絶華   作:雨守学

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第15話

香取が居なくなって、寮はどうなることかと思っていたが、意外にも皆がしっかりとし始めて、むしろ香取の居る時よりも穏やかであった。

 

「パパ……洗濯物乾いたよ……。畳んでおいたから……ここに置いておくね……」

 

「おう、ありがとう。そうだ山風、本部の連中から菓子を貰ったんだ。一緒にどうだ?」

 

「ありがとう……。でも……お勉強がまだ残ってるから……。後で貰いに行くね……」

 

「そ、そうか……」

 

「じゃあ……」

 

山風の奴、徹底してるな……。

 

「ああ、クソ……」

 

認めたくはねぇが、山風があの調子になってから、俺はどうも何かが足りないような気がしてならない。

寂しいとか、そう言った気持ちに近いのかもしれねぇな……。

 

「寂しい……か……」

 

思えば、俺は昔から寂しがり屋だった。

今でこそ、あいつらに囲まれて、そんなことを思う暇なぞ無くなっていたが……(むしろ厄介に感じていたか)。

こうなってみると、やはり俺は――。

寝転がり、昔を振り返るように目を瞑った時だった。

 

「ぐぇあ!?」

 

俺の体に衝撃が走る。

山風のダイブとは違い、命を持っていかれそうなほどに、重く、大きい何かが俺に覆いかぶさっていた。

 

「えへへ~、提督ぅ」

 

「ポ、ポーラ……お前……重い……息が……死ぬ……」

 

「あー提督、女の子に重いとか、言っちゃダメですよー?」

 

「いいからっ……降りろっ!」

 

おもいっきり退けると、ポーラはどこで覚えたのか、よよよと泣くふりをして見せた。

 

「いけずーですね。よよよー……」

 

「何処で覚えたんだ……んな演技……」

 

「テレビです! 日本はおもしろい番組、たくさんやってます」

 

「そうかよ……。で? なんか用か?」

 

「お菓子があると山風から聞きました!」

 

あいつ……。

 

「あぁ、あるぜ。ほら、やるよ」

 

「ありがとうございます!」

 

菓子を受け取ると、ポーラは俺の胡坐の上に座った。

 

「おい」

 

「えへへ~、一緒に食べましょう~! はい、あーん」

 

「お……んぐ……」

 

「美味しい?」

 

「あぁ……。いいからどけ……」

 

「えー? ここがいいです」

 

「駄目だ!」

 

「やーん……おぬしも悪よノーです……。よよよー……」

 

「使い方間違ってんだろ……」

 

山風の奴、こうなると分かっててポーラに吹き込んだな……。

 

「…………」

 

もし、自分から関心を逸らすためにポーラを寄越したのだとしたら、俺の想像以上に頭がキレてる。

いつも見せていたあの態度は、あいつの本性ではなくて、本当は今のように賢い奴なのだろうか?

 

「提督ぅ?」

 

「ん……あ、てめぇ! 菓子全部食ったのか!? 無ぇじゃねぇか!」

 

「元々数が少なかったんですよー」

 

「嘘つけ! 何処に隠した!? 出せコラ!」

 

「あーれー! おやめになってー!」

 

「変なこと言うな、アホ!」

 

しかしまあ、もしそうなのだとしても、ポーラを寄越すあたり、あいつは今の俺の気持ちを良く分かってる。

分かられてるからこそ、引っかかるものがありはするがな……。

 

 

 

結局、騒ぐだけ騒いで、ポーラはスヤスヤと眠ってしまった。

 

「ったく……」

 

なんて呆れてはいるが、俺はこういう煩さみたいなものを求めていたんだよな……。

 

「ん……うへへ……提督……」

 

「フッ……どんな夢見てんだか」

 

こんな日々が続けばいいと、俺は心の奥底で願っている。

だが、それは叶わない事くらい分かっている。

こいつらは自立し、俺の元を離れてゆくのだ。

こいつらが人として社会に出た時、俺は――。

 

『もしも……山岡さんに相手が見つからなくて……香取も相手が見つからなかったら……一緒に暮らしませんか……?』

 

「一緒に……か……」

 

ふと脳裏に、良からぬ風景が浮かんだ。

理想の家族像。

父親に当たる男は俺で、子供は山風。

妻には、香取やポーラ、夕張に明石、天龍や龍田なんかも浮かんでいた。

 

「…………」

 

全員艦娘じゃねぇか……。

ただの一人だって、人間がいねぇじゃねぇか。

飯田ちゃんは?

この前の合コンで会った木村ちゃんは?

家庭教師の高村先生は?

 

「マジかよ……」

 

イメージしようとすればするほどに、あいつらの顔がちらつく。

いや、まぁ、あいつらを普通に異性として意識するような事件というか、そう言ったことは何度かありはしたが……。

にしたってな……。

 

「…………」

 

ポーラの寝顔を見る。

もし、こいつらにコアが無くて、普通に人として扱われるようになったら――。

もし、今のように、俺と一緒に「居てくれる」のであったら――。

 

「お前たちが好きでいてくれるように……俺も好きになっていいのだろうか……」

 

あいつがそうしたように……。

 

「……って、アホか俺は」

 

頭を冷やす意味も込めて、ポーラを寝かせたまま、俺は工廠へと向かった。

 

 

 

工廠では相変わらず、夕張が何かを作っていた。

 

「あら、こんなところで油を売ってていいの? 香取さん居なくて、大変なんでしょ?」

 

「分かってんなら貢献しろよ」

 

「コーヒー出すくらいなら」

 

「菓子もつけろ」

 

「はいはい」

 

ここに来ると、頭がリセットされる。

最近は色んな事が起き過ぎて、その波に感情を煽られることが多いから、いつもの俺に戻るには、ここに来るのが一番の薬になる。

さっきの気の迷いだってそうだ。

 

「はい、コーヒーとお菓子」

 

「ありがとう」

 

これを夕張に言って、機嫌の一つでも取ろうかと考えたが、夕張的には、その気の迷いだとかに自分が居て欲しいと考えるだろうから、言えなかった。

気の迷いの原因のところに、こうしてリセットしに来るわけないしな。

故に、自分は――ってな感じで、夕張はますます落ち込む事になるだろう。

俺がどう考えていようがな。

 

「香取さん、何処に遊びに行ってるんだろう」

 

「さぁな。鹿島も休養を貰っているようだし、一緒にいるんじゃねぇか」

 

「そっか」

 

夕張はさして興味が無いように、そう零した。

自分から振って来たくせに。

 

「そういえばさ、香取さん、出る時に髪留めしてたの、見た?」

 

「いや?」

 

「じゃあ、寮を出た後につけたのかな。工廠から、寮を出ていく香取さんが見えたんだけど……髪留めをしてて、やけにそれを気にしていたのよ」

 

髪留めか……。

 

「あの髪留めってさ、前に貴方がイベントで作ったやつでしょ? ほら、やけに可愛く作った……キラキラしたやつ」

 

「あぁ、あれか。あいつ、してたのか」

 

「なんで香取さんが持ってるの?」

 

「やったんだよ。前髪が邪魔だとか言っていたから」

 

「ふぅん」

 

夕張は、あの機嫌の悪いような表情を見せた。

気持ち、手に取るようにわかるぜ。

 

「なんだよ。妬いてんのか?」

 

「それもあるわ。けど、一番は、あの髪留めを香取さんがしてるってとこ。そこまでいいものでもないのに、嬉しそうにつけちゃってさー。まるで、好きな人から貰ったものみたいにね」

 

こういう時の俺は、それを否定するはずだった。

が、最近は本音で話すのがブームな俺は、躊躇せずにそれを吐いた。

 

「かもな。あいつ、俺の事が好きみたいだからな」

 

夕張は「何こいつ……」みたいな引いた顔を見せた後、俺の表情を確認して、真顔に戻った。

 

「え……告白されたの?」

 

「される予定だ」

 

「はぁ? なにそれ?」

 

「告白予告を受けたんだよ。とある条件が達成されたら、伝えたいことがありますって」

 

「そんなゲームみたいな……」

 

それには俺も笑ってしまった。

 

「……けど、事実みたいね。そっか……香取さんが……やっぱりそうなんだ……」

 

「あぁ」

 

「……隠さないんだ」

 

「本音で話すのが、今ブームなんでな」

 

「じゃあ、私の事どう思ってるか、本音で聞かせて欲しいな」

 

期待はしていないのか、夕張は退屈そうに尋ねた。

 

「俺に嫁が出来たらと考えた時、お前の顔がちらつく程度には、思ってるよ」

 

「……ご機嫌取りは好きじゃないんだけど?」

 

「そうじゃない証明に、香取や明石、ポーラや天龍に龍田の顔もちらついている」

 

「天龍さんに龍田さんも?」

 

「まぁな」

 

「ふぅん……。そっ。変な艦選ね」

 

「我ながらそう思う。特に、艦娘しか出てこないあたりな」

 

「貴方に好意を持ってるのが艦娘だけだからでしょ?」

 

「はっ……そうだな」

 

菓子をつまむ。

チョコチップ入りのクッキーで、少しだけ湿気ていた。

 

「そっかぁ……。私も、その一人かぁ……」

 

夕張は膝を抱えると、そこに顔を乗せて、俺の方をじっと見つめた。

 

「嬉しいな。えへへ」

 

「ご機嫌取りは好きじゃねぇぜ」

 

「本音だって知ってる癖に。照れなくてもいいじゃない」

 

「……ブーム、終わりそうだぜ」

 

「そっ。終わる前に聞いておいてよかったわ。フフ」

 

そう言うと、夕張は膝を解いて、深く腰掛けた。

 

「ね、香取さんの言ってるそのとある条件ってさ、艦娘が人として認められたら……じゃない?」

 

俺は平生を保っていたつもりではあったが、夕張は何かを確信したようであった。

 

「そんないつになるかも分からない約束を香取さんがするわけないし、何か動きがあったんじゃないかなーって思うんだけど」

 

「…………」

 

「休養って言うのも、何だか変だし。貴方がどこに行くのか知らないなんてありえないし。そもそも、外に出られないのにどこに行くって言うのよ」

 

「…………」

 

「……ブームは終わっちゃったの?」

 

「……本音とそれは違う。だが、名探偵になれるんじゃねぇか? ってな回答で手を打ってくれねぇか……?」

 

「……うん、分かった。これ以上聞かない。ありがと。本音で話してくれて」

 

「いや……」

 

一瞬の沈黙。

 

「……じゃあ、私も本音言うね?」

 

夕張は目を合わせるわけでも無く、小さく零した。

 

「……今ね……不安で……泣いちゃいそうなんだ……」

 

再び膝を抱え、今度は顔を埋めた。

 

「香取さんが先に人として認められて……貴方に告白して……貴方は受け入れることが出来て……」

 

慰めの言葉は、たった一つだけであった。

だが、それは言えなかった。

勇気だとか、そういうものではない。

俺がどうしたいとか、そういうものではない。

俺とこいつが、まだ人と艦娘であるから、言えなかった。

けど、もしそうでなかったとしても、俺はこいつに、その言葉をかけてやれたのだろうか。

今のこいつが、人として認められた香取であったとして、俺は言えただろうか。

俺の気持ちは、一体――。

 

「……これは慰めになるかどうか分からねぇけどよ」

 

「…………」

 

「はっきりと、俺の事を好きだと言ってくれたのは、お前だけなんだぜ……」

 

自分で言って、そう言えばそうであったと思った。

明石にしたって、天龍にしたって、香取にしたって……ポーラにしたって……。

…………。

 

「……いや、違う。そうか。ポーラは俺の事を好きだと言ってくれたか」

 

「……でも、それは私の好きとは違うかもしれないんでしょ? それに、酔ってたって……」

 

そう言う夕張に、俺は思わず笑ってしまった。

 

「ポジティブなんだか、ネガティブなんだか」

 

「少しは希望を持ちたいの……。それが私の本音……」

 

「そうかよ」

 

沈黙が続く。

窓の外は少し曇りがちで、遠くに大きな雨雲が見えた。

夕方には一雨来そうだ。

 

「……そろそろ戻るかな」

 

「……女の子が泣いてるのに帰るんだ」

 

「慰めは失敗に終わったからな。俺にはもうどうしようもねぇ」

 

「まあ、そうよね……。もし慰めることが成功していたら、今頃結婚の一つでも出来ていたでしょうし……」

 

「嫌味は言えるし、涙も出てねぇ元気いっぱいの女の子を慰める必要あるか? そもそもの話がよ」

 

「じゃあ泣いてやるわ」

 

「出来ねぇくせに。じゃあな」

 

そう言って工廠を出て行こうとした時、近くにあった鏡越しに夕張の姿が見えた。

その姿は――。

 

「…………」

 

工廠のドアを開けると、風と共に雨の匂いが入りこんできて、俺の体を弱弱しく押し戻した。

 

「……そうだ。なぁ夕張……」

 

夕張が反応を見せたかは確認しなかった。

だが、背中越しに視線を感じた。

 

「香取が居ない間、あいつの仕事を肩代わりしなくちゃいけなくてよ……。俺には俺の仕事があるし、並行して仕事するなんて器用なことは、俺には出来ねぇ。だから、代理でパートナーをつけようかと思ってる」

 

夕張は何も言わない。

 

「……頼めるか?」

 

沈黙が続く。

 

「お前さえよければ、後で部屋にでも来てくれ」

 

「…………」

 

「待ってるぜ」

 

そう残して、工廠を出た。

嫌な湿気が、体を包み込む。

 

「ん……」

 

しばらく歩いたところで、俺は袖を引かれた。

振り向くと、夕張が俯いていた。

 

「……頼まれてくれるのか?」

 

夕張は小さく頷くと、照れるようにして微笑んで見せた。

 

 

 

夕張と共に寮へ戻ると、皆が食堂に集まって、ざわついていた。

 

「何事だ?」

 

「あ、山岡! 丁度いいところに」

 

皆の輪の中心に、山風が居た。

 

「山風の奴、「独立試験」の筆記、ついに合格点をたたき出しやがった」

 

「何!?」

 

山風の答案用紙を見る。

確かに合格点だ。

 

「やったな山風。天龍もまだだってのに」

 

「う、うるせー! すぐに追いついてやるし……」

 

皆が天龍を囃し立てた。

山風は退屈そうに、机をじっと見つめていた。

 

「どうした? 嬉しくねぇのかよ?」

 

「まぐれかも……知れないから……。それに……合格点を出すのが当たり前なんでしょ……? まだ……スタート地点に立っただけ……」

 

「そうかもしれねぇが……」

 

「……部屋に戻るね。ここだと……気が散るから……」

 

そう言うと、山風は食堂を出て行ってしまった。

 

「…………」

 

 

 

自室で夕張と仕事をしている間も、山風の事が頭から離れなかった。

 

「手、止まってるわよ」

 

「あぁ……悪い……」

 

「せっかくパートナーとして仕事してるのに、他のこと考えてるなんて。ショックだなー」

 

「お前の何を考えればいいんだよ」

 

「考えなくてもいいけど、意識はして欲しかったわ。私なんて、貴方の事を意識し過ぎて、呼吸をするのも何だか変な感じになっちゃうくらいなのに」

 

「工廠に居る時と何も変わらんだろ」

 

「工廠の時と今とでは状況が全然違うでしょ。パートナーと言ったら、恋人みたいなものよ」

 

「はっ……意味が分からん……」

 

「そう言う事が理解できないってところが、モテない原因になってるんじゃなくて?」

 

「そんな事言われた経験が無いだけだ。お前ほど想ってくれる奴に会ったこともねぇしな」

 

そう言ってやると、夕張はぐぬぬというような表情を見せた後、恥ずかしそうに俯いた。

尤も、こうなると知っていて言ったことだがな。

ざまぁみろ。

 

「……そう言えばさ」

 

夕張は話題を逸らす様に、話し始めた。

 

「山風ちゃんの件だけど……大丈夫なの?」

 

「大丈夫とは?」

 

「最近、貴方の事を避けてるようだし……。急にあんな感じになっちゃって……」

 

「その事で悩んでいたところだ……。合格点を出したり、まじめに頑張ってくれるのはありがたいが……どうもな」

 

「それが気になって気になって仕方ないってのね」

 

「そんなところだ」

 

「そ。なら、私もそうしようかなー」

 

「あ?」

 

「だって、そうしたら私の事も考えてくれるんでしょ? だったら、ツンツンしちゃおうかなーって」

 

「アホか。真面目に仕事しろ」

 

「はーい」

 

考える……か。

山風が真面目になってくれれば、俺がほかの事に専念できると、あいつの事を考えなくてよくなると思っていたが……何故か逆になっているな……。

どうもおかしいぜ……。

 

 

 

しばらく仕事をしていると、またポーラがやって来た。

 

「提督ぅ、そろそろお酒を飲みま……あれ? 夕張?」

 

「ポーラさん」

 

「なんで夕張がここにいるんですか?」

 

「お前と違って、香取の代わりに仕事をしてくれてるんだよ」

 

「うん、そうなの」

 

「お仕事ですか……」

 

ポーラはお酒を置くと、しばらく俺たちの仕事を眺めていた。

 

「ねぇ、これであってるかしら?」

 

「どれ……。いや、間違ってるぜ。ここの計算。どうしたらこの数字になるんだよ?」

 

「あ、そっか……。はー……やりなおしかぁ……。パートナーの仕事って、意外と大変なのね……。安易に引き受けるんじゃなかったわ」

 

「止めてもいいんだぜ」

 

「そんな事言ってないでしょ」

 

ふと、ポーラに目をやると、珍しい表情で、じっと俺たちを見ていた。

 

「どうした? やけに大人しいじゃねぇか」

 

「……提督、ポーラもお仕事、手伝います!」

 

「手伝うって……お前、まだ日本語も厳しいだろ。気持ちはありがたいが、それならまずは勉強でもしておけ」

 

「大丈夫です!」

 

ポーラは書類を奪い取ると、目を細めてにらめっこを始めた。

 

「ムムム……! ……十……軽……の……の……えーっと……」

 

「返せ。分からねぇだろ?」

 

「読めます! むぅ……」

 

呆れていると、夕張が俺に耳打ちした。

 

「ポーラさん、妬いてるのよ」

 

「あ?」

 

「私たちが仕事しているのを見て、自分もその中に入りたいって。私が香取さんに持っていた気持ちと一緒よ」

 

そう言うことか……。

要するに、構ってほしいって事じゃねぇか。

 

「……分かったよポーラ。じゃあ、一緒にやろう。それでいいだろ?」

 

ポーラは複雑そうな顔を見せて、書類を俺に返した。

 

「んじゃ、俺が書類を記入するから、お前はここに印を……」

 

説明している途中で、ポーラは俺の胡坐の上に座った。

 

「おい」

 

「ポーラ、ここでお仕事します」

 

そう言って、夕張をじっと見つめた。

 

「ポーラの特等席です。ねー、提督ぅ」

 

こいつ……。

この挑発に対して、夕張は冷静だった。

 

「いいですねー。私も後でやってもらおうかしら。なんてね」

 

そう言って、仕事を再開した。

肩透かしを食らったポーラは、不機嫌そうな顔を見せた。

こいつでも、こんな顔するんだな。

 

「……ポーラは提督に好きって言われました。ねー、提督」

 

「ん……あぁ……あれは……」

 

「そーしそーあいです。えへへ~」

 

これには夕張もカチンときたのか。

 

「でも、酔ってた時ですよね。この人、酔ってる時は思っても無い事言う癖あるし」

 

「そんなことないです。提督は酔った時、ポーラに本音を話してくれます。だから、好きって言うのも本当です。ポーラは提督と、二人っきりでたっくさんお酒飲みましたから、夕張よりも分かります。ねー、提督ぅ」

 

「ふぅん……そうですか……。でも、今は私がパートナーであることは変わりないですけどねー」

 

「お仕事だけの関係です。つごーのいい女です」

 

「都合のいい女にもなれなかった人もいますけどねー」

 

まるで地響きでも聞こえてきそうなほどに、空気がピリピリとし始めた。

これが修羅場って奴か。

こんな経験をしてみたいとは思ってはいたが、まさか艦娘で遭遇するとはな。

男としては嬉しいと思うところだが、飯田ちゃんの「第十軽巡寮に限った話ではない」というような言葉が浮かんで、お世辞に踊らされているような気持ちになった。

 

「ポーラは提督が好きだし、提督もポーラが好きです! つごーのいい女とは違います!」

 

「私だってこの人が好きだもん!」

 

それは、外にでも聞こえそうなほどに、大きな声だった。

我に返った夕張は、自分の言ったことに赤面し、顔を伏せた。

そして、何かを決意したように、顔をあげた。

 

「……私は、ポーラさんの意味とは違う意味で、この人が好きなんです。その……ラブ的な意味で……」

 

これに対して、ポーラは熱の残ったまま返した。

 

「ポーラだって同じです!」

 

「「え……」」

 

俺は夕張と同じタイミングで、そう零した。

 

「提督」

 

ポーラは見せたことも無いような真剣な目で、俺を見つめた。

 

「な、なんだ……?」

 

「Ti amo……です……」

 

まるで時間が止まったかのように、静寂に包まれた。

それは一瞬の出来事ではあったはずだが、俺にとっては、とても長く感じた。

 

「――……」

 

口の中に残る、ほんの微かなチョコレートの香り。

ポーラの顔が、ゆっくりと離れて行く。

 

「これで、夕張とは違います」

 

そう言ったポーラは、俺たちが唖然としているのを見て恥ずかしくなったのか、酒に酔っている時よりも顔を真っ赤にさせた。

 

「イ、イタリアでは……これが普通です……! 恥ずかしくないです……!」

 

「そ、そう……ですか……」

 

「な、なるほどな……」

 

変なコメントの後、沈黙が続いた。

それに耐えきれなくなったのか、ポーラは置いておいた酒を開けて、ぐびぐびと飲み始めた。

 

「あ……お、おい! そんなに勢いよく飲んだら……」

 

 

 

俺たちの制止を振り切ったポーラは、ものの数分で潰れてしまった。

 

「うー……気持ち悪いです……」

 

「だから言ったろ……」

 

トイレで嘔吐するポーラを夕張に任せるわけにもいかず、付きっきりで背中をさすってやった。

もう吐くものが無いのか、空嘔吐きをしていた。

 

「水、持ってきたわよ」

 

「ありがとう。ほら、夕張が水を持ってきてくれたぜ。飲めよ」

 

水を飲ませてやると、再び吐き出してしまった。

 

「水が甘いです……」

 

「胃酸も出て来てんな……。ったく……。せめて口はゆすいでおけよ」

 

「私、代わろうか?」

 

「いや、悪いが、お前は仕事をしててくれねぇか? こういう時の対処は俺がよく知ってるし、見せられたもんじゃねぇからよ」

 

「うん、分かった。何かあったら言ってね」

 

「あぁ」

 

夕張が去ると、ポーラはぽろぽろと涙を流した。

 

「うぅぅ……情けないです……。せっぷくものでござりましゅる……」

 

「切腹って……。いつの時代だ……」

 

「これじゃあ……提督とキス……できないです……」

 

便座に伏せるポーラ。

 

「別に変わらんだろ……。さっきのキスだって、お前が散々吐いたその口でされたんだからよ……」

 

「そうですけどぉ……おぇ……」

 

こんな状況だからあまり考えないようにはしていたが、ポーラから告白もされて、キスもされたんだよな……。

 

「…………」

 

そう考えると、なんだか恥ずかしくなって、ポーラの背中をさすることが出来なくなってしまった。

思春期の子供かよ……。

 

「提督……」

 

ポーラは俺の手をぎゅっと握ると、頭を預け、小さな声で言った。

 

「嫌いにならないで……」

 

まるで、救いを求めるかのような声だった。

 

「……アホか」

 

それ以上の事は言わなかった。

いや、言えなかった。

迷いが生じて、口が動かなくなっていた。

 

 

 

ポーラを部屋で寝かせ、自室へと戻った。

 

「お帰りなさい。ポーラさん、大丈夫?」

 

「あぁ……やっと寝てくれたぜ……。仕事はどうだ?」

 

「もうちょっとで終わるところ」

 

「早いな」

 

「当然」

 

夕張は得意げな顔を見せ、おかしそうに笑った。

 

「仕事終わったらさ、私もお酒、飲んでいいかしら?」

 

「お前、飲めんのか?」

 

「多分……分からないけど……いいでしょ?」

 

「構わねぇが、酔って面倒な事を起こすなよ」

 

「うーん、どうかしら?」

 

「おい」

 

「どうなるか分からないのよ。だから、もしもの時の為に、付き合って。ね?」

 

まあ、仕事も頑張って貰ったしな。

断るわけにはいかんだろ。

断ったら断ったらで、ポーラは――と、またうるさいだろうしな。

 

「分かった。ほどほどにな」

 

 

 

夕食を終え、仕事もひと段落した頃、夕張は再び俺の部屋を訪れた。

 

「雨、降ってきちゃった」

 

髪を濡らす夕張。

工廠からつまみになりそうなものを持ってきてくれたようで、その途中で雨に降られたらしい。

 

「ポーラさん、まだ寝てる?」

 

「あぁ。さっき様子を見に行ったが、ちゃっかり寝下呂対策してたよ」

 

「寝下呂対策って?」

 

「うつ伏せに寝て、あごの下に腕を潜り込ませる寝方だ。酔ったまま寝ると、寝下呂で窒息する可能性があるから、そうやって寝るんだよ」

 

「アル中の常識みたいで、何だか下品な話ね」

 

「救護活動でも推奨される体勢だ。お前も初めて酒を飲むのなら、頭の片隅にでも入れとけ」

 

用意できた酒は、ポーラの持ってきたワインのみであった。

 

「一度だけワインを口にしたことがあるけれど、美味しくなかったわ。もっとこう……ブドウの味がすると思っていたけれど……」

 

「なら、やめておくか? 今日はワインしかねぇぜ」

 

「ううん、大丈夫。酔ってみたいだけだし、この際味はどうでもいいわ」

 

グラスに注いでやって、乾杯をした。

一口つけると、夕張は苦い顔をした。

 

「うまかねぇだろ」

 

「正直ね……」

 

それでも夕張は無理に飲もうとして、その度に顔をしかめた。

 

「無理に飲まなくてもいいんだぜ」

 

顔を横に振る夕張。

グラスの酒は、ちっとも減っていなかった。

 

「……ポーラに対抗したいだけなんだろ?」

 

もっと酔ってから話そうと思っていたが、どうも続かなそうなので、さっさと本題に入った。

 

「……そんなところかしら」

 

グラスを置くと、俺の方へと差し出した。

 

「魂胆がバレたら、もういらねぇってか」

 

「美味しくないんだもん。それに……つまんない……」

 

膝を抱え、顔を埋めた。

 

「お前、落ち込むとき、いつもそうするよな」

 

「分かりやすいでしょ……。落ち込んでるって……」

 

「その割には、複雑で繊細な心を持ってるようだがな」

 

「機械と一緒よ……。とっても便利で、誰にでも扱えるような機械って言うのは、どれも複雑で、繊細に作られてるものよ……」

 

「かもな。だが、お前と違うところは、誰にでも扱えるって所だな。ちょっと面倒で、扱いにくいのがお前だ」

 

「貴方が音痴なだけじゃなくて……?」

 

「それもあるかもな」

 

夕張はため息をつくと、ダルそうに顔をあげた。

 

「こんな気持ちになるくらいなら……本当に機械として生まれたかったわ……。どうして艦娘なんだろ……私……」

 

俺が面倒くさそうにしていると、夕張はムッとした顔で睨んだ。

 

「ねぇ、聞いてるの?」

 

「あぁ、聞いてるよ。面倒くせぇな。酔ってもねぇくせに」

 

「そうよ……。私は面倒くさい艦娘よ……」

 

本当は酔ってんじゃねぇのかってなほどに、より一層面倒くさい感じだ。

 

「ねぇ……」

 

「なんだよ?」

 

「キス、してもいい……?」

 

俺が酒に口をつけたのは、答えに一瞬の迷いがあったからであった。

 

「駄目だ」

 

「ポ――」

「ポーラのは、言ってみりゃハプニングだ」

 

「……まだ何も言ってないでしょ」

 

「間違ってるか?」

 

夕張は不機嫌そうに、「間違ってないけど……」と零した。

 

「じゃあ、私もハプニングって事で手を打ってよ」

 

「あらかじめ知ってることを「ハプニング」とは呼ばねぇだろ。そもそも、ハプニングってのは「偶発的な事件」の事を言ってだな――」

 

「言葉の意味なんてどうでもいいでしょ!? そうやって話をそらさないで!」

 

グイグイ来る夕張に、俺は思わず吐露した。

 

「面倒くせぇな……。恋人でもねぇ癖に……キスしろだの……」

 

そう言ってやると、夕張は静かになった。

そして、再び膝を抱えると、顔を逸らして、零した。

 

「恋人になれるものなら……なりたいわよ……」

 

それは、人になりたいという意味を含んでいるのか、いつもの様子とは違って聞こえた。

 

「……酒、もう下げていいか?」

 

顔を逸らせたまま、頷く夕張。

片付けている間も、夕張は体勢を変えず、ただ何もない壁を見つめていた。

 

「…………」

 

『もし、こいつが人となって、同じように迫って来たら、俺は一体どうするのだろうか』

何万回と考えて来たことだ。

その度にぶち当たるのは、やはり俺の気持ちであった。

人と艦娘という溝・壁。

言ってみれば、障害だ。

だが、いつの間にか、俺にとっては、俺を守ってくれるものになっていたのかもしれないと、最近になって気が付いた。

自分の気持ちを考えなくて済む、と。

結論を出さなくて済む、と。

 

「はぁ……」

 

結局のところ、俺はこいつらが好きなんだ。

夕張の言うところのラブと同じ意味で。

その気持ちに気が付いてしまったら、それを認めてしまったら、俺は――鎮守府に行ったあいつと同じになってしまうから、考えないようにしてきたんだ。

人と艦娘である以上、一線を越えることは許されない。

だからこそ、好きになってはいけなかったんだ。

だからこそ、認めてこなかったんだ。

だが、こうなってくると、俺は――。

 

「……夕張」

 

「……なに?」

 

もしかしたら、あいつもこんな気持ちだったのかもしれないな。

 

「いいぜ」

 

「……何が?」

 

「キスしても」

 

「……え?」

 

冗談でしょ、というように、夕張は顔をあげた。

だが、俺の顔がそうではないと言っているのに気が付いて、動揺していた。

 

「ば……バカじゃないの? そんな事、許されることじゃないでしょ……。私だって、分かってて言ってるだけで……気持ちを落ち着かせるために言ってるのであって……」

 

「あぁ。許されねぇことだ」

 

「だったら……」

 

「だから……俺は抵抗する。尤も……俺はポーラのアレについて、動揺して抵抗も出来なかったがな」

 

「……本気なの?」

 

「あぁ、やれるもんならな」

 

そう言った瞬間、夕張は俺の胸倉をつかんで、一気に背負い投げをした。

 

「ぐぇぁ!?」

 

叩きつけられたところに、夕張はどこで覚えたのか、袈裟固を決めた。

 

「くぅぅ……! お前……! 一体なにを……!?」

 

いきなりの事とは言え、なんて力だ……!

艦娘ってのは、こんなにつえぇもんなのか!?

いや、或いは俺が弱いだけか!?

 

「うぉぉ……!」

 

それでも、学生の頃に授業でやった経験が活きてくれたのか、俺は何とか夕張を引っぺがすことが出来た。

 

「はぁ……はぁ……。どうだ……! 畜生……!」

 

転がる夕張も息を切らし、中々立ち上がれないようであった。

 

「抵抗するとは言ったが……はぁ……っ……まさか……力づくとはな……」

 

夕張は返事をしない。

息を切らしたまま、蹲っていた。

 

「夕張……?」

 

返事は無い。

 

「おい、大丈夫か? 何処か打ったか?」

 

近づいた瞬間、夕張の頭突きが俺の鼻にクリーンヒットした。

 

「いってぇ!?」

 

今度は俺が蹲る。

その隙に夕張は、俺は壁に叩きつけ、尻餅をつかせた。

 

「お前……! マジでやりす――」

 

飴と鞭。

俺の頭に、その言葉が浮かんだ。

いや、或いは飴ではなく、マシュマロのような。

それほどに柔らかく、そして、優しいものであった。

 

「――……」

 

夕張は目を瞑り、その感触に浸っているようであった。

息を切らしていたため夕張の鼻息は荒く、それが肌に当たり、こそばゆく感じた。

 

「(あ……)」

 

先ほどの頭突きで、鼻血が垂れて来た。

それが夕張に伝ってしまっても、やめることはしなかった。

 

「…………」

 

それにしても、長い。

鼻血はついに顎の方へと到達し、今にも服へと垂れそうになっていた。

 

「(嗚呼……そうか……)」

 

俺は夕張の肩を掴んで、そっと放してやった。

そうだった。

俺は抵抗しなければいけなかったんだった。

夕張は、それを待っていたんだな。

 

「……中々抵抗しなかったのね」

 

俺は答えなかった。

そうすることが、夕張にとっては嬉しいことだと分かっていたからだ。

…………。

嘘だ。

本当は分かっていた。

抵抗すればよかったのだと。

だが、しなかった。

俺が、そう望んだからだ。

 

「おーい、なんかすげー音したけど、大丈夫か?」

 

天龍が入ってくるのと同時に、夕張は部屋を出て行った。

 

「夕張? どうかし……って、うぉ!? 山岡、お前……! 血ぃでてんぞ!? 大丈夫か!?」

 

「あぁ……鼻血だ」

 

「まさかお前……夕張と喧嘩でもしたのか? 馬鹿だなぁ……。夕張、ああ見えて結構力持ちなんだぜ? そりゃそうなるよ……」

 

「……そのようだな」

 

「ほら、ティッシュ。今冷たいタオル持ってくるから、大人しくしてろよ?」

 

「あぁ……悪いな……」

 

ふと、鏡に映る自分を見て、まるでキスに興奮した人のように感じて、思わず笑ってしまった。

 

「いや、或いは間違っていないのかもしれねぇな」

 

「ん? 何か言ったか?」

 

「何でもねぇよ」

 

それから夕張は工廠に行ったようで、朝まで帰ってくることは無かった。

 

 

 

翌日は榛名の店で監査があり、とりあえず天龍に任せて、寮を出た。

 

「売上、凄いことになってんな」

 

「えぇ、大忙しです。けど、山岡さんのお陰で、何とか回っています。バイトの子を入れるように手配してくれたのですよね?」

 

「決定したのは本部で、俺はただ愚痴を言っただけだ。こんな忙しいのに、一人で働かせるのかってな」

 

「ふふ、榛名知ってますよ。それだけじゃないって。もっと強い口調で言ってくれたんですよね?」

 

「どうだったかな……。さて、監査員から客になるかな。紅茶と「本日のケーキ」を頼む。ちゃんと金は払うぜ」

 

「ありがとうございます。少々お待ちくださいね。ふふ」

 

榛名の奴、何とかやっているようで良かったぜ。

一時は並ぶほどに店が繁盛していたからな。

バイトを入れるってのは、正解だったようだな。

 

「ふぅ……」

 

こうして一人で落ち着いているのは、なんつーか、久々な感じがする。

ポーラが来たのもそうだが、色んな事でごたごたしてたしな。

なんだかんだ言って、そう言うことも楽しめていたんだと、一人になってみて思う。

それほどに、何だかこうしていることが、寂しい感じに思える。

 

「いらっしゃいませ」

 

榛名の声で、ふと我に返った。

誰かが入店したようであるが、そいつは入店したっきり、席に着こうとしなかった。

 

「?」

 

気になって振り向いたとき、丁度そいつが俺を横切り、目の前の席に座った。

 

「いらっしゃいませ。ご注文は?」

 

「この人と同じものを」

 

「かしこまりました」

 

ため息をつきながら、視線を戻す。

そこには、いつもの張り付いた笑顔を見せた、龍田が座っていた。

 

「他の席に座れよ」

 

「別にいいじゃな~い? 本当、冷たい人ね~」

 

龍田とは、あの時以来会っていない。

榛名の店に出向くことが少なかったせいもあるが、たまに出向いたとしても、会うことは無かった。

 

「…………」

 

「…………」

 

同じ席に座って来たくせに、龍田は一言もしゃべらず、ただ窓の外で忙しなく歩いている人の流れを見ていた。

 

「お待たせいたしました。ごゆっくり」

 

俺と龍田の頼んだものは、榛名が気を遣ってくれたのか、同時に出て来た。

紅茶とケーキに手を付けると、幾分か気まずさがまぎれるようであった。

それは龍田も同じようで、黙々とケーキを食べていた。

 

「…………」

 

やがて、ケーキも紅茶も無くなり、残るは氷の入った水だけとなった。

 

「…………」

 

「…………」

 

龍田はしきりに、おしぼりで手を拭いていた。

 

「よう、気まずいのなら、他の席に座っとけって」

 

「気まずいと思っているのは貴方でしょ~? 私は別に、思ってないわ。貴方を意識することなんてないしね~」

 

「そうかよ……」

 

相変わらず何を考えてんのか分からねぇ奴だな。

こうして同じ席に座ったのも、何か目的があるはずなんだろうが……。

 

「…………」

 

それに、入店してから、迷いがあったようだしな。

おそらく、俺を見つけて、同じ席に座るかどうかを考えていたんだろうが、迷う理由が分からん。

 

「さて……」

 

グラスの水を飲み干し、伝票に手をかけた時だった。

 

「待って」

 

龍田は手を掴むと、すぐに離した。

 

「なんだよ。奢ってくれんのか?」

 

「えぇ、それでもいいわ。だから、座って」

 

「なんだよ。気持ちわりぃな……。まあ、奢ってくれるってんなら……」

 

座りなおすと、龍田は話し始めた。

 

「天龍ちゃんから聞いたわ。山風ちゃんの事。大変みたいね~」

 

「あぁ……まぁな……。今までの事とは別のベクトルで大変だ。優秀になってくれるのはいいことだとは思うが……」

 

「貴方、昔から寂しがり屋だったものね~」

 

ムカつくが、こいつは俺の事をよく知ってる。

だからこそ、俺が嫌がることをピンポイントで突いて来るし、その逆もあったりする。

 

「あいつの気持ちが分からん……。そんな話をする為に、わざわざ呼び止めたのか?」

 

「貴方が困ってるって聞いて、協力しようと思って呼び止めたのよ。奢ってもあげるって言ってるのに、その言い方は無いんじゃないかしら~?」

 

「どんな言い方ならいいんだよ……。つーか、どうしてそこまでしてくれるんだよ?」

 

「気まぐれかしら」

 

「気まぐれ……」

 

龍田はティーカップを手に取り、空になっているのに気が付いて、すぐに戻した。

 

「で? アドバイスでもくれるってのかよ?」

 

「えぇ。天龍ちゃんの話を聞く限り、山風ちゃんは変わってないと思うの」

 

「変わってない?」

 

「確かに、貴方に構わなくなって、真面目にやっているようではあるけれど、本質は何も変わっていないわ」

 

俺が分からないというような表情を見せると、龍田は嘲笑うかのように息を漏らした。

 

「貴方、最近は山風ちゃんにお熱でしょ~? 山風ちゃんの事を考えて、山風ちゃんに優しくして、山風ちゃんに構おうとしてる。違うかしら?」

 

確かにそうだ。

 

「それって、山風ちゃんにとっては、とっても嬉しいことなのではなくて?」

 

それを聞いて、はっとした。

 

「気が付いたみたいね~。まあ、山風ちゃんはもっと前から気が付いていたでしょうけれど」

 

そう言うことか……。

しかし……。

 

「よく分かったな。誰もそんな事、気が付かなかったぜ」

 

「分かるの。私も、同じような事を考えることがあるから」

 

龍田は立ち上がると、小さく言った。

 

「今、私が貴方にしていることと一緒よ。貴方だって、私が何故こうしてアドバイスをするのか、気になっているでしょう? そう言う事よ」

 

「お前、それって……」

 

そして、そのまま店を出て行ってしまった。

 

「……はぁ」

 

そう言うことかよ……。

そんなこと言われたら、意識せざるを得ねぇだろ……。

本当……俺の事をよく知ってるぜ……あいつは……。

 

「あの……」

 

榛名は申し訳なさそうに、龍田の伝票を手に取った。

…………。

 

「あぁ、払うよ……」

 

 

 

寮に帰ると、自室には夕張とポーラが居た。

喧嘩でもしているのかと思ったが、どうやら逆のようであった。

 

「あ、お帰り」

 

「お帰りなさい、提督ぅ」

 

「お、おう……。どうしたんだ? なんだか仲よさそうにしていたが……」

 

「いやぁ、それがね? ポーラさんと貴方の事で盛り上がっちゃって。ねー」

 

「そうなんです! ポーラ、夕張の事、勘違いしてました。今、提督の悪口で盛り上がってたところです」

 

「……そりゃ良かったな」

 

雨降って地固まるとは、この事だな。

何がどうなってこうなったのか、全くわからん。

 

「でね? その時にこの人、私にこう言ったんですよ。「お前に胸があったら襲ってやるのにー」って。酔ってるとは言え、最低ですよ」

 

「あー、提督はおっぱい好きですからねー。この前だって、ポーラのおっぱい、じーっと見てましたもんねー? えへへ~」

 

「ふぅん……。そうなんだ……。へー……」

 

夕張は冷たい視線を飛ばした。

こりゃ、後で面倒な事になりそうだな……。

 

「……そういや、山風知ってるか?」

 

「さぁね……。知らないわ……」

 

「そうかよ……。ポーラはどうだ?」

 

「食堂で見ました!」

 

「そうか。サンキュー」

 

わざとらしく夕張に視線を送る。

予想通り、ムッとした顔を見せていた。

 

 

 

食堂には天龍と山風が居た。

勉強スペースで、黙々と問題を解いているようであった。

 

「よう山岡」

 

「おう。勉強か」

 

「あぁ。今まではオレが教えていたのにさ、今度ばかりは教わってるんだ……。情けない話だけどさ……」

 

「プライドを捨てて励めるのはいいことだと思うぜ」

 

「よせよ。照れるじゃねーか」

 

俺と天龍が話していても、山風は顔をあげることは無かった。

 

「あー……天龍……。その……」

 

俺が山風を見ているのに気が付いてくれたのか、天龍は小さく頷いた。

 

「あー……オレ、ちょっとトイレに行ってくるわ。山風を見ててやってくれよ」

 

「あぁ、分かった」

 

天龍はウィンクをすると、食堂を後にした。

二人っきりになっても、山風は無反応だ。

 

「模擬試験、あれから受けたのか?」

 

山風は目も合わせず、「うん」と答えた。

 

「合格点だった……」

 

「すげぇな。もう合格したも同然じゃねぇか」

 

「ううん……。まだ……ギリギリだから……。もっと……頑張らないと……」

 

「そうか……」

 

正直、龍田に言われたことに、あの時は納得していたが、まだ確証は無かった。

それほどの事を山風が考え、実行させられるだけの知性を感じる出来事は、確かにあったりはした。

だが、それだって、俺がそう思っているだけであって、真実ではなかった。

 

「お前、もっと上を目指したいか?」

 

「うん……。その為に勉強しているし……。もう、パパに頼らなくてもいいように……頑張るからね……」

 

そう言うと、顔をあげて、俺に微笑んで見せた。

一見、悲しみを含んでいるようであるが、夕張の微笑みに比べたら――。

だからこそ、俺は確信した。

 

「……そうか。なら、ここにいるのは……お前の為にはならないかもしれねぇな……」

 

「え……?」

 

「お前、第二寮に行け。あそこは、駆逐艦の合格者を多数出している、優秀な寮だ。こんなところにいるよりも、そこにいる方が、お前の為になるだろうぜ」

 

「行けって……異動になるって……こと……?」

 

「あぁ」

 

山風は明らかに動揺していた。

 

「でも……あたしは問題児だから……」

 

「もうそうじゃねぇだろ。今のお前なら、何処へでもやっていける」

 

「て……天龍に……勉強を教えないと……いけないし……」

 

「きつい言い方かもしれねぇが……あいつはお前の足を引っ張る。天龍には香取がいるから、お前が心配する必要はない」

 

「だったら、あたしも香取さんに……!」

 

「香取よりも鹿島の方が、駆逐艦に教える方法をよく知ってる。それに、香取は天龍だけでも手いっぱいになるだろう。ここは「不寮」だしな」

 

「でも……でも……」

 

それから山風は必死に理由をあげてきたが、ことごとく潰され、とうとう黙り込んでしまった。

 

「…………」

 

山風の目に、うっすらと涙が溜まっていた。

 

「……山風」

 

「…………」

 

「ごめんな……」

 

俺が謝る意味を、山風は分かっていないようであった。

 

「お前、俺がお前の事を気にかけていると知っていて、真面目な態度を取っているんだろ……? そうすれば、自分の事を考えてもらえるって……。心配してもらえるって……」

 

「……!」

 

図星であったのか、山風は目を逸らし、俯いた。

 

「……それを確かめる為に……異動なんて言ったの……?」

 

「あぁ……」

 

耳鳴りがうるさく感じるほどに、静かな時間が過ぎて行く。

 

「……正直、お前がそんな事を考えられるなんて、思ってもいなかった。甘えん坊なお前が、ポーラを寄越したりして、徹底的に俺を避けているその意味も……その思惑もな……」

 

山風は大きく深呼吸をすると、諦めたように零した。

 

「……最初は……そんな事……考えても無かった……。ただ……パパの為に……なりたかっただけで……。パパの笑顔が……見たかっただけで……」

 

天龍に言った、あの理由か。

 

「でも……パパがあたしの気持ちに気が付いてくれて……。とっても嬉しかったよ……。でも……それは……あたしの気持ちに気が付いてくれたからじゃない……。あたしの事を……考えてくれていたから……。あたしの事で悩んでくれて……あたしの為に気を遣ってくれて……。あたしがパパでいっぱいになるのと同じで……パパもあたしでいっぱいなんだって……思ったの……」

 

やはり、龍田の言っていたことは――。

 

「……ごめんなさい。あたし……」

 

「……いや、謝らなきゃいけないのは、俺の方だ」

 

「え……?」

 

そうだ。

 

「俺はさっきまで、本当のお前はもっと、そんなことまで考えられる、賢い奴だと思っていた。だが、そうじゃないのだと気が付いた。だからさっき、お前に謝ったんだ。あれは、異動させるなどと嘘を言った事に対する謝罪ではなく、そう言う謝罪だ」

 

山風は分からないというような顔をした。

 

「本当は、何も変わってはいないんだ。甘えん坊で、ちょっと足りてなくて……すぐに拗ねるし、わがまま言うし、寝るまで一緒に居ろだの、飯を食わせだの、歯を磨けだの……おまけに手まで洗わせにくる始末だ」

 

「…………」

 

「そんなお前が……甘えるのを捨ててまで、俺に振り向いてもらおうとしていた。そこまで……追い詰めてしまった……」

 

山風は、俺が何を言いたいのか、ようやく分かったようであった。

 

「……違うよ! あたしはただ――」

「――山風」

 

俺は、そっと山風を抱いてやった。

 

「変わるなとは言わない……。お前がそうしたいのならそうするべきだし……俺はそれを尊重したい……」

 

「パパ……」

 

「だから……本当の気持ちを……俺に教えてくれ……頼む……」

 

山風は長い沈黙ののち、本音を語り始めた。

 

 

 

ストックしてあった缶コーヒーを持って、寮の外にあるベンチに座った。

空はすっかり朱色に染まっていて、蜩が一匹だけ、カナカナと寂しく鳴いていた。

 

「ふぅ……」

 

使われなくなった灰皿には、昨日の雨水が少しだけ残っていた。

 

「禁煙したって言うのは、本当みたいね~」

 

顔をあげるまでも無かった。

 

「どうしてここにいるんだ?」

 

「天龍ちゃんにお届け物があってね~」

 

「そうか。そりゃ、わざわざ。ご苦労様だな」

 

その言葉の意味が通じたのか、龍田は俺の隣に座った。

 

「山風ちゃんに話をしたのでしょう? さっき見かけた時、とっても元気そうだったわ」

 

「あぁ……まぁな……」

 

「いつもの調子に戻ったようで、安心した?」

 

俺はコーヒーを一口飲んで、ため息交じりに言った。

 

「嫌味か……?」

 

「そんなところかしら」

 

本音を話した山風は、いつもの自分を取り戻した。

それでも、変わろうという意思はあるようで、我が儘を言うことを止めるとの事であった。

 

「良かったわね。貴方の思い通りになって。山風ちゃんは元気になって、しかも迷惑をかけなくなった。貴方の理想通りじゃない」

 

俺は何も言わなかった。

 

「……貴方の行動、間違っていなかったと思うわ」

 

「俺のエゴだとしてもか?」

 

「他人の幸不幸を決めるのは、私達ではなく、その人自身なのよ。例え貴方が山風ちゃんに対して、昔のままでいて欲しいと願い、そうさせるように導いたとしても、山風ちゃんが幸せそうなら、それでいいじゃない」

 

本当、こいつは俺の事をよく知っている。

そうだ。

俺は山風に、変わる前の山風に、戻って欲しかった。

あいつの為じゃなく、俺の為に、俺はあんなことまでして、あいつの心に付け入ったのだ。

結果、山風は俺に構うようになった。

いい子になったという、おまけ付きで。

 

「確かに、あいつにはお前の言う通り、俺を想うが故のやましい心はあった。だが、それだけが俺を避けた理由ではない。あいつは本気で、俺から卒業しようとしていたんだ。それを俺は……憐憫の情をかけさせて……優しく抱いてやって……引き戻した……」

 

「そうかもしれないわね。でも、そんな事は貴方の憶測にすぎないわ」

 

龍田はため息をつくと、退屈そうな表情を見せた。

 

「いい加減、そうやって自分を責める事を止めたらどうかしら?」

 

「…………」

 

「貴方はいつだって、そうやって自分を責めてしまう。それが怖くて、自分の決断から、いつも逃げてしまう」

 

ふと、香取や夕張、ポーラの顔が浮かんだ。

 

「例えどんな結末が待っていたとしても、自分の選択した道を否定してはいけないわ。間違っていれば、誰かが言ってくれる。それまでは、正しいと思ってなさい。そうでないと……」

 

龍田は立ち上がると、俺に金を渡した。

 

「誰かを不幸にしてしまうわよ。貴方の決断を待っている人は……貴方の思う以上に多くいるのよ。私もその一人……」

 

そう言うと、龍田は去っていった。

渡された金は、あいつが榛名の店で払う筈だった金額と、同じであった。

 

 

 

寮に帰ると、山風がとんできた。

だが、あのダイブは無かった。

 

「パパ、お夕食、出来てるよ」

 

「おう、ありがとう」

 

「えへ……。食堂で、待ってるね」

 

「あぁ」

 

山風は嬉しそうに、食堂へと向かっていった。

 

「…………」

 

自分の選択した道を否定するな……か。

思えば俺は……飯田ちゃんに告白して、見事に玉砕したあの日から、自分の選択に不安を持っていたのかもしれない。

傷つく事を恐れていたんだ。

だからこそ、自分の選択した結果に対して、幸か不幸かと天秤にかけ、気を紛らわせていたんだ。

夕張達の事に対しても同じだ。

好きになってはいけないと壁を作ったのは、まぎれもない俺であった。

好きになったところで、死ぬわけでも無いのに。

 

『誰かを不幸にしてしまうわよ』

 

「はぁ……」

 

本心ってのは、必ず決まってるもんだ。

それを何かと理由をつけて、自分を騙し、隠してきた。

だが……もし、龍田の言う通り、隠したままではいけないのであれば――俺自身を信じる事が出来るのであれば――。

 

「頼む……」

 

この世に神がいるというのなら、俺にその勇気をくれ。

腹痛の時、都合よくお前に和らげるようお願いしたこと、謝るからよ……。

 

「パパ? ご飯、冷めちゃうよ?」

 

「……あぁ、今行くよ」

 

……なんてな。

いつだって、俺の足は、俺が動かしてきたんだ。

 

「ふぅ……。行くか……!」

 

俺は、一歩を――大きな一歩を踏み出した。

……尤も、実際は食堂へ行くだけの、しょぼい一歩ではあったのだがな。

 

 

 

いよいよ明日、香取が帰ってくる。

検査の結果がすぐに出てくることは無いだろうが、自分の体の事だ、香取は何かしらの確信をもって帰ってくるだろう。

その時、あいつはきっと――。

大きく踏み出した一歩は、あいつらにどれだけ近づくことが出来るのか。

少なくとも、今まで目の前にあった溝や壁は、まるで最初からなかったかのように、消えていた。

 

――続く

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