いていると、頭がおかしくなりそうだった。

 

 アルシアから! 彼女からすべてを奪っておいて! お前が愛を騙るな!

 

 けれど悲しいかな。

 直情に駆られた直線的な動きは、それこそアイの術中に嵌ってしまっている。

 彼女は液状の身体を引き伸ばすと、突き出した拳の表面を滑るようにして瞬時に背後へ回った。

 襲い来るも、殺傷的な攻撃を加えてくることはなく。

 彼女は自らの流動体を束縛縄のようにして、私の全身に絡みつくようにがっちりと締め上げた。

 彼女の顔が背後より、ぴったりとくっつくように迫ってくる。

 生暖かい吐息が触れるほど近く。耳元で一方的な愛を囁く。

 心底楽しそうな響きと興味を伴って。

 

「うふふ。ひどい人。わたしはこんなにもあなたを求めているのに」

 

 ぬめりとした感触が走る。耳たぶを咥えられていた。

 

「ひぅ……!」

 

 ぁ、あ。甘噛みされている。

 

 幾度弄ぶように、歯に力を込めては緩めることを繰り返した。

 まるで今食い千切ってしまっては「もったいない」と言わんばかりに。

 

「ねえ」

 

 ダメだ。こわい。こわい!

 

 なまじ心を読めてしまうことが、余計に恐怖を喚起した。

 こいつは私を徹底的に犯し尽くそうとしている。精神的にも肉体的にも。

 一方的で暴力的な愛欲。それを当然のように考えていることが。

 人への真実の愛のように考えていることが、何より恐ろしい。

 

「どうしたらあなたはわたしになるの? どうして素直に食べられてくれないの?」

「誰が……っ……お前なんかに!」

 

 虚勢を張り、辛うじて言葉を振り絞るも。

 自分で哀しくなるほど弱々しい。

 

「あなたとわたしは何が違う? 何が足りない?」

「何もかも、お前には……大切なものなんて、わからない!」

「ああ。そう」

 

 私の答えなど、どうでもいいかのように。

 今度はひどく冷めた調子で、冷徹に私の生理的反応を観察している。

 

「なら。あなたの大切なもの。あなたを守っているもの。よりどころ」

 

 彼女の言う「温かい」気分のまま、親しげに頬を擦り寄せてくる。

 アルシアにはされて心地良かったことが、今は生理的嫌悪でしかなくて。

 

「ぜんぶ壊したら。なんにもなくなったら」

 

 おぞましい台詞をねっとり聞かせながら。

 彼女の指先が、全身雁字搦めにされた私の心臓の上を繰り返し叩く。

 

「わたしだけになったら。そうしたら」

 

 お前はわたしのものだと。印を付けるかのように。

 

「ユウ。わたしのものになってくれる?」

「お、まえっ!」

 

 なんてことを。なんて恐ろしいことを考えるの……!

 

 私の激しい動揺を正解と受け取ったのだろう。アイは満足気に微笑む。

 

「ふふ――ならば。わたしがお前のすべてを否定しよう」

 

 アイは純粋な悪意に満ちた声で。当然すべきことのように。

 私へはっきりと宣告した。

 

「お前の希望、仲間、友情、愛……大切なもの、繋がりをすべて断ち切って……。お前だけの世界を。お前だけになったあなたを――わたしだけのものにして。ぐちゃぐちゃにして。わたしで染めてあげる」

 

 身震いがした。寒気が止まらない。

 こいつは。アイは……本気だ。

 ただそうしたいから。それだけで。本気でやるつもりなんだ。

 心の底からそうだと理解できてしまったから。

 

「おい」

 

 気付けば、アマンダがアイを掴んでいた。

 みんな気圧されていたのが、私のピンチにようやく動いてくれたみたい。

 アイから明らかに笑みが失せて、そちらを睨む。

 

「なによ。痛いじゃない」

「そこまでだ。これ以上、うちのユウに手を出すんじゃないよ!」

「邪魔しないでよ。今いいところなんだから」

「お前――もう黙れ」

 

 加護足が光を放ったと認識したときには。

 アイは私からいとも簡単に引き剥がされ、風呂場の壁面へ痛烈に叩き付けられていた。

 

「…………」

 

 アイはあからさまに不愉快になり、恨みがましい視線をアマンダに向けている。

 再び流体と化して、身体を動かそうとしているようだったけれど。

 しもべを弄っただけの見てくれだけの肉体は、既に限界が近いようだった。

 

「……なるほど。さすがは巫女。まだまだ力では敵わないか」

 

 どこか他人事のように。実際そうなのだけど、アイは冷静に彼我の差を俯瞰する。

 そして、口元を笑みに歪めた。

 

「楽しみね。とっても楽しみ。その力、必ずわたしのものにしてみせる」

「もう黙れってお姉様が言ってるでしょう!」

 

 イプリールの方も限界だったらしい。

 激しい怒りのままに手をかざすと、無残にもぶちぶちと身体をねじ切られる音が鳴る。

 彼女の得意とするサイコキネシスだ。

 

「ふふふ。きゃはははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは――」

 

 最期にアルシアの声で高笑いを上げながら、アイの分身は粉々に爆散した。

 

 

 ***

 

 

「ユウ、大丈夫? 顔真っ青ですよ」

「あ……うん……」

「まああれは……確かに怖いですわね。寒気がしましたもの」

 

 普段はツンツンしているイプリールも、さすがに同情的だった。

 

「ほら。仕方ないから肩貸してやりますわ」

「ありがと。ごめんね……」

 

 メリッサとイプリールに肩を貸してもらいながら、私はどうにか浴場を抜け出した。

 もう全員入浴どころではなかった。

 またいいように翻弄され、何もできなかった自分が情けない。

 

 それに――。

 

 あいつの中に人の心が見えない。わからない。理解できない。

 私は……心底怖いと思った。

 今までも敵わないと思った敵はたくさんいた。恐ろしい敵もたくさんいた。

 だけど。相手のことがまるでわからないと思ったのは。

 わかりたくないとすら思ったのは、初めてのことだった。

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