フェバル〜TS能力者ユウの異世界放浪記〜   作:レストB

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Countdown 3「わたしの足」

 浮力や反重力といった物理現象によらない、超能力自体による自由自在の空中制御。凄まじい脚力と超スピード。

 それこそが『加護足』の能力である。

 クランシエル孤児院に誰よりも早く辿り着いたアマンダは、そこでアイの姿を纏った分体を目撃した。

 だが悲しいかな、彼女には本物と偽物とを見分ける術はない。

 分体は本物がそこにいると錯覚するには十分なほど、醸す雰囲気もそっくりだった。

 それは己の意思こそ持たないが、アイの意のままに動き、言葉を紡ぎ出す。

 

「あら。早かったじゃない」

「アイ。ここで会ったが百年目さ。ぶっ殺してやる……!」

 

 怒りのままに神速の蹴りを放とうとしたアマンダを、アイは余裕綽々で制止する。

 

「おっと。そんなことをしていいのかしらね」

 

 彼女がこれ見よがしに視線を向けると――。

 

 無数の触手に絡め取られ、宙吊りにされ。泣き叫ぶ子供たちが現れた。

 人質としての意味を持たせるために、あえてしもべにはしていない。食べるのも我慢した。

 

 アマンダは顔を真っ青にして、それ以上動くことができなかった。

 恐れていた最悪の事態が起こってしまった。

 

「あんた……! 可愛い子供たちを!」

「ふふふ」

 

 アイにはとっくに目星は付いていた。

 何がこの『加護足の巫女』にとっての宝であり、最大の弱点であるかを。

 だからこそ二カ月近く、力を蓄えつつも辛抱強く待った。

 警備ルーティンを見極め、最も配置が弱くなる瞬間を。

 助けを呼ぶ間もなく、最速の巫女に先んじて孤児院を掌握できるこのときを。

 

 勝ち誇るアイは、目を細めてくすくすと嗤う。

 

「ヒトとは弱いものね。たったこれしきのことで、容易に手が出せないのだから」

「くっ……! 卑怯な!」

「卑怯? 卑怯ってなに? こうするのが一番、そうでしょう?」

 

 すべて欲望に忠実、そして彼女なりの合理でもって行動するアイには、人間の価値観がわからない。

 アイはヒトの味を知っている。どうすればヒトが困るのか、弱るのかを知っている。美味しくなるかを知っている。

 だからそうした。それだけ。

 

 アマンダは怒りを通り越して、寒気がした。

 

「お前……」

「少しでも動いたらどうなるか。わかっているわね」

 

 獲物を前に舌なめずりしたアイは、さてどうしたものかと思案する。

 五体の巫女は至上の糧であるが、【侵食】を始めとする精神汚染への耐性も極めて高い。

 現代まで余計なものには変質されないよう、生まれ変わっても強く存在するようにできている。

 だから喰らうにはまず、弱らせる必要がある。精神的にも肉体的にも。

 

 実はしっかり根に持つタイプであるアイは、まず意趣返しにとアマンダを蹴り飛ばした。

 分体とは言え、常人より遥かに力は強い。

 コンクリートの壁へヒビが入るほど強かに打ち付けられたアマンダは蹲り、まともに息ができなくなる。

 女神の五体を持つ者は並外れて頑丈なため、それだけで致命傷とはならないが。

 

「まだまだ。一発では足りない」

 

 アイも心得ている。状況の優位を得たといえ、素の実力では相手が上。ましてこちらは分体なのだ。

 以降は不用意に接近せず、触手を鈍器のようにして。かつて自身が蹴られたその箇所のみを執拗に殴り続けた。

 

「まったく。足の分際で主に逆らおうだなんて。しつけがなっていないようね」

「う゛っ! ご、が。あ゛ッ!」

 

 大好きな育ての親がズタボロにやられていく光景を目の当たりにして、子供たちはただ恐怖と悲しみで泣き喚くしかない。

 

 しかしアマンダも歴戦の戦士である。

 執拗な攻めを耐え忍びながら、わずかな隙がないかと必死に窺っていた。

 彼女の知る由ではないが、アイは今本体と分体を含めると三体同時に操っている。

 それが分体である以上、思考と思考の隙間にはわずかなタイムラグが生じる。

 アマンダは優れた直感でそれを掴んでいた。

 

 ――今だ!

 

 アイの意識がほんの少し逸れた瞬間。彼女は瞬時に『加護足』のギアを最大に引き上げた。

 音速をも遥かに超える、神速の蹴りを今度こそ繰り出す。分体ごときではまったく反応する間もない。

 哀れ分体は再生限界など容易く超えて、粉々に爆散した。そして二度とは復活しなかった。

 子供たちを縛っていた触手も、はらりと解けて崩れ去る。

 

 見事な逆転勝利だった――そう、傍目には。

 

 アマンダは無事守れた宝物たちを見つめ、ぼろぼろの身体でほっと胸を撫で下ろす。

 しかし、執念で勝利を掴み取ったと安堵した。

 

 ――その瞬間。

 

 彼女の背後より、ピンク色の液状体が滑るように侵入した。

 ユウを封じたアイの本体が帰還する。

 分体を殺るように仕向けたことも。くたばり、子供たちを解放したように見せたことも。

 すべては演技だったのだ。

 

 液状の肉体を一気に展開し、油断したアマンダに後ろから覆い被さり。

 はっとした彼女の脳内に、ねっとりと艶めかしい歌姫の美声が響く。

 

『人は勝利の瞬間こそ、最も油断するもの』

 

 隙 を 晒 し た な。

 

 ほんの一瞬。アルシアと溶け合っていたために有していた愛欲の奥底から。

 まったく無感動な、純粋そのものなるアイ自体の本能が剥き出しとなって。

 人ならざるモノの深淵に触れ、アマンダの身が心底竦んだ。

 次の瞬間にはもう。

 再び歌姫と混然一体となった化け物は、情感いっぱいの肉欲を顕わにしていて。

 

『いただきます♡』

 

 ぐちゅん。

 

 くぐもった、ぬめり気のする水音とともに――至上なる融合の時間が始まった。

 

 

 ***

 

 

「アマンダお姉様……。子供たちのことになるとすぐ見境がなくなるんですもの!」

 

 アマンダのスピードは、この世界において他を遥かに凌ぐ。

 いかにイプリールが優れた肉体を持つ巫女であっても、専門分野で遥かに遅れを取るのは致し方ないところであった。

 それでも今は、乗用車を用いて「常人のふりをする」ことすらせず、自らの足のできる限りで駆けている。

 

 彼女にも嫌な予感がしていた。

 相手は人の弱みにこそ付け込む怪物。アマンダお姉様は子煩悩だからこそ、そこを付け狙われはしまいかと。

 ユウもわたくしも、それを心配しておりましたのに。一人先走ってしまっては、台無しですわ。

 

 そうして彼女から遅れること十数分。その遅れが致命的だったとようやく気付いたのは。

 孤児院の大部屋から、聞き慣れた者の聞いたこともない悲鳴を耳にしたときだった。

 

「あ、ああ゛! うう゛んっ! お゛っ! んんぅ゛!」

「お、おお、う。お……。ん、ああ、あ」

 

 一人の苦しそうな喘ぎ声と、もう一人の感動に満ちた喘ぎ声が。

 一つの重なった人型から漏れてくる。

 

 敬愛するお姉様が――化け物と徐々に融け合っている。

 

 イプリールも知る普段のあっさりした「食事」とは、まるで様子が違う。

 それは真なるアイの女神の五体――巫女を取り込む際のみに発生する、長く特別な進行様式だった。

 

「あ、あ……」

 

 イプリールは恐怖とショックのあまり、その場で動けず放心してしまっていた。

 今見ているものが現実と信じられなかった。信じたくなかった。

 

 アマンダの全身にピンク色の肉がもごもごと纏わり付き、ほとんど隙間なく絡み付いて、全身がうねっている。

 二人を新たな一つの形に創り変えようとしているのだ。

 未だ左半分はかつてのアルシアの歓ぶ顔を、右半分はアマンダの苦しみもがく顔を貼り付けて。

 だが互いの顔の境界は、徐々にぼやけて交じり合おうとしていた。

 二つの声が徐々に折り重なっていく。

 ひどく苦しみに満ちた、しかしどこか悩ましげで、切なげでもあり。

 おぞましく艶めかしく、快楽的な響きすら伴って高められていく。

 

「「お、おお……もう、少し。わ(あ)たし、ひと、つに」」

 

 既にアマンダはすっかり正気を失い、アイと等しく快楽に顔を歪め。

 自ら望むままに身も心も差し出し、忌々しき融合を押し進めていた。

 

 イプリールは何度も首を振り、苦悩する。

 このままでは、アマンダお姉様が喰われてしまう。助けられるのは自分しかいない。

 涙と恐怖に足を震わせながらも、決死の一撃を放つ。

 

「この! お姉様から離れなさいっ!」

 

 全開の念動力で肉片を引き剥がしにかかるが……ぴくりとも動かない。

 無防備を晒す融合中は特殊な防御力場が発生するのか、あらゆる能力を退けているようだった。

 

 あ、あ。だめ。お姉様が。

 大好きなお姉さまが。いなくなってしまう。

 

「アマンダお姉様ーーーーーーっ!」

 

 イプリールは何もできない己の無力さに、その場で泣き叫び、崩れ落ちてしまった。

 

 

 ***

 

 

 薄れゆく自我の中。

 アマンダは恐ろしくも大いなる、温かなアイに包まれて。

 アイになろうとしていた。

 

 懐かしい誰かの声がする。

 遥か古から、本当はずっと知っていた。

 

『わたしたちは、アイ』

 

 食べることは、生きること。

 アイになることは、とっても素敵なこと。

 本当の自分を知ること。望むままに解放されること。

 それがアイになるということなのだ。

 

 ――ああ。ようやくわかったよ。

 

 あたしには最初から、自由なんてなかった。

 生まれたときから、いやその遥か前から。【運命】は決まっていたんだ。

 この素晴らしく偉大な女神の一部になる。そのために生まれ育ってきたのだと。

 

 女神様。今、実りを捧げます。

 

 けれど、わずか残していた一筋の正気が。無念が。

 呑まれゆく彼女の目から、ほんの一欠片の涙を零した。

 

 誰か。助けて……。

 

 

 ***

 

 

「ああ……とってもいい気持ち……」

 

 すっきりしたアイは、真紅のドレスを靡かせて。久方ぶりの外気を袖いっぱいに通す。

 真なる五体の欠片を受け入れ、生まれ変わった気分を存分に味わう。

 そして素晴らしき恍惚から一心地つくと。忌々しげに自らの翼を見やって。

 

「こんなものはもう要らない。だって――美しくないもの」

 

 異形の翼を自らの手でぶちりと引き千切り、天高く放り投げた。

 

 きゃはははははははははははははははははははははははははは。

 

 舞い散る半透明の羽の中で、彼女は舞台女優のように両腕を高らかに広げ。狂ったように嗤い続ける。

 

 未だ大部分は薄桃に変色したままのぬめ肌。なお寂しきは空っぽの手と、胸と、お腹。

 だが奪い取ったアルシアの顔は常にヒトらしい美しさを保ち。

 そしてアマンダのものだった足は、今やアイ自身の女神の足として。

 完璧な白さを湛え、しかと大地を踏み固めていた。

 

 かくして『不完全なる女神』は、また少しヒトの形へと近付き――『完全なる女神』へと一つカウントを進める。

 

 これで二つ――あと三つ。

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