トール・ギエフ魔法研究所。
あたしたちはついにその目の前に辿り着いた。
「いよいよね」
「命がけになるぜ。覚悟はいいか?」
「もちろんよ」
「ああ。待ってろ、ユウ」
正面入口から堂々と突入する。
まずは開けたエントランスが目に映った。中央には大きな隕石の模型があり、壁には様々な絵がかかっている。どれもこれも高そうね。
奥には受付があったけど、誰もいなかった。それどころか、どこにも人の気配すらない。
不気味なくらい静かだわ。
「確か地下だったな。ユウがいるのは」
「そうだ。ここや上には誰もいないようだが、地下にはたくさんの気がうごめいている」
「なら、どこかに入口があるはずよね。でも……階段がどこにもないわね」
辺りを見回してみたけれど、どこにも地下へ通じる階段は見当たらなかった。
「こういうときは、隠し階段があるのがセオリーってもんだろ。極秘施設だろうから、誰でも簡単に行けるようにはなってないはずだ」
「とすると、怪しいのはここだな。階段くらいのものを隠すにはちょうど良い大きさだ」
イネア先生が立っていたのは、中央の大きな模型の前だった。アーガスと一緒に近寄ってみると「伝説に記された天体魔法メギルをイメージしたものである」との説明が書かれている。
「よし。アリス、イネア。どこかにスイッチか何かないか、手分けして探すぞ」
「うむ」
「オッケー。任せて」
アーガスが模型の周りと床、イネアさんが壁と絵の辺り、あたしが奥の受付を中心に調べることにした。
間もなくあたしは、カウンターの裏に小さなスイッチがあるのを見つけた。
「あったわ!」
「押してみろ!」
彼に促されて、ポチッとスイッチを押した。
すると《メギル》の模型は横にスライドし、下から階段が現れた。
「当たりだな」
イネアさんがそう呟いた。
長い長い螺旋階段を下っていくと、やがて冷たい空気が漂う地下に着いた。
一階の白を基調とした明るく綺麗な雰囲気とは打って変わって、そこは鼠色の床や壁で覆われ、薄暗い中を照明がぼんやりと照らしている。
しばらくは一本道の通路が続き、やがて開けた大きな部屋に出た。
そこには、仮面を被ったたくさんの敵が待ち構えていた。
奥にはまた、一箇所だけ通路が見える。
どうやらここを抜けなければ、先には進めないようね。
意を決して三人同時に部屋へ飛び込む。
すると、ガシャンという大きな音が背後からした。
さっきまでいた通路に分厚い金属の壁が降りて、帰り道が閉じてしまったの。
「あっ!」
「くっ! 退路を絶たれた!」
「ちっ! 進むしかないってか!」
イネアさんは、右手に気剣を作り出した。それは煌々と白い輝きを放っている。
「目的はユウの救出だ。全員を倒す必要はない。邪魔な者だけ倒して、さっさと進むぞ!」
「おう!」
「はい!」
イネアさんは気力強化、あたしとアーガスは《ファルスピード》をかけて、速度を上げる。
イネアさんはここで、凄まじい強さを見せてくれた。
ユウがよく言ってた「あの人は人間やめてる」という言葉が、本当に実感できたわ。
彼女はあたしたちより頭二つも抜けた疾風迅雷の勢いで飛び出すと、次の瞬間には、三人をほぼ同時に斬り倒していた。
そのまま道を割るように一直線に突き進みながら、次々と敵をなぎ倒していく。
戦う姿と言ったら、まさに鬼神のようだった。その気になれば、一人だけでこの場を全滅させることすらできるんじゃないの。そう思わせるほどだったわ。
あたしたちは、イネアさんが文字通り切り開いてくれた道が潰れないうちに、魔法で牽制しながら進んでいくだけでよかった。
下っ端相手にあまり魔力消費はしたくなかったので、本当に助かった。
問題なく第一の部屋を突破して、敵が追いつけないように全力で通路を駆け抜ける。
すると今度は、道が三つに分かれていた。
「どれを進むのが正しいのかな?」
「めんどくせえ。だが、三手に分かれるのはあまりに危険だ。一つ一つ行くしかないのか」
ここでもイネアさんが頼りになった。
「おそらく左だ。ユウの気はそちらの方から感じていた」
「感じていた?」
過去形なのを疑問に思って尋ねると、彼女は沈痛な面持ちを見せた。
「つい先ほど、反応が消えたのだ。女になったか、あるいは殺されてしまったか」
あたしも心配になったけど、努めて明るく振舞い、イネアさんを励ますことにした。
こういうときこそ、あたしがしっかりしなくちゃ。
「大丈夫ですよ! きっと女の子になっただけですよ!」
「そうだな……。あいつはなんだかんだ言ってもしぶといからな」
「もたもたしてないで行くぜ。敵さんに追いつかれる前によ」
あたしとイネアさんはこくりと頷き、さらに進んでいく。
ややあって辿り着いたのは、先ほどよりもさらにずっと広い部屋だった。
左右には巨大な檻が付いていて、そこに数多くの凶悪な魔法生物が収められている。
さすがに龍はいないみたいだけれど、人食い花や巨大な番獣などがひしめいている。
あたしたちが入った瞬間、檻は一斉に開き、それらは同時に襲い掛かってきた。
それもバラバラではなく、統率の取れた動きで。
たぶん大森林のときと一緒ね。侵入者を襲うように洗脳魔法の類いがかけられている。
迎え撃とうと構えたところで、アーガスが一歩進み出た。
「この辺で、こいつらを含め追っ手を食い止める役が必要だ。オレが務める。お前らは先に行け!」
「でも、あの生物たちは魔法耐性が高いわ。いくらアーガスでも!」
彼は心配ないとでも言いたげに、にっと笑った。
「大丈夫だ。オレには重力魔法がある。床や壁に叩きつけるなりすれば、魔法耐性なんか関係ないさ」
けれども、笑顔が消えた後の彼には、強い悔しさが見える。
「おそらく、この先にカルラやクラムの奴がいるだろう。できればオレがクラムと戦いたかったが、ずっと考えてるのに奴の攻撃の正体がまだ見えねえ」
拳を握り締め、少しの間逡巡するも、彼は改めて決断した。
「オレだってガキじゃない。このままじゃ勝ち目がないことくらいわかる。悔しいが、奴の相手はひとまずイネアに任せる。やってくれるか?」
「ああ。任せろ」
イネアさんは、力強く頷いた。
「アリスはカルラの方を頼む。任せたぜ」
「ええ。わかったわ!」
本当なら、勝算を抜きにしても自分が真っ先に仇を討ちたいはずなのに。
ここまで私情を押し殺してユウの救出を優先するのは、一体どれほどの心痛が伴うことでしょう。
当事者でないあたしには、彼の気持ちなんてとても推し量ることはできない。
けれど、それでもあたしは強く同情した。同時に、それができる彼を尊敬するわ。
彼の決断に何としても応えようって、そう思ったの。
あたしにできることは、自分の仕事をきっちりすること。
カルラさんに打ち勝って、ユウをしっかり助けることよ。
あたしとイネアさんは、魔法生物の相手を彼に任せてすぐに前へ駆け出した。
一瞬だけ振り返ると、親指をピッと立てる彼の後ろ姿が目に映った。その背中が、本当に大きく頼もしく見えた。
「ユウの反応があった地点に近くなってきた」
「そうですか! お願い。無事でいて……!」
そこで再び、開けた部屋へと躍り出た。
飾りも置物も一切存在しない、まるで戦いのためだけに用意された空間。
その奥には、あたしがかつて助けを求めた銀髪の英雄――。
クラム・セレンバーグが、ただ一人立ち塞がっていた。
「来たか。待っていたぞ」
威圧的な態度で堂々と待ち構えるクラムに対し、イネアさんが一歩ずつ踏みしめるように歩み出ていった。
「貴様の相手はこの私だ」
すると彼は、心底楽しそうに不敵な笑みを浮かべた。
「イネアだな。貴女と戦える日を、ずっと楽しみにしていた」
「ふん。期待に沿えるかどうかはわからないぞ」
「まあ、せいぜい楽しませてくれ」
それだけ言うと、二人はもう何も口を聞かずに、互いに剣を構えて向かい合った。
二人を中心として、びりびりと大気を震えさせるようなプレッシャーを感じる。
重苦しい緊張が、場を瞬時に覆い尽くしていく。
見ているだけでも、この身が斬り裂かれてしまいそう。
つい圧倒されてその場から動けずにいると、イネアさんが振り返らずに叫んだ。
「行け! アリス!」
「はい!」
我に返ったあたしは、なるだけ彼に近寄らないように、脇をさっと通り抜けた。
彼は本当にイネアさんと戦えればそれでいいのか、一切手出しをして来なかった。
アーガスもイネアさんも残して。あたしは一人で先を急ぐ。
この先にカルラさんが待ち受けている予感を、ひしひしと感じながら。