走っていくと、またクラムと会ったときと同じような造りの部屋に来た。
そこで待っていたのは、予想通り、仮面を被った彼女だった。
「揃いも揃ってのこのこ来たわね。あなたたちは袋のネズミよ。決して逃げられはしない」
あたしはまず言った。
「そんな仮面、外して下さい。カルラさん」
「そう……。あなたも知ってたのね」
彼女はあっさりと仮面を外し、足元に投げ捨てた。
素顔を晒した彼女は、やっぱり信じたくなかったけれど、本当に紛れもなくカルラさんだった。
ちょっぴり暴走しがちで、面倒見が良くて、後輩のことが大好きな、あのカルラさんだった。
そのことに改めて動揺がないわけじゃない。でも、あたしにはもう受け止める覚悟ができていた。
「アーガスに聞きましたから」
「あの男が生き延びたのだけは、誤算だったわね」
自然と、あたしとカルラさんは同時に構えていた。
一触即発の張り詰めた空気が場を満たす。
やることは決まっていた。もう言葉だけでは解決しない。
それでもあたしは尋ねた。少しでもカルラさんの真意を知りたくて。
「戦う前に一つだけ聞きます。どうして、ミリアを一応生かしてくれたんですか?」
「そんなの決まってるじゃない。あなたたちを誘き寄せるための餌に――」
「いいえ。別にそんなことしなくても、誘き寄せるだけなら他にやり方はいくらでもあったはずです。ユウみたいにミリアを攫って人質にして、裏でこっそり殺してしまうこともできた」
「……何が言いたいの?」
「カルラさんは、やっぱり殺せなかったんじゃないですか?」
「さあね。どうかしら」
口ではとぼけているけれど、顔を見れば付き合いの長いあたしにはわかった。
カルラさんには葛藤がある。
これまでの経緯や目的はともかく、現状、あたしたちに対して心が揺れていることは間違いない。
今まで他の人たちに対してしてきたようには、非情に徹し切れていないもの。
この調子なら、きっとユウも無事でしょう。
なら。あたしがすべきことは、殺し合いじゃない。
「よーくわかりました。あたしは、あなたと喧嘩しに来ました」
気持ちは固まった。
あなたを懲らしめて、ミリアを元に戻してもらって、無理にでも話を聞く。
心の内を曝け出してもらう。それからまた考えるわ。
カルラさんは少し驚いた顔をして、それからわざとらしく悪ぶった顔でほくそ笑んだ。
「喧嘩ですって? 面白いことを言うのね。あなた、負けたら死ぬのよ?」
「そのときはそのときですよ。でもあたし、負けませんから! 半年前のリベンジをさせてもらいます! そのつもりで来ました!」
あたしの宣言を受け取ったカルラさんは目を丸くして、俯いた。
何を思っているのかしら。
するとカルラさんは、肩を震わせて高笑いし始めた。
「くく……ふ、ふふ……あっははははははははは!」
笑い声は、あたしたち二人の他には誰もいない部屋の隅まで響き渡り、反響してまた返ってくる。
それがこだまするごとに、この場に張り詰めていた嫌な緊張が少しずつ解けていくような気がした。
「あんた、ほんと面白いわ! でもあんたって、そういう子よね」
「前向きだけが取り柄ですから」
あたしは胸を張った。ちっとも胸はないけど、精一杯張った。
カルラさんの顔から、少しだけ憑き物が落ちたような印象を受けた。
「いいでしょう。それが望みなら付き合ってあげる。かかって来なさい。今度は降参なんて許さないわよ!」
改めて身構える。
戦い。いや、喧嘩が始まる。
風よ。あたしにその疾風の如き速さを授けよ。
《ファルスピード》
あたしが風の力を身に纏ったのを見て、カルラさんが感心を示す。
「《ファルスピード》ね。そいつには散々梃子摺らせられたわ。まさかウチのロスト・マジックと、ほぼまったく同効果の魔法を編み出すなんてね」
カルラさんも対抗して、何やら魔法を使う。
魔力の感じからして、時空魔法かしら。
話の流れからするに、魔闘技のとき《デルレイン》を避けた魔法をかけたのかもしれない。
早速火魔法を使おうとして。
この前ユウに怒られちゃったことをふと思い出し、辺りをきちんと見回した。
うん。この建物は耐火魔法がかかった石造りのようだから、火災の心配はないわね。
灼熱の炎よ。
《ボルアーケロン》
火の超上位魔法を発動させる。
《ボルアーク》の数倍はあろうかという獄炎が、カルラさんを包み込まんと迫っていく。
対するカルラさんは、水流の上位魔法《ティルオーム》を使って相殺しようとしてきた。
でもこっちは得意系統の超上位魔法よ。そう簡単に消せるものじゃないわ。
見込み通り、カルラさんは完全に火を消すことができなかった。炎の勢いが落ちたところで、横に回りこんでかわして対処している。
すっかり戦闘モードに入ったカルラさんは、ギラギラした雰囲気を身にまとっていた。
「どうやら火魔法はあなたの方が上のようね。まったく大した成長ぶりよ」
言葉では褒め称えつつ、カルラさんは容赦なく風魔法を放ってきた。
これは――《ファルレンサー》!
前のあたしでは、ただ不器用に耐えるしかなかった魔法。
ユウも得意とする風刃の乱れ撃ちだった。
でも、今のあたしならなんとかなるわ!
火よ。その熱に依りて風を獲り、我が力にして僕とせよ!
《ボルフリード》
あたしの前に放った炎が、風を吸い込んでいく。カルラさんの放った風刃はすべて飲み込まれた。
《ファルレンサー》は、数は多い代わりに一つ一つの刃が小さい。
だからこそ、避けるのは難しくても吸い寄せてしまうのは簡単だった。
しかも、防ぐだけでは終わらないわ。
この炎の中はあたしのテリトリー。相手の魔法はコントロールを失い、逆に操ることができる。
火によって熱を帯びた空気は、より力強い刃に姿を変える。
攻撃の方向を反転させ、逆に無数の風刃をカルラさんに向けて飛ばし返した。
さすがに驚いたのか、カルラさんは慌てて地面に手を付けようと身を屈めた。
土魔法を使って、ここにある石を壁として利用する気ね。
そうはさせないわ。
あたしも遅れず、地に両手を付ける。
使うのは、お手つき封じの雷魔法。
雷流よ。地を奔れ。
《デルプレイグ》
足元の地面に雷撃が生じ、カルラさんの元へ一直線に奔る。
雷魔法はスピードが速い。カルラさんはゆっくり土魔法を使う暇もない。
顔をしかめたカルラさんは、仕方なく地面から手を放した。
そこに強化した《ファルレンサー》が飛来する。
カルラさんは腕を顔の前に交差させ、己の身をもって攻撃に備えるしかなかった。
あのときとは逆で、風刃によって身が傷付いていくのはカルラさんだった。
苦痛に顔を歪めているのが見える。
もちろんずっと黙って見ているつもりはない。そんなに甘い相手じゃないもの。
カルラさんが動けず防いでいるしかない今こそ、攻撃のチャンス。
さらに畳み掛ける!
超高速の火球。かの者を撃ち抜け。
《ボルケット・レミル》
威力はそのままに、ユウの《ボルケット・ショット》よりもさらに速くしてみた。
《ボルケット・ダーラ》とは違うタイプの《ボルケット》の完全上位魔法よ。
ものの一瞬で彼女の眼前に迫る豪火球。
これが決定打となるかというところで、カルラさんは叫んだ。
「調子に乗らないで!」
瞬間、不思議なことが起こった。
なんてこと。《ボルケット・レミル》の速度が急激に下がってしまった。
もう誰でも避けられるくらいに遅くなってる。
それだけじゃなかった。
はっと気付いたときには、《ファルレンサー》の速さも、そしてあたしの動きまで鈍くなっていたの!
その中を、カルラさんだけが普通の速さで動いていた。
大変。きっと何かの時空魔法を使ったに違いないわ!
「死になさい」
カルラさんは、土魔法を使った。
両手から金属でできた二柱の巨大な杭を生成すると、動きの鈍ったあたしに思い切り投げつけてきた!
このままでは、二本とも身体の芯に命中する。
死は必至。
動いて! お願い!
祈りが通じたのか、間一髪のところで身体の動きが元に戻った。
《ファルスピード》で速度を上げていたあたしは、身体能力を最大限に生かして、懸命に横へステップする。
それでも避け切れなかった。
一本は外せたけれど、もう一本の杭が、あたしの左腕の一部を抉っていく。
あまりの痛さに、叫び声も出なかった。
気を失いそうなほどの激痛が走る。左腕に力が入らない。
腕を伝い、ダラダラと血が流れ落ちていく。石造りの床に雫が垂れて、血溜まりをなす。
恐る恐る見ると、肩の下辺りの肉がごっそりと削られ、生々しい血肉が曝け出されていた。
骨は見えていないのだけが、唯一の救いってところかしら。
苦痛に顔を歪めるあたしを見て、カルラさんは勝ち誇ったような笑みを浮かべた。
「あら。よく避けたわね。でも――あはははは! 形勢逆転のようね!」
確かに一気に苦しくなった。
それでもまだ左腕でよかった。
利き腕が無事なら、まだ戦えるもの。
「これで勝ったと思ったら、大間違いですよ。あたしの諦めの悪さくらい、わかってますよね?」
「ええ。だから二度とそんな口が利けないように、きっちり止めを刺してあげるわ!」
カルラさんは、金属の柱を次々と出しては飛ばしてきた。
あたしは左腕をかばいつつ痛みに耐え、懸命に逃げるだけで精一杯だった。
「ほらほら! 逃げ惑いなさい!」
必死になってかわし続ける。
直撃こそ防いでも、あちこちを擦り剥き、心臓が破れてしまいそうなほどに息が上がっていた。
はっとしたときには、カルラさんは既に地に手を付けていた。
哀しみをその瞳に浮かべて。
「さようなら。アリス」
次の瞬間、あたしの周りにドーム状に石が展開され、覆いかかる。
あたしはその中にすっかり閉じ込められてしまった。
「あなたはそこで潰されて死ぬのよ。あとほんの数秒でね」
言われた通り、三百六十度逃げ場のない中で、徐々に壁が迫ってきた。
このままでは押し潰されてしまう。絶体絶命の危機。
でもあたしは、諦めなかった。
あたしは、冷静に感じ取っていた。
近くならわかる。あれほどよく知っている人ならわかる。
見えなくても、カルラさんの気配が。
『イネアさん』
『なんだ』
『やっぱり少しだけ、気を教えてくれませんか?』
『なぜだ。頑張っても実用レベルに達するとは思えないが』
『それでもいいんです。もしかしたら、いつか役に立つかもしれないじゃないですか。暗闇で敵に襲われたときなんかに、近くにいる仲間の位置を把握したりとか』
『ふっ。そうか。まあいいだろう』
『ありがとうございます!』
イネアさん。ちゃんと役に立ったよ。
あたしは、最後の魔法を構えた。
これが決まらなければ、あたしは死ぬ。
だけど、決まるという確信があった。
これだけは使いたくなかったけど。ここで負けるわけにはいかないから。
何より。あなたにこれ以上、人を傷付けて欲しくないから。
『ねえ、ユウ。ちょっと教えて欲しいの。もっと強い魔法を考えたくて。地球には、もっと強力な火はあるのかしら』
『あるよ。例えばバーナーっていう火を出す道具の青い炎とか』
『へえ。でも、《ボルバーナー》じゃちょっと響きがかっこ悪いわね』
『そういうの気にするタイプなんだ』
『うん。なんかもっとかっこよくならない?』
『そうだなあ。バーナーの炎って、ゴーって噴き出す感じなんだ。あれをもっと強力な魔法にしたら、色んなものを突き抜ける熱線みたいになるかもね』
『熱線。イカすじゃない! あとは名前ねえ』
『えーと。元々ある魔法に、私の世界でそういうのを表す「レイ」でも付ければいいんじゃないかな』
『あっ! それいいかも! よーし。イメージ練りたいから、詳しく教えて!』
『いいよ。じゃあちょっとこっちにきて』
右手の前に火の魔力が凝縮されていく。
小さな恒星のように光り輝く球となって、解き放たれるときを待っている。
命は取らない。狙うのは肩よ。
届け!
《ボルアークレイ》!
そして放たれた高速の熱線は、分厚い石の壁を容易く突き抜けた。
一度放射状に広がり、次第に収束しながら、一直線に狙いに向けて飛んでいく。
気でわかる。
カルラさんは、一歩も動くことができていなかった。
あなたは、視覚外からのいきなりの攻撃に反応できない。
あたしが死ぬところを「見たくないから」、閉じ込めたことが仇になったのよ!
間もなく、あたしはぴくりとも動かなくなった石の壁を見て決着を悟った。
《ボルアークレイ》で開けた穴から、なんとか這い出る。
目の前には、右肩を貫かれた惨めな姿で倒れている、カルラさんの姿があった。
力なく、悔しそうな顔をこちらへ向けている。
「まさか……。こんな魔法を、持っていた、なんて……」
「奥の手は、最後まで取っておくものですよ」
我ながら狙いは正確だった。
カルラさんの命に別状がなさそうなことに、まずはほっとする。
そんな私を見て、彼女はどうしても納得がいかないという顔で尋ねてきた。
「なぜ、わたしを殺さなかったの? あの魔法なら、心臓に当てれば、わたしなんて簡単に殺せたでしょう?」
あたしは、わかってないなと思いながら笑った。
「言ったじゃないですか。喧嘩だって。思ったより、ずっと激しくなっちゃいましたけどね」
「ふふ。そう……」
カルラさんは、涙を流した。
心に溜まった色んなものを洗い流すような、綺麗な涙だった。
「わたしの負けよ」