終幕-英雄-   作:呉出のん

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第一場7-涙の理由を忘れたい-

「……選んだのだな、君は」

「ええ。多少の迷いこそ有りましたが、僕はこの選択を取る」

 

 深夜の校舎の屋上で、少年と女は最後の言葉を交わす。

そこは表世界の東奏学園と何の遜色もない場所だ。

玄関も、廊下も、教室も、屋上も、変わらない。

ただ一つ違いがあるとするならば、そこはいつだって夜だということだ。

どれだけ時間が経とうとも、空は黒で塗りたくられ、月は煌々と輝いている。

現実世界ではなく泡沫の夢世界。時層がずれた狭間の世界。

かつてはノイズ達が跋扈していた異界は今となっては建物だけが残っていた。

本来なら廃棄されるべき常夜の校舎は二人の秘密の会合の場として使われているのだ。

 

「命だけではなく、魂ですら懸ける覚悟か」

「そうしなければ届きません」

「――――家族の復活、か」

「そんなことはできない、死者は蘇らない。貴方と出会う前まではそう納得させていましたよ。

 でも、今は違う。超常の力、戦乙女、ディスコード、ユグドラシル――懸けるだけの要素はある」

 

 英雄へと至る者、英雄を導く者。

彼らの出会いは必然であり、別れも当然の如く必然であった。

 

「契約通り、私は最後まで見守ろう」

「戦乙女のあなたに見守ってもらえるなら、幾分かは気が楽です」

「嘘をつけ。別に私の前で気張らなくてもいい。

 君がこれから挑むのは神の摂理に逆らう禁忌だ。それを前にして気が楽になる方がおかしい」

 

 もしも、あの日をやり直せるなら。

止まってしまった時間を動かせるのなら。

きっと、何度だってこの選択を選び取る。

勝ち取るのは救いだ。“英雄”として、チューナーとして。贖罪を果たす時である。

願いはやり直し。家族を失ったあの日、辿った運命を捻じ曲げる。

その結果、何が起こるのか。少年にはわからない。

けれど、僅かでも家族が蘇り、再び日常を送れるならば、迷わない。

 

「……死ぬかもしれない。駄目かもしれない。

 それでも、ほんの僅かな可能性があるなら、僕は懸ける。何度でも、この選択を取り続ける」

「それが答えか――英雄の器を持つ者よ」

「ええ。救えなかったものにもう一度救いの手を差し伸べる。

 僕がしたかったこと、しなければならなかったことを、成し遂げます」

 

 類稀なる器を持つこの身で挑めば、その贖罪は果たせるかもしれない。

その果てに待っているものが望んだものと違っていても、挑まざるをえない。

求める結末が那由多の可能性の先にあるとしても、立ち止まらない。

絶対に、諦めない。右手を伸ばし、願いを掴み取る。

それこそが、今まで無様に生きてきた価値なのだから。

 

「そんな顔をしないで下さい。僕だって最初から死ぬつもりはないですよ。

 チャンスがあるなら最後まで諦めないよう最大限努力しますから。

 あなたが信じた“英雄”ですよ、僕は」

 

 不屈の焔は胸に在り。

少年は薄く笑い、握ったノートゥングに力を込める。

きっと、この先に待っている苦難は今以上に胸を引き裂くものであろう。

 

「数日中には終わらせます。この世界を塗り替える為にも、僕は抗うことを決めました。

 こんなはずじゃなかった現在を、過去を、未来を取り戻す」

「その誓い、しかと受け取った。戦乙女、グリムゲルデの名において約束しよう。

 闇の先にある奇跡を掴み取れるかどうか、我が記憶にしっかりと刻ませてもらう」

 

 女は少し寂しげに笑い、背を向けた。

これ以上のやり取りは必要ない。

少年と女――チューナーとグリムゲルデはさよならを言わずに別れる。

それで十分だった。お互いに別れを惜しむ仲ではない。

 

「最後に忠告だ、愛しの“英雄”よ」

「はい、なんでしょうか」

「君が救った少女達は、しつこいぞ?」

 

 その声色に喜悦を乗せて、グリムゲルデは消えていった。

そして、最後に放った言葉の意味を考える間もなく、屋上の扉がゆっくりと開け放たれる。

 

「こんばんは、チューナーさん」

「…………結菜先輩」

 

 それは、本来ならこの場にいてはいけない人物だった。

それは、しつこいと称された少女の一人であった。

少女はいつも浮かべる微笑を表情に貼り付け、ゆっくりとこちらへと歩み寄る。

 

「今夜は月が綺麗ですね」

「……直球、過ぎません?」

「あらあら、チューナーさんはこういった物言いはお嫌いでしょうか?」

 

 ああ、そうだった。こういう女性であった。

チューナーの知る神代結菜は積極的にぐいぐいとアピールするのだ。

おちゃめでのほほんとしているが、いざという時には積極的になる。

そんな先輩がこのような事態で平然と静観している訳がないのだ。

 

「百花ちゃんから聞きましたよ、器楽部を辞めるんですね」

「ええ。やるべきことをやる為にも、器楽部にいては支障が出ます」

「そうですか。じゃあ提案です。そのやるべきこと、やめちゃいませんか?」

「…………はぁ」

「駄目、ですか?」

「駄目に決まってるじゃないですか。そもそも結菜先輩はもう卒業するんですから、関係ないのでは?」

「いいえ、関係あります。私、卒業してからも顔を出す気満々ですから。そこにチューナーさんがいないと寂しくて困ります」

 

 しれっと吐き出された提案はチューナーにとっては最悪の一言であり、到底受け入れられるものではなかった。

チューナーの根幹にある思いをそう安々と捨てられるようならここまで苦労はしていない。

 

「それよりもどうしてここに……まあ、百花先輩とホニャが共謀したんでしょうけど」

「まあまあ、そういう理由の説明は後にして。今、私達……二人きり、ですよ? 何だかドキドキしちゃいません?」

「しませんよ。そういう空気じゃないですよね」

「チューナーさんのいけず。でも、そういうところも嫌いじゃないですよ。

 基本的に私、チューナーさんのことほぼ全部好きですからね」

 

 そして、この告白である。

一秒後にはお互い武器を向けてもおかしくはない状況で、マイペースを貫けるのは美徳だろうか。

もっとも、普段なら笑ってすませる所だが、現状を顧みると全く笑えない。

彼女の動かない微笑がチューナーの心に小波を立てる。

 

「ですけど、今回はめっ、ですよ。これでも、私怒ってるんです。

 誰にも相談せずに一人で退部を決めたこと。百花ちゃんを落ち込ませたこと。

 それはもう、すっごく」

「個人的な理由ですからね、相談することでもないでしょう」

「そうですね。本来ならチューナーさんを縛る正当性なんて私にはありません。

 ですが、私はすっごくわがままなんです。たまには、自分本位になっちゃう悪い子なんですよ?

 チューナーさんが何を抱えてるか私はどうだっていいんです。私、チューナーさんがいないと生活の彩りが足りなくて困るから」

 

 我欲が為に動く。行動動機としてはシンプルで、チューナーも否定が出来ない部分だ。

一緒にいたいから。時として、そういった感情から人は動く。

 

「だから、今ここにいます。私は欲張りだから。

 大切なものは全部手元においておきたいタイプで、百花ちゃんもチューナーさんも手放すつもりがないんですよ。

 だから、これは個人的なワガママ。また、勝手に行動してって周りに怒られちゃいそうです」

 

 もちろん、器楽部という居場所を守りたいという願いもあるだろう。

かつて、その身をノイズに犯されてまで、取り戻そうとしたぐらいだ。

結菜の覚悟は決して、チューナーに負けずとも劣らない。

 

「何処か遠くに行ってしまいそうなチューナーさんを引き留めたい。私の好きな器楽部が悲嘆に暮れるのが嫌だ。

 そういう理由でしかない、ひどい女です」

「……アミ先輩にアンナ先輩、結菜先輩といい、器楽部の三年生は直球で物事を伝えてきますね。

 まあ、僕としてはわかりやすくて助かるんですが」

「ふふっ、当然です。だって、言葉は口に出さないと伝わらない。

 私も百花ちゃんが声をかけてくれなかったら、ずっと一人ぼっちでした」

 

 神代結菜は諦めない。チューナーも諦めない。

それはあの日と同じように。チューナーが神代結菜を“殺した”時と変わらない。

立場こそ逆になったが、また繰り返す。チューナーと神代結菜は再び武器を取る。

 

「だから、ええ。何度でも言いますよ、チューナーさん。私の手を取ってくれませんか?」

「……返答は先にも後にも一つだけです。お断りします。僕は僕の願いを叶えに行く」

 

 後戻りはいらない、そう誓ったはずだ。

 

「なら、仕方ないですね」

「ええ、仕方ないです」

 

 瞳から流れ落ちる涙の理由を、わかる必要はない。

もうわからないではなく、わかる必要がないのだ。

これより先は、屍山血河の戦場となる。

“英雄”として運命に挑む一人の少年の物語。

日常は、終わったのだ。

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