「どういうことか説明してもらおうか、チューナー!」
「説明って、百花先輩から聞いたんだろう、ホニャ」
「聞いたが、納得していない!! お前の口からもう一度聞くぞ!!!
何故、器楽部を辞める!!! 皆がそれを聞いてどう思うか、お前ならわかるはずニャ!!!」
ホニャが来た時にはもう全てが終わっていた。
進むことを決めた者と置き去りにされた者達。
両者には隔絶された溝があり、修復はとてもではないが不可能だ。
チューナーは選択し、判断した。その行動に何の淀みもない。
「わかるよ。最初の内は残念だなって思うだろうけど、大丈夫だよ。
今の器楽部員は全員強い。僕がいなくても、すぐに立ち直る。
本当に、それ以上でもそれ以下でもないんだ。語るべき言葉なんてもう出し尽くしたはずだけど」
「全然っ、わかっていない!!!! 何故、退部届を出した! 皆がお前を追い出すようなことなどしてないはずニャ!」
「そんなの、当たり前じゃないか。彼女達は尊ばれるべき人間だ。
退部した今でも彼女達のことは好感を持っているよ」
滑らかに口から吐き出された言葉は真実、彼の本音である。
チューナーという存在は器楽部には相応しくない。
今回のケースは自分が“英雄”として振る舞うのに避けられないものだったから。
魔法の音が永遠に失うなんて許せなかったから。
「それに、ホニャ。器楽部の皆を僕のように調律しかできない役立たずと一緒にされたらそれこそ失礼だ」
「……っ」
「だけど、彼女達と違い、僕は屑だ。比類して部に所属することがおこがましいよ。
彼女達がこれから奏でる魔法の音には僕は不必要だ。
何故退部届を、って聞いたね。僕がいたらあの音が復活しない、これは理由に足る十分なものだろう」
自分がいなくなれば、元の器楽部に戻る。
かつて抱いた夢を一瞬でも思い出させてくれたあの魔法の音が聞ける。
それは、チューナーに残った“呪い”に犯されていない唯一の願いとも言えるものだった。
「不協和音の元凶となりえる前に、舞台から退場するのが筋であると思うんだけど。僕……間違った事を言ってる?」
「当たり前だニャ! お前は百花のあの顔を見て尚、気づけないのかニャ!」
「もちろん、気づいてるさ。調律の為とはいえ、僕は深く踏み込みすぎた。
取るに足らないものとして、快く退部届を受け取ってもらえたら楽だったのに」
せめて、その願いだけは叶えたい。
誰からも理解されなくてもいい。
チューナーにとって、あの魔法の音はそれだけの価値があるもので、自分が無くした夢の象徴であったから。
「けれど、百花先輩は優しいから。あの人の美徳ではあるけど、今回はどうにも困った」
チューナーがあの日か今に至るまで、初めて我欲を見せた魔法の音。
それが百花の不調で聞けなくなるのは困る。
かといって、そのまま部活に滞在してぬるま湯の日常に停滞するのも“英雄”としてよろしくない。
不退転、常に前進。不屈の二文字を胸に刻み、明日の光を護り抜く。
そして――。
「貴方もそう思いませんか――――アミ先輩」
穏やかな笑みを浮かべながら、チューナーはゆっくりと背後へと振り返る。
そこには、電柱の影からバツが悪い表情を顔に貼り付けた小田桐アミがひょっこりと出てきた。
「その~、何時から、気づいてた?」
「最初からですよ。後をつけるならもっとうまくやらないと駄目ですよ」
「これでも、教師から逃げたりしてて隠れるのには一家言あるんだけどなぁ」
へらへらとしつつも、アミの声色には欠片も緩みはなかった。
彼女もまた、チューナーの言う言葉が信じられないのだろう。
今も本人から聞いても尚、その顔には困惑が残っている。
「それで、どうして此処に? というよりも、何故気づきました?
部活が終わった時からずっとつけてきたなんて、よっぽど疑わしいものを感じ取られたんですかね、僕は」
「まあ、不信感が出たのは朝からだね。どうもチューナーくんの笑顔に胡散臭さがあった。
私、人の笑顔を見極めるのだけは得意だからさ、朝のやり取りできゅぴぴーんってきた訳。
とはいえ、証拠なんてないからさ。直感だけを信じて来たんだけど、アミちゃんの直感はやっぱり冴え渡ってるみたいっ」
最後の最後まで、彼女はチューナーを信じていたかった。
器楽部を去るなんて一抹の不安は外れていてほしかった。
だから、彼女は“ずっと一緒”なんて言葉を放ったのだ。
「……冴え渡ってほしくなかった。こんな直感、外れてほしかったよ」
「信じたくなかったから、否定したかったからついてきたんですね。
最後だからとはいえ、油断したつもりはなかったんですが」
チューナーの穏やかな笑みは、アミの苦悩を見ようとも変わらなかった。
いずれは全員が知る事実だ。ただ、それが一人分早まっただけにすぎない。
動揺することなんてないのだから、いつもの笑顔を浮かべていればいい。
「ねえ、どうして。チューナーくんが部活をやめるなんて、笑えないよ。
アミちゃん、わかんないよ。あんなにも君は、楽しそうにしていたじゃない!」
「そ、そうニャ! お前が部活で浮かべていた笑みは全くの偽りではなかったはずニャ!!」
「ええ、まあ。確かに、あの日常は楽しいと一般的には言えるものでしょうね。
ずっと此処にいたい、あの空間にいるのはきっと恵まれていることなんだ、と。
昔ならはっきりと言えたでしょうね」
夢が体現したかのような日常で、音に触れていたい。
そうは一切思わなかった、と言えば嘘になる。
認めるとも、器楽部で過ごした日常はかけがえのないものである、と。
「けれど、それじゃあダメだ。停滞は毒だ、僕は前に進まなくてはならない」
だからこそ、大切に思えた日常を捨てることをチューナーは決意した。
“英雄”は止まらない。常に前進し、何かを救い、護り続けなければならない。
もうここで“英雄”としてやれることはない。
「僕がいなくとも。いや、いない方が魔法の音は紡げるでしょう。
余計な不純物がいたら音が汚れてしまうじゃないですか」
チューナーではなく、英雄。
ならば、取るべき選択肢は最初から決まっていた。
掌を軽く横に振って切り捨てるポーズを取りながら、チューナーは再度言う。
「百花先輩にも言った通り、僕は器楽部にいてはいけない。
僕の存在が不必要であるなら、道筋は一つです。器楽部は僕の退部を以って、復活する」
「そんなはず、ない……っ! 他の皆はともかく、私はチューナーくんが必要!
私の笑顔を取り戻してくれた君を、こんな形で失うなんて嫌だ!」
「ただの偶然でアミ先輩を救った僕が? 器楽部に必要? 面白い冗談ですね」
小田桐アミという少女は強く、尊い。
彼女が紡ぐ音は綺麗だし、笑う横顔は人々にとってひだまりとなるものだ。
しかし、その人々の中に、自分はいない。
あの日の罪が、ひだまりを底無しの闇へと変えていく。
「誰でも良かったんですよ。僕は偶然で器楽部を救っただけなんだから」
「――――ぁ」
「それに、僕がいなくとも、きっと救われていた」
もしも、自分より適任がいたならば。
もっとうまく救える“英雄”ならば。
所詮、この運命は紙風船。ふわふわと浮き上がり、突き刺せば堕落する空っぽの中身だ。
チューナーでなくとも、器楽部は救えたはずだ。
「ふざ、けないで!! 幾らチューナーくんでも、それだけは、認めない!!
偶然? 必要? そんなのどうだっていい!!! 私を救ったのは、他でもない君なんだよ――ッ!」
――――だから、何だというのだ。
これ以上、アミは怒りを抑えきれなかった。
チューナーの言葉を黙って聞ける程、彼女は感情が死んでいない。
それでこそ、器楽部員。魔法の音を紡ぐヒロイン。
チューナーからすると、彼女が反発するのは当然のことだ。
「何を言おうとも、私の救いは譲らない。小田桐アミを器楽部に連れ戻したのは、チューナーくん……君なんだよ。
君が、私に思い出させてくれたんだよ、本当の笑顔を!」
だからこそ、チューナーと小田桐アミは平行線のままだ。
アミと出会う前から。あの日、血の呪いを受けた時から。
チューナーは未来なんて何も望んではいなかった。
「何度だって言う。私の“英雄”は君なんだよ」
その言葉は自分のような塵芥に投げかけるべきではない。
チューナーの声なき言葉はどれだけ繰り返そうとも、アミには届かないだろう。
「私には君が必要なの。これまでも、そしてこれからも。ずっと、君と笑い合いたいんだ」
泣きそうな笑顔。胸の深い場所まで、真っ直ぐ染みこむような表情だった。
そう言って、手を伸ばす彼女を、チューナーは――。
「――――――あぁ、疼く」
脈動する“呪い”が間髪入れずに否定を促した。
忘れるな、誓いを。その救いを掴むということはこれまでの人生全ての否定に他ならない。
チューナーを駆り立てる“呪い”は、照射された救いに対して正確無比に反応した。
「は、ははっ、必要な訳ない。僕が、誰かの大切な人になるなんてあってはいけない。
そんなことは許されない、認められない、笑えない――!
だって、僕は――――」
さあ、行こう、何処までも。その罪が終わる瞬間まで、少年は止まれない。
「――――“英雄”になる以外、何も残っていないから」
チューナーという少年は、ただその為だけに走り続けてきた。
救いよりも重い願いがある。あの日失った世界、夢、明日、全てに報いる為にも。
「違う!!! 君が何を抱えてるか、私は知らないけれどっ、そんな顔をしてまで“英雄”になるなんて絶対におかしいよっ!
似合わないよ、チューナーくん。苦しそうに眉を顰めて、それでも貫かなきゃいけないものは何なのさ!!!」
アミの叫びを聞いても、チューナーの誓いは罅割れることなく定まっている。
一年にも満たない絆と数年にも渡る呪い。
密度の違いがあれど、早々簡単には壊れるものではない。
「過去の罪ですよ、アミ先輩。僕が背負わなくちゃいけない、僕だけの痛みが、その道を照らしている」
これ以上、言葉を交わしても境界線は見つからない。
お互い、妥協はない以上、やることは必然的に見えている。
チューナーは指をぱちりと鳴らし、世界の断層をこじ開けた。
其処から這い出るものはこれまで散々に見てきた“敵だったもの”。
「その道を阻むなら、こうするしかありませんよね?」
「嘘……だって、全部倒したはずじゃ」
「チューナー、お前、それは!!!」
「そう、ノイズだよ、ホニャ。まあ、この力を使えるようになったのは本当に最近なんだ。
全員を調律して、初めて理解できたんだから果てしない道程だよね」
内に鼓動する“呪い”がこの力を教えてくれた。
器楽部員達を調律するごとに、“呪い”は力の断片を拾い集めていく。
薄々ながら、自分の魔力の強大さの理由はわかっていたけれど。
「改めて、僕自身への確認も込めて。宣言しようか」
人の精神に寄生する魔法の生物――ノイズ。
あの日、あの瞬間。大元とも言える存在がチューナーの絶望に惹かれたのか、ゆっくりと癒着した。
器楽部員、ホニャはもちろん、チューナーでさえ、最近までは正体を掴めなかったぐらいだ。
けれど、全ての力の断片を取り戻した今、もう澱みはない。
狡猾に隠していた“呪い”の胎動は此処に解放した。
「――――僕が最後のディスコード、“エウヘメリズム”だ」
ディスコード――“エウヘメリズム”。
それが、今のチューナーが自覚した呪いの正体であった。
「もう隠すつもりはないから、バラしちゃったけど。
さてと、どうしますか、アミ先輩?」
事実上の敵対宣言に彼女は怯え、惑い逃げるのか。
もっとも、彼女が取る判断なんて決まっているけれど。
「わかってて聞いてるでしょ、チューナーくん」
「ええ、もちろん」
「意地が悪いなあ。なら、はっきり言わせてもらうよ」
だからこそ、その笑顔に憧れた。
そうでなくては、魔法の音を紡ぐに相応しい一員に選ばれないだろう。
「――連れ戻すよ、君を。私にしてくれたように、今度はアミちゃんが君を救う番」
「どうぞ、できるものなら。ホニャ、結界を張りなよ。でないと、わかるだろう?」
「言いたいことはたくさんある。だが、今は言わん!
チューナーッ! 絶対、救うからニャ!」
真剣な表情だ。アミ達の瞳には僅かに涙が溜まっていたけれど、とても泣き顔には見えなかった。
もっと強い意志を感じさせる表情だった。
これでこそ、だ。
その勇壮なる宣戦布告を聞いて、チューナーの口元が三日月に釣り上がる。
“英雄”とは苦難を乗り越えるものだ。
今、目の前で繰り広げられているちょうどいいものは試練として、実にいい。
嘗ての仲間を踏み越えて、チューナーは前へと進む。
あの日失った世界を、救いに行こう。
「アミっ!」
「りょーかいっ!」
思う存分、英雄讃歌を謳わせてくれ。
それだけが、チューナーにとっての救いだから。